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近戸神社:町文化財  

        

境内にはもう一社素敵な社があります。 

  諏訪神社本殿より3年ほど前に、諏訪神社本殿を造った矢崎善司昭房が旧東箕輪地区に造ったものだそうで、

その出来栄えがすばらしかつたので、諏訪神社の方も造ることになつたのではと言われているそうです。 

  ここに移されのは、近年になつてからだそうです。 

 近戸神社は、千頭神社、千鹿頭神社とも言われているそうで、

千鹿頭神社なら建御名方命の御子神・内県神・狩猟の神を祀ったものかもしれません。

  案内いただいた桜井さんによると、火の神だとか言っておられました。 

 昭和になってからは、蒟蒻の不況脱却を願って、蒟蒻大黒天を祀って118日にお祭りをやるそうです。

扉の麒麟は左が欠落してしまった様です。

胴羽目の彫刻。

海老虹梁の龍の彫刻。

小さいながらも確りとした造りになっています。

巖淵山普賢院龍栖寺:真言宗  

神社の境内から見ると隣に寺紋に一本梶の付いたちょっと気になるお寺がありました。 

 江戸時代に諏訪神社の別当寺として開山したお寺だそうで、

明治の神仏分離までは諏訪神社の祭事を取り仕切っていたそうです。 

 別当制度が廃止されてからは、真言宗の寺として独立し、

明治8年からは下仁田学校仮校舎として使われたこともあったそうです。 

  龍栖寺の庫裏は諏訪神社弊拝殿の1年前に、弊拝殿の作者・矢崎善司の次男・房之進昭房が造ったそうですが、

これがその建物なのかは確認できませんでした。

時間が無かったので、ちょっとだけ覗いてみました。 愛染明王碑。

 道はさらに奥の広場へと続いているので、ここが山門だったのかもわかりません。

山門を入っても、建物の入口は見つかりません。

 入口を探すには、さらに奥に行く必要がありそうで、ここで時間切れ建物の正体がわからぬまま駐車場へと戻ります。

諏訪神社には、御柱は有りませんでしたが、ここでは10月には秋季例大祭が行われ、7台の山車が出るそうです。

  神社の前には「な組」・中町の山車小屋がありました。 

 見物人は今の所まだまだ地元の人が主だそうです。

ちょっといっぷく:常盤館

 

今日のお昼は、地元下仁田の常盤館さんで、蒟蒻料理のお弁当をいただきました。

常盤館さんは、商人の宿として大正元年に創業したそうで、ここでちょうど100周年になるとか、

宿の4代目若女将の説明を聞きながら美味しく食事をいただきました。  

 ここには、昭和初期に竹下夢二も訪れたとか、竹下夢二の絵も展示されていました。 

大崩山の前を流れる鏑川、このあたりでは諏訪からの中央構造線が走って関東を通り、

茨城沖へとぬける所だそうで、前方の淵のあたりには一部が露出した所があるそうです。

午後からは、蒟蒻の製造工程の見学出来る所・下仁田こんにやく観光セーが、

西上州やまびこ街道ぞいにあるということでそこを見学して帰ろうということになりました。

センターの方に案内していただき工場見学、ISO取得後は衛生上見学通路からガラスごしの見学になったとか、

肝心の製造工程は良くわからず、最後の袋詰め工程だけがちょっと見えただけでした。   

見学の後は、さっそく工場脇の売店でお土産の調達。  

人気のこんにゃくコロッケは、注文を受けてから揚げてくれるので、

最後の人までは時間切れでいきわたらない様でした。

帰り道は、このまま脇街道を内山峠へと向かい、富岡街道へ出て帰ることになりました。 

 途中、蒟蒻畑や荒船山の高さ200mの岩壁・艫岩を眺めて内山峠を越えて長野県へと入りました。 

  長野県に入った所で雨もポツポツとあたりだしましたが、本格的な降りにはならずに、

時間も行きの上信越自動車道へ出て帰るよりも早く通過出来ました。 

  途中、茂田井宿の農んき村で最後のお買いもの、

ここでの人気商品・タケノコをたっぷり仕入れてお土産一杯の帰宅となりました。

   

 

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