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中屋・不動尊堂:  

ここには、立派な厨子があります。

以前は、ここに、木食山居上人の「拝滝不動尊」が安置されていたのだそうですが、盗難に合い

そうになり、現在は岡谷の美術考古館に保管を依頼してあるのだそうです。 

そして、お祭りの時だけ、この厨子に安置されるのだそうです。  

区長さんがお出で下さり、お堂の鍵を開けて中を見せて下さいました。

そこで、横山先生からお不動様の留守の間、厨子に入れてもらえる様にパネルの贈呈がされました。

木食上人の像は、43回のマリオクラブで訪れた高山寺で拝見していますが、

ここの不動尊は上人晩年の作で、最高傑作とされるものだそうです。 

 又、堂内秘仏として保管されており、保存も非常に良いそうです。  

木食上人の像は、諏訪地区には全部で五体あるそうですが、上人最後の作となったものは、

慈雲寺にあるそうです。    

厨子も立派な造りで、隣には素朴な顔をした石仏が並んでいました。

お堂の壁には、西山盟社の俳句額がかかっていました。  

これは、47回の探訪の終わりにマリオさんで見せていただいた屏風絵の作家、

岩波其残が選者となつて作られたものだそうです。  

 終わりの方に、其残の句も見られます。 

 それにしても、このあたりには風雅な人が大勢居られたものです。

お堂の方は、建て直され昔の趣はありませんが、普段は村の集会所としても使われているそうです。

  奥の方には、中仙道を守る立派な庚申塚が並んでいました。

 コウモリ塚古墳:長地中屋

鎮神社の脇の細い道をバスでさらに上ります。    

お墓の所でバスを降りて、そこからさらに山道を上ります。  

ちょっと行った左手の、林の中の小道を上がると、お目当ての古墳がありました。  

横穴式石室の古墳だそうで、馬具当の貴重な出土品があったそうです。   

古墳は、7月の大雨の時に積まれたものか、多数の土嚢で保護されていました。   

又入り口も、アングルの枠で支えられていました。

このあたりには、幾つかの古墳がありますが、かなりの豪族が住んでいた様です。 

姥ケ懐古墳:長地横川

ウバガフトコロというのは、地名だそうで、この古墳も入り口には案内板も無く、

知っている人に案内して頂かないと知らずに通り過ぎそうな道を、林の中へと入っていきます。

林の中をしばらく上ると、古墳が見えてきます。  

 ここは、水害も無かったのか、古墳の中に入れてもらうことが出来ました。   

この古墳は、七世紀末に造られたものだそうで、規模も市内最大の石室だそうです。   

この石室は、木の根等に押され相当変形してたいたのを、昭和55年に修復されたものだそうです。

古墳の中に入ってみました。 

   
   
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