目を開けると天井が見えた。

「あれ?」

 訳が解らず疑問詞を呟く。
 どうやら自分はベッドかなにかに寝ていたらしい。
 が、どうして寝ていたのかが思い出せない。

 身を起こす―――身体の節々が痛み、身体が重い。

「・・・・・・おはよう」

 声を掛けられて振り返ると、そこには “妹” がベッドの端に腰掛けて、顔だけこちらに向けていた。

「おはよう、リディア」
「・・・・・・」

 彼女の名前を呼ぶ、が、何故かリディアは無表情のまま沈黙する。

 どうかしたのか、とバッツが首を傾げていると、リディアは「はあ・・・」と重い溜息を吐いた。

「・・・結局、私は弱いまんまなんだね」
「は?」
「だってそうでしょ? どんなに頑張って、どんなに修行して、どんなに強くなっても―――バッツには敵わなかった・・・」

 無表情が歪み、悔しそうに奥歯を噛み締める。目の端には涙が滲んでいるようにも見えた。

「こんなんじゃ・・・ティナを助ける事なんて出来やしない・・・・・・」
「・・・そんなことねえ。お前は強いよ」

 バッツは手を伸ばして、リディアの頭をポンポンと撫でてやる。
 だが、その手はすぐに拒絶するように振り払われた。

「嘘つき! だって言ったじゃない! 私は、何も変わってないって・・・!」

 限界だったのかも知れない。
 リディアは唇を震わせながら、悔しさに涙を流す。

「どうしたら強くなれるの!? どうしたら、ティナを助けることが出来るんだよ・・・・・・ッ」
「お前は十分に強い」
「慰めの言葉なんて聞きたくない!」
「違うって。慰めとかそう言うんじゃなくて・・・お前は最初っから強かっただろ?」
「え・・・っ?」

 バッツの言葉に、リディアはきょとんとしたように “兄” を見る。

「出逢った時から強かった。母親と別れて、砂漠に放り出されて、魔物に襲われたって泣くこともなく立ち向かった―――弱かったのは俺の方だ」
「それこそ嘘! お兄ちゃんは、誰よりも強かったじゃない。ダムシアンでもカイポでも、私を守ってくれた・・・」
「俺もそう思っていた。俺は強いってな。本気になりゃあ最強って呼ばれてる奴らにも負けやしないって―――でも、負けた。完全に叩きのめされた」
「あ・・・レオ=クリストフ・・・・・・」

 リディアはその名前を思い出す。
 バッツを倒した、ガストラ最強の将軍。
 バッツが負けたと聞いて、必死の思いで走ったあの時。その先に血まみれのバッツが倒れていた、そのショックは今でも忘れることが出来ない。

「でも、それはしょうがないでしょ。相手は最強と呼ばれた戦士で、お兄ちゃんはただの旅人で―――」
「違う」
「違う・・・て、なにが?」
「レオのおっさんに負けたことはどうでも良かったんだ。お前の言うとおり、あっちは本職。こっちはただの旅人。負けて当然―――負けた後、多分、俺はそんな風に考えていた」

 バッツは苦笑して、リディアを見つめる。

「お前だよ」
「私・・・?」
「そう。俺はお前に負けたんだ。お前に叩きのめされて―――だから、一度逃げちまった」
「私は、なにも・・・・・・」
「覚えてるか? 俺がレオのおっさんに負けた後のこと。お前がお見舞いに来てくれてさ、その時俺は言ったよな? “故郷に帰る” って」
「うん、覚えてる」
「あれは冗談のつもりだったんだよ。お前が引き留めてくれると思って―――だけど」

 だけど、あの時、リディアはバッツを引き留めることはなかった。
 むしろ進んで別れを肯定した。

「あの時、俺はお前が眩しかった。絶対にティナを取り戻すって言うお前の決意が辛かった。それは、俺には無いものだったから」

 戦いの意志。
 戦士ならば誰もが秘めているそれを、バッツは持っていなかった。
 自分よりも弱いはずのリディアにすら、意志の強さでは劣る―――それを思い知らされ、打ちのめされ、立ち向かう気力すら無くなっていた。

「あの時はマジへこんだぜ。俺の存在意義ってもんが完全にぶち壊されたからなー」
「そ、それは悪かったって思うけど・・・でも、あれは―――」

 困ったような顔をして弁解しようとするリディアの頭を、バッツはもう一度撫でる。
 今度は振り払われることなく、大人しく撫でられるがままになっている。

「解ってるよ。お前は俺のことを心配してくれたんだろ?」
「・・・うん」

 撫でられるまま、リディアは素直に頷いた。

「怖かった・・・。ティナが連れ去られて、お兄ちゃんまで死にかけて―――そんなの、嫌で」

 このまま戦い続ければ、いずれバッツは死んでしまうかも知れない。リディアの目の前で殺されてしまうかも知れない。
 リディアはそれが何よりも怖ろしかった。

「お兄ちゃんが “故郷に帰る” って言った時、冗談だって解ったんだよ・・・? だけど私はほっとしたの。だって、故郷に帰れば・・・戦うことをやめれば、死ななくて済むから―――あうっ!?」

 ら、の言葉と同時に、撫でていた手の動きがデコピンへと変わる。
  “無拍子” の動作による不意打ちを避けることも身構えることも出来ず、リディアは痛みよりも驚きで息を止める。

「な、何するのっ!?」
「余計なお世話だって言うんだよ、ったく」

 バッツはそう言いつつ、二回三回と、リディアの額を指で弾く。
 リディアはそれを避けようとしたり、ガードしたりしようとするが、 “無拍子” の前では全て無意味だ。

「ううう・・・」
「お前のその気遣いのせいで、俺がどれだけ傷ついたと思ってるんだ」
「・・・傷ついたって、死ぬよりはマシでしょ! それにッ」

 リディアはジンジンと痛む額を抑え、涙目(これは痛みによるものだろう)でバッツを睨付ける。

「どうしてこんなところでまだ戦ってるの!? 故郷に帰ったんじゃ・・・」
「帰ろうとしたけどな。色々あって戻ってきた」
「戦うために?」
「いや・・・」

 そーいえば、何のためだろーかと思い返して。
 それから手を開いて指折り数えてみる。

「そうだなー、まずはレオのおっさんとセシルのヤツにリベンジするためだろ?」
「戦うためじゃない」
「いや、でも多分、お前の言う “戦い” と俺の “戦い“ってやつは違うと思う」
「はあ?」
「ぶっちゃけ、俺の場合は “殴られたから殴り返したい” 程度のもんでさ、お前達みたいに決意っていうか・・・戦いの意志なんてモノは多分無い」

 戦いの意志―――
 それがないせいでコンプレックスを感じていた時もあった。
 けれど、そんなモノは無くても良いと、ようやく気がつくことができた。

 バッツ=クラウザーは戦士ではない。
 ただの旅人だ。
 風の吹くまま流れるまま、己が行きたい道を進むだけ。
 その道の先で戦う必要があれば戦うというだけの話だ。

 旅人に戦いの意志は必要はない。
 ただ、見えざる何かを求めて “未知” という道を進み続ける “探求の意志” があればいい。

「その二つも目的果たしたし、とりあえずセシルのヤツを手伝ってやろうかなーと思って。・・・あ、あと、地底世界ってのも興味あったし」
「・・・随分と軽いわね」
「ンなこと言ってもなあ。別にセシルや他の連中と違って、俺は背負ってるモンとかねーし」

 にやり、と不敵に笑う。
 それを見て、リディアも小さく笑った。

「懐かしいね」
「へ?」
「朧気だけど覚えてる。初めて会った時のお兄ちゃんは、そんな風に笑ってた」
「そんな感じもなにも、ずっとこんなもんだぜ―――いや、違うか」

 訂正する。
 思えば、リディアと一緒に行動していくうちに、いつの間にかリディアのことを背負ったつもりで居た。
 いつの間にか、自分のためではなくリディアの為―――大事な妹を守るために戦っていた気がする。

(そんな風に、慣れない重いモノを背負っていたりしたから、レオのおっさんにも負けちまったんだよなあ)

 しみじみ思いながら、ふとバッツはリディアに問いかけた。

「それで、リディアはこれからどうする?」
「ティナを助ける」

 バッツの問いは予測していたものだったのだろうか。
 きっぱりと即答を返してきた。
 それを聞いて、バッツも驚くことなく返事を返す。

「そか。頑張れよ」
「・・・え、それだけ?」

 あっさりとした激励に、リディアは肩すかしを食らったようにきょとんとする。
 バッツは不思議そうに、

「うん? 他になんか言うことあるか?」
「や、その・・・引き留めたりはしないの?」
「引き留めて欲しいのか?」
「そ、そうじゃなくて・・・―――なにそれ。ファブールでの仕返し!?」
「・・・何言ってるんだ、お前」
「だって、おかしいじゃない! さっきまで “お前じゃティナを助けられない” とか散々挑発しておいて・・・」
「ああ、あれ嘘。お前だったら絶対にティナを助けられるって信じてる」
「なっ・・・」

 困惑するリディアに、バッツは説明する。

「えーと、だな。さっき引き留めたのはさ、お前がまた同じことやろうとしていたからで」
「同じこと?」
「ファブールの時と、さ。またお前、俺を戦いに巻き込まないように、わざと拒絶しようとしただろ」
「・・・む」
「だから引き留めたんだよ。そーやって妹に気を使われてるのって、なんつーか兄貴として駄目だろ」
「駄目だなんて・・・」
「知って欲しかったんだよ。お前の情けない兄貴は、もうお前に気遣って貰わなくても済む程度には強くなれたってことをさ」

 だから、とバッツは続ける。

「俺はもう、お前のことを気負ったりはしない。俺なんか居なくても、お前は大丈夫だって知っているから」

 むしろ、リディアが必要だったのは自分の方だった。
 リディアと出会えたから、ここまで強くなることができたのだと思う。

「・・・お兄ちゃんは、どうするの?」
「俺か?」

 リディアの問いに、バッツはふむ、と少し考えて。

「とりあえず、セシルのヤツに付き合って、ゴルベーザってヤツををブッ倒したら―――お前を追いかけるよ」
「私を?」
「おう。俺が居なくても大丈夫だろうけど、もしかしたら俺でも力になれるかも知れないし、それに俺だってティナを助けたいと思うしな」

 そうバッツが言うと、リディアは表情を陰らせる。

「・・・お兄ちゃんは、まだ戦い続けるの?」
「まーな」
「死ぬかもしれないんだよ? 今度こそ死んじゃうかも知れない・・・!」
「大丈夫だって、俺を信じろよ」
「信じられるわけ・・・ないでしょ・・・ッ!」

 リディアの声は震えていた。
 見れば、一度引っ込んだはずの涙が、また溢れようとしている。

「お、おい、リディア・・・?」
「ファブールで、瀕死のお兄ちゃんを見て、私がどんな気持ちだったか・・・解る?」
「いや、それは心配かけたなって―――」
「さっき、飛空艇から墜ちたのを見た時、私がどんな気持ちだったか・・・解る?」
「その・・・心配かけて悪かっ―――」
「なんで謝るのッ!」
「だ、だってお前、泣いてるし怒ってるし・・・」

 バッツは完全にリディアに気圧されて、困惑していた。
 どうしていきなりリディアが怒り出したのかがよく解らない。解るのは、色々と心配かけたんだなーってことくらい。

「なんにも解ってないッ! 戦う意志がないって言ったよね? だったら戦わないでよ! 私に心配かける覚悟すらないんだったら、今すぐ故郷に帰りなさいよッ」

 涙を拭おうともせずにリディアは泣き叫ぶ。
 そんな彼女を、バッツは少しの間呆然と見つめ―――やがて、嘆息してから、リディアを抱き寄せる。

「悪かった・・・」
「・・・謝って欲しくなんか無い。二度と剣を持たなければ、それでいいから」

 ひっく、ひっく、と小さくしゃっくりを繰り返しながら、リディアはバッツの胸に自分の顔を押しつける。
 そうやって、戦いへ赴こうとするバッツを引き留めようとするかのように。

「4回―――いや、さっきのお前の分も含めりゃ5回かな」
「・・・なにが?」
「このフォールスに来て、死にかけた回数」
「―――!」

 胸の中で、リディアが息を止める気配を感じながら、バッツはもう一度数え直す。

(ファブールでレオのおっさんに殺されかけて、バロンであの偽リディアに殺されかけて、セシルと死闘して、さっき飛空艇から墜ちて、リディアのすんげえ召喚魔法で―――うん、やっぱり5回くらいだな)

 確認して、バッツは続けた。

「たった数ヶ月で、5回死にかけるって、結構すごくねえ?」
「自慢できることじゃ、ないでしょ・・・」
「でもまあ、5回も死にかけて、まだ生きてるんだ。だからこれからも、死にかけたって死にゃしねえよ」
「だから・・・安心しろって? できるわけないでしょ・・・!」

 もう涙は収まったらしいが、声はまだ少し荒れていた。
 バッツは小さく笑って。

「そいつは淋しいな―――だけど、お前だって俺がどんなに心配したって、ティナを救い出すことを諦めないだろ」
「当たり前でしょ」
「それと同じだ。お前にどんなに心配かけたって、俺は俺の道を行く―――ていうか、それしかできない」
「・・・・・・可愛い妹がどんなに頼んでも?」
「ああ」

 即答して頷く。と、リディアは諦めたように吐息する。

「本当に、強くなったんだ」
「そう言ったろ?」
「私だって一杯頑張って、修行して、お兄ちゃんの知っている私なんかよりもずっと強くなったはずなのに―――なんか逆に置いて行かれたような感じ」
「そんなことは―――」

 ない、と言いかけたその時。
 コンコン、と部屋のドアがノックされる。
 そして返事を待たずに、ドアが開かれた。

「バッツさん、起きてますか―――」
「この変態ぃぃぃぃぃいいぃいッ!」
「ぐはあッ!?」

 ドアが開いた瞬間、リディアがバッツに向かってアッパーカット。
 非力ではあるが、それでも真下からの不意打ちの一撃に、バッツの顎が持ち上がり、そのままベッドにばたんと倒れる。

「う、ぐぐぐ・・・リ、リディア・・・? いきなり何を―――?」
「うるさいよ、この変態! いきなり抱きついてくるなんて!」

 などというリディアの表情は真っ赤だった。
 ちなみに、それは怒りのためと言うよりは、むしろ―――

「あー、もしかして人に見られて照れて―――」
「 “サンダー” 」
「にょげええええええええええええっ!?」

 雷撃魔法を受けて、バッツはビクビクン! と痙攣したあと、そのまま気絶。

「あの・・・お取り込み中でしたか?」
「・・・誰アンタ?」

 そこでようやくリディアは訪問者を振り返る―――が、見たことのない顔だ。

「初めまして。俺、ロイド=フォレスと言います。飛空艇団 “赤い翼” の副官で、セシル王の命により、この地底世界へやってきました」

 自己紹介をするロイドに、リディアはふと怪訝な顔になる。

「セシル・・・王?」
「はい」
「セシル・・・王様になっちゃったの!? なんで!?」
「色々ありまして―――それはともかく、あなたはリディアさん、で良いんスよね?」
「私のこと、知ってるの?」

 リディアが問うと、ロイドは頷く。

「先程、ヤンさんに説明して貰いましたし、バッツさんから事あるごとに貴女の話を聞いていますから―――もっとも、聞いた話ではもう少し幼かったように思うんですけど」
「こっちも色々あって―――しばらく幻獣界って所に居たのよ。そこでは、現界とは時間の流れが全然違っていて、こっちの一ヶ月が、向こうの十数年にもなってしまうの」

 リディアの説明に、ロイドは「なるほど」と頷く。
 ・・・頷きながら、内心ではあまり納得していない。これがミシディアの魔道士達ならば、まだ話は解るのかも知れないが、魔法技術がそれほど発達していないバロン出身であるロイドには、時間の流れが違う、などと言われてもピンとこない。

「それで、何か用? この馬鹿兄貴はもう一度寝ちゃったけど」
「寝ると言うよりも気を失っているような気が。―――まあ、それはともかく、もちろんバッツさんにも話はあったんスけど、今後どうするかってことを伝えに」
「その言い方だと、私にも何か用があるの?」
「はい。貴女はこれからどうしますか?」
「とりあえず地上に出て、シクズスまで行くわよ。そしてティナを取り返す」

 きっぱりと言い放つリディアにロイドは残念そうに肩を落とした。

「できれば、俺達に協力して欲しかったんスけど・・・」
「協力? 私の力が必要ってこと?」

 「はい」とロイドは頷く。

「・・・この戦い、おそらくはゴルベーザ陣営よりも、俺達の方が戦力は上回っていると俺は見ています」

 敵の正確な戦力は、まだはっきりとは解らない。
 だが、こちらはフォールスのエブラーナを除く5国が協力体制にあり、さらにはカイン=ハイウィンドやヤン=ファン=ライデンと言った、一騎当千の戦力もある。なにかしらトンデモナイ切り札でも無い限り、まずこちらが優勢と見て良いだろう。

「けれど、その一方で後手後手に回っています。敵の目的である “クリスタル” の殆どは奪われてしまいました」
「つまり、優位とはいえ、負けっ放しだってこと? だからできるだけ戦力は欲しいって話?」
「まー、ぶっちゃけていえば」

 ロイドは苦笑い。

「そちらにもそっちの目的があるんでしょうけど、できれば―――」
「いいよ」
「―――へ?」
「仕方ないから協力してあげるって言ってるの」

 はん、とリディアは気絶したままのバッツを見下ろす。

「―――安心なんて、絶対に出来ないんだから。・・・馬鹿兄貴」

 

 


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