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雨飾山・1963m

ヤブツバキ。     鎌池の住民・マスかな。名水・黒文字。

切り取られた枝から芽吹く栃の木。    倒木の枝も緑に。

何れも強い生命力を感じます。

池を一周して、ちょっとお腹も空いた所で、ブナ林亭に到着。 

 事前に注文しておいた昼食をいただきます。 

 まずその前に、ヤマブドウ酒、クロモジ酒で乾杯。  

店で用意して下さった山菜(コゴミ・イラクサ・・)と、会員の方が用意して下さった、

フキをつまみにいただきました。

ちょっと遅めでしたが、ミズバショウ。 

食事が早く終わったので、來る途中で見かけたミズバショウの原を見に行ってみました。

サンカヨウの群生が見事でした。

マロニエ(トチ)の花。

小さな池で蛙の賑やかな鳴き声が聞こえました。  

  枝には玉子が、どうやらモリアオガエルの様です。

途中でバスにひろってもらい、次の目的地に向かいます。

中谷大宮諏訪神社・郷社

拝殿。

小谷温泉を下って行くと、擬宝珠のついたいかにも神社の橋といった感じの中谷橋を渡って細い道を少し上った所に、

中谷大宮諏訪神社はありました。   

参道上り口にある、まだ新しい石燈籠には四本足の梶の葉(上社)の紋が入っていましたが、

諏訪大社との関連の深さを示しているのかもしれません。

(このあたりの諏訪社は一本足の梶が多い様です。)   

中谷大宮諏訪神社は、旧小谷7ケ村の総鎮守だそうですが、なんでこんな山奥あるのかと思いましたが、

ここ中土は諏訪大神の信州入国の筋道でもあり、後に塩の道にもなつていた所だそうです。 

 創祀の年代は不明だそうですが、旧社地で諏訪大神がしばらく留まった「すわま」にあったそうですが、

室町時代初期に地滑りの為に現社地に移り、江戸時代に現在地に移転したのだそうです。 

  ここは、諏訪大社とも関連が深く、下社春宮の五間拝殿の造営の頭役を務めた事もあったそうです。

奥の本殿・覆屋は工事中。  

 中には、江戸時代初期に大町の仁科氏の宮大工・金原周防守兼正によって造られた

一間社・流れ造り・杮葺きの社が納められているそうです(県宝)。 

 覆屋には、雪対策の為か中を覗く所もなく本殿を見る事は出来ませんでした。

中谷大宮諏訪神社では、諏訪大社の御柱祭の前年に、

当社で8月最終土・日に行われる例大祭において薙鎌神事の報告の儀が行われ、

翌日戸土境の宮か小倉明神社で式年薙鎌打ち神事が行われるそうです。 

 しかし、ここにも御柱は有りませんでした。

村天然記念物となっている社叢。 桂の株立。      神木杉。  目通り710cm

中谷大宮諏訪神社をさらに上った平に、大宮諏訪神社の別當寺となる神宮寺がありました。

  奈良時代の開創で、戦国時代には山腹崩壊の為埋没しその後に再創開山したものだそうです。  

 今回は、車中よりの見学となりました。

霧降宮切久保諏訪神社:
拝殿。     上段は本殿覆屋。

本日最後に訪れたのは、岩岳の麓にある霧降宮切久保諏訪神社です。 

 白馬村諏訪三社の一つで、平安時代前期に、千国荘が設立されて間もない頃に、

旧松本領四大社の一つとして諏訪大社下社から勧請されたものだそうです。 

 (時代は新しい看板にあるものを取り上げました)

本殿は、江戸時代に仁科氏の宮大工・金原周防守定兼と一門の白馬村の横田喜平次の作だそうで、

横田喜平次(横田流)の若い頃のものだそうです。  

  三間社・流れ造・杮葺の建物だそうで、村の指定文化財になっているそうです。  

 ここの覆屋も雪対策の為か、中を覗く事は出来ませんでした。  

  この神社の脇の道も塩の道だそうです。 

 ここでは、秋の例大祭が行われ、

七道祭(現在)は木彫りの三面だけが残っているとか)、尾花踊りが奉納されるそうです。

夫婦杉。

塩の道の街道にでもあつたものか、石祠が神社の脇に集められていました。

途中、松川の道の駅でいっぷく、最後買い物をしました。

最後は、安曇野の太陽の陽子さんにちなんだ、ヒメヒマワリに送られて無事に本日の旅を終えました。 

  梅雨の合間、降られる事も無く、

今回も盛り沢山の日程を時間通りにこなす事も出来た、運転手さんにも感謝です。

 
   
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