写真:ナーガ欄干テラスのライオン像。
背後の
GopuraV東の建物が美しい。

写真:朽ちているが、これがもっとも美しいレリーフ。

写真:アプサラなのか、観音菩薩なのか?

写真:荒廃した寺院跡に彫刻が畳みかけるように折り重なって美しい。

写真:ナーガ欄干のあるテラス越しに見るGopuraV東の建物

写真:バンテアイ・クデイ東入口

写真:西出口

写真:GopuraV西の諸塔。
Gopuraとは「塔」の意味。
北西外壁にある諸塔。

画像:”Ancient Angkor” Michael Freeman, Claude Jacques, River Books Ltd., Bangkok 2003

写真:ナーガ欄干のあるテラス。中央部にナーガ(蛇神)が首をもたげています。

写真:東入口門の顔塔。右目を閉じてウインクをしています。

バンテアイ・クデイ

                     2013/01/30

ジャヤバルマン七世という王様は、今のカンボジャの領域で、はじめて仏教を信仰した王様です。クメール王国といっても、王様によって信仰対象が異なっています。スーリヤヴァルマン二世より前の王様はシーヴァ神信仰でしたし、スーリヤヴァルマン二世はヴィシュヌ神信仰だし、ジャヤバルマン七世からは仏教となったのです。仏教といってもヴィシュヌ神の10化身のうち第9番目は仏陀だったのですから、改宗といってもそれほどの違和感は感じられなかったのでしょう。

 では皆様、ご機嫌よう。

写真:西出口門の彫刻

写真:朽ち果てる建物と諸像。

 ああ、満足、満足!!

 先に見た「ナーガ欄干のあるテラス」も実に見事な荒廃ぶりでまったく完璧なセッティングです。

 上の寺院配置図のなかにHall of Dancersと記してある踊り子ホールに点在する浮彫彫刻は日本人の繊細な感覚を気持ち良くくすぐってくれますし、二番囲い(Und Enclosure)の北西部の崩れかけた石造りの塀などは、平安時代末期の京都の御所の土塀という感じがして、「ここにススキの叢があればいとをかし」、という安堵感がえられます。

写真:踊り子のホールの角柱に彫られたアプサラス(天女)

それにしても、日本人にとっては、バンテアイ・クデイという寺院は親しみやすい寺ですね。仏教だからという訳でもありません。まるで平泉の毛越寺のようにいかにも忘れ去られかねない荒廃があって、しかもよく手入れされた荒廃度は、「枯れた荒廃」という感じをあたえるので「日本人向き」なのです。

写真:ゴープラV東のなかに安置してある釈迦牟尼像なのですが、こうゴテゴテ飾られていると有難味がなくなりますね。バンテアイ・クデイのなかで仏教らしいのはここだけ。

写真:ゴープラV東の彫刻

しかし覚えておかなければならないのは、ジャヤバルマン七世の信仰したその頃の仏教は、小乗仏教ではなくて大乗仏教だったということです。また、現在の国境を越えてタイ国のコーラート台地のフィマイでは7世紀頃から仏教が盛んでしたので、クメール王国で仏教を初めて信仰したのがジャヤバルマン七世ということにはなりません。

アンコール・トムを造って寺院や王宮を建てたのが、スーリヤヴァルマン二世から数えて三代目の王、ジャヤバルマン七世(Jayavarman Z、在位c1181-1218)ですが、彼はもともと10世紀にラジェンドラバルマン王が建てたヒンドゥー寺院を改築してこの仏教寺院バンテアイ・クデイを建てました。