―――雨が、降っていた。
真夜中辺りから降り出した雨は、朝になっても止むことはなく、昼になるにつれて次第に強くなってきた。
今では、ザアザアと家の中に響くくらいに激しい雨音を立てている。「・・・・・・」
窓を打つ雨粒を、ロイドは椅子の背もたれにあごを乗っけるような姿勢でぼんやりと見つめていた。
もとい、見ていない。たまたま向いている方が、部屋の窓だっただけだ。「ローイードーくんっ!」
「―――おわっ!?」いきなり後ろから抱きつかれ、ロイドは座っている椅子ごと倒れそうになった―――ところをギリギリ堪える。
「って、いきなり何すんだっ!?」
吃驚して振り返ると、少し不機嫌にムクれた恋人の顔があった。
「・・・だって、久しぶりに二人っきりだっていうのに、ロイド君ってば、ずっとそんな感じで考え事しててさ」
「あ・・・悪い」“久しぶり” の部分に、とてつもない罪悪感を感じて素直に謝る。
ただでさえ、任務や訓練などでリサと一緒に居る時間は少ない。なおかつ、今回は演技とはいえ拒絶までしてしまった。本心ではないとはいえ、あの時はそれを言ってしまった自分と、言わせたセシル王を殺してやりたいとすら思った。リサは、ロイドの背中に抱きついたまま離れず、逆に自分の身体をぎゅっと寄せる。
椅子はどこにでもあるような四本足の立ったテーブル用の椅子で、二人で座るようにはできていない。そこへ無理矢理にリサが押しかけているのだから、ロイドは椅子とリサとに挟まれて少しばかり苦しい。「折角、バイトも休みなんだから・・・」
リサの言うとおり、彼女のバイトは今日は休みだった。
かといって、それはリサが望んだ休暇ではなく、(・・・手回し良すぎるッスよ)
ロイドを城から追いだした後、即座にセシルが “金の車輪亭” に使いを出したらしい。
代わりの者を寄越すから、暫くリサに休暇を与えるように、と。あの時に言ったセシルの言葉は嘘偽りなかった。
言われるがままというのも癪なので、城から追い出された後、リサの家には向かわずに街中にある宿に泊まろうとしたが、すでに手配がまわって追い出された。変装し、偽名を名乗っても効果なく、街に住んでいる知人友人を訪ねても追い返される。仕方ないので適当に街をブラついて一晩過ごそうとしたら、何故か兵士に追いかけられる始末だ。
そんなこんなで逃げ回っていたら、ばったりとリサと遭遇して、結局リサの家に泊まることになってしまった。
ちなみに街中でリサに出会ったのは偶然ではなかった。聞くところによると―――「なんか、ロイド君が行く当てもなく街を彷徨ってるって、ロック君が・・・」
・・・あの野郎も陛下とグルかよ!
そのことを知らされた瞬間、ロイドはもはや抗う気力も無くなっていた。
ロイドが考えるに、セシル=ハーヴィとロック=コールの取り合わせは、この世の中で凶悪な物の一つである。無敵の読みに、無制限な情報収集能力。この二つが合わさったら、それから逃れられる者などありはしない。そういうわけで、今、ロイドが居るのはリサの家だった。正確にはリサの父であるシド=ポレンディーナの家だ。
もっとも家の主は、セシルが言っていたとおりに忙しいらしく、ずっと家に戻っていないようだ。「もーちょっと、あたしを見てほしいなーって」
「それなら昨晩、余すことなく隅から隅まで見―――」答えかけた瞬間、リサはぱっと立ち上がると、椅子の端を持ち上げた。
背もたれの方に重心をかけていたロイドは、堪える間もなく椅子ごと倒れる。「いってえええええ・・・な、なにすんだ! いきなり!」
「そういうことじゃなくて!」
「じゃあ、どういう―――ああ、そうか」ロイドはハッと気がつくと、痛みを堪えて立ち上がる。
椅子を倒したまま、リサの前に立つと、その方に手を置く。「そうだな、お前の言うとおりだ」
「あ・・・」真っ正面から見つめられ、リサは少し頬を染める。
そんな彼女に、ロイドはリサの服に手をかけながらのたまった。「昨夜のランプの灯りじゃ暗くてはっきり見えなかっ―――」
ごす。
リサの足が振り上げられ、ロイドの股間を直撃した。「あぐおおおおおおおおっ!?」
床に突っ伏し、男の子の大事なところを抑えて悶えるロイドを、リサははだけた服を直しながら冷たく見下ろす。
「・・・どーして男って下半身でモノ考えるんだろう・・・」
「ばっ・・・おまっ・・・これ、シャレになんねー・・・・・・」ようやく収まってきたのか、ロイドは涙目になって、恨みがましくリサを見上げる。
「これが壊れたらお前だって困るだろーがっ!」
「・・・・・・困るかどうか、壊して確かめてみよっか?」にっこり笑って―――その目は全然笑っていなかった―――言うリサに、ロイドは薄ら寒いものを感じ取って、ぶんぶんと首を横に振る。やべぇ、この女・・・マジだ。
ガクガクブルブルと震えるロイドに対し、リサは「はあ・・・」と嘆息して、うずくまるロイドのすぐ隣りに腰掛ける。
「・・・セシルのこと?」
「なにがデスカ?」恐怖心からか、つい敬語になる。
構わずリサは問い直す。「さっき考えていたの、セシルのことかなって」
「・・・まあな」
「あたしは―――」リサは言いかけて、一拍おいてから続けた。おそらくそれは、ロイドを気遣ってのことだろう。
「―――セシルには感謝してるよ? ロイド君は不本意だろうけど、さ」
「感謝?」
「苦しかったもん」その言葉が何を指すのかは、すぐに解った。
「哀しくって、辛くって、泣いちゃったし」
ロイドの実家でのこと。
―――その女は恋人なんかじゃない。単なる “道具” だよ。セシル=ハーヴィに取り入るための、な。
あの言葉は決して本音ではなかった。
けれど、それでも酷い言葉を言ってしまった事実は変わらない。「あれは・・・」
元はと言えばセシル陛下の策で―――と、言おうとしてロイドは口をつぐんだ。
確かにロイドが実家に戻ったのはセシルの “策” だが―――(・・・陛下の言うとおりだ。陛下はリサを傷つけることまで望んじゃいなかった)
リサがロイドの屋敷を訪ねたのは、セシルにとって計算外のことだっただろう。
けれど、ロイドはなんとなく来るような気がしていたし、そして実際に来た。
予測していたからこそ、どうすればいいか前もって考えていた。心の準備が出来ていなければ、あんな事を言えるわけがない。「・・・リサなら信じてくれるって思ったんだ」
―――いつの間にか痛みは引いていた。代わりに胸が痛む。
身を起こしながら言い訳する。
けれどそれが本音でもある。
だいたい、セシルに取り入るならリサを使っても意味がない。セシル=ハーヴィは、友人の恋人だからと言って、目こぼしするような人間ではないことは、その友人であるリサがロイド以上に知っているはずだ。
だから、ロイドのそれが偽りであると、リサは解ってくれると思っていたのだが―――「信じたよ」
帰ってきたのは、感情の乏しい声だった。
否、必死で感情を押し殺しているのだ。「信じたもん。ロイド君があんなこと言うはず無いって、信じたよ―――信じたけど!」
身を起こしたロイドに、リサは身体を預けるように身を寄せる。
「信じることと、感じることは別だもん」
偽りだと解っていても、大好きな人に面と向かって拒絶されれば傷つかないはずがない。
「・・・だから、こうしてロイド君と一緒の時間を作ってくれたセシルに感謝してる」
「そうだな・・・」猫のように身体をすり寄せてくるリサを腕で抱きながら、ロイドは―――
「それは・・・そうなんだけどなあ・・・」
呟きながら、窓を見上げる。
窓の外に降る雨をぼーっと見上げ―――いきなり耳を引っ張られた。「いでぇっ!?」
「な・ん・な・の・か・な・さっ・き・か・ら!」一語一語に力を込め、それに合わせて耳を引っ張る。
最後の「ら」と同時に指を放し、ロイドを睨付ける。「もーっ! ロイド君ってばそんなにあたしと居るのがつまんない!?」
「いやいやいや! そんなことないデスヨ!? ただちょっと!」
「 “ちょっと” なに!? そんなにセシルに城を追い出されたのが気に食わないの!? 自分だって同じ事したくせに!」フォレス邸でロイドがリサを拒絶したことと、セシルがロイドを追い出したこと―――確かに同じだと言えなくもない。
「いや、そうじゃなくて・・・・・・」
「じゃあ、なに!?」
「んー・・・・・・」言いにくそうに口ごもりながら、ロイドは立ち上がる。
「悪い、ちょっと出かけてくる」
「で、出かけるって―――雨降ってるよ!?」
「ああ。というわけで傘、借りてくな」そう言い残して、ロイドはさっさと部屋を出て行った。
後にはリサが一人だけ残される。
ロイドが出て行った、部屋のドアを見つめて呆然とし―――「ロ・・・ロイド君の・・・ロイド君のバカぁっ!」
「言い忘れてた」ひょっこりとロイドが戻ってきた。手には傘を二本持っている。
「ロ、ロイド君!?」
ロイドは真摯な瞳で見つめ―――
「リサ・・・愛してる」
「ふ、ふえ?」
「愛してるから、今日の夕食はハンバーグが食いたい」
「―――とっとと行ってしまえーーーーーーっ!」リサが足を振り上げると、ロイドはその蹴りを回避して、再び部屋を飛び出していった。
それを見送り、リサは深々と溜息を吐いて。「まったくもー・・・・・・んと、豚肉はまだあったし、後は―――」
と、ハンバーグを作るための材料を思い浮かべ・・・ふと気がついた。
「・・・あれ? 今、傘二本持ってた・・・?」
******
「・・・失敗した」
朽ち果てかけた教会の玄関で。
耳障りな雨の音を耳にして、セシルはうんざりと呟いた。―――城を抜け出した時はまだ小雨だった。
それでも傘を用意できれば良かったのだが、流石にベイガン達の目をかいくぐってそこまでの余裕はない。
まあ、これくらいの雨なら平気だとたかを括って来てみれば、教会に着いた途端に、計ったような土砂降りが来た。今回は、ベイガンに一言も断っていない。
今頃、城内は大騒ぎだろう。いや、ベイガンのことだ。街中探索しているかも知れない。だとすれば、遠くないうちに誰かここに来るだろうか。(・・・或いは逆に、捜していないかもね)
つい昨日の事を思い返す。
ベイガンは、セシルの “心労” に気がついていた。
ならば、見逃してくれていてもおかしくはない。・・・だがそうなると、誰も迎えに来てはくれないわけで。
(ローザも、今頃は導師の個人レッスン受けてて逃げられないだろうし。・・・僕のテレポじゃ城まで行ける自信はないし―――雨に濡れて帰るかなあ・・・)
目の前を、ザアザアと音を立てて降り注ぐ雨を見つめ、セシルはげんなりする。
「・・・一度、ずぶぬれになってしまえば気にならなくなるんだけどなあ・・・」
はあ、と嘆息して、セシルは玄関の傍らにある “墓” を見やる。
ふと、頭に言葉が思い浮かんだ。「天罰―――いやいや、この程度で」
苦笑して首を横に振ったその時だ。
「・・・うん?」
雨の向こうに人影が見えた。
傘を差して、誰かが歩いてくる。
教会のある旧市街は、無計画に立てられた建物のせいで狭く、日が遮られて昼間でも薄暗い。今は雨も降って、尚更視界が悪く、それが誰なのかよく解らない。(一人・・・? ということは、近衛兵じゃないな)
基本、兵士は必ず二人以上で行動する。
有事の際には一人が対処にあたり、もう一人が連絡役になるためだ。(ローザだったら僕を迎えに来て、あんなにのんびりとは歩かないだろうし・・・・・・バッツかロックかな)
などと思いつつ、近づいてくるのを待つ。
現れたのは、意外な人物だった。「・・・ロイド?」
「ども、一日ぶりッス」教会の中へ入り、ロイドは傘をとじる。
「来てるかなーって思ったら、ホントに居ましたね」
「なんで、君がここに・・・?」
「伊達に赤い翼の副官はやってないってことですよ」戸惑うセシルに、ロイドはにやりと笑う。
「辛いこと、苦しいこと、哀しいこと・・・そんなことがあると、いつもここに来るじゃないですか」
ロイドは教会を見回す。
長い間放置され、薄汚れた教会。雨漏りしていないのが不思議なくらいだった。セシルが幼年時代を過ごした場所だ。
ここには―――「自分自身を、許さないために」
ここにはセシル=ハーヴィの最初にして最大の “罪” がある。
その罪を許す人間も、罰する人間もすでに無く、だからこそそれは永遠に消えないセシルの “後悔” となっている。「・・・何の話かな?」
「ローザさんから聞きましたよ。ここに来れば、否が応でも陛下は自分の “罪” を思い出す。だから自分が許されていい人間ではないと―――どんな後悔も、忘れずに許されずに、背負い続けていかなければならないと、再認識するために来るのだと」ロイドが言うと、セシルは困ったように苦笑する。
「・・・お喋りだな、ローザは」
「彼女が秘密を守れるような人間じゃないって解ってるでしょう。特に、貴方のことは世界中の人達に伝えたいって人なんだから」
「そう言うことがまだ解らない時にこぼしちゃったんだよ」苦笑したままセシルは言った。
「それで? こんな所まで来て、昨日の処分がやっぱり納得行かないと文句を言いにきたのかい?」
「いえ。あれは、処分と言う形で俺に休暇をくれたんでしょう。・・・リサのために」今回の貴族の反乱で、一番貧乏くじを引いたのがロイドだった。
単にセシルに追放された挙句、ロイドがやるべき仕事―――街に入った傭兵達の居場所を探るという仕事―――は、リサやバッツが乱入してくれたお陰で終わってしまった。しかもそのために、リサを思っても居ない言葉で傷つけるハメになった。「今回、俺は本気でなにもしてませんからね。地底でも失敗したよーなもんだし。陛下に追い出されなきゃ、今頃は名誉挽回とばかりに忙しく働いてたでしょうね―――傷心のリサを放っておいて」
「それなのに結局、恋人を放り出してこんなところに来てたら意味がないだろうに」セシルが嘆息すると、ロイドはにやっと笑って。
「ご心配なく。一晩かけてじっくりと心の傷は癒やしたんで」
「・・・・・・あー、そですか」何を想像したのか、顔を真っ赤にしてセシルは視線を反らした。
「ちなみに一緒に過ごしただけなんですが」
「な、ないよ!? 別に僕は何も考えてないよ!?」
「まあ多分、陛下の想像通りのこともしてましたが」
「どっちだよ!?」夕焼けのように顔を真っ赤にして叫ぶ。
どうやら昨日の仕返しをされているようだと気がついて、セシルは話を変える。「で、そっちじゃないとすると―――聞きたいのは一昨日の戦闘の事かな?」
セシルが呟くと、ロイドは頷いた。
「話が早いですね。もっと恍けると思ったのに」
「ベイガンにも気づかれていたからなあ。副官殿ならば気づかないはずがないだろう?」冗談めかしてセシルは言う。
・・・セシルが、今、この場にいるのはその時に失った民兵達の事を思ってである。
騎士達はなるべく殺さないように手加減し、クノッサス導師達のお陰で、死傷者は少なかった。
少なかっただけだ。ゼロではない。「・・・それで、一昨日のことで・・・何を聞きたいのかな? まさか君の弟と同じように、僕を過大評価するつもりじゃないだろうね?」
「過大評価なんてしませんよ」そう言って、彼はセシルを真っ向から見つめる。
「聞くことは同じですがね」
「・・・・・・」セシルの表情から笑みが消える。構わずに、ロイドは続けた。
「どうして、犠牲者を出したんですか?」
「だから―――」セシルは答えかけて―――しかし、その先は言えなかった。
(そうだな。副官殿はお見通しか)
「言っておきますが」
答えないセシルに、たたみかけるようにロイドは言葉を放つ。
「もしも俺に対しても誤魔化すようだったら、今すぐにでも陛下とは縁を切って、この国を出て行きますよ」
「それはこまるなあ・・・」やれやれ、とセシルは嘆息する。
「君の弟に言ったことは嘘じゃあない。正直なところ、カルバッハ公爵が兵を率いてくるのは読めたけど、まさか訓練もほとんどしていない民兵を連れてくるなんて予想外だった。それを犠牲者なく戦闘を終わらせる事なんて僕には―――いや、誰にだって不可能だよ」
「でも “仕方ない犠牲” なんかじゃなかった」
「・・・・・・」ロイドの言葉に、セシルは表情を消す。
「 “仕方ない” ―――この言葉、陛下がこの世で一番嫌いな言葉ですよね。前に聞きました」
「・・・言ったっけ?」
「ええ。 “赤い翼” に入団したばかりの頃に」以前、まだロイドがセシルと出会ったばかりの頃だ。
セシルが “赤い翼” の長となり、ロイドがその副官となったが、実はロイドはそれが不満だった。
何故、自分より身分の低い者の下で働かなければならないのか―――そう思ったが、これもセシルや自分をフッたローザを見返すためだと我慢した。
その時にセシルに向かって。―――仕方ないから、アンタを補佐してあげますよ。
と言ったら、セシルは苦笑しながら、
―――なら覚えておくと言いよ。僕は “仕方ない” って言葉は嫌いなんだ。
「・・・って、言い返されました」
「言われてみれば言ったような気がするけど・・・冗談だとは思わなかったのかい?」セシルが聞き返すと、ロイドは頷いて。
「最初はね。けど、どんな時でも諦めない陛下の姿を見ていれば嫌でも理解しますよ。それが本心だとね」
“仕方ない” というのは諦めの言葉だ。
どんな事でも、諦めてしまえば楽になれる。
望みも、夢も―――後悔も。
全て “仕方ない” で済ませてしまえば、余計な重荷を背負わなくて済む。―――だからこそ、セシルはその言葉を好まない。「・・・一昨日の犠牲は仕方ないですよ」
「ロイド?」
「陛下の言うとおり、あの戦闘で犠牲者がでないことなんて有り得ない―――ですが」昨日のルディの言葉を思い返す。
「戦闘自体を起こさないようにはできたかもしれない」
「弟と同じ事を言うんだね」
「いいえ、違います」ロイドはルディのように過大評価しているわけではない。
ただ、セシル=ハーヴィの事を良く知る一人である。「確かに、反乱を企んだのは貴族達だ。ですが、それを誘ったのは陛下でしょう」
「・・・彼らにはアレックスという “切り札” があった。遅かれ早かれ、反乱は起きていた」
「そういうことを言ってるんじゃない!」思わず怒鳴り、その声にセシルが驚くと、ロイドは「すいません」と非礼を詫びた。
「・・・らしくないんスよ」
謝った後、ロイドはぽつりと呟いた。
「今回の事は、殆ど全てが陛下の掌の上だった。俺や他のバロン兵も、カルバッハ公爵達貴族も、みんなアンタの掌で踊っていた! でも、そうやって後ろから糸を引くようなやり方は、俺の知っているセシル=ハーヴィじゃない」
「じゃあ、どんなのが君の知っているセシル=ハーヴィだって言うんだい?」
「自分が真っ先に踊ってみせる―――それがアンタだろ!」ミシディアで、クリスタルを奪った時もセシルは “仕方なく” 魔道士達を殺した。
けれどそれは部下に任せず、自ら手にかけた。例え間違っていたとしても、それでも自分が正しいと思った事を突き進み、誰よりも傷つこうとする。それがセシル=ハーヴィのはずだった。
「ルディの言うとおりだ。バロンの街の中のことは事が起る前に抑えたくせに、カルバッハ公爵との戦闘はまるで戦うことを望んだようにすら思う。何故だ!?」
もはや敬語を使うことすら忘れ、ロイドはセシルに詰め寄る。
雨がザアザアとけたたましい音を響かせる中、セシルは立ちつくし―――やがて、口を開く。「何故だと思う?」
「え?」
「君の言うとおりだよ。貴族軍とバロン軍が戦いになるように僕は仕組んだ―――何故だと思う?」
「・・・わかりません」ロイドが答えると、セシルは「そうか」と呟いて嘆息する。
その仕草に、ロイドは胸が苦しくなるのを感じた。(・・・陛下は、俺がその理由に気づくことを期待していたのか・・・?)
だが解らない。
一昨日の戦闘は、まるで戦いにならなかったと聞いている。
バロン軍―――とりわけ、竜騎士団の強さを貴族達に見せつけただけのような・・・・・・。(あ、もしかして・・・)
「貴族達にバロン軍の力を見せつけ、二度と反乱を起こさないために・・・?」
「ああ。それが一つ」
「・・・一つ?」
「もう一つが本題だよ」セシルは力無く笑って―――告げる。
「実戦訓練のつもりだったのさ」
「は?」一瞬、言われた意味が理解できなかった。
「まあ、こっちは上手く行ったとは言えないけれど。予想では、もう少し訓練された民兵と傭兵の混成軍で来ると―――」
「あんたなあッ!」がっ。
と、ロイドは気がつくと、セシルの胸ぐらをつかみ上げていた。「ふ・・・ざけてんのか!? 訓練だと!? そのために貴族を煽って戦いを引き起こしたってのか!」
「そのとおりだ」
「なにが・・・ッ! そのせいでなんの罪もない民が死んだんだぞ」
「そうだな。しかもなんの意味もない―――」やれやれ、と息を吐き、セシルは言った。
「―――無駄死にだな」
「アンタなあッ!」片手でセシルの胸ぐらを掴み上げ、もう一方の手で拳を作り、セシルの顔面にめがけて―――
「・・・・・・ッ」
―――顔面、めがけて振るわれた拳は、直前で止まっていた。
「・・・殴らないのか」
問うセシルに、ロイドは手を放し、気持ちを落ち着かせるように深呼吸する。
そして。「カッとなって申し訳ありませんでした」
頭を下げるロイドに、セシルは苦笑して。
「ちぇ・・・惜しかったな。殴ってくれれば、ほんの少しは気が晴れたのに」
その言葉は、とても苦い響きがあった。
そんなセシルに頭を上げ、ロイドは問う。「・・・理由、聞かせてくれるんでしょうね?」
「いやだ、と言ったら」
「さっき言ったとおりです」
―――もしも俺に対しても誤魔化すようだったら、今すぐにでも陛下とは縁を切って、この国を出て行きますよ。
「それは困るなあ」
さっきと同じ事を言って、セシルは苦笑する。
それから唐突に問いかけた。「―――ゴルベーザの目的ってなんだと思う?」
「え?」思っても居ない名前が出て、ロイドは戸惑う。
それでも何とか頭を切り換え、答える。「月にある “力” を得るため・・・だとか」
ゴルベーザがクリスタルを集めていたのは、バブイルの塔に入るため。
そのバブイルの塔は、空に浮かぶ月へ行くための “扉” だという。そしてその月には、大いなる力が眠るという話だった。ちなみにゴルベーザがまだバブイルの塔に残っているのは、塔を起動させるために必要な、地底にある闇のクリスタルを全て揃えていないからである。
ロイドの答えに、セシルは「そうだね」と頷いてから、
「 “力” っていうのは目的じゃないよ」
「え?」
「月にある “力” がどういうものか僕は知らない。けれど、どんなモノであれ “力” というのは手段であり、目的はその先にある」
「あ・・・・・・」確かにそうだ。
“力” を手に入れた後、ゴルベーザはその “力” でなにをするべきなのだろうか―――「世界征服でもする気なんですかね」
「だったら話は簡単なんだけどね」
「その可能性は無いと?」
「さてね。ちょっと考えて思いつくのはそれだけど―――でも、ゴルベーザはバロンを操り、フォールス最強の軍事力を手にしながら、ダムシアン、ファブールはクリスタルを奪っただけだ。ミシディアだって、僕はクリスタルを奪うだけで、 “攻め落とせ” とは言われなかった」ゴルベーザ達は、降伏したダムシアンをクリスタルだけ奪い、その後、城を爆雷で吹き飛ばした。徹底抗戦したわけでもないのに、だ。
世界征服が目的ならば、滅ぼすよりも従属させる方が目的に適っている。「それは・・・クリスタルを集めることを優先したからじゃないッスか? クリスタルを集めて “力” を手に入れることを優先したとか」
「ゴルベーザは無力じゃない。得体の知れない “四天王” に、他者や魔物を操るダークフォース。それだけでもバロン軍に匹敵する」
「確かに・・・それだけの力があれば、わざわざクリスタルを集めなくても、世界征服できそうですね」実際はそう簡単には行かないだろうが、少なくともバロンを抑えた状態なら、フォールス程度はあっさり支配できただろう。
「ロイドの言うとおり、ゴルベーザはクリスタルを集めることを第一に考えていた。そうまでして欲しい力とは・・・?」
「ゴルベーザの手に入れようとする力が、ゴルベーザの持っている力を遙かに凌駕する “力” だとしたら・・・・・・そんな力で何をするかといえば、世界征服か、それとも―――」ふと、考える。
世界を征服するのでなければ―――「世界を、崩壊させる気とか?」
緊迫した声でロイドが言うと、不意にセシルが脳天気に呟いた。
「或いはゴルベーザが正義の味方で、なんか異世界から現れる666万匹の魔王軍団と戦うために力を必要としているとか」
「なんスかそれ」
「いや、だったらいいなあと思ったことを言ってみた。・・・あんまりよくないか」はは、と笑って、
「何にせよ、ゴルベーザが力を手に入れた場合、その矛先が一番最初に向かうのはこのフォールスである可能性が高い。だから僕はそうなった時のために、今出来うることをやっておく」
「・・・そのために各国をデビルロードで繋ぎ、飛空艇を量産し、軍事増強している、と?」ロイドが言うと、セシルは頷いた。
「―――ここまで言えば、君の問いに答えたことになるかい?」
「つまり、 “軍事訓練” もその一環ってわけッスね」
「そうだ」
「ゴルベーザが襲撃してきた場合、一番危険なのは各領地に居る領民ですからね」
「・・・なんだ、気づいたのか」セシルが少し驚いてみせると、ロイドはジロッとセシルを睨み。
「そこまで見くびらないで欲しいですね」
「さっき、本気で怒ってただろ」
「さっきはさっきです」一昨日のセシルが仕組んだ “軍事訓練” 。
あれはバロン軍のための訓練ではなく、領民達のための訓練だった。
とはいえ、なにも領民たちに戦って貰おうというのではない。
もしも戦闘になった場合、パニックを起こさないように、 “実戦” の空気を体感させるための訓練だ。「・・・まあ読み違えたけど」
セシルの読みでは、ある程度訓練された民と、傭兵達との混成軍で来ると思っていた。
反乱を急かしたため、十分な傭兵を雇うことは出来ず、民兵を加えなければならないことは予測できたが、まさか殆ど訓練せずに民兵を戦いに出すとは思わなかった。―――それなりに戦いの訓練をされた民なら、有事の際には他の者よりは冷静に対処できるだろう。
何も領民が全員訓練されずとも、一人や二人、リーダーシップを取れる人間が居るだけでも違ってくる。・・・と、セシルは考えたのだが。
殆ど訓練されて無い状態では、あまり意味がない。「ただ、僕の読み通りでも、死人は出たはずだ。だからこれは “仕方ない犠牲” なんかじゃない。・・・僕が望んだ犠牲だよ」
セシルが望んだ犠牲。
言い換えれば、一昨日の戦闘で死んだ者たちは、セシルが殺したと言える―――そう、セシルは言っているのだ。嘘つけ、とロイドは言葉に出さず思った。
( “望んで” なんかいない)
決してセシルは犠牲を望んだわけではない。
ただ、そうするしかないと考えたからこそ、戦いを引き起こした。
ゴルベーザが力を手に入れた時、さらなる犠牲を出さないために。民が死んで、誰よりも―――当人や、その家族達よりも、セシルは傷つき苦しんでいる。そうでなければ、こんな所に居るはずがない。
ロイドが何も言えずに言うと、セシルは苦笑しながら吐き捨てるように言った。
「戦いを引き起こし、民が死ぬことを望んだ―――僕は最低の王様だ」
「・・・苦しんで居るんですね」ロイドが聞く。だがセシルはそれに対しては答えない。
死んだ者たちのことを考えれば、 “苦しんでいる” などとは口が裂けても言えないのだろう。(なら、言うべき事は一つだ)
セシル=ハーヴィは救いや慰めの言葉など求めていない。
だから。「苦しんで下さい」
「・・・え?」そんな事を言われるとは思っていなかったのだろう。
セシルは驚いた様子でロイドを見返す。
そんなバロン王に、ロイドは思った言葉を吐き出す。「そうやってこれからずっと、苦しんで、傷ついて、後悔し続けてください」
「・・・・・・酷いことを言うなあ」そう言いつつも、ショックを受けた―――様子はなく、むしろ興味深そうにセシルは笑った。
「その意味は?」
「・・・人間って言うのは、無力でちっぽけな存在ですよ。自分の事で精一杯で、間違っても他の人間を全て救うなんて事できっこない」
「そうだね。そんなこと、神様にしかできないだろうね―――いや、神にすら不可能かも知れない」この世界には確実に “神” と呼ばれる存在がいる。
だが、セシルはそれを信じてはいない。 “アテにしていない” と言った方が正確だろうか。
人智を越えた存在に祈ることも無い代わりに、責任を押しつけたこともない。「けれど、人の身ながら、神の如く全てを救わなければならない存在が居る。それが―――」
ロイドはじっとセシルを見つめ、言った。
「―――それが “王様” ってヤツですよ」
「・・・無茶なことを言うなあ」
「ええ、無茶です。けれど、王様は国民全てを幸せにする義務がある」
「ならば僕は王様失格だね。戦いを引き起こし、民を失った」自嘲するセシルに、しかしロイドは視線を揺るがさず、見つめたまま言い放つ。
「諦めるんですか?」
「え・・・」
「自分が国王失格だからと、全てを救うことを諦めるんですか?」
「・・・・・・」
「それはありえない」断言する。
「セシル=ハーヴィは “仕方ない” という言葉が嫌いな人だ。国王失格だから “仕方ない” と言って、国民を見捨てたりしない」
「・・・・・・」
「貴方はこれからも傷ついていくでしょう。誰かを救えず、その度に苦しんでいくに違いない―――けれど!」ロイドは自分の言葉に驚くほど迷いがないことに気がついた。
自分の言葉をロイド自身が確信している。「貴方が苦しむたび、傷つくたびに、誰かが救われます!」
今回の事もそうだ。
きっと、民の犠牲は無駄にはならない。
その犠牲が、セシルの “痛み” が、さらなる犠牲を防いでくれるはずだ。「だから苦しみ続けろ、と?」
セシルに問い返され、ロイドは頷いた。
「・・・酷い話だなあ」
セシルは笑った。
だがその笑いはいつもの苦笑ではなく、どこかスッキリとしたような軽快な笑みだった。「陛下―――いえ、セシル隊長以外には言いませんよ。こんなこと」
ロイドは昔の呼び方で言った。
それは、長い間 “赤い翼” の隊長と副官という関係の上に築かれた “信頼” を込めた言葉だった。セシル=ハーヴィならば傷つき続けても、潰れることはない。
そう、ロイドは信じている。「さて、と。俺なりに納得もしたし、スッキリしたんでそろそろ帰ります」
言って、持っていた傘を一本、セシルへ差し出す。
「おや、貸してくれるのかい?」
「ええ。もしかしたら、と思ったんですが、やっぱり傘持って来てなかったようなので―――予想とは違いましたが」
「予想?」ロイドはええ、と頷いて、外に降り続ける雨に視線を向け、
「こう・・・陛下が雨の中、呆然と立ちつくしているようなのを予想してたんですが」
「なんでわざわざ、そんな風邪引くようなことしなきゃいけないんだよ」
「傷心気分ってのはそういうモンじゃないスか?」
「それで風邪を引いたらただの間抜けだ。寝込んだりしたら、僕は二度と城の外に出して貰えなくなる」ベイガンならばそれくらいはやりそうだ、とロイドは苦笑した。
「じゃあ、なんで傘を持ってきてなかったんですか?」
「持ってくる余裕がなかったんだ。最初はもっと小降りだったし―――って、これも割と間抜けだなあ」セシルも苦笑し、ロイドから傘を受け取って―――その傘を見て怪訝な顔をする。
「これ、花柄なんだけど。しかもピンク」
「陛下のために、リサのトコから一番恥ずかしい傘を選んで持ってきました」
「それは厭がらせだろ!?」文句を言いつつロイドの傘を見れば、紺色の無地の傘だった。
「僕はそっちが良い―――」
「おっと、さっさと帰らないとリサが待ってるんで。ではまたっ」
「って、おい! ロイドーーーーーー!」止める間もなくさっさと教会を飛び出し、雨の中を駆けていく部下の姿を見送り―――セシルは呆然と、花柄の傘を見やる。
「・・・まあ。濡れて風邪引くよりはましかなあ・・・・・・」
なんだかとても情けない気持ちになりながら、セシルは花柄の傘を開いた―――
******
―――幸い、と言うべきか、雨の中誰とも逢うことなく城へと辿り着く。
とはいえ、人とすれ違うことはなくとも、門の所に兵士が常駐している。恥をかくことは避けられないなあ、と覚悟して門を見れば。「うわ・・・」
思わず声を漏らす。
門には、門兵が二人居る―――のは予想内だったが、さらにもう一つ人影があった。ベイガンだ。
「お帰りなさいませ」
セシルが声の届く位置まで近づくと、彼は冒頭の通りの言葉で出迎え、深々と頭を下げる。
「あ、うん・・・ただいま」
いつものように説教が飛んでくると思っていたと思っていたので、少し戸惑う。
やがてベイガンが頭を上げる。「・・・・・・」
「・・・・・・」ベイガンはそれっきり何も言ってこない。
せめて、花柄の傘について突っ込んでくれればいいのに、などと思いながら、ベイガンと見つめ合っていると、彼は怪訝そうに眉を寄せ、「中へお入りなさいませ。冷えますぞ」
「あ、うん。そりゃ入るけど」なんだろう。と、セシルは疑問を感じた。
いつも城を抜け出してばかり居るので、いい加減諦めて愛想を尽かしたのか。
それともかなり高度な皮肉か嫌味とかなんだろうか。困惑しながらも、セシルは門を抜ける。
―――バロンの城は周囲を大きな堀で囲まれている。セシルが今通り抜けた門は堀の外にあり、そこからは城から伸びた跳ね橋を渡って城内に入る。
当然ながら橋の上には屋根はない。
セシルは傘を差して雨を受け止めながら橋を渡り―――ふと振り返ると、ベイガンが傘も差さずにじっと黙って付き従っていた。「・・・傘くらい用意しておきなよ」
豪雨と言うほどでもないが、それなりに雨は激しい。
長い橋とはいえ、その中程まで歩いただけで、ベイガンはずぶぬれになっていた。「お気になさらず。魔物の因子を持つこの身体が、雨に濡れたくらいで風邪を引くとは思えないので」
「・・・・・・」やれやれ、とセシルは前を向くと、さっさと城内へと向かうことにする。
傘の中に入れと言っても、「そんな畏れ多いことを」とかなんとか言って、決して入ろうとはしないだろう。ならばここで押し問答を繰り返すよりは、さっさと城の中へ入ってしまい方が良い。(やっぱり怒ってるのかなあ・・・)
普段のベイガンに比べ、なんとなく調子が違う気がした。
(まさか本当に愛想を尽かされたってわけじゃないよね)
少し不安を覚えつつ、セシルは早足で城内へと入っていく。
そしてその後を、黙って雨に濡れながら、ベイガンが付き従っていた―――
******
城内に入り、近くの兵士に傘を預ける。
シドに渡しておくように言付けておく。
花柄の傘を見て、兵士は奇妙な顔をしたが特に何も言わずに受け取った。ホールを抜け、謁見の間へと続く廊下に入る。
以前は待合室を兼ね、廊下と言うよりは大部屋のような形をしていたが、バロン王の偽物が苦し紛れに発動した罠のせいで、両側の壁が狭まり、細長い廊下になっている。
その廊下の中央には、未だ石化してしまった双子の姿があり、そこを通るたびにセシルにはやるせない感情がわき上がる。ふう、と息を吐き、セシルは丁度その双子の辺りで立ち止まった。
身体ごと振り返る。
見れば当然のようにベイガンも立ち止まっている。その表情は暗く、ずぶぬれの服から滴り落ちる雫も相まって、見るだけで空気が重くなるような気さえした。「なんでしょうか」
「ええっと」なんでしょうか、と聞きたいのはこっちの方だと思いながら、セシルはおそるおそる尋ねる。
「えーと、怒ってる?」
「なにをでしょうか」
「城を勝手に抜け出した事を」
「・・・いえ、特には」
「特には、って雰囲気には見えないけど」気まずさ全開で思う。
普段のように説教してくれたほうが気が楽だ。「一言も断らなかったのは悪かったと思ってるさ。けど、雨も降っていたし、昨日は怪我をして倒れもしたし、言えば止められたと思ったから・・・・・・」
(なんで言い訳して居るんだろうなあ、僕は)
それは当然、ベイガンには悪いことをしたと思っているからだが。
今にして思えば、置き手紙の一つくらいはしておくべきだったかもしれない。「色々とあったから、気分転換したいなーって」
「・・・繰り返しますが」セシルの言葉を遮り、ベイガンは告げる。
「今回、陛下が城を抜け出したことを責めるつもりはございません。陛下の心情は、僅かなりとも理解しているつもりです」
「じゃあ、なんでそんなに苦々しい口調なんだよ」
「心苦しいからです」言われ。え、と首を傾げる。
「心苦しいって・・・僕が王様らしくないからって事かい?」
「逆です」
「逆?」はい、とベイガンは頷く。
「陛下が王として、一人で傷つき、苦しむのを見ていることしかできない。それが苦しいのです」
「つまり、僕を心配してくれているのか?」
「はい」頷く。
「傷つき、苦しみ続け・・・いずれは潰れてしまうのではないかと・・・」
確かに、今回のことは想像以上にセシルに傷を残した。
半分は計算外だったとはいえ、何の罪もなく、戦士でもない民を犠牲にしたことは初めてだった。
カイポの村で、村人達を戦わせたが、あれはセシル自身が先頭に立って戦い、しかもギルバート達の尽力もあって、負傷者は出たものの、死者は出なかった。(やれやれ。どうやら、僕は自分で思っているよりも深くショックを受けているらしいね)
ロイドやベイガンに心配されているのがその証拠だ。
一応、普段と変わらないように装っているつもりだったのだが。「何かおかしな事でも?」
「え?」と、指摘されて気がついた。
笑っている。「ああ。なんというか―――」
有り難い人達が居る。
ベイガンにしろ、ロイドにしろ、セシルを信頼し、心配してくれている。
それは有り難いことなのだろう―――そう、思うが、思ったままを口に出すのは恥ずかしかった。だから。
「いや、さっきロイドに言われたことを思い出してね」
「ロイド殿に・・・? 会われたのですか」
「ああ。・・・もっと苦しめ、と酷いことを言われたよ」怪訝な顔をするベイガンに、セシルはロイドに言われたことをそのまま伝えた。
「全く、酷い部下を持ったものだよ。僕は」
「ロイド殿らしいですな」ベイガンも苦笑。
「陛下のことを誰よりも信頼し、解っておられる」
「君も僕に苦しみ続けろというかい?」
「いえ・・・」セシルの問いに、苦笑したまま首を横に振り、
「私はロイド殿ほど陛下の事を信頼は出来ませぬ。その傷や苦しみの、万分の一でも肩代わりできればと思わずには居られません―――しかし、ロイド殿は、とても大切なことを思い出させてくれました」
「大切なこと?」
「・・・昨日、陛下は私に言いましたな。私が陛下に忠誠を誓うのは、先王オーディン様に目をかけられていたからだと」ベイガンの言葉に、セシルはバツの悪そうな顔をした。
「忘れてくれよ。あれはただの皮肉だ。本気でそうだとは思っちゃいない」
「・・・陛下の言われたとおり、 “オーディン様の後継者” だからこそ、という部分が無いとは言いませぬ。ですが、私やウィル殿が陛下を王と認めたのは―――」言葉には淀みなく。
断固とした意志を持って、ベイガンは次の句を告げる。「 “他者のために傷つくことのできる覚悟がある者” ―――なればこそ、陛下・・・セシル=ハーヴィ殿が王に相応しいと信じたのです」
「やめてくれ。僕はそんなご立派な人間ではないよ」
「確かに。ご立派ではないですな」
「え?」
「よく城を抜け出すわ、王としての勉強からは逃げ出すわ、国の有力者との会食を設定してもすっぽかすわで・・・」
「ええっと」(あれ、説教されてる?)
なんとなく逃げ腰になって、セシルは顔を引きつらせた。
さっきまでは、愚痴の一つも零さないベイガンを不気味に思っていたが、説教されたらされたで居心地が悪い。「もうちょっと―――もう多分に王としての立場という者を理解して頂きたいのですが」
「えっと、あの、すいません」思わず謝る。
だが逆効果だった。「陛下! 王たる者が、そう簡単に謝るものではありませぬぞ!」
(・・・どうしろって言うんだ)
今すぐ背を向けて逃げ出したい衝動にかられたが、それはそれで後々厄介になると思った。
それから五分ほどたっぷりと愚痴をこぼして、ようやく一区切りついたようだった。「ともあれ、私は陛下を “立派な王” だとは思っておりませぬ」
「ああ、うん、よおく解りました」げんなりした様子でセシルは嘆息する。
そんなセシルに対し、ベイガンは「ですが」と付け足し、「それでも陛下こそが、王に相応しいと信じて疑っておりません」
「立派じゃないのに?」ええ、とベイガンは頷いた。
「先程も言いましたが、陛下は他者―――民のために傷つくことができます。それこそが王としての正しい資質。王が傷つくことを放棄してしまえば、民が傷つくことになります―――かつての “愚賢王” のように」
自分の欲望のために、エブラーナと戦争し続け、酒池肉林の生活を続けた先々王。
愚賢王ヴィリヴェーイが統治していた頃は、日に何十、時には百人単位で人が死んでいたという。「国のため、民のため、臣下のために苦しみ傷つくことこそが王たるものの役目だと私は考えます」
それを聞いて、セシルは苦笑する。
「民のために苦しむことが “王様のお仕事” か。確かにそうかもね」
ロイドはセシルに苦しめ、と言った。
その苦しみが、民達の喜びになるはずだからと。ならば。
(本当に民の喜びになるのなら、それこそ僕は喜んで苦しんでやるさ)
「ベイガン」
「なんでしょうか」苦しみが喜びに、その喜びのために苦しむというのなら。
これからセシルは苦しみ、悲しみ、傷つき続けるのだろう。ロイドの言うとおりに。
しかし、それでも―――「悪くない仕事だよ。これは」
苦笑して。
セシルは謁見の前へと向かった―――
第20章「王様のお仕事」 END