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入口近くに有った天満天神宮、天神と彫られた石が出て来たそうです。   三沢さんに説明して頂きました。

道祖神・市指定文化財が6基並んでいました。   あちこちから集められたものだそうです。

中には、珍しい幸之(さいの)の文字碑もありました。   さすがに蚕の町、明治に地元有志が勧進したものだとか。

第六天碑は辻に建てられていたそうで、台石には左飯田道とありました。   

 宗良親王御旧蹟地の碑。 この文字は、渡辺家三大臣の三男・千冬氏の書いたものだそうです。

神社左側の参道にも摂社が並びます。  金山神社。 

金刀比羅社と神宮社。 江戸時代の祠だとか。

 

まず、皆さんお参りしてから拝観させていただきます。  唐破風の軒の十六弁菊と鳳凰。 

 拝殿は江戸時代中期に大隅流の棟梁・山田清五良信金、彫物は伊藤儀左衛門の作だそうで、

白木造りの彫刻を多様する建物のはしりの建物だそうです。 

  造りは諏訪大社と同じ御門屋という、中央の幣拝殿の背面に遙拝用の扉がもうけられる形式だそうです。

   建物は、宗良親王が合祀される様になってから大きくなったのではとの事でした。

   
拝殿の妻飾。 縁下の組物と彫刻。 
   
   

本殿は、江戸中期・拝殿より以前に大隅流の棟梁・山田清五郎によって造られたものだそうです。

  一間社流造りと小ぶりですが、当時の本殿はこのぐらいが主流だつたのかもしれません。

  本殿の方は、一層宗良親王かしのばれる造りになっているそうです。  

 江戸時代に柴宮の別当寺だった平福寺の阿弥陀堂には、

正八幡宮の本地仏で宗良親王護持仏の阿弥陀如来座像が有るそうです。

   
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