Amnissos港か?

(3)

(国立考古学博物館の展示説明の翻訳)

フレスコ画「春」

これはアクロティリの元の場所で見つかった唯一の壁画である。同一の部屋の三面を被っていた。これは火山爆発以前の岩の多いテラの風景である。黄色の茎の赤百合が赤と灰色の火山性地層に群生している。一方、燕が単独で、あるいはペアで戯れて飛んでおり、自然の一年ごとの再生を象徴的に告げている。

 黒、赤、黄色、青の色彩が絢爛に使われており、風にそよぐ百合の花や飛翔する燕によって描かれた活気のある動きなどから、この絵は「クロッカスの摘み取り人」のフレスコ画の画家により描かれたと推察される。この部屋は壁の上部に棚があり、北側の小さな部屋に通じる入口がある。ベッドの漆喰製模型もこの部屋から出土した。Room D2Complex D.

 この遺跡を発掘したのは、Prof. Spyridon Marinatosですが、詳細については、次のwebsiteを参照願います。

クレタ島の北東の海岸。

Profitis Ilias Peak Sanctuary? Profitis Ilias Peak Sanctuaryはサントリーニ島の最高峰で頂上に神殿がある。)

五階建の宮殿。マリアか?赤い石はマリアの宮殿と符合する。

そして、三隻のボートで示されるように、海岸に接している。

以上。

では皆様ご機嫌よう。

クノッソスか? クノッソスだとすれば、灰色と黄色の建築で正しい。
(マリア宮殿も赤い石造だし。)
もっとも現在のクノッソスの復元宮殿はその色ではないけれど。
クノッソスだとすれば(劇場地域の)広い階段は正しい。

(5)

36人漕ぎの船。

(2)

1.    首の部分にストレーナー
   が埋め込まれた二連の花
   生けの一部。クロッカス
   でいっぱいの風景のなか
   に野生のヤギがえがかれ
   ている。

2.    注ぎ口のある器。薄黒い
   地に白いペンキで描かれ
   た百合の花。

(説明文の翻訳)

アテネのフランス考古学学校のコレクションから、粘土製花生け。

紀元前17-16世紀

(説明文の翻訳)

濾過器の壺は特徴的なテラの壺のタイプであり、ミノア文明のクレタ島でも見受けられる。このタイプはストレーナーが内蔵されていて、多分芳香性油脂の製造、あるいは香料の燃焼に用いられたものであろう。

写真:中央がストレーナー3。左端がストレーナー4

West House (西の家)

画像
Flotilla fresco
16th century BC,
from Akrotiri, Thera. West House,
North Wall, Room 5.

丘の上での会合、牧畜風景、船の難破、ならびに戦士
Morgan, Lyvia. テラの細密壁画:
A Study in Aegean Culture and Iconogoraphy. New York: Cambridge University Press, 1988. color plate A

 遺跡の平面図はです。このwebsiteは生憎と英語版なので、部屋別に発掘された壁画に、国立考古学博物館の解説の翻訳を付けておきます。

 私自身はサントリーニに行くまではアクロティリという場所は知らず、サントリーニを訪問したあとでも知らず、アテネの国立考古学博物館の収蔵品を見て歩いたときに初めてアクロティリという場所を知った次第で、不勉強なことこのうえもありません。

 だから、解説も他人様の解説をお借りしてお目にかけるわけですが:

36人漕ぎの船。

46人漕ぎの船。

解説
 エーゲ海の島々を象徴する白い家が、急斜面の崖に立ち並ぶサントリーニ島(ギリシア名ティラ島)。島は大きな三日月形をしているが、これはかつての火山の外縁である。紀元前1550年ごろ、島の中央にあった火山が噴火し、山腹を吹き飛ばして、いま見るようなサントリーニ島が形成された。アクロティリ遺跡は、このときの噴火で埋没した古代都市の遺跡といわれる。
 いまから30004000年前に栄えたミノア文明は、エーゲ海を代表する高度な古代文明だった。その著しい証左となるのがアクロティリ遺跡で、50メートル近い灰や軽石におおわれ、それが幸いして当時の町が良好に残された。遺跡は「エーゲ海のポンペイ」と呼ばれるほどだ。
 発掘が開始されたのは1974年。以来、優れた芸術性を示す壁画のほか、土器、商店、倉庫などが姿を現わした。都市のあまりの巨大さは目をみはるばかりで、幻の「アトランティス島」はここだったのではないかという説も浮上するほどだった。ちなみに貴金属や人骨は見つかっておらず、島民が町を捨てた後に噴火・埋没したものと考えられている。

(1)

 なお、West Houseの細密壁画の説明を見つけましたので、ここに転載しておきます。

出典:説明文の翻訳を付けてあります。左方より画面を5分割して、(1),(2),(3),(4),(5)と記号を振り付けします。

写真:右の大きな壺がストレーナー1。左奥がストレーナー2

国立考古学博物館の所蔵品でテラ関係の品々

Complex D(上記の平面図とは別の場所)

(国立考古学博物館の展示説明の翻訳)

ボクシングをする子供達のフレスコ画

この絵はベルトを締め、ボクシング用グローブをはめた二人の裸の子供を描いている。彼らの頭は剃られているが、二つのながい髪の房を背中に垂らし、二つの短い房を額の上に付けている。彼らの膚の黒い色合いから性別が判別できる。左側の子供は二人のうちでは内気であり、宝石を身に付けている。それは、ネックレスと二つのブレスレットで、一つは彼の腕に、他方は彼のくるぶしに付けられている。これは彼が社会的により高い地位にあることを示している。「アンテロープ」フレスコ画と同じ部屋から出土したので、多分同じ画家によるものであろう。Room B1Building B

写真:Antelope wall fresco, Sector B

Sector B

なお、The West HouseRoom 5に関するその他の画像についてはProf.Rozmeri BasicThe University of Oklahomaホームページをご参照願います。

この壁画の大きい画像は別図を参照してください。なおこの壁画は細密な壁画であり、テラ島とクレタ島を往還する船団を描写しているようです。実物はアテネの国立考古学博物館にありますが、公開されていないようです。

画像Fresco ship procession or flotilla. Frieze from the West House

The House of the Ladies (女性達の家)

 アクロティリの場所については左の図をご覧ください。サントリーニ島の南端です。

画像 

画像

アクロティリの壁画

(4)

装飾から判断すると42人漕ぎの旗艦。船体にライオンが描かれ、船首に四個のひまわり。他の船には、一個か二個しか描かれていない。

帆船でオールはなし。船体に鳥のデザインが見られる。

同じく42人漕ぎの船.

42人漕ぎの船。

中央の街。(アトランティス市か?)
十人漕ぎの小さなボートだが客は乗っていない。

郊外
(テラの大噴火以前には、鹿やライオンが棲む森林地帯だったことが分かる。)

1. 大きなストレーナー。網状の
  渦模様に白い水玉を加えてあ
  る。

2.  ストレーナーの壺で、薄黒い
  地に白い百合が装飾されてい
  る。

3.  ストレーナーの壺で、薄黒い
   地に白い茎と葉っぱが描かれ
   ている。

4.  ストレーナーの壺と蓋で、本
  体には連続した渦模様の多色
  装飾が施され、土台と蓋には
  クロッカスの花が装飾されて
  いる。

(国立考古学博物館の展示説明の翻訳)

アンテロープ(羚羊)のフレスコ

アンテロープ二匹が力強い黒い線で白い漆喰地にスケッチされている。その単純な姿は、ほっそりしていて機敏である。その動作はだが良く表現されている。「ボクシングをする子供達」と同じ部屋から出土したが、人間と若い動物との大きな象徴的な画像の一部かもしれない。他の壁にもアンテロープが単独で、あるいはペアで描かれている。この絵は上部が蔦の茎と葉っぱの装飾フリーズで被われていた。Room B1Building B

画像Wall Painting in Ladies' House Akrotiri

奥に、パピルス フレスコ