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第百八十八回自然と歴史探訪番外編・御座石神社どぶろく祭りと桜紀行]

御座石神社:諏訪大社上社境外摂社

今回は、4月に入っての2度目のマリオ倶楽部。   

 諏訪地区で御柱の無い、珍しい神社でどぶろく祭りが行われるという事で、

何時もは脇を車で通り過ぎるだけで、立ち寄る事も無かったので、

この際出かけてみようかという事で、企画された様です。 

  前回は、丁度南信州の満開の桜を堪能できましたが、諏訪の桜はここ2,3日で散り始めた所もあり心配ですが、

ちょっと標高の高い茅野・富士見の桜を期待して出発です。    

 天気は花曇り、暖かく花見には丁度良い陽気です。  

 心配された桜も、湖岸の通りでもまだまだ花見が出来そうです。   

   御座石神社は、矢ケ崎村・本町にある神社で、矢ケ崎地区は御頭郷の親郷でもあった所だそうです。 

   御座石神社の祭神は、高志沼河姫神で、糸魚川に居る建御名方命の母神だそうです。 

  ここ矢ケ崎地区には、他に大年神社(大歳神)、犬射原神社(大巳貴尊・事代主尊・建御名方尊)という、出雲系の古社があるそうです。 

   どぶろく祭りは、鎌倉時代にはすでに行われていたそうで、

大年神社から上げる、大祝の狼煙を合図に犬射原にかけて狩りが行われ、

狩りが終わると御座石神社でどぶろくが供されたとか。  

  犬射原神社では、流鏑馬も行われ、犬追物の規式の創始の地でもあるそうです。

   

御座石神社の黒木鳥居。 

 今は、皮も剥かれ黒木ではなくなっていますが、丈夫そうな鳥居です。 

 御柱として曳いて来た柱の元が、椅子替わりなのか無造作に置かれていました。 

 御座石神社の祭神は、女性なので御柱ではなく鳥居にしたとの話もあるそうですが、

男性の大年神社も御柱では無く鳥居だそうです。

御柱は平安初期には有ったそうですが、それ以前の式年造替の形だったのかもしれません。

境内には名前にちなんでか、いろんな石が並んでいます。  

 まずは参拝して、祭りの準備も進む中、邪魔にならぬ様、境内を見せていただきます。

拝殿と奥の本殿。       本殿には官幣大社諏訪神社御補助五拾円の札がありました。 

御沓石。 拝殿脇には大きな穂掛石。

御沓石・沼河姫神が鹿に乗って大門峠を越えてこられここで旅の履を履き替えられたそうで、

石には鹿の蹄の跡が残っているとか。  祭りの時は、楓の弊帛を供えるそうです。

穂掛石は、矢ケ崎村七石の一つだそうで、吉田の田の中に有ったものをここに移したそうです。 

 多くの石仏が集められた所がありました、馬頭観音像が多い様です。

   

古い祠と道祖神の集められた所もありました。

境内は結構広く、奥に行った所にちょっと面白い所がありました。 

 竜田川の汐、石積の基礎に大石をすえた古い形式のものだそうで、御座石神社の御手洗川もかねていたそうです。 

   
   

もう一つは八櫛社で、もとは薬師堂だったそうです。 

 廃仏毀釈の折に取り壊しを免れる為、同じ名前の八櫛神を勧請して、八櫛社としたとか、

それでも許可が下りたのは明治30年になってからだそうです。 

 現在の建物は、平成12年に交差点工事の為移転改築されたものだそうです。 

  石祠があり、その右側に薬師堂が有ったとか、祠は八櫛社の後ろにあるのがそれかな

   

境内は、町内別の区割りがされており、酒蔵もどぶろくを配るのを待つばかり。

祭壇には、どぶろくの樽・三宝にはウドがそなえられていました。  

945分、氏子総代代表の案内で、御座石神社参拝の後、

関連する犬射原神社と大年神社へどぶろくの奉納へ向かいます。 

 以前は、大年神社の狼煙を合図に出発したそうですが、

今は大年神社に到着した所で、大年神社で狼煙が上げられるそうです。

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