第20章「王様のお仕事」
AG.「王位継承者」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城・謁見の間
貴族達との戦闘―――とも言えないような一方的な戦いが終わってから、一夜が明けた。
朝。
出撃前と同じように、主立った騎士達が謁見の間に集められていた。
昨日の興奮がまだ覚めやらぬのか、広い謁見の間の中に騎士達がざわめく。そのざわめきの内容は、概ね昨日の戦闘に関することで、愚かな貴族達への罵倒が飛び交ったが、中にはセシル王への反発めいた言葉もあった。
「結局、王は最後まで戦場に姿を現わさなかったな」
「大方、城にこもってガタガタ震えていたんだろうさ。いつぞやの “愚賢王” と同じようにな」嘲笑が上がる。
だが、笑いながらもその声はあまり響かず、騎士達の表情には落胆の色が見え隠れしていた。バロンの騎士達の中で、セシル=ハーヴィの名を知らぬ者はいない。
強さの象徴として憧れを抱かれるのは、もっぱら先王オーディンとカイン=ハイウィンドの二人だったが、その二人から認められていたのがセシル=ハーヴィだった。武の腕こそオーディンとカインに劣るものの、統率力に長け、特に緊急時の判断力―――決断力と言い換えても良い―――は目を見張る者があり、そのお陰で救われた者は少なくない。
セシル自身は気がついていなかったようだが、先王オーディンはとかくセシルの事をよく気に掛けている様子で、最大の忠臣であったベイガンも、飛空艇団 “赤い翼” の長を譲るなど、信任厚かった。
逆にセシルの方も、オーディン王を実の父のように慕い、忠誠を誓っていた。
だからこそ、セシルがオーディン王の息子としてバロン王の座に着いた時、殆どの者が疑うことなく、むしろ納得したものだった。騎士王と呼ばれた騎士達の父、オーディンがいつの間にか偽物とすり替わり、本物はすでに殺されていたと知った時、騎士達は悲しんだが、新しいバロン王への期待は、その悲しみを薄れさせるほどに強かった。
オーディン王の後継者であるセシル=ハーヴィならばよりよくバロンを導いてくれるだろうと。そしてそれは間違いではなかった。
オーディン王でさえ持てあました―――いや、オーディン王だからこそ、処理しきれなかった陳情の数々を、セシルは僅か一ヶ月ほどで片づけた。
心優しきオーディン王は、陳情の一つ一つに親身になって当り、一つも手を抜かずに、陳情者が満足する結果を出すように対応した―――だからこそ、時間が掛りすぎて、案件を処理する速度よりも、陳情の集まる速度が上回り、増え続けてしまった。だがセシルは事前に陳情の内容を書面にまとめさせ、どうでもよいようなものはあっさりと斬り捨てた。
それ以外のものも、判断力の速さで片づけていき、時間の掛りそうなものは代わりの人間をあてて対応させた。オーディンの時とは違い、必ずしも誰もが満足する結果とはならなかったが、当事者以外はほぼ納得してしまうくらいには正しい判断を下していた。
それだけではなく、ダムシアン、ファブール、ミシディア、トロイアと、フォールス内ではエブラーナ以外の国と個人的な繋がりを持ち、ゴルベーザによって失われた戦力を補充するために、山賊達を起用し、海兵団の船を飛空艇に改造(これは、ローザがゾットの塔をバロン沿岸まで跳ばしてしまった怪我の功名だが)するなどして、かつての戦力を取り戻しつつある。
だからこそ騎士達はセシルに期待した。
そして新しい王に剣を捧げ、この国のために死のうと誓ったのだ。だが―――その期待をセシルは裏切った。
セシルはオーディン王の息子ではないという噂が流れ始め、その頃からセシルの言動が少しおかしくなった。
ベイガンの制止を振り切って、街へと出歩き、婚約者のローザと遊び歩く。
極めつけが、地底から戻ってきたカインとロイドの場外追放―――騎士達が不安を強く感じたその時に、貴族達が反乱を起こした。
そこでセシルが取った行動は、見限らせるに十分な命令だった。「・・・カイン隊長たちも、内心じゃがっかりしてるだろうなあ・・・」
騎士達の一人がやるせない表情で、騎士達の先頭に立っているカイン達を見る。
謁見の間の最前列には、実質上現在のバロン軍を率いている三人がいた。竜騎士団長カイン=ハイウィンド。
暗黒騎士団長ウィーダス=アドーム。
陸兵団長代理リックモッド。彼らは、騎士達のざわめきに応じることなく、ただじっと立ちつくし、空の玉座を見つめていた。
と、その時近衛兵が玉座の背後から現れる。
玉座の背後には分厚いカーテンがかけられ、そのカーテンの向こうには王の寝室や近衛兵の詰め所へと続く通路があるのだ。
近衛兵が王の登場を告げると、謁見の間は一瞬にして静まりかえった。ほどなくして、いつも通りにベイガンを伴ってセシルが現れる。
セシルはいつもと変わらぬ様子で、段上の玉座に座る―――と、示し合わせたように、カイン達三人が一歩前に出た。これから陛下のことを糾弾するのだろうか、とまわりの騎士達が固唾を呑んで見守る。
だが、それらの予想に反し、三人は同時に片膝をついて、恭しく頭を下げた。「陛下より与えられた任務、無事に完了致しました」
「ああ、ごくろうだった」カインの言葉に、セシルは穏やかに微笑む。
これはどういう事なのかと、騎士達が再び騒ぎ出す―――「静まれ!」
五月蠅くなってきたざわめきに、カインは立ち上がると騎士達を振り返り一喝する。
それで一瞬静まる―――が、僅かなざわめきは留まらない。「何か疑問があるようだな」
カインが告げる、と、騎士達を代表して、カインの副官であるカーライルが前に出た。
「その・・・疑問というか・・・隊長は陛下のことを・・・その、見限ったのではなかったのですか・・・? 任務とは、一体・・・?」
「単純な話だ」にやり、とカインは笑って告げる。
「全ては、貴族達の陰謀をいち早く察した陛下の策だった、というわけだ」
「策・・・ですか?」
「ああ。少し考えてみろ。昨日の貴族共の大軍―――まあ愚にもつかぬ烏合の衆だったわけだが―――が突然現れたらどうだ? 実際の戦力はおいておくとして、その数に圧倒されて戦意喪失してしまうのではないか?」実際、昨日の騎士達はそうだった。
数に怯え、萎縮し、戦意を失っていた。
それが戦う気力を奮い起こせたのは、カインの言葉だ。何のために戦うべきかを再認識し、情けない王へ発憤し、それらを気力として戦場へと向かったのだ。「もしも俺と陛下が小芝居を打たなければ、敵の数に威圧されたまま、普段の実力が出せなかったかもしれん。それでも相手は訓練もロクにされていない民兵だ。負けることはなかっただろう。だが・・・」
「多くの被害が出たかもしれません、ね」カーライルがカインの言葉を引き継ぐと、カインは「そのとおりだ」と頷いた。
「では、連日城を抜け出して遊び回っていたのも―――」
「それは貴族の陰謀を探るためである」答えたのはカインではなく、ウィーダスだった。
「この一ヶ月ほど、街の門番を務めた者ならば記憶にあるだろう。傭兵風の男が、多く街の中に入ってきたことを」
ウィーダスが言うと、騎士達の中から手が上がった。
「は、はい! 部下から報告を受け、少々気になったので陛下に報告申し上げましたが・・・」
「それを聞いた陛下は、すぐに貴族達の企みを察知したのだ。おそらくは、バロンの街中で事を起こすつもりなのだとな」その言葉は、暗黒騎士団を除く騎士達には初耳だった。
驚きが広がり、ざわめく中、一人の騎士が問いかける。「し、しかし、街は何も―――・・・」
「貴族達はあの民兵の大軍と合わせ、街に火でもかけるつもりだったらしい―――が、それらは全て我ら暗黒騎士団が取り押さえた。もちろん、陛下の指示でな」
「あ・・・!」そこで、騎士達に理解の色が広がる。
戦いの直前、ウィーダスが陛下の反感を買って謹慎を命じられたこと。
あの戦いに暗黒騎士団が参戦しなかったのはそのせいだと思い込んでいたが、事実は違ったのだ。ウィーダスを始めとする暗黒騎士団は、密命をおびていたのだ―――「しかし・・・その話からすると、陛下はずいぶん前から貴族の反乱を察知していたように思われますが・・・ならば、どうしてそれを公表しなかったのですか。事前に伝えられていれば、陛下に不信を抱くこともなかったでしょうに・・・!」
やや不満そうな声に、リックモッドが苦笑して応える。
「よく考えてみろ。貴族が反乱を企ててる、なんて噂が流れれば、警戒しちまうだろう? だから、最小限の人間しか事情を知らなかった―――そうでしょう、陛下?」
リックモッドが問うと、玉座のセシルは頷いた。
すると、その隣りに控えるベイガンが前に出る。「皆には黙っていてすまなかった。陛下に関する流言のことで、少なからず不安を感じたことだろう―――が、それでも皆が騎士としての務めを果たしてくれたことによって、カルバッハ公爵の企みを防ぐことができたのだ!」
おおおおおっ、と騎士達の歓声が上がる。
声が謁見の間一杯に響き渡り、壁や床が震えるほどだった。
その声を満足そうに聞きながら、ベイガンは玉座のセシルに一礼して、再び元の場所へと戻る。―――やがて、その歓声が落ち着きを取り戻した頃、一人の近衛兵が騎士達を押しのけてセシルの眼前に出た。
「陛下、一つ宜しいでしょうか?」
その近衛兵を見て、ベイガンの表情が険しくなった。
それは、カルバッハやフォレス家と通じていた近衛兵だった。
フォレス邸から城へ戻った際、まだ門の所に立ちつくしていたので牢屋に入れたはずだが―――「陛下・・・!」
危険を感じて、ベイガンはセシルの前に出ようとする―――だが、当のセシルがベイガンの方に手をやって動きを止めた。
「陛下・・・?」
疑問を呟くベイガンは無視してセシルは玉座を立ち上がると、前に一歩でる。
そして、近衛兵へ話を促すように頷いた。「流言と、先程仰られましたが、陛下が先王の息子でないという話は―――」
近衛兵の言葉に場に緊張が走る。
ベイガンは当然として、近衛兵のすぐ近くに居たカインやリックモッドも、近衛兵が言わんとしていることを知って、反射的に腰の剣に手が伸びる。
そう言った殺気が放たれる中、しかしカイン達よりもいち早く、セシルが口を開いた。「事実だよ」
あっさりと肯定してしまったセシルに、カイン達の動きが止まり、騎士達のざわめきが津波のように広がっていく。
「陛下が・・・オーディン様の息子ではない・・・!?」
「で、ではやはりカルバッハ公爵の言うことが正しかったというのですか!」騎士達がセシルに向かって言葉を放つ。
そんな騎士達に向かい、セシルは―――「静まれ」
それはさほど大きな声ではなかった。
穏やかな―――それこそ静かな声。その声を聞こえたのは最前列の騎士達だけだっただろう―――が、その言葉を聞いた騎士達が黙ると、そのすぐ後ろの者たちも釣られたように押し黙った。そうしてさらにその後ろの騎士達が静かになり――――――数秒後には、全ての騎士達が言葉を止めていた。
「街に流れていた流言は真実だ。僕はオーディン王の血を引いていない―――未だに両親が誰かも知れない “親無し” だよ」
騎士達が不信の眼差しで見つめる中、しかしセシルには動揺した様子は見られなかった。
その態度に、カインやリックモッドは緊張を解く。どうやらこれはセシルの思惑の内なのだと。
ただ、セシルの傍に控えるベイガンは、気が気ではない様子で、セシルを不安そうに見つめていたが。「僕は正統な王位継承者ではない。ゆえに、簒奪者と罵られても仕方がない―――だが」
セシルはそこで言葉を句切り、少し溜める。
―――これから言うことは、以前のセシルならば決して言うつもりのなかったことだ。
その言葉を言うには、相当の覚悟がいる。その覚悟を押し通すために、セシルは軽く歯を噛んで、声が震えないように気をつけながら宣言する。「確かに僕は王位継承権はない―――けれど、先王オーディン様の正統な “後継者” であることには違いない!」
「―――っ!」息を呑む声が、セシルの傍からハッキリ聞こえた。
振り向かなくてもなんとなくベイガンの表情は解る。今、セシルが宣言した言葉は、誰よりもベイガンが望んでいた言葉なのだろうから。「先王オーディンは、誰よりもこのバロンのことを想い、国の平和のために尽力し続けてきた! だから今ここに誓う! このセシル=ハーヴィも、先王の意志を継いで、この国を護り続けていくと!」
「・・・陛下!」必死で感情を押し殺したようなベイガンの声が聞こえた。
この場でなかったなら、みっともなく泣き出していたことだろう。
そんなことを考え、セシルは苦笑を押し殺して、厳しい表情で騎士達にさらに続ける。「この僕を簒奪者として罵るのは構わない。事実は事実、王位を奪ったのは間違いない―――けれど認めて欲しい。それは決して、先王の意に反するものではないと! もしもそれを認められないというのなら、或いは僕の志が変わって、先王の意を汚すようなことがあれば―――」
セシルは親指を自分の胸元へと突き付ける。
「どんな方法でも構わない。僕を討ち、止めて見せろ! 騎士は王に仕える必要はない! 己の心に従い、やるべき事を成せ! 君達は、僕の命令に背いて街を、民達を護るために大軍に立ち向かった! ならばできるはずだ!」
騎士達がざわめく。
下手すれば反乱をほのめかすような言葉に、どう反応していいか解らないのだろう。
だが、騎士達の一人が声を張り上げた。「・・・俺は、セシル陛下を認めます!」
その騎士を中心にざわめきが一旦収まった。
若い騎士だった。おそらくカインやセシルよりも年下である。まだ騎士になりたてなのかも知れない。
静まりかえった周囲に、彼は一瞬気圧されたようだったが、すぐに声を張り上げる。「俺はこの街を護りたくて陸兵団に入り、騎士にまでなった! だから、王の素性がどうであれ、この街を、国を護ることが使命だというのなら、喜んで俺は陛下にこの身命を捧げよう!」
その騎士の言葉を皮切りに、他の騎士達も俺も私もと、声を上げていく。
再び謁見の間に声が満ち、その熱狂的な叫びは次第に “セシル陛下万歳! バロン国万歳!” という讃歌へ変わっていった―――
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セシル陛下を称える声は、十数分ほど続いた。
ようやく熱気が収まった頃、セシルは玉座へと座る。
それからベイガンに目配せすると、近衛兵長は頷いて、謁見の間に集った騎士達に向かって大仰に手を振るう。「道を開けよ!」
ベイガンの声に、何が起るのかと戸惑いながらも騎士達は、入り口から段上の玉座まで続く、赤い絨毯の道を開ける。
と、直後に入り口の扉がゆっくりと開かれて、そこから近衛兵達に連れられて二人の男が姿を現わした。
それは、つい一昨日にも謁見の間を訪れた二人で―――「久方ぶりですな。カルバッハ公爵」
ベイガンがそう言うと、連れられてきた男―――カルバッハは充血した目でベイガンを睨みあげる。おそらく昨晩は一睡もできていなかったのだろう。
「おのれ・・・セシルごときの腰巾着が・・・!」
ビキッ、とベイガンの額に青スジが走る。
「おーい、ベイガーン、おちつけー?」
思わずセシルが、そうやって小さく声をかけてしまうほど、ベイガンの怒りは傍目で見て解るほどに感じられた。
いきなりカルバッハに飛びかかってもおかしくないほどの怒りだったが、それを押しとどめたのは王と騎士たちの面前だったからだろう。もしもこれがベイガンとカルバッハの二人きりだったなら、カルバッハはすでに叩き殺されているにちがいない。「ふ、ふんっ」
ベイガンは無理矢理笑みをつくり、カルバッハを見下す。
その表情は異常に強ばり、唇はぶるぶると震え、必死で心を落ち着けようとするかのように、浅く忙しなく呼吸を繰り返していたが、辛うじて嘲笑をカルバッハへと向けることに成功していた。「なんとでも言うが良い。最早、貴様に先はない! 後は大人しく陛下に裁かれよ!」
「陛下? 陛下だと!? ニセモノが何を気取るか!」そのカルバッハの言葉を、ちょっと前までのベイガンなら許しはしなかっただろう。
しかし、今は違う。彼はその言葉を聞いて、愉快そうに―――いや、嬉しそうに微笑んだ。「は! 陛下は確かに王位継承者ではないが、しかしオーディン王の後継者であると、この場の貴様ら以外が認めておるわ!」
本当にそのことが嬉しかったのだろう。
カルバッハの罵詈雑言など全く気にしないように、ベイガンはさらに調子づく。「貴様こそ、その後ろに控えているのは貴様の仕立て上げたニセモノだろうに―――誰からも認められぬ、哀れなニセモノの王位継承者・・・」
「おっと、それは聞き捨てならないな」否定の声は、ベイガンのすぐ傍から聞こえた。
その言葉に、ベイガンは笑顔を忘れて困惑した様子で言葉の主―――セシルを振り返る。「へ、陛下・・・? 聞き捨てならぬとは・・・」
「アレックス殿に向かってニセモノ呼ばわりは無礼だと言ったんだよ」
「お、仰っている意味がよく解りませぬ・・・無礼とはどういう意味で・・・?」ベイガンは今にも倒れそうなほど混乱していた。
それはその会話を聞いていたカインや、他の騎士達も同様だった。
今のセシルの物言いでは、まるで―――「はあーっはっはっはっはっ!」
困惑する騎士達の中に、カルバッハの笑い声が響き渡る。
「これは面白い! ベイガン! 貴様が認めずとも、貴様の主はアレックス様の事を認めて居るようだ! 正統な王位継承者だとな!」
「へっ、陛下ぁ! 違うと言ってくだされ! あの青年がオーディン様の実の息子だと言うのですか!」
「違うよ」
「「はああああああっ!?」」ベイガンとカルバッハの声が重なる。
その様子を眺め、セシルは可笑しそうにくっくっく、と笑いを堪えている。「陛下! 冗談も程ほどに・・・!」
「冗談を言ったつもりはないさ。というか、君こそ人の話をちゃんと聞きなよ。僕はアレックス殿を王位継承者だとは認めるけれど、オーディン様の息子だとは一言も言ってない―――この意味、解るだろう?」セシルの言葉に、ベイガンは少し悩み―――それからハッとしてアレックスを振り返る。
「ま、まさか・・・・・・オーディン様でないとすれば―――」
かつて、バロンはオーディンの兄が治めていた。
その兄王は、エブラーナとの戦争中、自国が劣勢となり、もはや終わりだと知ると、早々に国を見捨てて姿を消したという―――「――― “愚賢王” ヴィリヴェーイ様の忘れ形見だと・・・?」
「ばっ、馬鹿な! 何を根拠にそのようなことを言うか!」ベイガンの出した名前に、カルバッハは慌てて反論する。
―――同じ “王子” であっても、“国を見捨てた王の息子” と “国を護った王の息子” では周囲の反応は違う。
騎士達は “騎士王” オーディンを崇拝すらしているが、 “愚賢王” ヴィリヴェーイの事を決して認めることはないだろう。
だからこそ、カルバッハはそれだけは認めるわけにはいかなかった。「こちらには証拠がある! アレックス様が王家の者だという証拠が―――」
「だからそれは認めているよ」やれやれ、とセシルは嘆息して。
「一つ聞くけど、その “証拠” とやらの中に、彼が “オーディン様の忘れ形見” だと特定する証拠はあるのかい? “王位継承者” という証拠ではなく」
「う・・・ぐ・・・」カルバッハが何も答えないところを見ると、図星だったようだ。
セシルの推測では、城から逃げ出したヴィリヴェーイをカルバッハが匿っていたのだろう。
それならば、王家に関する証拠品は手にはいるだろうし、物でなくとも王家の者しか知らない情報なども聞いているかも知れない。だがそれらの中には、当然ながら、アレックスがオーディンの息子だと証明する証拠品などあるはずがない。
「普通に考えておかしいだろ」
セシルは呆れた様子で続けた。
アレックスを視線で指し示し、「彼がオーディン様の息子だというのなら、どうして今まで君が保護していたんだい?」
「そっ・・・それは、私がオーディン様に託されて・・・」
「だから、どうして君に託す必要があったのかと聞いているんだよ」
「そ、それは・・・アレックス様が隠し子であるためで―――」
「隠す必要はないだろ?」例えば、正妻が居て、それとは別の愛人との間にできた子供だというのなら、隠す必要もあるかもしれない。
或いは他に王位継承権を持つ者が居るならば、継承者争いに巻き込みたくないという理由も考えられるかも知れない。だが、オーディンは生涯独身であり、王位継承者もオーディンを除いては、エブラーナとの戦争で死ぬか行方不明となっている。
「ア、アレックス様の母親が、卑しい身分の女だったからだ!」
「・・・!」カルバッハの言い分に、アレックスは顔歪めて睨付けた。
今言われたことは、母を貶められたに等しい。流石に我慢できなかったのだろう、アレックスは口を開いてカルバッハに言葉を放つ―――よりも早く、セシルが言った。「卑しい身分の娘か・・・そう言えばオーディン様は一時期、旧市街に住む女と駆け落ちしたという話を聞いたことがあるなあ。ねえ、ベイガン?」
セシルが言うと、ベイガンは「ハッ」と感情のない表情で答える。
「はい。私もそう聞き及んでおります」
その声音は静かだった。
怒りが臨界を越えてしまって、なにも感じなくなってしまったのだろうか。
それともようやく気がついたのだろうか。と、セシルはカルバッハを見やり。(この男が、怒りを覚える価値もない相手だということに)
「そ、そうだ! その女だ! 身分の低い、薄汚い、恥ずかしい女と間違いを起こしてしまったがゆえに、オーディン様はそれを隠したかったのだ!」
前言撤回。
と、セシルは心の中で呟いた。(やっぱりムカつくな、こいつ)
怒りを苦笑で覆い隠しながら、セシルは周囲を見る。
カルバッハ以外の全員が、セシルやベイガンと同じ思いを抱いているようだった。誰もが―――アレックスさえもが白い目で、 “アレックスの母親” を貶し続けるカルバッハを見つめている。
「それはもう、見れば目が潰れるほどに汚らしい女であり、オーディン様はその間違いを後々まで悔やみ続け―――」
「なるほどなるほど―――ところで、その女の名前はなんと言ったのかな?」
「う・・・?」セシルの問いに、カルバッハの言葉が止まる。
「な、名前だと? そんな女の名前など、覚えるに値せぬ―――」
「ああ、思い出した。確か、オーディン様と駆け落ちしたのは、スザンヌという名前だったなあ」
「そ、そうだ! スザンヌだ! 私も今思い出したぞ! スザンヌで間違いない―――」
「陛下」と、ベイガンがセシルに向かって告げる。
「おそれながら申し上げます。オーディン様が駆け落ちした相手―――オーディン様が生涯で唯一愛した女性の名は、ビアンカ様であったかと・・・」
「なっ―――!?」その時になって初めて。
ようやく、カルバッハは自分がはめられたことに気がついた。
顔を青ざめさせる彼に、セシルはこの上ない微笑みを向けて頭を下げる。「悪かったね。どうやら僕の勘違いだったようだ」
「う・・・うう・・・」カルバッハは助けを求めるように周囲を見回す。
だが、その誰もが―――アレックスまでもが、自分を蔑んだ瞳で見つめて居ることに気がつくと、「ひい」と悲鳴を漏らして、その場にへたり込む。「さて」
と、セシルはカルバッハには興味を失い、アレックスへと視線を向ける。
彼は先程から一言も喋っては居ない。
だが、セシルや周囲の騎士達に気圧されながらも、おどおどと無様に震え上がったりはしていない。今も、セシルの視線に気がつくと、顔を上げ、僅かに身を震わしながらも、目を反らすことなく見返してきている。
「アレックス殿」
「はい」
「もう一度、問うとしようか―――君は、本当にオーディン様の息子なのか?」もはや分かり切った質問だった。
だが、それでもセシルはもう一度尋ねる。「・・・私は―――」
アレックスは応えようとして言葉に詰まる。
彼は震えていた。
傀儡の王に仕立てられるためだけに匿われてきた。だから、このような場で発言することなど考えてもいなかった。
恐怖やプレッシャーが喉を締め付けているかのように、声が出せない。「どうした? 答えられないのか?」
「・・・・・・っ!」セシルが促す。
涙目になりながら、しかしアレックスはセシルを睨み上げて―――「・・・ぐっ!」
唇を噛み切った。
鉄っぽい血の味が口の中に広がる。わずかな鈍痛が―――プレッシャーのせいで痛みを感じにくいのか、それとも唇にはあまり痛覚がないのか解らなかったが―――アレックスを叱咤して、腹の底から言葉を持ち上げる。「わっ、私はっ! 私は先王オーディンの息子アレックスだ! この言葉は、貴様が何を言おうと変わることはない!」
口元を血で真っ赤に染め上げ、見るからに悲惨な状態だったが、アレックスは構うことなく続ける。
「偽物の王よ! 己を偽物だと認めるのなら、この私に玉座を明け渡せ!」
アレックスに言葉に周囲はシン、と静まりかえった。
そしてその一瞬後。
謁見の間に、大爆笑が響き渡った―――