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皆さん、お気に入りの店を探しながらしばしハルニレの新緑の街を散策。 

   さっそくお買い物をされた方も居られたようです。

春楡は春に赤い花をつけるそうですが、秋楡といつて秋に花をつけるものもあるそうです。  

 ここには自生した100本を超える春楡があるそうで、

春楡の木に合わせて9棟の建物をウッドデッキでつないであるそうで、

デツキや手すり、そして照明も自然に溶け込む形でデザインされており、

2013年には土木学会の最優秀デザイン賞も受けた所だそうです。

昼寝デッキ。

昼までにはまだちょっと時間があるので、一足先に野鳥の森の方まで出かけてみることにしました。 

  ハルニレテラスからは、ウッドチップのしかれた素敵な散策路が続いていました。

しばらく川沿いの道を行くと、星野温泉の看板の所に出ます。 

  右に曲がり少し行くと、午後の集合場所のピッキオビジターセンターがあります。

星野リゾートの発祥の地となった星野温泉は、大正4年の開業だそうで、

草津温泉に逗留した人が仕上げの湯として利用したところだそうです。 

 大正時代の文豪・芸術家も集う場所だったそうで、

北原白秋・島崎藤村・与謝野晶子もつかった美肌の湯だそうです。 

建物は新しくなり(2002)、ハルニレテラスの建物と同じ様な雰囲気の造りでした。

湯川にかかる橋のたもとから、星のやへ続く道の所に与謝野晶子と与謝野鉄幹の歌碑がありはした。

  湯川の橋を渡りしばらく行くと星のやの正面へ出る橋があり、

その前に野鳥の森の看板と中西悟堂の銅像と歌碑がありました。 

  川沿いの道をしばらく行ってみましたが、鳥の声はすれども姿は見えず、

やっとアカゲラに出会ったところで時間切れ、食事所をさがしに戻ることにしました。

ちょっといっぷく:村民食堂

午後の集合場所・ピツキオビジターセンターの近くに村民食堂という食事所がありました。

  沓掛村の住民は随分とお洒落な様で、村民食堂も名前に似ず随分とお洒落なレストランでした。 

  マリオクラブの皆さんは、どうやらハルニレテラスでお好みの食事所を見つけられた様で

ここまで来られた方は居られぬようでした。 

 村民食堂の前には色とりどりの巣箱が下がっていました。  

 この巣箱は、実際に鳥が入るのではなく、上の蓋をあけると中には、

鳥に関するいろんな説明書が入っているそうです。

軽井沢野鳥の森:ピッキオビジターセンター

午後からは野鳥の森ネイチャーウォッチングということで、案内をお願いしたピッキオビジターセンターさんの前に集合です。

  Picchioはキツツキのことだそうで、ここピッキオセンターは星野グループの運営ですが、

東邦大学理学部との共同研究で野鳥の森の生態系の解明にあたっているのだそうです。 

  このあたりは浅間山の天明(1783)の大噴火で一度生物も全滅した比較的新しく出来た生体系の場所だそうですが、

熊も生息しているとかで熊注意の看板もありました。

今回案内してくださるのは、東さん。 

  コースの説明の後で、双眼鏡の使い方を教わります。 

  このあたりは標高1000mほどで、コースは一周約2kmのコースだそうです。  

 最近は鳥達も子育ての季節に入り、昼間は鳴いている鳥も少ないし、

木の葉も開いてきており鳥の姿も見ずらくなったそうです。

湯川を渡る橋のたもとにサクラソウが咲いていました。

 サクラソウは軽井沢町の町花にもなっているそうです。

道端に面白い標識がありました。 

 これもピッキオで作ったものだそうで35月は蛙の横断が多いそうです。

やがて野鳥の森の入り口に到着、そこには昭和の初期に文学者であり詩人でもあった中西悟堂氏の胸像がありました。

 中西氏は日本野鳥の会を創立(野鳥という言葉も作ったとか)、探鳥会には北原白秋・柳田國男等も参加したそうです。

  昭和中頃・1974年には星野に隣接する国有林が全国初の国設野鳥の森に指定されたそうです。

   ちなみに、日本三大野鳥生息地とされるのは軽井沢・奥日光・富士山麓だそうです。 

 歌碑は昭和54年、胸像は昭和61年に作られた物だそうです。

トンボ池(冬はスケートリンクにもなるとか)

トンボ池にはまだトンボは居ませんでしたが、シュレーゲルアオガエルが鳴いていました。 

 シュレーゲルアオガエルは土の中で鳴くので姿は見えないとか、

この地に増えてきたのは8年ほど前からだそうです。

  モリアオガエルは居ないそうです。

 
 
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