第18章「あにいもうと」
H.「砕けた仮面」
main character:バッツ=クラウザー
location:ドワーフの城・城門前
召喚士はロッドやムチを主に使用する。
但し、戦士系ではない召喚士が直接、敵に向かってロッドで殴ったり、ムチで叩いたりすると言うことはない。
魔力の込められたロッドは手にしたものの魔法的な力を高めてくれる。つまり、魔法を発動させる際の補助としての道具である。ムチも同じだった。
幻獣の全てが無条件に召喚士に従うわけではない。
基本的に幻獣は、召喚士が己の力を示して認めさせる、或いは屈服させることにより “契約” する。
無理に屈服させた場合、契約は結べても命令になかなか従わないこともある。そのために、ムチで叩いて命令に従わせるのだ。―――幻獣にも寄るが、普通は人間よりも幻獣の方が力が強い。
なので、ムチで叩いたくらいでどうにかなるはずがない―――と、普通の人間は思うだろうが、別にこれは叩いて痛みを味合わせるためにムチを振るうわけではない。
契約して、召喚した以上は幻獣よりも召喚士の方が上位の存在となる。だから、どんなに反抗しようとも最終的に幻獣は召喚主に逆らうことは出来ないが、在る程度は抵抗することが出来る。
召喚士は召喚した幻獣―――召喚獣と、心と心で交信――― “念話” して命令する。だが交信能力が低ければ、命令の強制力も弱い。反抗的な召喚獣ならば刃向かってしまう。つまりムチを振るうのは、 “念” ではか細くしか伝わらない命令を、文字通り “身体に直接叩き込む” = “命令の強制力を強める” ために振るっているのである。
ちなみに念話ではなく、普通に声を出して召喚獣をに命令することも、当然出来る。
ただし、声を出した方が念話よりも強制力は強いが、反面、事細かな命令は出しにくい。
召喚士のスタイルとしては、三つの命令法――― “念話” “声” “ムチ” を混合して使うのが一般的だ。(―――って、アスラには教わったけど・・・)
霧の中。
リディアは革の鞭を振るいながら、ぼんやりと教わったことを思い返していた。
リヴァイアサンに呑み込まれ “幻獣界” を訪れてから、リディアを育て、鍛え上げてくれた幻獣は、召喚士の嗜みだからとムチの扱い方を教えてくれた。
前述した、召喚士がムチを扱う理由から始まって、実際にムチを振るう時の手首の使い方や振るい方。さらには護身程度の戦闘技術までみっちり教えこんでくれた。
お陰で、今、バッツに向かってムチを振るうのも、何のぎこちなさもなく自分の手足のように扱えている。(だけど・・・ムチってあんまり好きじゃない)
敵に向かって振るうのはいい。
けれど、召喚士がムチを振るうのは、自分の召喚獣を従わせるためだ。リディアには生まれもっての特殊な才能があった。
それは動物や魔物、幻獣などの “人在らざる獣” に好かれやすいという才能。召喚士の娘としてこれ以上の天恵は無いだろう。
だから、彼女が今までに召喚する――― “契約” した魔物や幻獣達は皆、リディアの友達だった。ケンカすることはあっても、仲の良い友達だ。故にリディアは “命令” したことは一度もない。常に “頼み” であり、リディアに召喚された召喚獣たちも、快く “頼み” に応えてくれた。今、リディアが手にしているムチは、そんな友達達に振るわれるために習得した道具だ。
だからムチの扱い方を覚えるのを、リディアは最後まで嫌がった。だが、ムチの技術を習得することは召喚士として強くなるために必要だと諭され続けて、根負けした。
“強くなること” ―――それが、リディアにとって何よりも必要なことだったから。ビシィィィィィッ!
「ぐあっ!」
ムチを避けることも出来ず、霧の中にムチが人を打つ音と、バッツの悲鳴が響き渡る。
だが、そんな悲鳴を聞きながらも、リディアの表情に躊躇いはない。リディアにとっては人間も魔物も幻獣も関係ない―――が、彼女は博愛主義者というわけではない。
単に、種族の違いなど気にしないというだけで、何も魔物や幻獣の全てがトモダチ、というわけではないのだ。味方は味方、敵は敵だということを十分に知っている。魔物であろうと幻獣であろうと、味方ならば仲間として共に肩を並べるが、敵ならば人間だろうと魔物だろうと幻獣だろうと臆することなく立ち向かう。
例え、親兄弟で在ろうとも、必要ならば戦うことを躊躇わない。
「・・・ふぅ」
何度かバッツをムチで打ち据えて、リディアは一息吐く。
ムチの技術を習得する時に、体力作りもやったが本職の戦士ほどではない。特に、幻獣に命令するためならば、一度や二度ムチを振るうだけで事足りるのだ。流石に、何十回もムチを振るうのは体力的にきつい。「・・・どした? もう、終わり、かよ・・・・・・」
だがリディア以上に息を切らせ、瀕死の様子でバッツが言う。
リディアからはバッツの姿は丸見えだが、バッツからはリディアの姿は全く見えていないはずだ。偶然、バッツの正面にリディアは居たが、バッツの焦点は合ってはいなかった。「俺は・・・っ。まだ・・・っ。立ってるぜ・・・!」
ぜぃはぁ、と息を切らせてバッツが呻くように言う。
確かに立ってはいる。
だが、あちこちをムチで打たれ、腫れ上がり、破れた皮膚からは血が滲んでいる。なによりも、どういうわけかさっきまでは汗一つかかなかったバッツが、息を切らせ、汗が浮かび滲んだ血と混ぜ合わさる。
それはムチで叩かれたダメージによるモノではなく―――(・・・さっきの “本気” の代償ってトコかな)
ブリットを容赦なく叩きのめしたバッツの “本気” 。
傍から見ていても、目がついていかないほどの常識外の乱撃。
肉体の限界を超えた動き。限界を超えてしまったが故に、その代償も決して安くはない。(ま。そんな状態でまだ立っているのは信じられないけど)
「いい加減に諦めたら? 貴方じゃ私には勝てない」
目の前のバッツに向かってリディアは言う。
ただし、バッツには霧の中に声が反響して、リディアが何処にいるかは特定できないはずだ。「これ以上痛い目みたくないでしょ? さっさと降参して―――」
軽く、咳払い。
それから、精一杯低い声音で、冷酷に言い捨てる。「―――二度と私達に関わらないで」
「イヤだね」即答が返ってきた。
その応えに、リディアの表情は動かない。
何故なら。(解っていたけどね。 “お兄ちゃん” なら、そう言うって・・・)
解っている。
だからこそ、叩きのめさなければならない。「そ。なら仕方ない―――叩きのめされて、無力に沈みなさい」
腕の疲れも取れた。
リディアはバッツの横手に移動してムチを構える―――「俺は、さ」
攻撃再開しようとした時、バッツが不意に息を切らせたまま呟いた。
「負けて、叩きのめされて―――お前の言うとおりに無力を思い知って。けれど、そのお陰で強くなれた」
「私だって強くなった。奪われたティナを取り返すために、私は誰よりも―――貴方なんかよりも強くなった」
「変わってないよ、お前は」ムカ。
怒りが沸き上がる。「強くなったッ! 弱かったからッ、弱っちくて、何も出来ずにティナに守られてばっかりで! だから私は強くなったッ!」
「何度でも言ってやるよ。お前は何も変わっちゃいない」
「・・・・・・半殺しで済ませて上げようと思ったけど。気が変わった。九分九厘殺してやるッ」
「―――できねえよ」すっ―――と、バッツは目を閉じると、片足を後ろに退く。
そのまま腰を落とし、手は腰の剣へと。居合いの構え。
常に自然体であるバッツにしては珍しく、構えを取った。そして、呟く。
「―――その剣は虚無の剣」
先程と、似たような文言。
「虚ろには何も届かず意味を為さず―――それ即ち “孤独” なり・・・」
言葉が終わる。
そしてバッツは―――しかし、その場から微動だにしなかった。構えたまま、まるで時が止まったかのように制止している。「言っておくけど、剣を抜いても変わらないよ。さっきブリットを打ちのめした技も、この霧の中では意味がない」
「・・・・・・」リディアの忠告に、バッツは応えない。
目を閉じて、ただ静かに構えている。ふと、リディアは気がついた。
息切れが止まっている。汗も引いているように感じた。「・・・・・・っ」
一瞬、戸惑う。
あまりの静かさに、バッツがいなくなった―――そんな錯覚を覚える。
正に霧の如く、気配が薄まっている。無念無想。
何も考えず何も思わず、心を空にしている。
それは、ブリットを叩きのめした時と同じではあるが、あの時とは逆にピクリとも動かない。ふと、リディアは思いついて言ってみる。
「お兄ちゃんなんか大ッ嫌い」
普段のバッツなら、そのリディアの言葉だけで泣いて喚いて卒倒するところだが。
「・・・・・・」
しかしバッツはやはり動かない。
リディアの声が聞こえているかも怪しい―――いや。(聞こえてない、か)
ならば、最早言うべき言葉もない。
リディアはムチを打とうとして―――躊躇する。
なんとなく、予感していた。「私の、負けかな」
敗北の予感。
その予感を振り払うことはせずに、リディアは素直に受け入れた。圧倒的にリディアの優勢。
感覚を狂わせる霧に包まれてバッツは手も足も出ずに、リディアが一方的に攻めている。
リディアの勝利はあっても、その逆は有り得ない―――はずなのに。しかしリディアは自分の負けを確信していた。
この一撃を放てば負ける―――と。心の中で認めながら。
リディアはムチをバッツに向けて打ちはなった―――
******
“無念無想”
その名の通り、何も思わず考えず、心を空に、意識を消す。
人間には、肉体が限界以上の力を発揮しないように、無意識にリミッターが掛っている。つまり、心ごとその “無意識” すらも消すことによって、リミッターを無くなり、限界以上の力を発揮させることができるのだ。ヤンは勘違いしていたが、実はバッツの場合は厳密に言えば “無念無想” ではない。
限界以上の能力を発動させるために極限まで集中することにより、それ以外の思考が全て吹っ飛んだために、結果として無念無想と同様の境地に至ったというだけである。本来の “無念無想” とは意識無意識を含めて無―――つまりは “0%” 。
しかしバッツの場合は意識無意識を含めて一つのことだけ集中している―――つまりは “100%” というわけだ。無か全か、零か一か。
正反対ではあるが、どちらも意識と無意識が同一になるという意味では同じ。
そういう意味では、バッツのそれも “無念無想” と言えるのかも知れないので、便宜上、これからもバッツのその技能は “無念無想” とする。さて。
この “無念無想” 人間の限界を超える力を得る代わりに欠点が二つほど在る。
一つは肉体の限界を超えるがために、肉体に負荷が掛りすぎる。ほぼ相打ちだったはずのバロンでの “決闘” のあと、すぐにトロイアへ発ったセシルに対し、バッツの目覚めが遅かったのは、肉体が限界を超えてしまっていたせいだ。もう一つの欠点は “思考が無い” こと。
思考がないために、肉体が限界以上の力を発揮しても、動きそのものは単調になる。それだけではなく、一度発動すれば止まることもない。 “終わる” という思考が無いためだ。だから、それこそ身体が壊れて動けなくなるまで止まることはない。・・・の、だが、先程バッツはブリットが反撃しようとしたところで丁度、無念無想を止めた。
その仕掛けは “5分” 。
バッツの “無念無想” は一つのことに極限集中することで発動する。つまり “5分間だけブリットを叩きのめす” と言うことに極限集中したということ。ちなみにブリットが反撃しようとした時に、丁度5分になったのは偶然である。そして今。
バッツが居合いの構えで集中しているのは―――
******
ヒュッ―――
ムチが唸りを上げてバッツに迫る。
だが、それをバッツは知覚することは出来ない。
霧のせいで、空気切り裂くムチの音も、どこからなのか特定できない。
バッツがムチを知覚できるのは、ムチがバッツの身体を打ち据えた瞬間のみだ。ムチが迫る。
バッツの首元にめがけて、その先端が迫る。
スナップを利かせたムチの一撃は、力のない者でもそれなりの痛みを与えることが出来る。身体の芯にダメージは届かないが、その痛みは戦意を喪失させ、最終的には屈服するしかなくなる。バッツは全身にムチを受けているが、まだ戦意はある。この一撃を喰らったとしても倒れることはないだろう。
しかし、 “無念無想” による疲労も濃い。バッツの意志に拘わらず、このままではすぐに身体の方が音を上げるはずだ。ムチがバッツの身体に伸びて到達する。
その先端が、バッツの首の肌に触れるか触れないかという瞬間―――「―――」
バッツが不意に動く。
有り得ないほどの超反応。ムチがバッツの肌に触れて、それを知覚した瞬間、その身体がバネ仕掛けか何かのようにはじけ飛ぶ。
ムチよりも速いその動作は、居合いの踏み込み。
神速の踏み込みによりムチを回避―――しただけではなく。(―――掌握ッ)
踏み込んだ瞬間、無念無想は解けている。集中の内容は “ムチを知覚したら踏み込む” だ。
最初、真っ正面からの攻撃を回避したことで、リディアは常にバッツの死角から攻撃を加えていた。だから、横から来ようと後ろから来ようと、前に出れば回避することは出来る。
そして、回避したならば、あとは掌握するのみ!バッツは踏み込んだ足を蹴って、再び元の位置へと戻る。
身体の位置が戻った時、ムチはリディアの手元へと戻ろうとするところだった。戻ろうとするムチがバッツの背中を掠める―――「ぅおおおおおおおおおおッ!」
気合いの声を上げて、バッツは踏み込みの足とは反対側の足を軸に半回転。目を閉じたまま身体で知覚したムチの軌道と、自身の直感で手を精一杯に伸ばし、霧の向こうへと消えようとしているムチを――――――
******
――――――掴まれた。
霧の中で。
全てがまやかしの霧の中で。
バッツは確かにリディアのムチを掴んでいた。「どーだよ?」
にやり、と霧の向こうでバッツが笑う。
そんなバッツにリディアは声が出ない。出せなかった。信じられない。
―――などという想いはなかった。
なぜなら、それは解っていたことだから。ムチを放つ前から―――
(ううん、違う)
負けを確信したのは今じゃない。
そんなことは戦う前から解っていたことだ。
なにせ、相手は―――(私の “お兄ちゃん” なんだから・・・)
負けて悔しいとは思わない。
むしろ嬉しいとすら思う。
喜びがこみ上げてきて、笑顔が自然とこぼれる。
適うなら、今すぐにバッツに向かって飛びついて、抱きつきたいと思う。やっぱり私の ”おにいちゃん” は誰よりも強いんだって叫びたい。けれど―――
「わかった」
リディアは笑顔を消す。
自分の感情を押し殺し、息を整え、声を低く、冷たく突き放すように言葉を吐く。さぁっ―――と霧が渦を巻き、薄れ、消えていく。
バッツはリディアの姿を見つけると、ムチから手を放し、嬉しそうに笑顔をそちらにむけた。
対し、リディアは感情を押し隠した無感情で。「認める―――私たちの負けだよ」
リディアは苦々しく吐き捨てるように続けた。
「これで満足でしょ? じゃあさようなら、もう二度と会うことも無いでしょうけど。ブリット、みんな、行くよ―――」
そういってリディアはさっさとバッツに背を向けてその場を立ち去ろうとする。
と、その背中をバッツが呼び止めた。「おい、ちょっと待てよ」
「・・・なに?」
「このまんまじゃ不公平だろ」
「はあ?」リディアは険悪な表情でバッツを振り返る。
「貴方が言ったんでしょう! 勝ち負けに関係なく、私たちを止めないって!」
「そうじゃなくてさ」最愛の妹に険悪ににらまれても、バッツは困ったように苦笑いするだけだ。もう慣れたのか、さっきまでのように大仰にショックを受けたりはしない。
彼は、自分を指差して。「俺は全部見せたぜ? 多分、これが今の俺の本気の本気。これ以上はない」
それからリディアを指し示す。
「でもお前はまだ残してるだろ」
「・・・!」
「お前の “本気” を俺はまだ見せてもらってない」言われて、リディアは押し黙る。
そして、顔をバッツには見えないようにうつむかせた。
そんな彼女を、バッツはただじっと見つめる。「どうして・・・」
「へ?」
「どうして、私が本気を出してないって言えるの?」うつむいたまま、リディアは尋ねる。
「なに単純な話だ」
なんでもないことのように、バッツはあっさりと答えを告げた。
「俺の “妹” だからな」
「・・・理由に、なってないよ」限界だった。
これ以上は自分自身を抑えきれない。
もはや湧き上がる笑顔を隠すこともできず、リディアは顔を上げる。そから自分の “兄” を見て一言告げる。「バカ・・・」
「ここでもっともらしい理由なんざ、言うような俺じゃないだろ?」そういってバッツはニカッと笑った―――