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光寺大本願:浄土宗大本山  

本願は、飛鳥時代に皇極天皇の御発願により善光寺が創建された時、

天皇の御状代として大臣蘇我馬子の姫君を遣わされ守護にあたったのが始まりだそうで、

代々公家出身の尼僧寺院として続いて来たものだそうです。

 そして、大本願住職尼公上人が善光寺上人となったのだそうです。 

 上人号は宮中から賜った称号で、以前は伊勢・熱田・長野の三上人が居られたそうですが、

今続いているのは、ここ善光寺だけだそうです。 

 江戸時代になって、徳川家康により大本願を歴代住職とし、大勧進は経理を担当する事になり、

明治になって大本願は浄土宗となったそうです。  

 戦国時代には善光寺も戦乱で焼失、本尊も時の権力者によって、各地に移された事もあつたそうですが、

大本願の尼衆は本尊について移動したのだそうです。

最初に明照殿に案内されました。 

 明照殿は大正3年に119世大宮智栄上人の晋山記念に建てられたものだそうですが、

現在の建物は平成20年に再建されたものだそうです。 

 中には、大きな本田善光が一光三尊像を背負った像が有りました。 

  一光三尊像はインドから朝鮮に渡り、百済の聖明王から献上されたものだそうで、

それが後に排仏派の物部氏の手により、難波の堀江に投じられていたのを、

信濃の人・本田(ほんだ)善光(よしみつ)が背負って信濃の招来したものだそうです。 

 ですから、寺の名前も最初はよしみつ寺だつたのが何時のまにか、ぜんこう寺となったのだそうです。 

  次に大本願の宝物殿に案内していただきました。   地蔵菩薩像  木食上人作。

階段を降りた所に、鎌倉時代の善光寺の模型がありました。  場所も向きも今とは違っている様でした。

皇室の御遺品。  和宮の御遺品、菊と三つ葉葵の紋が並んでいます。

広目天像・運慶作(県宝)
本堂の本田三卿像

位牌堂・檀家は無いそうですが、宗派に関係無く位牌はあずかるそうです。                       

善光寺仁王門:

 
  大黒・弁財・毘沙門天の合体した三面大黒天。 

大本願を出て少し行くとね仁王門があります。  明治24年に焼失し大正7年に完成した門だそうです。

  仁王像は、高村光雲・米原雲海によって、1年遅れて完成したそうです。 

  通常の寺と違い、阿形の像が向かって左にありました。 

 仁王像の後ろには、同じ作者の三面大黒・三寶荒神像がありました。

仁王門を過ぎて、仲見世通りの中ほどまで来た所に、延命地蔵がありました。 

 この辺りは、善光寺の旧本堂・如来堂が有った所だそうで、釈迦堂へ向かう道が参道だったそうです。

  現在の地に変わったのは火災の類焼を避ける為だったそうです。

参道の敷石は、7777枚あって市指定の史跡になっていました。 

 六地蔵・戦時中に供出され、現在のものは昭和29年にに造られたものだそうです。 

 右端の足を下げたのは、地獄、隣か餓鬼・畜生・阿修羅・人・そして赤子をだいたのは天だそうで、

六道の人を救う仏だそうです。

光寺大勧進:天台宗大本山
善光寺を守るもう一つのお寺が、大勧進です。   まずは大門が迎えてくれます。

  江戸時代・立川流初代・立川和四郎冨棟の円熟期の作品だそうで、
10万石の格式があるそうです。 

 大勧進は、以前は時宗の僧集団で戦国時代の本尊不在の時も寺地を守っていたそうです。 

  秀吉の死の前日に本尊は、信濃に返され、徳川家康によって、大勧進は経理を担当する事になり、

明治に入って宗派も天台宗となったのだそうです。 

 大勧進の住職は貫主と呼ばれ、天台宗総本山の比叡山延暦寺から推挙されるのだそうです。

本尊・善光寺如来。

善光寺御開帳の時の前立本尊も大勧進に安置されているそうです。 

 宝物殿には、武田信玄・上杉謙信の位牌もあるとか。 

大勧進本堂・萬善堂。 

善光寺三門:重要文化財
江戸時代に造られた楼門で、楼上には文殊菩薩騎獅像と四天王立像が祀られているそうです。
善光寺本堂:国宝
本堂は、徳川幕府が松代藩に命じて造ったものだそうです。 

 そのせいか、御開帳の回向柱は松代の担当だとか。

善光寺には、寺よりも神社で見かけるものが幾つかあるそうです。 

 唐破風の屋根、四本柱の狛犬、御百度詣数取。

本堂は屋根が特色で入母屋造りの屋根をTの字に組み合わせた、

撞木造りの建物で、木造建築としては3番目に大きいものだそうです。 

 内内陣の瑠璃壇には左側が本尊で、開山の祖とされる本田三卿が右側に並んで祀られているそうです。 

 内陣の欄間には来迎二十五菩薩、実際には26体あるが、そのうち1体は楽器を持たず合掌しているのだそうです。 

 左の区画の誰も乗っていない蓮台は、善光寺に御参りした人が、

極楽へと旅立つ時の為に用意されたものだそうです。

  最後に戒壇めぐりを全員無事に済ませて、見学もお開きとなりました。

善光寺経蔵:重要文化財

帰りの駐車場へと向かう途中に、経蔵がありました。 

 これも江戸時代に造られたものだそうです。 

 宝形造りの建物で、中には八角の輪蔵があり、中には鉄眼黄檗版一切経が納められているそうです。 

ひな祭り:

帰りのバスも順調で、途中姥捨のサービスエリアで一休み、皆さん買い物は長野で済まされている様で、

トイレ休憩だけでスタート、予定時刻には無事にマリオさんに到着できました。

   マリオさんでは、会員の方が制作した吊るし雛も飾られており、甘酒も用意して下さいました。  

 皆さん、甘酒をいただきちょと早い、ひな祭りを祝ってのお開きとなりました。   

今日の旅も、普段は本堂に御参りするぐらいで通り過ぎる、善光さんの勉強もたっぷり出来、

多少は古の善光寺との対話も出来た気分の一日となりました。   感謝!! 感謝!!

   
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