2/3

 

建物は、初代立川和四郎冨棟の作だそうで、4番目の建物 だそうです。

しかし、入り口のあたりは、昭和29 の火災で一部焼失し復元されたものだそうで、

左手にある 唐獅子は正面を向いているのが焼け残った立川流の唐獅子で、

左向きの修復された方は大隈流の唐獅子だそうです。   

神社の右手には、以前有った本殿(大隈流)があり こちらは、

移築された後で火災が起きたので消失をまぬがれたそうです。  

大隈流の建物は、見えない所まで丁寧な仕事がされており、 立川流の方は合理的な造り

になつていると、円柱を例に説明してもらいました。    (大隈流の方は、柱の見えない所 まで、

丸く加工されているのに対して、立川流の方は、見えない所は多角形に加工してある。)   しきりに納得。

足長神社  

足長神社は、桑原城址への入り口を過ぎて、諏訪湖カントリーへ上る道の途中に有りました。  

今まで、この坂を通ってもこんな所に神社があるとは気づかずに通りすぎてきました。  

こちらも、手長神社と同様にかなりの丘の上にあり急な石段が続いていました。  

両神社とも御柱はこの階段を引き上げるのだとか、なんとも大変な話です。

階段を上った左手に、大きな舞屋(神楽殿)がありました。   

その前で、横山先生に足長神社の説明をしていただきました。

舞屋は立派な彫刻を持ったもので、石田房吉の作だそうです。   

このような立派な彫刻のある舞屋は珍しいそうです。

一渡り説明をうけた後で、熊澤さんの奥さんの音頭で一同参拝。

神社の方は、大隈流の矢崎専司の作だそうです。    

海老虹梁をもっていない珍しい造りだそうです。

神社の中には、手長・足長の像の彫刻が飾ってありました。

目次へ・・・次ページ・・・・戻る