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二十九番・丹後国青葉山松尾寺・馬頭観世音菩薩。  いくつかは、説明の札も残っています
 
参道左の崖の上に、西国三十三観音が並んでいます。 

三十三番・美濃国谷汲山華厳寺・十一面観世音菩薩。

三十一番・近江国姨綺耶山長命寺・千手十一面聖観音。

二十七番・播磨国書写山圓教寺・六臂如意輪観音。 

 
建福寺には、作者のわかる石仏が
45体ほどあるそうです。

三峰川は多種の石が取れるところだそうで、

石材とされる安山石、高遠石と呼ばれた閃緑岩が多くとれたそうです。 

 高遠ダムの直下には閃緑岩の採石場があったそうです。  

 江戸中期の藩主が内藤氏になって石工は産業振興の一つとされ、

技術集団として全国で活躍する様になり有名になったそうです。 

  その中でも有名だったのは守屋三代・父孫兵衛、祖父貞七、貞治だったそうです。  

貞治が造った石仏は生涯で
340体ほどだそうですが、

各地にある三十三観音を見ると、もっとありそうな気にもなります。  

 ここ建福寺の三十三観音は、貞治・
50代の時の作品だそうです。 
伊那市創造館:  

最後に訪れたのは、伊那市内にある創造館です。  

 市の中心地近くにあり、旧市街の細道を探しながらやっとたどり着きました。 

  敷地は結構広いですが、残念ながら駐車場は有りませんでした。 

 創造館は昭和5年に辰野の製糸家・武井覚太郎翁の寄付により創建された、私立図書館だそうで、

施設の老朽化も進み市立伊那図書館が、新設されたので、2003年に閉館されたそうです。 

 建物は、片倉館が造られた2年後ぐらいに、片倉館を担当した森山松之介氏の基本設計で、

コンクリート建築の先駆けとなった黒田好造氏の実施設計で建てられたものだそうです。

  今見ても、斬新で素敵な建物です。 

 伊那地方で唯一の昭和初期の建物で、かつ洋館だそうで、伊那市指定の有形文化財だそうです。 

  そこで、この文化財の保存と活用を目的に、

平成22年にリニューアルオープンしたのが、伊那市創造館だそうです。

今回案内して下さるのは、捧館長。 

 捧さんは、創造館がオープンするにあたり、全国公募に応じて館長になられたそうで、

いろいろと企画推進されている様です。 

  不折は、洋画家としての活躍が知られていますが、それは40歳で帰国してからの活躍で、

それまでの活躍と生活の支えとなっていたのは、当館で取り上げている、

正岡子規と出会って以降の新聞・雑誌等の挿絵だった様です。

書は生涯を通じての趣味だそうで、中国の書の収集家としても有名で、

71歳の時には収集した書道資料を保存・公開するために書道博物館を造ったそうです。 

 不折の書は、そんな中から生まれてきたものの様です。 

 額がいろいろ展示されていました、地元の学校に掛けられていたものだそうです。

   

商標のデザインも手掛けていた様です。 

 テーブルの上には、不折の挿絵の載った本がありました。 

 漱石・吾輩は猫であるの挿絵は帰国した年・40歳に書かれたそうで、3点描かれているそうです。 

 本の袋とじにビックリ。

   

カメラもまだまだの時期で新聞のイラストは、重要だったようです。

さすが、旧図書館、不折の手掛けた本や資料も豊富の様です。

書庫・本は8万冊以上あったそうですが、整理して今も2万冊以上の蔵書が保管されているそうです。

天井は、空調・火災警報装置等、リニュウアルで追加されたのか、

ちょっと無粋ですが、素敵な柱は残っていました。  

階段も以前は螺旋階段だったそうですが、エレベータが追加され、階段の柱だけが残っていました。

   
御子柴遺跡石器・旧石器時代・国重文。   顔面付釣手方土器・国重文。

図書館というイメージにはあいませんが、遺跡の出土品の展示がありました。 

 入口正面には、顔面把手付大深鉢・市有形文化財がありました。 

 赤ちゃんのうまれる形の出産土器だそうです。

小鍛冶原遺跡石器。 

御殿場・富県・遺跡・顔面付釣手方土器・国重文。

笹離宮の縄文住居入口に、レプリカの顔がぶらさがっており、

何時か本物を見たいと思っていましたが、ここで出会えるとは、ちょっとラッキーでした。

   

もう一つの展示は、幕末の俳人・井月の資料が展示されていました。 

  伊那谷を中心に、杖と瓢箪入りの酒を下げて放浪し、

何時も酔っぱらっているので女子供には乞食井月と呼ばれていたそうですが、

書もうまく何時も漂白の中での俳句を志していたそうです。 

 晩年には、句集もだしているとか。 

  書では、神社の奉納額を揮毫したものも幾つかあるそうです。

外に出て、建物の説明もしていただきました。 

 壁に張られたタイルは、高遠焼きだそうです。  

庭に有った銅像は、武井覚太郎翁、顔面付釣手土器のレブリカもおかれていました。

右の絵は、横山コレクションの作品。   下諏訪・不二屋さん、上の富士のマークも不折?
   

久しぶりに横山先生も参加を予定しておられた様ですが、体調すぐれずお休みとなりました。 

 当初は、横山コレクションも見せていただこうかと、企画された様ですが、

残念ながらまたの機会になった様です。  

 下諏訪の不二屋さんもだいぶ前に店じまいをされた様ですが、看板だけは残っていました。

   今回は、紅葉には少し早かった様ですが、気温も上がり良い陽気の中、

伊那谷の文化にたっぷりと浸ることの出来た一日となりました。  

 また、今回訪れた建福寺さんは、マリオ倶楽部でも第3回の時に訪れていますが、

なんとあれから13年たったことになります。  

月日のたつ速さにもびっくりです。  感謝!! 感謝!!

   
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