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旧御射山遺跡:長野県史跡

神社の木陰で一休み、近くの小川の冷たい水で喉をうるおします。 

 一息ついた所で、先生に御射山祭の話をしていただきました。 

 御射山祭は、上社は8月26,27,283日間、下社は827,28日に行われますが、

ここ旧御射山は、下社・金刺大祝の管轄で平安・鎌倉の頃は最も盛んでここ旧御射山で826日から30日まで、

御狩神事が行われたそうです。 

 室町時代中期に、金刺氏が諏訪氏に追われる事で衰退し、

江戸初期には御射山も現在の御射山に移動してしまったそうです。 

 向かいの山の段には、穂屋を造り、小笠懸、相撲、草鹿、武射競馬等を奉納したそうです。 

 現在は、2歳の子供の厄除けにドジョウを放流しますが、

本来は虚空蔵菩薩の使いのウナギを放流したものだそうです。

   
アカバナシモツケソウ。 

御射山祭は、山宮である国常立命・本地仏・虚空蔵菩薩の祭りで上社の原山神社には虚空蔵碑があり、

原村八手には虚空蔵堂もあるが、旧御射山には虚空蔵は有るのかと先生が探した所、

虚空蔵を示すものを見つけたということで、案内していただきました。 

 別の道を再度上って行くと、大きな岩の上に史跡を示す碑が建っており、

そのちょっと上に、史跡指定の教育委員会の看板がありました。 

 その左端に、金刺氏滅亡後に下社の祝をついだ、武居祝家所蔵の旧御射山図があり、

鎌ケ池のさらに西に虚空蔵がありました。      ハナチダケサシ。

 
ギンボシヒョウモン。 サカハチクロナミシヤク。

湿原の向こうに、123回のマリオ倶楽部で訪れた男倉がみえます。  

 古地図によると、虚空蔵は男倉のあたりにも見えます。

旧御射山競技場跡碑。     ヒメウラナミジャノメ。 

 
   
七島八島。  このあたりは行列状態。

色んな自然を楽しみながら、無事に八島湿原の展望台に到着。 

 会長さんが、冷たいスイカを割って待っておられました。  

 冷え冷え・甘々なスイカで暑さでバテ気味な体も目をさまします。 

 そういえば、近くに大元尊の碑がありました。 

 大元尊は国常立命、まさに虚空蔵碑となりますが、こちらは昭和15年に造られたものですが、

前からここに碑があったのか、男倉が虚空蔵碑か等色々と、古に思いをはせる事の出来た一日でした。

  前回に訪れた、下仁田の諏訪神社の梶の足は、5本でしたが、

金刺氏が諏訪氏に追われた後に信玄の配下であった事を思うと、

金刺氏の影響があったのかな等色々と思いがめぐります。 

 会員の方によると、今回の歩数は13000歩だったそうです。

   
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