第19章「バブイルの塔」
K.「炎と風」
main character:ミスト
location:エブラーナ・海岸
何度目かの砂の津波を、ルビカンテは炎の川を滑り回避する。
その反撃として、これも何度目になるか解らない、炎の一撃を放とうとしたその時。
ミストドラゴン
周囲に白い霧が立ちこめる。
「これは―――先程の」
呟く間にも視界を白が覆い尽くす。
「この程度の幻術、私には通じぬ」
言い捨てて、霧を蹴散らすために炎を放とうとした瞬間。
オ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、オ・・・・・・
巨人の雄叫び。
その声に振り返れば、いつの間にか巨人が背後に立ち、ルビカンテに向かって拳を振り下ろそうとするところだった。「馬鹿な! 何時の間に!」
巨人は周囲の白い霧ごと打ち砕かんと、拳を振り下ろす。
対し、ルビカンテは反射的に―――
火燕流
必殺の炎を放った。
その炎は、迫り来る拳を貫き、巨人の姿を吹き飛ばす!「! これは・・・!」
あっさりと、霧とともに蹴散らされる巨人。
否、それは本物の巨人ではなく。「霧の幻影か!」
では本物は、とハッとして振り返る。
振り返ったその眼前に、今度は視界一杯の砂が広がる。ルビカンテの背後に現れた巨人は幻影。
巨人は先程の位置から一歩も動いていなかった。幻影に惑わされたルビカンテは、再び蹴り出された砂に対し、為す術もなく―――「う、おおおおおおおおおおお・・・っ!?」
―――呑み込まれた。
******
ルビカンテの姿が砂に呑み込まれ、地面に埋もれる。
しかしミストは緊張を解かずに、傍らの巨人に呼びかける。「あなたっ!」
ミストの呼ぶ声に、巨人は一つ頷くと、一声吼えて。
「・・・・・・!」
強く、硬く、大きく握られた拳を足下に向かって振り下ろす―――
大地の怒り
打たれた地面が爆発し、そこを起点として砂浜が二つに割れる。
その激しい大地の振動を伴った地割れは、丁度、ルビカンテが砂に呑み込まれた場所まで続き、ルビカンテの周囲の砂ごと地割れの中に呑み込まれていく。「―――流石に、ここまでやれば・・・」
はあ、と嘆息してミストは割れる砂浜の様子を眺める。
そんなミストの身体は地面から浮き上がっていた。予めかけて置いた浮遊魔法<レビテト>の効果だ。「リベンジ、完了ですね」
ミストは巨人―――己の夫だった存在を見上げて力無く微笑むと、その巨人の姿が消え去っていく。召喚を解除―――つまり、巨人を元いた場所に送還したのだ。
ちなみに何処に戻るかと言えば、ミストの村だ。もともと “彼” はミストの村の守護者としてこの世に留まっている。そのため、基本的には村を離れることはできない。
しばらくの間、リディアを見守るために村を離れていたが、それは “彼” にとって相当に負担の掛ることだった。それもホブス山でルビカンテに一蹴されてしまった原因の一つである。今回は “召喚” という形でこの場に現れたためにそういうペナルティは無かった。
100%―――いや、ミストの力も上乗せされた、100%以上の力で戦うことができたのだ。―――代わりに、ミストの負担は生半可なものではなかったが。
苦痛を堪えるような、儚げな笑みを浮かべるミストを、巨人は心配そうに見下ろしながら消えていく。
巨人が消えると同時に、地割れが閉じて、大地の振動も収まり、「・・・あうっ」
ミストは砂浜の上に落下した。
そのまま仰向けになって倒れたまま―――動かない。(・・・このままではマズイ、ですね)
最早、笑みを浮かべる余力もない。
実は、ミストの魔力はそれほど高くない。幼い頃から仕込まれていたお陰で、魔法のレベル―――特に召喚魔法に関する技術は、ミストの右に出るモノは居ないほどだ。だが、スキルは高くとも、それを扱う魔力が足りない。もう、ミストの中に魔力はほんの僅かも残って居なかった。
加えて、巨人が受けた炎のダメージの何割かが身体にフィードバックしている。心身共に瀕死の状態だ。「本当に・・・マズイです・・・ねえ・・・」
かすれた声で、呟く。
「・・・このままだと・・・日焼け、しちゃいます・・・・・・」
心底困ったように呟く。
と、不意に視界が陰った。「・・・割と余裕ありそうね」
そう言って、こちらの顔を覗き込んできたのは。
「―――ジュエル、さん・・・?」
力無い表情で、それでも僅かに驚きを浮かべてミストが呟いた言葉に、エブラーナの王妃は苦笑して頷いた―――
******
「・・・つーか、まさか一人であのバケモノを倒すとは思わなかったわ」
感心半分呆れ半分で呟くジュエルに、ミストは小さく微笑んで、
「一人じゃ・・・ないです・・・」
「ああ。あの巨人? てゆーか、なんなのあれ?」
「私の・・・夫、です」
「・・・おっとぉ!? どんだけデカいのよアンタのダンナ!?」驚き、ジュエルは真顔で尋ねる。
「つーか、夜とかどーしてんの?」
「・・・どこのオジサンですか貴女」
「しまったつい反射的に―――い、いや違うのよ? 今のはナシ。私みたいな純情可憐な女の子が、夜の伽の話なんて聞いたり興味持ったりしちゃいけないもんね♪」
「あの、今色々と無理のある発言が・・・」
「お黙り」ジュエルに言われてミストは黙る。というか喋る力ももう殆ど無い。
そんなミストの様子に、ジュエルは「おや?」と呟いて、「どーやら本気でしんどいようね。じゃ、無駄話はこれくらいにして適当な隠し砦に戻りましょうか。・・・今更、船に戻ることもできないし」
そう呟いてみる水平線には、もう船の姿はない。
どういう仕組みかは知らないが、かなり速い船ねえ、などと思いつつ、ジュエルはミストの身体を肩に担いで。「ま、バロンの方は馬鹿息子に任せるとして・・・こっちの方は地味に塔にちょっかいかけ続けるとしましょうか」
正直、バロンがどれだけアテになるのか解らないし、そもそも信用できる相手なのかすら疑わしい。
だが、先程の戦闘から見ても、バブイルの塔を占拠しているゴルベーザとやらと敵対しているのは確かなようだ。エブラーナとしても、今ジュエルが言ったように、地味にちょっかいかける程度の力しか残されていない。(バロン―――セシル=ハーヴィが吉と出るか凶と出るかは解らないけど・・・まあ、これ以上悪くなることはないでしょ)
などと楽観的に考えて、ぐったりとして何も言わないミスト―――もしかしたら気を失っているのかも知れない―――を肩に担いで歩き出そうとしたその瞬間。
火燕流
いきなり、砂の中から炎の柱がそびえ立つ。
「・・・は?」
ジュエルは思わず、その炎の柱をぽかんとして見上げる。
「ちょっと・・・・・・冗談、でしょ?」
砂に呑み込まれ、その上で地割れに墜とされて―――それでも。
「生きて・・・るの・・・!?」
呆然と呟くジュエルの目の前で、炎の柱の中を一人の魔人が昇ってきた―――
******
「ふ・・・うう・・・・・・」
ルビカンテは砂浜の上に降り立つと、目の前で呆けているジュエルを見る。
「あの巨人は―――どうした?」
問われ、ジュエルはようやく我に返る。
やや引きつった表情で、「消えたわよ、あんたを倒したと思ってね」
「そうか」言いつつ、ルビカンテはジュエルの担ぐミストの様子を伺う。
「気を失っているようだな」
「起きて・・・ますよ」項垂れていたミストがゆっくりと顔を上げる。
それから力無く笑って、「もっとも、もう何をする力も残されてはおりませんが」
「そうか、ならば―――」淡々と、ルビカンテは呟いた。
「これで終いだ」
火燕流
******
ジュエルとミストが立っていた場所に、炎の柱が立ち上っていた。
それを見つめ、ルビカンテは静かに呟く。「強敵であった―――私と互角に渡り合った、それを誇りとして星へ還れ・・・」
「それはご免被るわ」
「!?」その声は空から降ってきた。
反射的に空を見上げると同時、何かの影がルビカンテの頭を過ぎ去る。その一瞬後、ルビカンテの背後の砂に、何かが着地した。「馬鹿な!」
振り返る、とそこにはミストを担いだジュエルの姿が。
「悪いけど―――」
彼女は背中越しにルビカンテを振り返り見て、悪戯っぽく舌をちろりと出す。
「―――逃げさせて貰うわよ?」
「逃がさぬ!」
火燕流
ジュエルのいる場所に、炎の柱が一瞬にして立ち上る。
目標の足下から唐突に、そして即座に吹き上がる炎の柱だ。不意打ちも同然に発生するこの攻撃を回避するのは至難の業。現にマッシュもエッジも回避することはできずに、防いで耐えることしかできなかった。だが。「・・・!」
ルビカンテは空を見上げて、それを認める。
高くそびえる炎の柱のさらにその上を飛翔する一つの影を。「回避しただと!? いや、あれではまるで―――」
まるで、炎を利用して高く飛んだようにも見える―――
暫くして、ジュエルは地面に着地する。
雲にも手が届きそうなほど高い位置まで飛び上がったにも拘わらず、その着地は砂埃を立てないほど静かだった。「貴様・・・何をした?」
「それは教えて上げられないわねェ」にやりと笑い、指を振る。
「ただ一つ言えるのは、貴方は私を捉えられない。空を泳ぐ天女の羽衣は何人たりとも捕まえられないのよ?」
「戯れ言を!」
火燕流
風遁・羽衣
三度吹き上がる炎の柱。
その炎の柱に押し上げられるように、ジュエルの身体が宙に舞い、天高く飛翔する。
そしてそのまま今までよりもさらに遠くへ―――ルビカンテの目の届かない、丘の向こうへとその姿が消えていく。「くっ・・・逃がした、か」
悔しそうに呟いて―――ルビカンテはその場に膝をつく。
ミストたちが力尽きているように、ルビカンテもまた無傷ではなかった。「舐めてかかったつもりはないが・・・ふむ」
それでもただの人間に遅れを取るとは夢にも思っては居なかった。
ルビカンテは海を振り返り、その水平線を目を細めて見つめる。「あの船・・・バロン―――セシル=ハーヴィからの使者だったか・・・?」
竪琴を持っていた吟遊詩人の姿には見覚えがあった。ホブス山でセシルと共に行動していた青年だ。
「エブラーナとバロンが手を組めば、厄介なことになる―――・・・早めにエブラーナを潰しておかなければ、な」
思う、が、受けたダメージは軽くない。
しばし悩み、ルビカンテは諦めたように嘆息した。「仕方がない・・・一旦、引くとするか―――」
******
ジュエルたちが逃げ去り、ルビカンテも立ち去ってから数十分後。
砂浜に、二人の人影が現れていた。「むう」
人影のうち、一人が困ったように唸る。
「誰もいないのう」
「居た形跡はあるがな」もう一人の方が周囲を見回す。
何か巨大なスコップにでも抉られたような痕が幾つかあり、なにか灼けた焦げたような痕もある。「マッシュの姿も見えんか―――確かに闘気を感じたんじゃが」
ハァ、と人影―――ダンカンは溜息を吐いて。
「全く、バルガスがのんびりしておるからじゃ」
「・・・こ、このクソ親父、お前が悪いんだろうが!」
「何を!?」
「なにが “ショートカットじゃ” だ。森でも川でも湖でも構わず真っ直ぐに突っ込みやがって。挙句の果てにはなんか忍者の砦っぽいところもなぎ倒していっただろう!」などというバルガスの姿はボロボロで、全身ずぶぬれで、所々に葉っぱや小枝や蜘蛛の糸などがまとわりついている。
対して、ダンカンの姿に枯れ木などのゴミはついておらず、濡れてもいない。どころか汗一つかいていない。「修行が足らんのう」
「そっちが無茶なんだよッ! ・・・つか、だいたい本当にマッシュなのかよ? あいつ、闘気なんか使えたか?」バルガスの記憶にある限り、マッシュは必殺技の一つも満足に使えないはずだった。
ダンカンも頷いて。「使えんはずじゃが―――しかし男子三日会わざればなんとやら、ともいうしのう。マッシュの他に闘気を使う人間に心当たりもおらんし」
「まあ、なんにせよ、出遅れたってわけだ。ここでこうしても仕方がな―――ックション!」言葉の終わりでくしゃみをする。
そんなバルガスに、ダンカンを「おお?」と首を傾げ、「風邪か? 軟弱じゃのう」
「だから、お前のせいだろうが! というか、同じように川を走って湖を泳いだはずなのに、どうして親父は濡れてないんだ!?」
「鍛えておるからのう」
「鍛えたって服は濡れるだろ―――ハーックション!」静かに潮騒の音が聞こえる中、バルガスの盛大なくしゃみが砂浜に響き渡った―――