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Harvard University Art Museums
Winslow Homer, American (1836 - 1910)Adirondack Lake, 1892
Watercolor on white wove paper
30.1 cm. x 53.5 cm., actualFogg Art Museum, Bequest of Grenville L. Winthrop, 1943.302

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ついに捉ええない香膏

1771.6.21.

               神様がただ聖者たちのためにとっておいたような幸福な
         日々を、私はおくって
いる。・・・・

               私がヴァールハイムを散歩の目的地にえらんだときには、
         ここがこれほど天国
に近いところだとは思いも及ばなかっ
         た! 遠くまでさすらいながら、いまは私
の願望の一切を
         容(い)れている狩猟館を、ときには山かたときには平地
         から、
幾度川をへだてて眺めたことだろう!

               ウィルヘルムよ、私はさまざまに考えた。人間の中には、
         自己を拡充してさら
に新しい発見をし、さらに遠くさまよ
         い出(い)でようとする欲望がある。それ
だのにまた、す
         すんで制約に服し、習慣の軌道を辿(たど)って、右にも
         左にも
目を放つまいとする内的な衝動もある。

               ・・・・おお、遠方(おちかた)はさも未来に似ている!
         漠然たる大きな魂
が、われらの魂の行手にうかんでいる。
         われらの眼とおなじくわれらの感覚はそ
のうちに溶け入り、
         われらは、ああ、われらの全存在を投げ出して、ただ一つ
         の
かがやかしい感情の大歓喜もて充たされたいと冀(ねが)
         う。――それだのに、
ああ! われらがいそぎ赴いて、か
         しこにありしものがここにあるとき、すべて
はつねに旧態
         依然である。われらは変わらぬ貧窶(ひんる)と制約の中
         にあり、
魂はついに捉ええなかった香膏(においあぶら)
         を求めて、渇(かつ)えあえぐ。

               されば、いずくに安住することをもしらなかったヴァガ
         ボンドも、最後にはふ
たたび父祖の国にあくがれ、おのれ
         の茅舎(ほうしゃ)に、おのれの妻の胸に、
子らのまどい
         に、それを養うための勤労の中に、彼が広い世界に求めて
         見いでざ
りしよろこびをみいだす。

 われわれの目標はすべてを超越する魂であり、真理の追究は、この
魂を掴まえて自己のものにすることであり、なにものにもとらわれな
い自由を得ることであった。

 だが、確かにそのcategoryに属するすべてを超越する「善」領域に
到達し、大歓喜を味わったが、それを味わって現実に立ち返ると、現
実は以前と変わるところなく、貧困な経済生活と、あらゆる制約が待
ち構えている。なにひとつ変わっていない。

 これが実体なのだと考えてみると、これ以上の(放浪生活を伴う)
真理の追究は捨てて、ロッテの示した呼応を愛情の応諾と受け止め、
進んで制約の多い、不自由な世界に逆戻りするほうが、幸福なのでは
なかろうか。愛する妻と子供たちのために、自らの生活のために、ロ
バのごとく働くことこそ真の楽しみなのではなかろうか。これこそ、
真理の追求に求めていた内面生活の楽しみよりも大きいのではなかろ
うか。

 哲学も学問も捨てて、朝日が昇るとともに家をでて、ヴァールハイ
ムのレストランの菜園で豌豆を摘み、莢の筋をとりながらホーマーを
読む。厨で壺をえらんでバターをすくって莢豌豆を料理する。・・・・これが幸福というものだと考えたい。

 「このたのしさ。自分が畠に培ったキャベツを食卓にのせる人の、
素朴な無邪気なよろこび・・・・」、自分が培ったわけでもないキャ
ベツなのに、ここまで舞い上がると論理は支離滅裂で、まさしくウェ
ルテルは夢想のなかにいる。そして、この夢想もあえなく潰れるので
ある。