第19章「バブイルの塔」
H.「巨人、再び」
main character:ミスト
location:エブラーナ・海岸
火の粉が舞い、紅蓮が散る。
エッジはルビカンテの猛炎を、時に避け、時に火炎の術を使い、凌いでいた。「すごい・・・」
ごくり、とユフィが喉を鳴らす。
エッジとは幼馴染のユフィではあるが、ウータイの方の事情でエブラーナとの付き合いは暫く無かった。
なので、最近のエッジの事は、ついこの間会ってからの事しか解らない―――が、その短い間だけで十分に理解できるほど、幼い頃と全く変わっていなかった。―――そう、思っていた。
「おらおらおらおらぁっ!」
「ぬうう・・・っ!」鉄をも溶かすルビカンテの炎を同じ火術で防ぎ、お返しに火炎手裏剣を投げ返す。
戦闘開始から五分。マッシュが力尽きた同じ五分が過ぎても、エッジは立っていた。ただし、無傷というわけではない。
マッシュと同じように、身に着けた衣服や髪の毛の端が焦げ、肌は赤く灼けている。しかし反対に、ルビカンテも無傷ではなかった。
身体のあちこちに手裏剣の切り傷が刻まれ、なによりも最初に受けた腹部の傷が深い。その傷のせいでルビカンテの動きに精細が無いことも、エッジが互角に渡り合えている要因であった。「あいつ・・・あんなに強くなったんだ―――」
その声に宿るのは、驚きと―――悔しさ。
全く変わらないと思っていた幼馴染が、自分よりも遙か高みに成長した妬み。
ユフィだって、なにも遊んで過ごしていたわけではない。強くなるため、ウータイの忍者として修行を積み重ねてきた。しかし、今、エッジのように炎の魔人と戦う強さはない。
「・・・馬鹿な、だけよ」
ユフィの呟きを聞き咎め、ジュエルが吐き捨てるように呟く。
その呟きは、決して息子の健闘を讃えるモノではなく、むしろ怒っているようだった。「ジュエル様・・・?」
「あの馬鹿・・・馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、そんなんじゃ足りないくらいの糞馬鹿よ!」
「く、くそって・・・でも、エッジは・・・」ジュエルが何をそんなに怒っているかユフィには解らない。
「ユフィ。私達の使う “忍術” と、魔道士の使う “魔法” の違いは解るわよね?」
「え? そりゃあ・・・」ユフィの故郷であるウータイの忍者は、忍術よりも体術を主とする忍者である。
そのため、忍術の類は殆ど使わないが、それでも忍者の基本的な知識として、ユフィは忍術の原理は知っていた。「えっと・・・魔法の方はよくわかんないけど、確か魔力だけで行使するのに対して、忍術は魔力に加えて道具を使うんだよね?」
「そう。魔力―――私達は “念気” と呼ぶけれど、それは術の取っ掛かりにだけ使って、術の本体は道具―――仕掛けにある」例えば、水の術を使う時は水のある場所―――川や湖などを利用し、雷の術を使う時には天候―――雨雲を利用したり、効率を上げるために避雷針などの金物を利用する。
「だから、火炎の術を使う時は―――あ!」
ようやくユフィはジュエルの言葉の意味に気がついた。
火炎の術の時に利用するのは、火薬や油―――逆に言えば、エッジはそれだけの火薬や油を抱え持っていると言うことになる。例え話ではなく、油を頭から被り、火薬を抱えて火の中に飛び込んでいくような状態。
早い話。
その火薬に引火して、いつ自爆してもおかしくないという話だ。「で、でも、エッジは火炎術が上手いし、大丈夫だって勝算があるから―――」
火炎術に長けた者ならば、ある程度は炎を制御できる。
そもそも、エッジがどうやって火薬や油に着火しているかというと、先程言った念気―――魔力を使って火をつけているのだ。だから投げた手裏剣が、いきなり仕込んだ火薬が爆発して加速する、なんて芸当ができる。
そして、逆に火薬や油を引火させないということもできる―――ユフィが言ったのはそう言う意味だ、が。「勝算なんかあるわけないでしょ」
ジュエルはきっぱりと言い捨てる。
幾ら、炎を制御できると言っても、限度というものがある。エッジは忍者としてはまだ半人前だが、火炎の術に限って言えば、同じ火炎術に長けたエブラーナ国王エドワードにも追随する。そのエドワードがいない以上、エブラーナ忍軍の中で、最高の使い手と言えるかも知れない。
だが、そんなエッジよりも炎使いとしてルビカンテの炎は数段上だった。
そもそも、ルビカンテの炎を完全に制御できるならば、わざわざ微塵隠れなどを使って炎を防ぐ必要もない。「今はなんとか凌げているけれど、少しでも気を抜けば即自爆―――だいたい、念気だってあとどれくらい持つか・・・・・・」
魔法に比べて忍術の魔力消費量は、仕掛けで補佐している分少ない。
だが、それは単発での話であり、今エッジがやっているように、常に炎を防護しながら戦い続けていれば、すぐに底を尽きる。
ジュエルの見立てでは、そろそろ限界の筈だった。「あら、ではどうします?」
などと、場違いなのんびりとした口調で尋ねたのはミストだった。
彼女はエッジが戦っている最中に、遅れて戻ってきて、瀕死のマッシュに回復魔法をかけ続けている。
その隣では、ギルバートが必死で竪琴を修復していた。先程マッシュを受け止めた時に、弦が切れてしまったのだ。「どうするもこうするも・・・逃げるしかないでしょう」
「息子さんを放っておいてですか?」
「あんたがッ」ジュエルが怒り―――むしろ憎しみを込めてミストを睨付ける。
「アンタがあの馬鹿を焚きつけたんでしょうが!」
「迷っていたようだから、ちょっと後押しして上げただけです」
「同じ事よッ」ジュエルが怒鳴ると、ミストは「あら?」と首を傾げる。
馬鹿にしているのか、とも思えるミストの態度に、ジュエルはさらに怒りを増大させる。状況が状況でなかったら、首の一つも締めていただろう。「・・・とにかく、こうなったら馬鹿息子が引き付けてくれている間に撤退する―――」
冷静になれ、と心の中で自分自身に言い聞かせる。
だが、それも次のミストの一言で無意味となる。「つまり、息子さんを見捨てるんですね?」
怒りと、悔しさと、憎しみをひとまとめにしたような感情を込めてジュエルを睨付ける。
対し、そんな激情を向けられても、ミストは変わらずにのんびりとした様子で言う。「それが忍者にとっての “正しい選択” というものなのですよね」
「・・・ッ。解ったような口を聞かないで・・・!」
「あら、違います? 目的のためなら平気で身内を見捨てる―――それが忍者でしょう」
「・・・好きで、見捨ててるわけないでしょう・・・」ぎり、と歯と歯を噛み締める。感情を押し殺すように。
「ジュ、ジュエル様・・・」
ユフィがおろおろと二人を交互に見る。
止めようにも、下手につつけば殺されるような、そんな殺気をジュエルは放っていた。「あいつが死んでも平気なわけないでしょう! 忍者である前に私はあの子の母親なのよ・・・ッ」
「解りますよ」くすり、とミストは微笑んだ。
それはさっきまでの人の神経を逆なでするような、のんびりとした笑みではなく。
とてもとても優しげな暖かい微笑み。「私も親ですから」
そう言って、ミストは前に出る。
ルビカンテとエッジが戦っている戦場に向かって。「ちょっと!?」
「私は貴女達の事が大好きです。バロンからエブラーナまで、ほんの短い間だけでしたが、旅をしてきて―――貴女達と旅ができて良かったです」実のところ、ミストは “忍者” というものにあまり良い感情を持っては居なかった。
というか、バロンに住む者たちならば、良い感情を持っている者など数えるほどしかないはずだ。
何故ならば、バロンとエブラーナには戦争の歴史がある。ミストが物心ついた時には終戦間近だったが、その戦争で被害を受けた―――忍者に身内を殺された者たちなど、バロンの往来で石を投げれば当たるくらいに存在する。ミストの村は霧に閉鎖されていたため、忍者の被害はなかったが、それでも外の村や街に出れば、エブラーナに対する恨み言を何度も耳にした。特に戦争が終わった直後は。
「だから、貴女達が “忍者” として仲間を犠牲にして生き延びて―――そして、そのせいで苦しみ続けることを、私は望みません」
「ミスト・・・? あんた、何を・・・?」ミストの言葉の意味が解らずに、ジュエルは困惑する。
ただ、なんとなく思った。
まるで―――遺言でも残しているかのようだと。「だから―――」
何かを言いかけ、しかしそれを止めて、彼女は唱える。
それは魔法の詠唱。それも、ジュエルは何度か聴いた詠唱―――「 “クリスタルの守護者たるミストの長ミストの名において命ずる―――” 」
「それって・・・召喚―――」
「 “来たれ―――霧の護り部” 」ジュエルの言葉が終わるより早く―――ミストはその名を呼んだ。
ミストドラゴン
******
(あー・・・やっべーな、これ)
炎にまかれながら、エッジは他人事のように思う。
節約しながら使ってきた火薬だが、そろそろ底がついてきた。
付け加えれば、手裏剣も尽きた上に、忍術を使うための魔力も殆ど無い。ジュエルの言うとおり、魔力で自分の身と火薬を炎から守っていたが、それももうすぐ限界だ。
火薬に炎が引火して自爆するのが先か、それとも力尽きて燃え尽きるのが先か―――「そろそろ終わりか・・・?」
ルビカンテが問う。
こちらは見た目は満身創痍に見える。
身に一つだけ纏っている、炎にも燃えないマントはあちこち引き裂かれ、体中エッジの手裏剣で傷ついている。
腹部に与えた傷以外は、一つ一つは致命傷とは言えない―――が、それでも並の人間なら倒れている傷の量。そもそも、腹部の深傷だけで戦闘不能になるほどの傷だというのに、エッジよりもルビカンテの方が余裕があった。(人間じゃねえ・・・まあ、当たり前か)
普通の人間は、炎を身に纏っていたりはしない。
そんな事を考えながら、エッジは無理矢理に笑ってみせる。「・・・終わんねーよ」
「惜しいことだ。先程の男といい貴様といい・・・こんなところで焼失させるのは惜しい男達だ」
「勝手に終わらせんな! つーか、野郎にそゆこと言われても嬉しくねーんだよ! 可愛いねーちゃんつれてこーい!」ぎゃあぎゃあと喚くエッジ。まだ余力があるように見えるが、実のところは空元気だった。
(くっそー、イケると思ったんだがなー。相手が人間じゃねえって事までは計算してなかったぜ)
或る意味、初手で決着は付いていたようなものだ。
ルビカンテの腹部への一撃。それが決まり―――しかし、それが致命傷とならなかった時点で、エッジの敗北は決まっていた。
忍術と言うのは、詰まりは “タネはないが仕掛けはある魔法” である。その仕掛けの部分が解ってしまえば、忍術の威力は半減する。現に、何度か隙を突いて “爆裂手裏剣” を放ったが、流石に警戒されていたらしく、かすり傷を負わせるのがやっとだった。「虚勢を張っても無意味だ」
バレてやがる、とエッジは舌打ち。
「楽しい戦いであった」
「そんだけ傷つけられて楽しいって、Mか! Mなのか!?」
「えむ・・・? なんのことかよく解らんが―――」すっ―――と、ルビカンテはエッジへと手を向ける。
それは、ルビカンテが必殺技を放つ時のモーション。
それを見て、エッジは笑みを崩し悔しそうに顔を歪める。(くそったれ・・・!)
ルビカンテの “火燕流” ―――残った火薬では完全には防ぐことはできない。そもそも、魔力が足りないので、こちらが仕掛けるよりも早く引火して自爆する可能性の方が高い。
避けようにも、足下から吹き上げてくる炎は一瞬で柱となる。避けようとして避けきれるものではない。「これで―――終わりだ」
ルビカンテが腕を振り上げる。
ここまでか、とエッジが観念した時―――視界を、圧倒的な “白” が覆い尽くした。
******
「ミスト!?」
濃霧が立ちこめ、視界に白しか映らない状況で、ジュエルは叫んでいた。
辺り一面真っ白。
目の玉につけるほど手を近づけなければ、己の手すら見えない状態だ。
闇の中と変わらない霧中。
平衡感覚すら見失って、下手に足を振り上げれば、そのままバランスを崩して転んでしまいそうだった。そんな霧の向こうから、ミストの返事が返ってくる。
「貴方達は逃げてください。ここは私達が引き受けます」
「何を言ってるの!? 逃げるって言ったってこんな霧の中じゃ―――だいたい、あんた一人で・・・」言いかけて、ふと違和感に気がついた。
今、ミストは “私達” と言わなかったか?「達・・・って、誰のことよ? この霧の竜のこと!?」
「違います」返事はそれだけで終わりだった。
暫く待ってみたが、後は何も返ってこない。「ちょっと! じゃあ、だれの事なのよ!?」
叫んでも、答えはない。
その代わりに。「『テレポ』!」
ミストの凛とした声が、霧の中に響き渡った―――と思った次の瞬間。
「ジュエル様!?」
「えっ―――?」気がつくと、目の前にメイド姿の女性が居た。
「キャ、キャシー!? じゃあ、ここは・・・」
地面が僅かに揺れている―――否、揺れているのは地面ではなく。
「船の、上・・・」
「な、なんだぁ!? 助かったのか!?」間の抜けた声のあと、どたっ、と何かが倒れる音。
振り返れば、あちこち焼け焦げだらけのエッジが、気が抜けたのか甲板に尻餅をついたところだった。「エッジ!」
「エッジ様」ユフィとキャシーがエッジに駆け寄る。
二人にしては珍しく、心配そうにエッジの様子を伺う。「エッジ、大丈夫!?」
「見たところ、炎の魔人を相手にされたようですが・・・」そんな二人にエッジは「おおおっ」と少し驚いて見せて。
「なんだ!? なんだなんだ、もしかしてこれがモテ期というヤツかッ!?」
「・・・・・・そんだけ元気なら十分大丈夫だね」
「心配して超損いたしました。これは貸しにしておきますので」モテ期終了。
エッジはがっくりと項垂れる。
そんなエッジに、キャシーは嘆息一つ漏らして。「まあ、ジュエル様とユフィ様にお怪我させなかっただけでも、エッジ様にしては上出来です」
「・・・褒められてる気がしないんだが」
「褒めていますよ?」などと。
そんなやりとりを、ジュエルはぼんやりと眺めていたが―――不意に我に返る。「って、ミストは!? あいつも逃げてきたの!?」
周囲を見回す―――が、ミストの姿は無い。
代わりに、今し方ジュエル達が居た砂浜の方を見れば、未だに霧が立ちこめていた。「あの馬鹿! なんで逃げて来てないのよ!」
怒鳴りながら、実のところその理由は解っていた。
ミストまで逃げてしまえば、今度はこの船が標的にされる。この船は木造船だ。ルビカンテの炎なら軽々と燃やすことができるだろう。
一度はエブラーナから逃げようとしたエッジ達を見逃してくれたが、そう何度も見逃してくれるとは思えない。だからこそ、ミストは残ったのだ。「で、でも、ミストならなんとか逃げられるんじゃない? バロンから逃げる時も、あの霧のお陰で無事にエブラーナまでこれたんだし」
期待を込めてユフィが言う。
彼女の言うとおり、ミストの召喚したミストドラゴンの能力は絶大だ。さっきだって、白以外何も見えなくなるほどだった。あんな霧に覆われてしまえば、追うことなど絶対にできないだろう。「・・・・・・」
ジュエルはユフィには何も応えず、砂浜を覆っている霧を睨付ける。
それはユフィの言葉通りに成るようにと願っているようでもあった、が。「・・・ッ!」
唐突に、白い霧に朱が混じる。
そう思った瞬間、炎の柱が白い霧をかき消した。「やっぱり、駄目か・・・」
ジュエルは舌打ちする。
あれが通じるなら、ミストは最初から使っていただろう―――つまり、彼女には最初から解っていたはずだ。霧は通用しないと。「まさかあの馬鹿、最初っから自分が犠牲になるつもりで・・・」
「いいえ、違います」そう否定したのはキャシーだった。
「あの人は、安易に犠牲になることを選ぶほど、弱くはありません」
「キャシー・・・?」
「あの人は、私が認めた人です。こんなところで終わるなんて、誰が許しても私が許しません!」
「キャシー・・・でも―――」
「ジュエル様ッ」キャシーの方を振り返っていたジュエルは、ユフィの声で振り返る。
ユフィを振り返れば、彼女は砂浜の方を見て驚愕していた。見れば、他の面々も驚きに目を見開いている。「一体何が―――って・・・え?」
砂浜を見て、ジュエルも他と同じように驚きに声を失った。
いつの間にか。
砂浜に巨大な何かが立っていた。人のように見えるが、人の数倍はゆうにある体躯。「なに、あれ・・・?」
「あれは・・・」唯一、 “それ” を見たことのあるギルバートが呟く。
「・・・あの巨人は、リディアの―――巨人? でも、炎の中に消えたはずじゃ・・・・・・」
ギルバート達の視線の先。
霧が炎に蹴散らされた砂浜に。
ホブス山で、ルビカンテに倒されたはずの巨人―――タイタンが出現していた・・・・・・