3/3
御座石神社:どぶろく祭り  
小六石。  乙事薬師庵の枝垂桜・樹齢200年。

どぶろく祭りも始まるという事で、再び御座石神社にもどります。  

途中の乙事の枝垂桜も咲いていました。 

 こちらもエドヒガンだそうで、

樹勢も弱ったのか形も随分と崩れていましたが、今年も元気に咲いていました。

お祭りもだいぶ進んでいる頃なので、さぞや駐車場も一杯かと思ってきましたが、

案外車の数も少なくすんなりと駐車場に入る事が出来ました。  

 もっとも、祭りがどぶろく祭りなので、飲酒運転は出来ず、

町内の皆さんも歩いて来られる方がほとんどなのかもしれません。 

 到着した時は神殿で神事が行われていました。

神事が終わる頃には、町内の皆さんも集まり席も満杯になってきます。

祝宴は区長の挨拶で始まります。

 御座石宮司さん挨拶、そして本年度醸造当番の表彰、次年度醸造当番の紹介へと続きます。

   

町の皆さんにもどぶろくが配られます。  今年のどぶろくは18度・甘口でスッキリと造られたそうです。

我々も、頂いたお札を見せて、どぶろくの御相伴にあずかります。  

どぶろく造りも昭和52年からは変わって来たそうで、どうせ造るなら美味い酒をという事で、

ダイヤ菊の大津屋本家さんの指導の下に酒造りがされるそうで、今では安定した美味い酒造りが出来るそうです。 

 出来た酒は、税務所立ち合いの下アルコール度検査も行われ、アルコール度に見合った酒税も払うとか。

   

区議会議長さんの音頭で乾杯。   我々も一杯いただいた所で神社を後にします。

お花見:松尾山善光寺  
  瑠璃殿・薬師堂だそうです。   
 

墓地の上に見事な一本桜がありました、エドヒガンの様ですが、こちらも樹齢は300年は過ぎていそうです。

寺へ下りる途中に、枝垂桜の大木がありました。 

こちらは、エドヒガンではなくヤマザクラ系の桜の様でした。

璃殿の近くには、日本シャクナゲも咲き出しており、

ニリンソウ・ヤマエンゴサク・アズマイチゲ・ヒトリシズカ等の山野草も咲き出していました。

本堂前の樹齢200年以上といわれる白モクレンも、散り始めた様ですが、まだまだ見ごろ。 

 寺は信長の兵火にあって焼失、本堂は江戸中期になって建てられたものだそうです。 

 大工の棟梁は藤森次郎左衛門包近だそうです。 

 
山門は幕末になって、大隅流・矢崎玖右衛門によって造られたそうで、

市指定文化財になっているそうです。

庭園の桜・こちらも樹齢300年以上のエドヒガンにみえます。

 

善光寺さんへは、11年前の第38回のマリオ倶楽部でも一度お邪魔していますが、今回も本堂を見せていただきました。

  諏訪の善光寺さんの、前立本尊は真言宗本尊の大日如来だそうで、

御簾の奥には、元善光寺同様、本多善光さん作の秘仏の一光三尊像が祀られているそうです。

   

阿弥陀如来像の左・毘沙門天像(鎌倉末)、右・不動明王(鎌倉末)2体は

廃仏毀釈の折に神宮寺普賢堂から移されたものだそうです。

位牌堂前の金剛力士像・鎌倉時代の慶派の作品ではないかとされるが、傷みが激しく判別出来ないそうです。 

これも廃仏毀釈の折に神宮寺から移されたものだそうです。 

 何れも、10年前と変わらずに立っておられました。

   

一渡り見学を済ませた所で、お茶をご馳走になりながら加藤住職に色々とお話をうかがう事ができました。

  ここ松尾山善光寺では、皇極2(643)に伽藍造営の勅許を受けて、

松尾大明神の地に七堂伽藍を造り645年から7年間阿弥陀如来はこの地にとどまりその後、

長野へ移ったといわれているそうです。 

 だとすると、長野へ移ったのは、7年目とすると、652年という事になります。

  長野の善光寺さんのホームページを見ると、善光寺縁起によるものか、

皇極元年(642)には長野に居り、2年後の644年には伽藍も造営されたとされています。  

 今月訪れた元善光寺さんの話では、推古天皇10(602)から41年間座光寺にとどまったという事なので、

座光寺から直接善光寺に移ったら、年号としても辻褄が合うようです。 

  もっとも、無宗派とはいえ、長野善光寺は大勧進・天台宗に守られて来た所が多く、

元善光寺も天台宗であり、天台宗の中では一つの善光寺縁起で統一されているのかもしれません。 

 善光寺縁起は平安末期にかけて、多くの説がある様で、

平安時代の天台宗の僧・皇円の記述によると、信濃の国に阿弥陀像を運んだのは、

秦巨勢太夫だとあるそうで、本多善光さんが出てくる縁起は、もう少し後の縁起からだともいわれている様です。 

 いずれにしろ、645年というと大化改新の年でもあり、

蘇我氏、物部氏に関わる渡来人の動きも活発になって来る時代の話で、何かと興味のひかれる所です。

   住職によると、松尾山は金山でもあったそうで、

渡来人の技術者が立ち寄っても不思議ではなかった所の様です。 

 大化改新の孝徳天皇がなくなったのは653年、当時は天皇が変わるごとに遷都をしたといわれる頃で、

阿弥陀様の移動にも何か関わりがあったのかもしれません。

御住職と御大黒様に見送られ、寺を後にします。  

 最後は、車の中から西山公園の桜・ソメイヨシノと高島城の桜を眺めて帰途に就きました。   

 

   
   
寺社一覧へ 目次へ・・・次ページ・・・戻る