3/3
ちょっといっぷく:鉢伏山 

お参りの後は、前の広場で昼食という事になりました。  

 会長さんの背負いあげて下さったビールでまずは乾杯。  

アルプスはまだ雲の中ですが暖かく、今日は前方の展望台の人影も絶えない様です。 

 鉢伏神社には、蔵王権現が牛伏権現・鉢伏大権現として祀られており、

麓の内田の人達は春には農耕の神として山を下り、冬には山に帰って山の神となる、

雨乞いの神として祀られているそうです。 

 松本側では、この石造群も鉢伏神社の近くにあり、神社境内の物と考えた様ですが、

石造物はみな、諏訪側を向いており元々、

岡谷側の神として造られたものとの主張とぶつかつた事が有ったそうです。

  また、ここ筑摩山地の西側は、自然の流水だけでは水不足の所もあり、

水利権でももめた事があるとか、分水嶺は地域の境界線でもあり

、尖閣島ならぬ領土問題の発生地でもあった様です。

 

 

食事を済ませた所で、小井川の石仏を見に行こうという事になりました。 

 いよいよここからがミステリーツアーの始まりです。 

 うっすらとある道をたどって行くと、岡谷市最高地点の碑がありました。 

 鉢伏三角点より高い、横川山山頂かもしれません。 

 ナギナタコウジュ。ウメバチソウ。

ここから先は道もとだえ、前に見える目的地に向かって急坂を一気に下ります。

   

通称サネヤマと呼ばれるガラバの上に、お目当ての石造はありました。  

 このガラバには、昔はコマクサが自生していたそうですが、いつの間にか絶えてしまつたそうです。

お目当ての石仏は、怒髪三面三目六臂の猪に乗った摩利支天でした。 

 摩利支天像は元は陽炎の神で女神像だったそうですが、

武士の間の信仰が広まり、このような勇ましい姿となつたそうです。 

 法華経行者の守護神でもあったそうで、先生によるとこの像を背負いあげたのは、

背負手を神に祭り上げ、ウチワ太鼓で囃しながら横川を登ったそうですが、信者の方達だったのかもしれません。

  後ろには、文字も薄くはっきりとは見えませんでしたが、慶応元年六月・大願成就とありました。

伏山荘。

ケ原・三城牧場の上の王ケ塔と左・王ケ鼻。

  帰りは、二つ山への道へ出て山を下ります。 

 この辺りには、白花のヤナギランも有ったそうです。

谷間に見えるのは庚申塔かな、入山辺村大和合・明治十七年申年の文字が見えます。

最後に水源のトリカブトの大群を見て駐車場に到着です。 

山荘の屋根には、岩ツバメの大群がいました。 

 先生によると、イワツバメはとっくに帰っても良い時期を過ぎているそうですが、

今年は暖かいのでまだ山を下らずにいるそうです。

牛伏川階段工:国重要文化財

牛伏寺の参道を登り、牛堂の前で道を谷側に向かって行くと、本日の最後の目的地牛伏川階段工に出ます。

  東山橋を渡った所にかなりの広さの駐車場があります。 

 階段工は、今年の7月に国の重要文化財に指定され、人気ものになった様で、駐車場も結構賑わっていました。 

登録有形文化財だつた頃の碑、まだ重要文化財に変更されていませんでした。

 展望橋を渡って、階段工の周りを散策します。

階段工は、明治18年に始まった牛伏川砂防工事の仕上げとして、

河川勾配が急な部分にフランスアルプスのサニエル渓谷の工事を参考に、

141mの水路に19基の床固を持つ、床固工空石積三面張水路として

大正5年から2年かけて完成した日本で最も美しい砂防施設だそうです。  

 途中で一服、冷えた杏仁豆腐のおやつをいただきます。 

  ウバユリとノシメトンボ・アキアカネより一回り大きいかな。

イブキボウフウ。  キツリフネ。 この辺りも先生の教材は豊富です。

階段工最上部の飛び石を渡って駐車場へと戻ります。 

 この上にもまだまだ見ごたえのある石積が続きます。 
         
ちょっとよりみち:唐柩石古墳

牛伏寺を下った所にある、JA松本ハイランド・ファーマーズガーデンで野菜のお買い物。 

 このあたりも蕎麦畑が増えた様です。   今はちょうど花盛り。

最後は、この所雨が降らないので、先生が生育を心配されていたヒカリゴケの様子を見て帰る事になりました。

 唐柩石古墳の周りは、所有者の方が草を刈って下さった様できれいになつていました。 

 お目当てのヒカリゴケの方もすこぶる元気の様でした。  

今日の歩数は11000歩だったとか、いろいろより道もしましたが、

無事予定時間の4時には、マリオさんに帰宅出来ました。  

 今回は、自然に歴史にさらには領土問題にと、いろいろと考え深い一日となりました。

 
  目次へ・・・次ページ・・・・戻る