第16章「一ヶ月」
AX.「公開処刑」
main character:カイン=ハイウィンド
location:バロンの城・中庭
耳に触る人のざわめき。
そのざわめきを断ち切るようにして、よく通るはっきりとした声が聞こえた。「―――それでは処刑を始める」
という声に、カインは意識を取り戻す。
目を開けて、一番初めに飛び込んできたのは夕闇に赤く染まった空だった。
覚醒した瞬間、ズキリと腹部が痛む。その痛みに身じろぎしようとして―――動けないことに気がつく。「なんだ・・・?」
身体が縛られている。
両足を閉じ、両腕を真横に開いた状態で縛られて寝かされている。拘束されているカインは見えなかったが、十字に組み合わされた板に両手両足首と、腰をベルトのようなもので締め付けられ、拘束されていた。「ふっ・・・丁度気がついたようだね、カイン」
そんなことを言いながら、真上から覗き込むように見下ろすのは、親友の顔だった。
にっこりと微笑んでいるが、その笑顔に何故かうすら寒いものを感じて、カインは眉をひそめる。「セシルか? これは一体・・・」
捕まった、ということは解る。
逃亡中に、ロイド達に追いつめられ、サリサ―――ファリスの策にはまり、レオにトドメを刺された。だが、現状が把握できない。
捕まって、牢屋にでもブチ込まれるのだとばかり思っていた。
だが、最初に見えたのは空―――つまり、屋外で縛られ寝かされているらしい。しかも、さっきから耳に聞こえる人々のざわめきからして、セシル以外にもかなり大勢の人間が集まっているようだ。
そういえば、目が覚める直前に “処刑” がどうのと聞こえた気がするが―――「決まってるだろう。これからカイン=ハイウィンドの公開処刑をはじめるのさ」
「・・・は?」なにが嬉しいのか、やたらと楽しげに言うセシルとは正反対に、カインはますます困惑して間の抜けた返事を返す。
処刑だという。
ただの冗談にしか聞こえなかった。だから問う。「なんの冗談だ?」
「冗談? 冗談だと思うのかい?」大げさな身振りで驚いてみせるセシル。
・・・なにか違う、とカインは思った。いつものセシルとはノリが違うと。「貴様、本当にセシルか?」
「僕がセシル以外の誰に見えると言うんだい?」
「フン、俺の知っているセシルは牢屋に入れられたくらいで処刑しようとするような、心の狭い男ではない!」ちなみに。
何度も繰り返すようだが、王を謀って牢屋に入れるなど、紛れもない重罪である。
これは心の狭い拾いに関係なく、王―――ひいては国家の威信に関わることであり、問答無用で首をはねられてもおかしくはない。普通なら。もっとも、セシル自身、自分が王である自覚も薄い上に、セシルとカインは親友と言うこともあり、まだ軽いジョーク(軽くはないが)で済んでいる。こういう時に激怒しそうなベイガンも、騙されたとはいえ実際に牢屋に入れたのは自分であるために、怒りよりも自責の念のほうが強いようだ。
だが、実際にカインは捕縛され、処刑されようとしている。
何故か。「・・・まあ、そうだね」
セシルはにっこりと―――不穏な雰囲気を感じさせる笑顔のまま、頷く。
「確かにいつもの僕なら、牢屋に入れられたくらいじゃ、処刑だのなんだの考えたりしないね」
だけど、とやはりにっこり微笑んだまま。
「気づいてしまったんだよ―――いや、思いだしたと言うべきか。君に、裏切られていたことを!」
「!」裏切り、その言葉を聞いて、カインは苦痛に顔を歪める。
ファリスとレオに打撃された腹部の痛みではない。精神的な痛み。(そうだ・・・俺はセシルを裏切った・・・!)
自ら王と認めたセシルを、カインは裏切って槍を向けた。
それはゴルベーザのダークフォースに影響されてのものだったが、しかしその一方で自分の本意だったとも自覚している。
自分が王と認めているのに、セシル自身はそれを否定し続けた。それが不満となって、裏切ってしまった。(一生、槍を捧げると誓ったはずなのに、な)
ゾットの塔で、セシルはそれは裏切りではない、とは言ってくれた。
だが、カインにしてみれば許されるべきではない裏切りだ。
そう思った瞬間、全て納得してしまった。処刑されても仕方がないと。「・・・そうだな、セシル。俺はお前を―――」
裏切ってしまった、と言いかけたところで、それを遮るようにしてセシルが言う。
「話は変わるけど」
「?」
「お陰様でと言うべきか、僕はなんとかローザを捕まえることが出来た。なし崩しだったけどプロポーズもして、ちゃんと受けて貰えて、とってもハッピーだったりするんだよね」
「は・・・?」にこにこと、さっきから変わらない笑顔のまま、セシルはいきなり惚気始める。
セシルが何を言いたいのか解らず、カインは戸惑うばかりだ。そんなカインには構わずに、セシルは続けた。「で、君が逃亡中に、忙しい中で時間を取って、ローザと一緒に幸せな時間を過ごしたりするわけだ―――はいはい、そこ囃し立てないでくれよ。恥ずかしくなっちゃうじゃないか」
外野から口笛が飛んだり、色々なヤジが飛ぶ。
それに対して、セシルは照れながら―――しかしまんざらでも無さそうに頭を掻く。
正直、長年親友をやってるカインでもあまり見たことのないセシルだ。そんなセシルに唖然としていると。「で、そんなときに色々と話をするわけだよ。今までのこととか、これからのこととか、お互いのこととか―――僕がローザの何処が好きで、ローザが僕の何処を好きだとか。いやまあ、ローザはいっつも『セシルの全部が好きよ♪』とか言ってくれるから、僕も『じゃあ僕はローザの全部が好き♪』とかなんとか言っちゃって」
「・・・・・・」長くなりそうなので寝ることにした。
目を閉じる―――と即座に腹部を蹴られた。「ぐはっ!?」
「はっはっは。ちゃんと聞いてくれなきゃ困るなあ、カイン。これからが大事なんだから」
「ぐっ・・・何が大事だ。人に下らない惚気話なんぞ聞かせて。それともこれが処刑内容だというのか?」
「まあ聞きなよ―――で、他にも昔話なんかもしたりするんだよ。僕とローザ、それから君とは幼馴染でずっと一緒だったからね、話の種はいくらでもある―――例えば、軍に入ってから初めての休日に、軍関係者以外立ち入り禁止の兵舎に、わざわざ君がローザを連れて来てくれたり」言われて思い出す。そう言えばそんなこともあったな、と。
「あの日はお昼までぐっすり眠る予定だったのに、ローザに叩き起こされてた挙句に一日中引き摺り回されて散々だった」
「それは災難だったな」
「兵学校の時も似たようなことがあったね。女子禁制の男子寮の僕の部屋にローザを連れてきて、いつの間にか君は居なくなって僕はローザと二人きりで部屋に取り残された。そうしたらいきなり寮長が怒鳴り込んできて、ローザが見つかったせいで、意識が飛ぶまで寮長の豪腕に殴られたっけ」
「おお・・・言われてみればそう言うこともあった気がするな。いやあの時はローザが必死に懇願するものだからな?」
「・・・ “セシルが女連れ込んでる” って寮長に告げ口したの君だったらしいね」
「・・・・・・」カインは、どう答えるべきか数秒考えてから。
フッ・・・とクールに微笑んで言った。「男子寮に女連れ込んじゃ駄目だぞ、セシル」
「君が連れてきたんだろッ!」いつの間にかセシルの表情から笑顔が消えていた。
というか完全に怒っているらしい。「他にもローザが初めて手料理作った時に、たまたま家に遊びに来ていたカインに味見させようとしたら君が “そういうのは最も愛する人に食べさせるべき” だとかなんとか言ったせいで、いきなり鍋を持ったローザが襲いかかってきて、馬乗り状態で口の中に熱々のシチューを流し込まれたこともあった!」
「いやそれは俺よりもローザが悪いだろ!」
「これだけじゃない! 他にも―――」と、セシルはいままでのカインの “裏切り” を並び立てる。
最初のうちはカインも弁解したり言い訳したり誤魔化したりしていたが、次第に口数が少なくなり、相づちをうつ回数も減り、やがて―――「ハッ―――だからどうした?」
冷笑を浮かべ、カインは鼻で笑う。
そんなカインの様子に、今度は逆にセシルが戸惑った。「ど、どうしたって・・・だから君がどれだけ僕を裏切ってきたか―――」
「フン。それはもう十分に解った。それで? 貴様は俺をどうしたいんだ?」
「どうしたいって・・・だからこれから君を」
「処刑する、か。好きにするが良いさ―――だがな、一つ言っておくぞ?」
「?」
「裏切りってのはな、裏切るヤツが悪いんじゃない―――裏切られるほうが阿呆なのさ」
「開き直るなああああああああああああああああああッ」力一杯絶叫して、セシルはぜいはあと息を切らす。
「ああ、解ったよカイン。君に罪の意識を感じて貰うのは無理そうだ。・・・少しでも反省したなら、許してやろうと思ったのに」
ぽつりといったセシルの言葉に、カインは内心で苦笑する。
少し反省した素振りをするだけで許してしまうのは、甘い、と言うわけではなく、怒りが持続しないだけなのだ。どんなに激しく怒っても、それが長続きしない。同じ幼馴染であるリサ=ポレンティーナはそんなセシルのことを “大人” だと評価していたが、カインに言わせれば。(相変わらず自分自身に対しては無頓着なヤツだ)
自分自身に向けられた危害や悪意を気にしない。
セシル=ハーヴィという男は、誰よりも自分自身を評価していない。言うなれば “誇り” というものが存在しないのだ。
“怒り” とは主に不当に貶められたと感じた時に沸き上がるものだ。しかし自分を低く見ているセシルは、自分に対することを不当だと感じることが少ない。もっとも、あからさまに危害を加えられて当然と思うこともないだろうが。だからこそ、怒りを感じたとしてもそれが長続きしないのだ。
しかし―――(しかし、自分以外のものに対しては―――)
自分に対して無頓着なくせに、他人に対してはそうではない。
セシルは誰かが泣くことを、誰かが苦しむことを、誰かが傷つくことを認めない。
誰かが泣くというのならその涙を拭い、誰かが苦しんでいるならばその苦しみを分かち合う。そして誰かが傷つくというのならば、身体を張って庇おうとする。だが、それは “優しい” わけではない。
セシルは決して優しい人間ではない。むしろ誰よりも厳しい。
立ち上がれない者には手を差し出す肩を貸そうとするだろう。だが、立ち上がらないだけの者には、尻をけっ飛ばしてとっとと立ち上がれと叱咤する。「・・・何をニヤニヤしてるんだ?」
心の中でだけではなく、いつの間にか表に出ていたようだ。
カインは挑発するように「フン」と鼻で笑い、「お前はいつまでたっても変わらんと思っただけだ」
「それを言うなら君こそ。出会った時から全く変わってない」
「当然だ。俺は生まれた時からカイン=ハイウィンドなのだからな」
「理由になってないような気がするけど、何故かそれで納得できる気がするなあ」などといってセシルは苦笑―――した自分の頬を、手で叩く。
「・・・っと、危ないところだった。僕は怒っていたんだ」
キッ、と目線を鋭くしてカインを睨付ける。
「とにかく、反省の色もないようだし」
「はんせいしてるぞー、おれがわるかったー」
「処刑決定」超棒読みでふざけて言うカインが気に障ったらしい。
表情を引き締めるまでもなく不機嫌そうにセシルが言い捨てた。するとカインはククク、と笑い。「処刑か。好きにしろ―――煮るなり焼くなり首をはねるなり、な」
言いながら、しかし大したことは無いだろうと思っていた。
少なくともこんなことで殺されることはない。「処刑とは言っても殺すつもりはないよ」
案の定、セシルはそう言った。
「殺して “はい終わり” じゃ僕の気が済まない」
「・・・ほとんど済んでるくせにな」
「? なにか言った?」
「いいや―――それで殺すのでなければ拷問まがいのことでもするのか? ムチで叩いたり、石を膝の上に載せたり、逆さに吊り下げたり」
「・・・そんなことをしても君は堪えないだろ」カイン=ハイウィンドの強さをセシルは知っている。
例えそんな拷問をしても、カインは不敵に笑いを崩さないだろう。「ではどうする?」
「そうだね、例えば―――在れ」瞬間、セシルの手に漆黒の剣が出現する。
「こんなのはどうだろうか」
などといいつつ、セシルは切っ先をカインの眼前に向けた。
最強の暗黒剣デスブリンガー。
それに秘められたダークフォースは持つだけで精神を黒く塗りつぶし、暴走し、絶望を巻き起こす。
触れずとも、その切っ先を間近に向けられただけで、闇は心を浸食するだろう。並の人間ならば、 “負” の力が “己” を浸食する恐怖に耐えきれず、発狂してしまうかもしれない。だが、カインは冷淡な笑みをぴくりとも動かさない。
「これが、どうかしたか?」
「・・・・・・」セシルは無言でもう少しだけ剣を突いた。
剣の切っ先がカインの頬を薄く切る。血が少し滲む程度の傷。それでもカインは動じなかった。「・・・やっぱり通用しないか。なら、次に行こうか」
「次?」と、カインが聞き返したその時。
「セシルーっ! 呼ばれたから来たわよ―――って、なにこれ? なんの騒ぎ?」
もう一人の幼馴染の声が辺りに響いた。
******
声に振り返る。
幾つかある中庭の出入り口に、ローザが立ちつくしたまま戸惑っている。それはそうだろう。
普段は兵士達の訓練城として使われる城の中庭に、城中の兵士や使用人やら問わず集められているのだから。
そんな中庭の中央に高台が設けられて、そこに縛られたカインとセシルが居る。ローザはなんの集まりか解らず、戸惑いながらも人と人の間を抜けてセシルの元へたどり着く。
「なあにこれ・・・どうしてカインが縛られているの?」
首を傾げるローザ。
「いや、実は公開処刑―――もとい、カインが怪我をしちゃって」
「あら本当」ローザはカインの頬の傷を見る。
そんな彼女を見て、カインはハッとする。セシルが何をしようとするかに気がついて、顔を青ざめさせた。「まさかッ、セシル貴様あああああああっ!」
「ふふん。どうやらこれからなにをされるか気がついたようだね」
「ま、待てセシル! 止めろッ、それだけは止めてくれっ!」デスブリンガーを向けられても、表情を崩さなかったカインが別人のように喚き出す。
ローザが驚いたようにセシルを振り向いて、「え・・・どうしたのカイン。止めろって・・・?」
「どうやら怪我をしたせいで錯乱しているようだ」
「こんなかすり傷で錯乱するかあああああああっ」
「いやかすり傷でもバイ菌とか入ると化膿して大変なことになるし―――というわけでローザ」にやり―――と、そのセシルの笑みは、まるで悪魔の微笑みのようだったと、その場にいたローザ以外の者たちは思ったという。
「僕の親友の傷を癒してくれないか? 回復魔法で」
「え、でも私の回復魔法はセシル専用だから・・・」
「その僕が頼んでるんだよ。お願いだ」
「うーん・・・そうね、カインはわたしにとっても大切なお友達だものね―――解ったわ、セシル」
「解るなああああああッ」カインがさっきからの勢いで喚き続けるが、ローザは全く気にしない。
「じゃ、行くわよー」
ローザは魔法の詠唱を始める。
その間、カインは逃げようと身もだえするが、しっかりと拘束されているためにどうしようもない。
そうこうしているうちに、ローザの魔法が完成する。「えいっ☆ 必殺の “ケアル” ー!」
「回復魔法に必殺とかつけ―――っがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!?」聴く者がゾッとするような絶叫が、カインの口から迸った。
それは、その場に集まった者たちが息を呑むほど怖ろしく、術者であるローザが驚いて尻餅をつくほど凄まじかった。ローザの白魔法を受けて、ここまでの悲鳴をあげたものはいない。「ど、どうしたの、カイン?」
「どうやら、見た目以上に傷は酷いようだ」唯一、カインの絶叫にも眉一つ動かさなかったセシルが神妙な面持ちで言う。
ローザがセシルに手を借りて立ち上がると、カインの顔を覗き込む。カインは苦悶の表情を浮かべて荒く息をついていた。その頬には、先程セシルが付けた傷は綺麗さっぱり消え去っている。「で、でも、傷は消えているわよ?」
「見た目はね。でも皮膚の下とか見えないところが傷ついているのかも」とか適当言ってみる。
「というわけで、ローザ。もう少し強力なヤツを頼むよ!」
「解ったわ、セシル」
「や、やめ・・・・・・」息も絶え絶えにカインが呟くが、その声はローザには届かない。
ローザは魔法を詠唱―――完成させ、カインに放つ。「 “ケアルラ” !」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」再び悲鳴。
慟哭とも言うべきか。喉の奥から絞り出されたその絶叫に、流石のセシルも眉をひそめる。(ちょっと、やりすぎかなー)
などとセシルが思っている目の前で、ローザは「あら?」と首を傾げて。
「これでも駄目? なら次行って見ましょうか!」
「あ、ちょっと、ロー―――」
「 “ケアルダ” ッ!」
「ぬがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!??!?!?!?」再三放たれる絶叫。
セシルですら息を止めてしまうほどの悲痛な声に、しかしローザだけは怯まない。「こうなったら最強の回復魔法―――これでトドメよ!」
「こ・・・ころすき・・・か・・・」カインが呻く―――が、当然のようにローザは聞かずに魔法を完成させる。
「いっけえええええっ! “ケアルガ” ーーーーーーッ!」
「―――――――――・・・・・・・・・」最早、悲鳴はなかった。
おそるおそるセシルがカインの顔を覗き込めば、口はだらしなく広げ涎を垂らし、目は見開いて白目を見せている。ぴくりとも動かない、親友の変わり果てた姿に、セシルは明らかにやりすぎてしまったと反省する。
そんなセシルの隣では、ローザが嬉しそうに微笑んでいた。「やったわセシル! ついにカインを回復させたわよ!」
「あー・・・うん、よく頑張ってくれたね、ローザ」ややうつろに微笑んで、セシルはローザをねぎらう。
それから、セシルは集めた兵士達に向けて言う。「えーと、これでカインの公開処刑を終了とする」
「少しよろしいですかな、陛下」解散、の合図をしようとしたところで、別の声が割り込んだ。
声のした方をみて、セシルはぎくりとした。ローザも先程まで浮かべていた微笑みを強ばらせている。そんな二人の目の前に、群衆の中から白いローブを羽織った初老の男が進み出てくる。
如何にも温和で人の良さそうな顔をして、いつも微笑みを浮かべている―――今も笑ってはいるが、それはどこか困ったような微笑みだ。「ク、クノッサス導師・・・」
現れた初老の男の名をセシルは口にする。
―――クノッサス=アーリエ。
バロンが誇る八大軍団。その一角である白魔道士団を束ねる男である。
未だバロンでは魔法技術は進んでおらず、二つの魔道士団―――黒魔道士団、白魔道士団ともにまともに魔法を使える団員はいない。だが、このクノッサスだけはミシディア出身であり、賢者テラや現ミシディアの長老と肩を並べて修行をした、れっきとした白魔道士である。つい1年ほど前にバロンに招聘されたばかりだが、外に滲み出ている温和な性格のためにすっかり受け入れられている。セシルも何度か怪我を治して貰ったりと、お世話になったこともある。
「お、お久しぶりです、導師」
ローザも恐縮して一礼する。
割と怖い者知らずのローザが、緊張しているのは理由がある。
単に白魔道士団に所属しているローザの上司だから―――というだけではなく、実はローザが白魔法を教わったのは、このクノッサスだからである。つまり、彼はローザにとっての師匠に当たるのだ。かしこまるローザにクノッサスはうん、と頷いて。
「お久しぶりですね。オーディン王―――いえ、その偽物に謹慎を言い渡されて以来でしょうか」
セシルがオーディン王の命令でミシディアに向けて出撃した時。
当然、ミシディア出身のクノッサスはオーディン(偽物)に考え直すよう意見した。
だが、当然聞き入れられるわけが無く、牢屋に入れられる―――ところを、白魔道士団やその他、彼に世話になった者たちの嘆願により、謹慎処分だけで済んだ。
クノッサスも、自分のために嘆願してくれた者たちの思いを無にするわけにも行かず、偽王が倒されるまで大人しく家に閉じこもっていた。「さて、陛下」
「は、はい」クノッサスに声を掛けられて、思わず “気をつけ” の姿勢で背を伸ばすセシル。
セシルは別にクノッサスの弟子というわけではないが―――彼が何を言いたいか解っているので、思わず姿勢を正してしまった。「先程から一部始終見せて頂きましたが―――カイン殿が陛下に対して不敬を働いたのは解りました。そのために罰を与えるというのも頷けます。ですが、その罰に白魔法を使うというのは如何なものでしょうか?」
「は、はあ・・・」
「確かにローザの使う白魔法は他者に使うには不安定で危険極まりないモノですが、白魔法とは本来は癒しや補助を目的とした術。だというのにそれを正反対の目的で使うというのは―――」クノッサスの説教に、セシルは一言も言い返せない。
自分でも悪ノリが過ぎたと反省しているのだ。「あ、あの、私はもう帰るね。それじゃセシル頑張ってっ!」
普段なら自分からセシルの傍を絶対に離れようとしないローザがそそくさと場を離れようとする。
だが。「 “ホールド” 」
「きゃんっ!?」全身に痺れが走り、手足が動かなくなって、ローザはその場に転倒する。
クノッサスは困ったような微笑みのまま、そちらをちらりと見やり。「ローザ。貴女にもお説教しなければいけませんね」
「ど、導師様っ。私はセシルの言うとおりにしただけで―――」
「・・・謹慎する前に、言いましたよね? 私が許可するまで白魔法を他者に使ってはならないと」
「そ、それは・・・でもっ、セシルが―――」
「言いましたよね?」
「だ、だから、私じゃなくて・・・」
「い・い・ま・し・た・よ・ね?」
「あ、あう・・・・・・はい、ゴメンナサイ」あくまで微笑んだままだったが、クノッサスの異様な迫力に押されて、ローザはがっくりと項垂れる。と、身体の痺れが消えた。肢縛魔法(ホールド)の効果をクノッサスが解いたのだろう。
「いいですか、ローザ」
「は、はいっ!」お説教モードに入ったクノッサスに、ローザは慌ててその場に正座する。
ほんの1年ほどの付き合いだが、ローザは自分の師匠に頭が上がらない。何故ならローザには魔法の才能というものがお世辞にも無く、ここまで使えるようになったのはクノッサスが根気よく指導してくれたからだ。「何故、私が貴女の魔法を禁じたか解りますか?」
「そ、それは私が魔法が下手で、他人にかけると逆効果になることがあるからです」
「その通りです」
「でもっ、あれから私、上達しました! 普通に癒せるようになりました」
「確かにちゃんと回復魔法としての効果は出ているようですが―――」クノッサスは未だ失神したままのカインを見やる。
傷はちゃんと治っている。以前のローザなら、魔法を掛けても効果が全く現れず、逆に傷口が開くことさえあった。「しかし、あれほどの苦痛を伴う癒しなど、癒しではありません」
「苦痛?」
「気づかなかったのですか? 貴女の魔法を掛けられて絶叫していたでしょう。あれは苦痛によるものです」ここで少し誤解がある。
実は、カインが悲鳴をあげていたのは苦痛のためではない。
ローザの魔法は、大の大人が泣き出すほどの苦痛を伴うが、逆に言えばその程度の苦痛でしかない。今のローザの魔法によるのと同じだけの苦痛をカインに与えても、彼は声一つあげないだろう。しかしカインは今までローザの魔法、いつもセシルを盾にして回避してきた。
そして親友が苦しむ姿をずっと見て笑っていたのだが、その反面でカイン自身でも知らず知らずのうちに、ローザの魔法に対する恐怖が積もり積もって居たようだ。そのために、実際にかけられた時にその恐怖が一気に噴き出し、恐怖に駆られて絶叫したというわけだった。「自分の魔法が他者にどんな影響を及ぼすか、知らずに使っていたのですか。聞けば、軍港に出現した塔も貴女の仕業らしいですね?」
「あっ、でもあれは、シドが喜んでいたわ。これで飛空艇がいくつも作れるって―――」
「・・・あの塔が出現した時の話は聞いていますか?」
「う」ゾットの塔がローザの魔法で転移した時、その影響で大波が発生して、再始動しようとしていた海兵団の船は全滅。たまたま軍港にいた海兵団員にも怪我人も数名出たという。
「いいですか? 貴女ももうすぐこの国の王妃となるのでしょう。ならば、それを自覚して、自分の行動がどういったことを引き起こすのかようく考えて実行しなさい」
「その通りです!」また別の声が上がる。
その声を聞いて、説教が自分から逸れたことに安堵していたセシルがとても嫌な顔をした。「クノッサス導師の言うとおりですぞ! 陛下はまったく自分の立場というものを―――」
「あの、ベイガン、今のは僕じゃなくてローザの話・・・」
「関係ありません!」ベイガンはずかずかとセシルに詰め寄る。
もう何度も見慣れた―――というか見飽きた近衛兵長の顔から目を背け、「いや、関係あるんじゃないかな」
「だいたいさっきのはなんですか!」
「うわ聞いてない」
「確かに我らを謀り、陛下を牢屋に入れたことはカイン殿の罪でしょう。カイン殿の言葉を鵜呑みにしてしまった我らにも咎があります。ですが、それ以前の話ともなれば、ただの私怨ではないですか!」
「あー、でもほら、昔のこととはいえ王様の僕を裏切ったわけだし」
「そういうことは、ご自分の立場をもう少し自覚してから仰ってください!」
「う」
「だいたい陛下はいつもいつも―――」
******
ちなみに。
その二組の説教は、陽が完全に沈み込み、夜空を星が飾っても続けられたと言う―――