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松本高等学校展示会場・正面小部屋は寮長室を再現。  

貴族院勅選議員・大正自由主義教育運動でも活躍した、澤柳政太郎氏の額。  

  松高寮歌と浜徳太郎氏。

 高校は3年ですが、6年までは留年出来たとか、浜氏は、6年留年し多くの寮歌を残したそうです。 

思誠寮での生活。  山岳部の様子。

他には、名物教師や斉藤茂吉の次男・北杜夫氏と辻邦生の様子等が展示されていました。

   
澤柳政太郎氏の額。   一高の高旗・41高の校章等を展示
 

麻生さんの案内はここまで、3階には、寮歌が聞けるコーナーや映像シアターがあるという事で上ってみます。

  松高の寮・思誠寮は大学移行した後も、10年ほどは残っていたそうですが、

昭和58年には寮も移転となり、取り壊しとなったそうです。  

 その時、寮に残っていた、落書き200点ほどを保管したそうで、

一部が3階に上る階段の所に展示されていました。 

 (北杜夫氏の落書きは、2の北杜夫コーナーに展示されています。)

 

 

寮歌ライブラリー・全国の旧制高等学校の寮歌・校歌が聞けるようになっているそうです。 

 200曲ほど収録されているとか。  

 壁には、八高・名古屋大の寮歌・春三月の額がありました。

旧制高校の校舎の保存は、すんなりと決まったわけではなく、旭町のキャンパスの拡充を目的に、

大学と国は校舎の取り壊しに動いたそうですが、隣接する県立高校が火災に合い、

仮校舎として県が1年間借用する事になったそうです。 

 その間に、同窓生の保存運動だけでは行き詰っていた所、

松本高校の最終回生だった映画監督・熊井氏の呼びかけで市民運動へと広がり、

松本市として一部を買い取る事になったのだそうです。  

 三階の一画で、懐かしいものを見つけました。 

 新潟高校の六華寮の看板です。 

 自宅から通っていたので、寮には御厄介にならずにすごしましたが、

私の入った新制大学の時は、名前も六花寮に変わっていました。  

   
 
   

旧制松本高校・講堂。 

 保存が決まった講堂と本館校舎は、昭和56年には県宝に指定され、

平成19年には、国の重要文化財に指定されたそうです。   

講堂内部のシャンデリア・地窓金具は戦争時に供出されなくなってしまったそうですが、

シャンデリアは写真・地窓金具は設計図等を基に復元、平成13年には講堂全体の修復工事が完了したそうです。 

 二階に上がる階段も素敵です。  二階からは、講堂を見渡せるようになっています。

   

本館・正面。     本館の修復工事は、平成17年に完了したそうです。

復元された校長室。 復元された教室。

ラスの定員は40名だったそうで、教室は二階を会せ15教室有ったそうです。 

 復元された教室は一つ、そのほかの教室は、

38回の長野県高等学校美術展の準備をする生徒さん達で賑わっていました。

中庭。  ヒマラヤスギ・球果・雌花。
   

庭の入口に、門柱が復元されていました。  

 学校の出入り口は5ケ所あったそうですが、正面以外は取り壊されてしまったそうで、

その一つを中庭入口に復元したものだそうです。

校舎の周りには立派なヒマラヤスギが植わっています。 

 二代校長が大正10年にヒマラヤスギを植樹したものだそうで、樹齢もそろそろ100年近くなるのかもしれません。 

 現在は59本あるそうです。   雄花・1011月頃開花。

ヒマラヤスギは杉ではなく松の仲間だそうで、雌雄同株で、球果が熟すには1年〜数年かかるそうです。

   
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