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若御子社に参拝。

内御玉殿。

  全ての貢物は、この廊上で大祝の供されたのだそうです。 

  今でも、415日には御頭祭(酉の祭)が行われ、本宮から神輿行列が出て十間廊で祭事が行われているそうです。   

以前は鹿の頭75頭が供えられたそうですが、今は狩猟の期間が215日までという事もあり

、祭りには剥製の頭が供えられるそうです。 

 75頭の鹿の中には、必ず耳の裂けた鹿が混じっており、高野の耳裂け鹿と呼ばれたそうです。

  捕れた鹿の肉は、諏訪大社の鹿食免により、村人に分け与えられたとの事です。

内御玉殿には諏訪明神の祖霊の宿る御神宝が安置されていたそうです。

 ここ、神原の中心にあり、一部旧殿の材を使って、昭和7年に改築されたそうです。

御室社。

諏訪照雲頼重の供養塔。

御室社は以前は、1222日までに、諏訪緒郷の人により半地下の土屋が造られ、

3月中旬の寅の日に御室が撤去されるまで、大祝や神長官以下の神官が、

御左口神(石や木に降りる精霊)と共に、穴巣始と言って冬ごもりの祭祀が行われたそうです。  

(中世以降は廃止)

諏訪照雲頼重供養塔・明治初年に出土したものだそうで、中世前期の様式の五輪塔だそうです。

 何時のものかはわからぬそうですが、かっては火部に「照雲」と言う銘が判読出来たとかで、

中先代の乱で鎌倉を占拠した信濃勢の総大将の上社大祝・三河入道頼重のものとされているそうです。

柏手社。

前宮の神前に供えるものや、祭りの饗宴の膳を用意した所だそうです。 

 柏は、食器として使われていたそうです。

これから先は雪の中。  ふみ跡の無い雪道を、長靴組を先頭に樋沢古墳へと向かいます。

動物達の足跡を探しながら行くと、やがて鎌倉道に出会います。    

 そこをちょっと上ると樋沢古墳への分れ道に出ます。   鎌倉道がこんな所にあるんですね。

樋沢古墳:  
   

樋沢古墳は、前宮古墳群の一つだそうで、石室の規模は市内最大のものだそうで、

大祝の氏族に属するものではないかということです。  

円墳で中は四角い石室でした。  

キツネが居るのではということでしたが、どうやら何も居ない様でした。

最後に記念撮影をして、前宮本殿へと向かいます。

   
   
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