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第八十九回自然と歴史探訪[節分草と塩尻の民家めぐり]

 

小野家住宅:

本日は快晴、風はまだちょっと冷たいでしたが、絶好のマリオ日和となりました。  

  今日は、塩尻の古民家を訪ねての旅となります。  

  塩尻は、奈良井とも合併したので、国指定の重要文化財の民家が6軒になり、京都をぬいて、全国第四位になるそうです。 

  (一位は奈良県橿原市。)   今回は、塩尻宿にある、4軒を訪ねる事になりました。  

 塩尻峠を越えると、眼前に真っ白な北アルプスの山並みが見えてきます。   

  峠の下り道を途中から、旧道を塩尻宿へと下ります。  

 途中に立派なお寺がありました。    

慈願山永福寺、高野山真言宗のお寺だそうですが、ここの朝日観音堂は元禄の頃に出来たそうですか焼失し、

安政に入って立川流二代目・和四郎富昌が造ったものだそうです。 

  また、この工事で、大欅を切っている時木の下敷きになり、74歳で亡くなってしまったというお堂だそうです。 

 完成は、三代目の富重によってなされたそうです。    

 写真の鳥居の奥の山門は、二代目富昌の弟子の立川音四郎種清が明治29年に造ったものだそうです。   

今回は、バスの中からの見学です。

小野家は江戸時代末期に造られ、屋号を「いちょうや」という旅籠屋と農業を大規模に行っていた家だそうです。

通りに面しているのは、旅籠屋の方で、二階の五室は壁や建具にそれぞれ装飾がほどこされた立派なものだそうです。

 今回は、連絡がつかなかったとかで、残念ながら表からの見学だけです。  

(一般公開はしているのかな)      

この主屋と裏の文庫蔵が重要文化財に指定されているそうです。 

 塩尻宿は、伊那街道の起点でもあり、中仙道の宿駅でもあったので、

天保の頃には、本陣1、脇本陣1、旅籠は75軒あったそうですが、

明治の大火でほとんどが焼失してしまい、ここだけが残っているのだそうです。

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