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旧岡谷市役所庁舎。

岡谷街道を旧岡谷市役所庁舎までやってきました。  

この建物は、昭和
11年の市制施行に合わせて、製糸家の尾澤福太郎氏が寄付したものだそうで、

今でも耐震基準を満たしているしっかりした建物だそうです。 

 高天酒造は明治4年の高橋巳喜之助氏の創業だそうで、高天は、祖先の戒名から取ったものだそうです。
小口薬師堂:
   
小口薬局さんの薬箪笥。

小口薬師堂は、第54回にも一度訪問した事があります。

   

薬師堂は、立川流二代目富昌の60歳の時の作品だそうで、市文化財にも指定されています。

堂内の逗子には、本尊の薬師瑠璃光如来が、脇侍の日光・月光菩薩と十二神将が祀られていました。  

台座のへこみは、コンポータの跡だそうです。         境内の古い石像群。

   

銀座の石造群、岡谷街道に有ったものだそうですが一本奥の古道に移されたそうです。 

 そんな古い道もすぐ先で消えています。  

 東銀座一丁目の信号をちょっと進んだ所にちょっと広くなった三角地があります。 

 中山道との別れ道だそうで、ここには一里塚が有ったそうです。 

 今は道路整備で一里塚は、ちょっと先の庭に移されたそうです。

しばらく行くと横川にぶつかります。

堰の隣に対岸の中山道。   横川の土手を行くと、看板が出ていました。

ここには、霊木とされた樹齢300年を超す二股のコブシの木が有ったそうですが、今は若い木が植わっていました。対岸の道。 

 東部中学校の前を通って、芝宮の裏へと出てきます。

結構細い道の所もあります。 

神の木:陽気木  
   

樹齢千年以上と思われるケヤキの木がありました。 

 陽気木と言われ、春の芽吹き、やキノコの出来具合から、その年や翌年の豊凶を占ったそうです。 

  木は市の天然記念物に指定されていました。

木の芯はすでに枯れて空洞になっており、別の木が中に育っていました。

十四瀬川に近づいた所がちょっと広くなっており、午前の部はここで終了。 

 バスでマリオさんへと戻ります。   

ちょっといっぷく:ライフプラザマリオ
昼食は、マリオさんにもどり、春の香りただよう昼食をいただきます。  

まずはビールで、乾いたのどをうるおし、先生の先日出かけた中国の土産話を楽しみながら食事をいただきます。

食事の後は、会員の方々の苦心作のつるし雛を眺め、午後からのスタート地点へと向かいます。
 

午前の部のゴール地点までバスで行きそこから出発です。  少し行くと十四瀬川に出ます。

  そこには、新しく中山道の碑が立っていました。 

 ここまでは案内板もほとんど有りませんでしたが、ここからはあちこちに案内板が出て来るようになりました。  

やがて砥川に到着です。  ここにも、しっかりと案内板が出ていました。      

砥川を越えて少し行くと、矢木先大門の石灯篭に到着です。  

 この灯篭は、江戸時代に山田金右衛門によって造られたもので町の文化財にも指定されているそうです。 

  諏訪湖の灯台の役目もはたした事があったとか。 

 旧中山道との接点でもあり、道の拡幅でちょっと脇によせられたそうです。

移転の折に付けられたのか、新しい獅と台座の梶の足が四本なのが、ちょっと気になりました。 

魁塚:

ここまで来るとゴール近くの秋宮も良く見えます。 

 御柱街道を行くと、最近改修されたのかちょっとレトロな家を発見、よってみました。   

これも街道に合わせて整備されたのかもしれません。

色んなものが展示されていました。  春らしく、せりは売っていましたが、展示館なのかもしれません。

相樂塚とも言われるそうで、江戸城総攻撃の為東山道総督軍の先鋒となつた赤報隊が官軍から租税半減の認可を得、

それを旗印として進軍したが、新政府内の朝議が一変・租税半減は無かったものとして、

偽官軍として相樂隊長以下幹部8人を処刑して、ここに曝し首にしたのだそうです。 

 明治3年に知るものが維新の魁をした人として碑を造り、昭和3年には無実も判明されたそうです。 

道は国道20号線に出て、大社通りの坂を上って、ついにゴールに到着です。

わたの湯前の、甲州街道との合流地点。  街道の合流地点が残っているのは少ないそうです。

  ちょうど、地元の新聞記者の方が居られ、インタビュー。 

 皆さん、ちょっと緊張気味かな。  

予定より早く到着したので、旧中山道はここまでですが、

新旧で使われた中山道を春宮まで行ってみる事になりました。

温泉街のはずれにある番屋跡。 

町の整備は大分進んだ様で、観光客の姿は見当たりませんでしたが、

新しく整備された看板や石碑があちこちで目に付く様になりだいぶ雰囲気が出てきたかなという所です。

今井邦子文学館も、観光客の姿は有りません。  

 鉄鉱泉さんで、お茶を飲んでいこうかという事でしたが、帰りの楽しみにして、まずは春宮をめざします。

下社の御田植神事が行われる御作田社。
 
諏訪大社の末社だそうです。旧商家・伏見屋邸。 

江戸末期の地主・中村家の民家として建てられたものだそうですが、

明治の初めには商家として使われたそうです。

  雛人形展をやつており、ここは満員なので通過します。 

ここは、江戸より五十五里の一里塚が有った所だそうです。   

春宮大門石灯篭の作者・山田金右衛門が若年の頃に作った龍の口の水場に到着。 

 信玄の矢除石を見学する事になりました。 

 石段の脇の小道を上ります。  ここには、いろんなものがあります。

八大童子の内、矜羯羅童子と制多迦童子を連れた、不動明王。 

慈雲寺の天柱和尚と信玄にまつわる話のある矢除石。

ここには、ちょつと気になる神社があります。

祭神は誰かもさだかではありませんが、弥栄富神社は八坂刀賣神社ではないかとも言われている様です。 

下社の主祭神の八坂刀賣命は伊勢の八坂彦命の娘だとか、穂高見命の妹だとか言われているそうですが、

何れにしろ安曇族との関わりが深い様で、上社は、洩矢族の狩猟民族型で、

下社は、安曇族の農耕民族型で、神事も別でそれぞれにならったものが多いのかもしれません。  

 神社の細工を見ると、龍に亀に魚等水に関するものが多く、

海神にまつわる八坂刀賣神社というのも頷ける所があります。

春宮の近くの土手に生えているネナシカズラ。  このあたりでは珍しいそうです。

諏訪大社:春宮

まずは、今日一日の旅の無事に感謝して、一同参拝。

春宮の幣拝殿と左右片拝殿は、国指定重要文化財。 

 江戸末期に、秋宮と同じ図面で立川流と競い、大隅流・柴宮長左衛門が秋宮より1年早く完成したものだそうです。 

 上社の御神体は御射山(守屋山)、下社の御神体は一位の木だそうです。  

 神社の素晴らしい、細工をじっくりと鑑賞して、旧中山道の旅を終えました。

   
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