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 みそぎぞなつのしるしなりける

 先日職場で雑談をしていたところ、百人一首の話題になりました。若いメンバーのひとりが、昔は百人一首は得意でした、実は中学のときは3年間学校のチャンピオンでしたと控えめに話してくれました。それをきいて、私が中学の大会で、3年生のときに決勝戦で戦った試合を思い出しました。



 私の通っていた中学は当時は人数が多くて、各学年が8クラスくらいありました。1月のお正月休み明けに、国語の時間に各クラスごとに百人一首大会をやって、クラスの代表選手2名を選びます。クラス予選では下の句を読み始めてからはじめて探し始めるような人が多かったので楽勝だったのですが、3学年全部のクラス代表が集まる本番の大会では、それなりにとれる人も多くて、そう簡単には勝ち残れません。 本番の大会は土曜日の午後に学校の図書室で開催され、まず1年生・2年生・3年生が一人ずつの組を作って、その3人の「ちらし方式」、そしてその勝者によるトーナメント戦で源平式のゲームをやってゆくというルールでした。

 1年生の時には本選の最初の3人による「ちらし」で敗退し、2年生のときにはベスト8で敗退しました。だいたい中学生くらいのころというのは、女の子のほうがまじめに勉強をしたり暗記をしたりするものだったのか、本選でトーナメントが始まるころには男子で勝ち残っているのはほとんどいなくて、非常に肩身の狭い思いをしたものです。 3年のときにもやっぱり男子は少なかったのですが、学年が下の子に負けると恥ずかしいなあという見栄もあって、なんとか決勝戦までは残ることができました。

 決勝の相手は2年生の女の子で、同じ吹奏楽部の後輩でした。決勝戦ともなると、その場に残った人たちみんなが観戦・応援してくれるので非常に緊張します。 決勝戦もそれまでのトーナメントと同様、100枚の札をそれぞれ50枚ずつ自分の前に並べて、相手の札を取ったら自分の札を1枚渡し、とにかく先に50枚取って自分の札がなくなったほうが勝ちというルールです。 実際の競技カルタのルールでは25枚ずつで、しかも15分間でしたか、札を記憶する時間があるのだそうですが、もちろんそんな正式なルールではありません。 100枚全部を使って、しかも並べてすぐに試合が始まるので、最初はかなり運の要素があります。決勝戦では私にとって不運なことに、読み上げられる札がかなり相手の方に偏っていて、気が付いたら私があと20枚も残っているのに、相手はあとたった1枚になってしまいました。

 もともと私は数が多いうちは苦手で、それまでのトーナメント戦でも後半で逆転するスタイルで勝ちあがってきました。 ある程度の差であれば逆転のチャンスはあるだろうと思っていたのですが、さすがに相手がマッチポイントのときにまだ20枚も残しては、これは勝ち目がなさそうです。 でも、残っているのは自分の得意な札ばかりで(だからこそこれだけ差が開いてしまったとも言えるのですが)、どれも相手に取られたら悔しいだろうと思われる札ばかりでした。 幸い(?)、札は1枚を除いてはみんなこちらを向いているし、自分のほうが札までの距離も近いし、とりあえず諦めないで行けるところまでは行こう、と気を取り直しました。

 それから16枚、連続して取りました。相手の表情が徐々に緊張感を増してきているのがわかりました。 相手の応援のギャラリーから、小声で「がんばって」「落ち着いて」「あと1枚!」と声をかけてくるのも聞こえてきます。 さあ残り1枚と4枚、いずれも上の句を思い浮かべ、「これが来たらこれ」とイメージし、いける、この勢いで大逆転! と思ったときです。


 「みそぎぞなつのしるしなりける」


 忘れもしないこの札、私の4枚のうち、一番左端に置いたこの札への反応が一瞬遅れ、負けてしまいました。 好きな札だったのに・・・



 というわけで私は、3年生のときの準優勝が最高の成績で、一度も一番になったことはありませんでした。でも、負けた試合ですけれども、この決勝戦は今やとても懐かしい思い出です。

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2003.11.15 hhase