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入口の4個の踏み石は鞍馬石。 

 最初の大石は左が薄く剥げていますが、鬼皮というのだそうで、

月が満ちて欠けるという、完成しないことを表しているのだそうです。

金壌玉竹の間から水音が聞こえます。  

竹越しに見る龍頭の滝だそうです。 

 踏み石最後は鎌石。 

 正門内側の空間は、外路地と呼ばれるそうです。  

 
   

道・延段はあられこぼし()に変わり、外露地と内露地の結界となる中門・梅見門へ続きます。

  門は杉皮葺の屋根を細竹で抑えた切妻屋根の腕木門だそうです。

  柱の節は彫り上げたものだとか。 

 垣根は四っ目垣・屋根があるのは竹の節に水が溜まるのを防ぐものだそうです。

内露地に入ると延段もバラバラな大きさの石が並んだ草の延段に変わります。

  正面には茶室・箬庵、左手州浜の向こうには、待合の翠陰があります。

翠陰へは、真黒石の行の延段を行きます。 

 茶棟に入る前の身支度を整える場所だそうで、園内のトイレもかねています。

  数寄屋とは、茶室の事だそうで、安土桃山時代から始まった、

風流に好みに任せて作った木造軸組工法の建物の事だそうです。

   

翠とは、カワセミの雌の羽の事だそうで、障子を閉めておくと、

夕方にはカワセミの様に青い笹の影が障子に映るので翠陰としたそうです。 

 窓の前の焼き物は、浪に映る月を切り取ったものだそうで

・波の形、掛川備前焼きの陶芸家・上村直也氏の作品だそうです。  

鉢に植えられた笹がありました、インドネシアのバンブー・メロカンナバクシフェラ

で株立ちになるのが特徴だそうで、竹にも笹にもあたらないそうです。 

 笹は稲科ですが、これは48年に一度花を咲かせ、洋梨の様な実を付けるそうです。

 
   

日本最小・オロシマチク。 チゴザサ。

前景は琵琶湖だそうで、湖は福岡県於呂島のオロシマチク、州浜はチゴザサ、先端にあるのは岬灯篭。

  笹の根は広がりやすく、堺には60cm程の仕切りを設けてあるそうです。 

 笹の手入れは大変で、庭の手入れが追い付かず、笹を枯らす方法を聞かれることもあるそうですが、

光合成を止めれば良く、一面シートで覆うのもつらいので、芽が出たらさっさと刈り込むのが一番だとか。 

 田中さんは、笹を育てる所で、枯らすことを聞かれるのはちょっと辛いと笑っておられました。

数寄屋造りで廂が長いのは、室内に静けさを呼ぶためだとか、

その先に御簾があるのは、目線を下に向けるためだそうです。

  異形の梁を見事につないだ肘木、足元には釘の打たれた所もありますが、

釘も和釘で鍛造から始めたものだそうです。

手洗い場の天井はサワラの網代天井。

待合室入口の四方竹・(四角)の結界。
 
園内には、故安井清氏が集めた灯篭が
11基置かれているそうです。 

箬庵・茶室。  

 数寄屋造りの知恵を表現するには、やはり茶室が欠かせない様です。

箬庵へは、真の延段を通り最初に、左の主客を迎える正席、そして右に御付の方達の入る従席へと続きます。

真の延段の左右に竹の植込みがありました。  

御所清涼殿東庭にあるのは漢竹と呉竹、呉竹の方は布袋竹に変わったとか。 

 ここにあるのは、右が呉竹、左は漢竹は寒さで育たず、矢竹にしたあるそうです。

入口の灯篭は、三光(日・月・星)の描かれた三光灯篭、低い灯篭で足元を照らすものだとか。

正席・方丈で卍型に並んだ立礼の茶会の席になっています。 

 西側の庭園は、白虎にちなんだ白の枯山水。

石庭の奥は大津垣、右手手前は光悦垣だそうです。

従席・柱は黒い斑点(カビ)のある錆丸太。 

正席の天井。 柱・垂木は北山杉の磨丸太。 

 入口近くの席、上席は奥の席で、南面に向かった席だそうです。

中央は水屋。 

釿の跡・遊び心だそうで、クズシとクズレは違うそうです。

廂に穴、アカゲラのいたずらだそうです。

建物は、百年は持つそうですが、山の中悪戯ものも居るので、維持も大変そうです。

大きく開いた小舞の窓、壁用はもう少し目が細かいとか。
   
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