令和七年 瑞雲寺 伝道掲示板
5/1 | 唯心浄土・己身弥陀 坐禅はこの身と心に住んでいる仏に出会う行。 |
禅学大辞典には唯心浄土・己身弥陀とは「浄土門では、浄土を西方十万億土の極楽世界におき、阿弥陀仏をその極楽世界の佛とし、報身佛であるとして、浄土や弥陀を外界の客観的存在とするが、諸法唯心・万法一如の聖道門、特に禅宗の立場からすれば、浄土も唯だわが心内の浄土であり、阿弥陀佛も己が身中の弥陀以外にはないとする。」とあります。 阿弥陀仏や何処におられるのか。お浄土は何処にあるのか。亡くなった精霊は何処に逝くのか。このような見えない世界に対し、伝承されてきた話を説明することがあります。三途の川を渡って、閻魔様の浄玻璃の鏡の前で坐らされて、そして、仏の浄土の世界に到達する等々。おそらく、私たちの想像を超えたような過程を歩むのではないかと思うのですが、こればかりは、実際に逝ってみなければわかりません。 そうすると、仮想の物語のように思われますが、「唯心浄土・己身弥陀」とあるように、自分自身の中にすでに阿弥陀仏とお浄土が具わっていると、禅門では言われるのです。にわかには信じられないことであります。 白隠禅師が精神的な病に陥ったときに、実践した内観の法があります。その中に 「わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。」 「わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。」 と横になって丹田を意識して、心の中でこの言葉を何回も繰り返しながら内観することが説かれています。 臍下三寸の所に気海丹田があり、そこを意識して気力を充実させるのですが、すでにそこには私たちの本来与えられた潜在能力が具わっていると言われるのです。それを阿弥陀仏、お浄土と呼んでいます。また、白隠禅師坐禅和讃には「当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり」と、まさに今此処、この身こそ仏なのだと坐禅で体解できますよと賛嘆しています。 坐禅では胴体の中心部である、いわゆる下っ腹を大事にします。ここに本来の自分、心の故郷があるのです。あの名僧白隠禅師のこの内観の法を実践してみる価値はあると思います。そこで一つの方法として、坐禅中気海丹田を意識して「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と心の中で唱えてみます。おそらく「なまんだー」という唱え方が入りやすいかと思います。ある時に「なまんだーなまんだーなまんだー」と内側から唱え始めてきました。その時に体中が悦びに満ちあふれた体験があります。決してこのようなことをお勧めする訳ではありませんが、確かに阿弥陀仏、お浄土はこちら側にも満ちあふれていると思います。 では、その阿弥陀仏、お浄土とは何でしょうか。知識分別の理解を離れて体で解かる世界これが坐禅であります。それを無門関第四則に胡子無鬚という公案から紐解いてみました。 本則:或庵曰く、「西天の胡子、甚に因ってか鬚無き。」 無門曰く「参は須らく実参なるべし、悟は須らく実悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親見一回して始めて得べし。親見と説くも、早く両箇と成る。 頌:痴人面前、夢を説くべからず。胡子無鬚、惺惺に懵(もう)を添う。 私超訳、「阿弥陀仏、お浄土は本来見ることが出来ないのに、何故はっきりと存在してあるのか?」 それがはっきりしたいならとにかく実地に坐禅してみなさい。それも毎日必ずだ。なんとなく分かったというのではなく、はっきりと自覚することです。一度はっきり本当の阿弥陀仏、お浄土にお目にかかりなさい。ただ、「はっきりと存在していました。お目にかかりました。」ではすでに私と阿弥陀仏と二つに分かれている。あくまでも私と阿弥陀仏はひとつだから目で見ることは出来ないぞ。 私と阿弥陀仏は別のものだと思っているものには、夢のような話でなく、ひとつであることを実地で体解してもらうより他にない。もともとひとつであるものを自覚させるのは、愚を添えるようなものであるが。 |
4/15 | 始随芳草去 又逐落花回 始めは芳草に随って去(ゆ)き、又落花を逐(お)うて回(かえ)る 春の芳りに誘われて生まれ、花の散ると同じく、天命をやり終えて家に帰る。 |
碧巌録第三十六則の公案「長沙逐落花回(一日遊山)」の中にある話です。 本則「挙す、長沙一日、遊山して帰って門首に至る。首座和尚什麼(いずれ)の処にか去来す。沙云く、遊山し来る。首座云く、什麼の処にか到り来たる。沙云く、始め芳草に随って去り、また落花を逐うて回る。」 長沙景岑禅師(~868)は中国唐代の禅僧。南泉普願禅師弟子で、趙州従?禅師の兄弟弟子であります。理論でくれば理論で、偈頌を求められれば偈頌を使い、相見を求められれば相見するといった案配で、相手の求めに応じ、鋭さと柔軟さを併せ持った「機鋒敏捷」と評されています。また、仰山慧寂禅師との問答も有名で、仰山が「誰でも月のようなまん丸の仏性を使い切っていない」といわれ、その仏性を用いてみろと言われ、仰山を蹴飛ばして、岑大虫(大虎の意)と呼ばれたという話も碧巌録に載っています。 その長沙禅師が春の陽気に誘われて、ひとりで散歩に出掛け、寺の門まで帰ってきたところ、首座という修行僧の筆頭が「和尚さま、どこに行って帰ってこられましたか」と問います。すると長沙は「ちょっとぶらっと山道を散歩してきた。」と答えます。僧は更に詰問します。「一体どこの山に行って来られたのですか」。すかさず長沙は「百科爛漫の春景色、道端の草花の芳香に誘われて我を忘れて出て行って、帰りはハラハラと散る花びらと一緒に、いつの間にか帰って来たまでだ。」と応じたという話です。 一般的に「何処に行って帰ってこられましたか?」と聞かれたら「○○山に行ってきた。」など固有名詞で答えますし、どこかに出かける時は目的を持って、計画を立てて出発して帰ってくる場合が多いと思います。 長沙禅師は人間の知恵・分別・意識以前の大自然のはたらきによって思わず足が向いたのでしょう。それも春爛漫の季節に暖かい陽気の中、草花の香りが漂っていれば当然、身体が反応して出かけます。そして、野山を駆け巡り、春を充分満喫し、花落ちるのを思わず知らず追いかけているうちにいつの間にか夕刻になって、寺に戻って帰ってきたというのです。 この思わず知らずのところが「無心」です。人間の知識や分別を超えた世界です。無心とは意識がボーとして何も考えていない状態ではありません。「そのものとなりきっている状態」あるいは「無心という本来の心が発動している状態」といってもよいと思います。これを遊戯三昧ともいいます。「遊ぶ」というと娯楽やいい加減な状態のイメージがありますが、子どもの遊びを見ていると、例えばヒーロー者などになりきって楽しんでいる姿など、まさに三昧であります。 この公案を私は人生に重ね合わせてみました。私たちは何の為に生まれてきたのでしょう。ただただ、人生という何ともいえない芳香に誘われてきたのではないでしょうか。修学旅行や遠足に行く前日のように、ワクワクしながら期待に胸いっぱいで生まれた来たに違いありません。目の前に起こること全てが修学旅行の一場面であり、苦しいことや楽しいこと、どちらにも学びがあり、感動があり大きな意味があるのです。そして、人生も後半期になると、周囲の人たちもこの世を去っていくのを目の当たりにして、人生は一度きりだという無常観が起こってきます。無常観は菩提心になり、やがて、生かされている命の使命に気付きます。そして、その使命をやり切って人生を閉じて締めていくのです。長沙禅師の悟り、生き様がこの則から感じられます。 最後にこの則の雪竇重顕禅師の頌古をご紹介します。 大地繊埃を絶す、何人か眼開かざる。 始めは芳草に随って去き、また落花を逐うて回る。 羸鶴(るいかく)寒木に翹(そばだ)ち、狂猿古台に嘯(うそぶ)く。 長沙限りなき意。咄。 意訳 この大地は仏身の顕れゆえに本来塵一つない清浄そのもの。 本来心の眼を開かない者はいないはすだ。 始めはかぐわしい草に誘われて家からこの世に来て 散る花の後について家に帰ってきた。 痩せ細った鶴は冬枯れの木につま立ち、狂猿は廃墟の丘に啼く。人間の価値判断では苦しみの極地のように聞こえるが、そうではない。人生の旅の貴重な一場面、一風景である。 長沙の善し悪しという人間の価値判断、分別意識を越えた、あるがままの境地、すべてを有り難く享受できる心境。 「トーツ!」人生の意味、真境は言葉では表せない。 |
4/1 | 一撃亡処知 問題のないところに解決なし。 |
正法眼蔵随聞記の勉強会も巻四(全六巻)に入り、分量としては約三分の二を終えたことになります。現在は無門関と並行して日曜坐禅会の後に参禅者と共に学んでおります。 ちょうど、巻三の最終の二十一「得道の事は、心をもて得るか」では香厳智閑禅師と霊雲志勤禅師の話を正法眼蔵渓声山色の巻より紹介しました。道元禅師もこのお二人のことを詳細に記述しておられます。 参禅者から「この二人の禅師は何故これほどまでに道を求められたのでしょうか?」と質問を受けました。この渓声山色の巻を拝読するとその切なる求道心に惹かれる思いがあります、 このお二人はともに中国唐代の禅僧、潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師の法嗣でありました。香厳智閑禅師は聡明博解で非常に記憶力も素晴らしく、頭の回転の早く、何事にもスラスラ答えられていた。そこで師匠の潙山禅師は経典や章句などのあなたが記憶している知識ではなく、父母未生以前のあなたの言葉で一句を持ってきなさい。と迫ります。何度も答えを持っていっても否定され、今まで蓄えた経典や解説書などをくまなく探してみたが解らず、呆然としてしまいます。ついにはそれらの書籍を全て焼いてしまいます。もうこの生では仏法を得られないと、食事のお給仕をする係になりました。おそらく、これだけの能力があれば、この師匠の問いに答えられなくても、高い位への出世コースもあったと思われます。 そうやってひたすら修行し、陰徳を積んでもどうしても答えられません。次第に身心も困憊してしまい、師匠の潙山禅師に「どうか答えを教えて下さい」と懇願しますが、「答えを教えることはかまわない、しかし、もし教えたら何れあなたはその事を後悔して私を恨むことになるだろう」と言われます。 それからは、師匠のもとを離れ、南陽慧忠禅師の墓の近くに庵を結んで墓守をして、何年もひとりで清掃・作務・坐禅に徹して修行をコツコツ続けていました。 ここまで香厳禅師の純粋な求道の道のりを聞くだけでも、背筋が伸び、心が引き締まる思いです。 父母未生以前の自己など解っても解らなくてもいいではないか。才能があるのですから、それなりに知識を活かして、適当に生きていけばいいではないか。そのような心のささやきはが何度となくあったかもしれません。理解できます。 しかし、そこで妥協しなかった香厳禅師の求道心は、千年以上経った私たちに訴えてくるものがあります。何故、潙山禅師は問いかけたのか。問題意識を持ち、自己とは何かを自らに求めないと、自分自身の内側を開くことが出来ません。特にこの「父母未生以前の自己」は命の根本・本質的な問題です。この命は何者か、自分は生まれる前に何を思って、何を誓って、何を為し遂げるためにこの世に生まれてきたかはっきりせよ。という問いでもあるのです。人生の大問題を大疑団を持って取り組んで、求め続ければ必ず答えは得ることができることと、迷える我々に大きな勇気を与えてくれる逸話です。 さて、香厳禅師ははたしてあるとき、道路を箒で一心に掃除していたときに、瓦のかけらが飛び散って脇にあった竹にあたって「カチーン」という響きと共に、豁然として大悟しました。そして、沐浴、潔斎して潙山禅師のおられる大潙山の方角に向かって焼香礼拝して「昔、私のために、もし答えを教えてくれたならば、この大悟はありませんでした。恩の深きこと父母にもまさる」と偈をつくられました。 一撃亡所知、更不自修治。(一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。) 動容揚古路、不墮悄然機。(動容古路を揚ぐ、悄然の機に墮せず。) 処処無蹤跡、声色外威儀。(処処蹤跡無し、声色外の威儀なり。) 諸方達道者、咸言上上機。(諸方達道の者、咸く上上の機と言はん。) 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とは聖書の一節にあるそうです。 この自分の命とは何者か、自分は何の為に生きるのか。人生の一大事は妥協せず、曖昧にせずに求めていくところに必ず答え、解決があるとこの香厳禅師の逸話から学びました。 |
3/15 | 「不落不昧」 過去も未来も今・此処・自分の脚下にある。 |
毎週日曜坐禅会において、茶話会と併せて勉強会を行っております。現在は正法眼蔵随聞記を一昨年の六月よりおこなっております(二巡目)。その前は禅語百選でした。今回の随聞記もやっと折り返しを過ぎたところであります。正法眼蔵や随聞記を拝読すると随所に出てくるのが禅問答(公案)です。一月より公案禅の代表的な禅籍である「無門関」を月に一回取り入れ、並行して学んでおります。 先月は第二則の百丈野狐という有名な話でありました。因果について取り上げたものであります。あらすじはお釈迦様が降誕されるはるか大昔の話。その当時中国百丈山にいた住職が、ある修行僧に「大修行して悟りを得た方は、因果に落ちないでしょうか」と問われて「不落因果」と答えました。その答えが誤っていたのが原因なのか、その後五百生も繰り返し野狐に生まれる結果になってしまったと本人は歎いていました。何とかこの野狐身を脱したいと現在百丈山住職をしている百丈懐海禅師に心を一転させる言葉をくださいと求め、先の修行僧と同じ質問をしました。すると師は「不昧因果」と答え、その野狐身を脱することができたという話です。話としては良く出来たものですが、史実かどうかは不明です。公案の詳しい解説は致しませんが、この因果の問題について取り扱った唯一の禅問答といえるかと思います。 道元禅師は正法眼蔵深信因果の巻で「大凡因果の道理歴然として私なし」と原因と結果の法則は歴然としてくらますことはできないとお示しになっています。誰しも偶然たまたまこの世に生じてきたのではなく、条件がそろったという因あればこそ、結果として今此処に存在しているといえるのです。 しかし、この因果というと、私などはどうしても過去の出来事にとらわれてしまうのです。私自身も坐禅中気が抜けている時など、その隙間に過去のことが入り込んで頭が考え事で占領されることがあります。今坐禅をしているその瞬間、今此処には何もないにもかかわらず、過去や未来の悩みや苦しみ、気に掛かる出来事を持ち出してくよくよ考えてしまいがちです。 この野狐の身を五百生も重ねた前の百丈山の住職も、あんな答えをしなければ、こんなことにはならなかったのにと悔やんでいたに違いありません。それも五百生も。それこそ因果の道理を思考で捉えて縛られ、落ち込んでいたといえるでしょう。 白隠禅師坐禅和讃の中に「因果一如と門ひらけ」とあります。因果一如とは原因も結果も今此処自分とひとつになって現れているというのです。今が原因の結果であり、今実行していることがそのまま未来の原因となります。要するに真実は「今」しかないのです。過去や未来は私達の思考が作り出した産物なのです。前百丈はその思考に落ち込んで、本来は今の事実しかないのに、ないものを思考で作り出して、勝手に悩み苦しんでいたのではないでしょうか。「今」しかないという真実に目覚めれば、今に最善を尽くして、精一杯生きることしかやること、できることはありません。その今を思考分別で考えること自体、今と離れているのです。 例えば今日早起きをして坐禅会に来たとしましょう。坐禅会に来ることは偶然ではなく、無数の何かの要因が重なり合って必然的に来ています。そして、精一杯坐禅をします。その精一杯が、今度は因となって、いつか必ず花を咲かせることになります。こうやって並べてみると、過去→現在→未来となるように見えますが、ここである事実はは精一杯坐禅をやりきっていることしかありません。今最善を尽くすという中に過去も未来も含まれているのです。 ですから、過去も未来も今・此処・自分の脚下にあるのです。そのことに野狐になった前百丈は百丈との問答で気がついたのではないでしょうか。 また、私達は過去は変えられないと思いがちです。確かに過ぎ去ったことに戻ってをやり直すことはできませんが、今をどう生きるかでその出来事の意味合いは変わってくるといえます。 その今をどう生き、活かすか。その方法や乗り越え方をお釈迦様はじめ古今東西の聖者は求められました。その答えは歴史の荒波を掻い潜ってきた仏典や古典に示されています。無門関もそのひとつです。今を精一杯生きるために先人達が残してくれたものをうまく活用しながらより良く生きる力にしたいものです。 |
3/1 |
「自反内省」 不平不満・傲慢な心はないか、観つめる時間を持つ。 |
この言葉は東洋思想研究家の田口佳史先生著書に出てくる言葉です。自反内省を省略すると「反省」となり、辞書によると「みずからを省みて悪い点がなかったかどうかを考えること。自分が悪いことをしたことをはっきり認めること」等の意味があります。 また、反は反対方向に向きを変える。転じるの意味があり、前部の「自反」は孟子がよく用いた言葉で、「自ら反(かえり)みて縮(なお)からずんば、褐寛博(かつかんぱく)と雖も、吾、惴(ゆ)かざらん、自ら反みて縮(なお)ければ、千萬人と雖(いえど)も吾往(ゆ)かん」という有名な名句があります。 このように自らの心や行いをふり返ってみることは大事なことは云うまでもありません。ではどのように観つめたらよいのでしょうか。 仏教では「十界互具」として、人間の心にも地獄のような鬼の心も仏の慈悲の心も同時に持ち合わせていると言われています。慈愛の心で目の前で困っている人を助けたと思った次の瞬間に、些細なことで怒鳴り散らして感情を爆発させてしまうこともよくあることです。場面や状況、感情が引き金となって、謙虚な心も、傲慢な心を引き起こしてしまうのです。 まず、どちらの心も持ち合わせている自覚を持って、心を見つめる時間をつくることが大切だと思います。夜であれば今日一日、朝であれば昨日の自分の行動や言動、思考をふり返ってみます。すると、調子の良いときほど奢りや傲慢な心や、不平不満等を心の中で思考していることに気がつくはずです。それが年を取るほどに習慣化して思考の癖となって簡単には意識で直せない状態になっているのです。それを直していくには、根気強く毎日自分をふり返り、自分自身の心の状態を客観的に見つめる時間を習慣的を持って、克服していくしかありません。 論語に「曾子曰く、吾日に吾身を三省(さんせい)す。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。朋友と交はりて信ならざるか。習はざるを伝ふるか。」 「私は一日に三度、自分のおこないを自反内省します。他人のために誠心誠意、真心を込めて対応したかどうか。友人とのやりとりで不信な言動や信義に欠けたところがなかったかどうか。自分で理解していない事やよく知らないことを他人に教えていないか。」とあります。 曾子は孔子の弟子で大変親孝行でしられ、孝経は彼のために孝道を述べた書物であるほどです。毎日このように自分自身ふり返り、省みることで、悪しき習慣、思考が見えてきます。それを今後いかに改めていくか、自反内省はその第一歩になるのです。 一日十分この自分を省みる時間を持ちたいものです。しっかり腰を伸ばした姿勢であれば、坐禅でも正座でも、椅子に座ってでもいいと思います。しかし、実際は続けていくことは簡単ではありません。たとえば、反省材料が見えてきても、自己弁護しようという意識もはたらきます。例えばこんなことを言ってしまったけれど、それは相手の非があったから仕方なかったなどです。理由を付けてなんとか自分を正当化しようつするのも思考の癖と言ってもよいと思います。 ですから、「自反内省」の時には冷静に別人が判断するような目で感情を入れず、事実のみを客観的に観つめていくことが第一です。かといって。決して自分自身を責めることはせず、今日・明日の自分に活かしていく材料として、切り替えていくことも大切だと思います。 |
2/15 | 「よく整えし己にこそ、洵(まこと)得難き寄辺をぞ得ん」 自分自身の他にどこに寄る辺をさがすのか。 |
本日は二月十五日釈迦涅槃会です。当山は月遅れでお勤めしており、本年は三月八日(土)の十四時三十分から行います。やしょうまをお供えして、法要・絵解きを行います。どなたでもご参加いただけます。是非このご仏縁を結ばれてください。 さて、今回はそのお釈迦様の涅槃に関するお話しです。 先月ある九十代男性のご葬儀をお勤めしました。その二ヶ月半前に娘さんと寺に来られて生前戒名を付けてもらいたいと相談にお見えになりました。奥様を十七年前に送り、娘さんは嫁がれていて週に一~二度程度様子を見に来られ、食事や家事もほぼお一人でこなして自立してお過ごしとのことでした。ご本人はお元気であり、九十代とは思えないほど背筋が伸び、受け答えもまったく問題ないとても紳士な方でした。ですので急ぐ必要はないし、ゆっくり考えられたらと伝えましたが、御本人のご希望としてはこの一ヶ月くらいで決めたいとのことで、後日ご戒名の候補を娘さんに託しました。 それから二ヶ月半後に急逝の一報を受け驚きました。ご本人は御戒名も既に決めておられていたようで、ご希望通りのご戒名でご葬儀をお勤めさせていただきました。 その時に、もしかしたらお爺さんは直感的に死を予兆されていたのではないかと頭をよぎりました。そういえばお釈迦様も亡くなる三ヶ月前に既に自らの死(涅槃・入滅)を弟子達に予告していました。その時止まっていた王舎城から北に三百キロあまりの旅に出られ(一説には生まれ故郷を目指したとも)、最後はクシナガラという小さな村でそのご生涯を閉じられました。 その方も最後は生家であるご自宅で息を引き取られました。 奥様を亡くされ意気消沈して、男性の場合生活全般が乱れてしまうことも多いと聞きますし、おそらく私だったらとても自立した生活はできないと思います。ですから、最後の最後まで自分のことは自分でこなして生きてきたこのお爺さんは素晴らしいと思います。お孫さんのお別れの言葉の中で「私もお爺さんのようなかっこいい人になりたい。」と言っていましたが、その気持ちがよく伝わってきました。 お釈迦様が亡くなる前に、年の離れた従弟の阿難尊者が「私どもの柱と頼んだお釈迦様が亡くなられた後は何を頼りにしていけばいいのですか」と慟哭して嘆き悲しんでいました。釈尊は有名な「自らを灯火とし、己を寄辺とせよ」と申されたと言います。この場面を友松圓諦さんは著書に示しています。 釈尊は静かにこたえられた。 「歎いてはいけない。生まれたものはかならず死ぬことを私はお前になん度くりかしただろう。お前はまことにお前自身の寄辺じゃないか、お前はお前の灯火の役目をつとめているじゃないか。お前自身のほかにお前はどこに寄辺をさがすのか」 法句経の百六十番のあの有名な聖句は釈尊が阿難への遺言と伝えられています。 「おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ よくととのえし おのれこそ まことえがたき よるべをぞ獲ん」 自分の救護者(すくいて)は実は自分自身であったというのです。誰しも困難に直面したとき、逃げ出したい。さもなくば何かに、誰かに依存したい。頼りたい。やってもらいたいと一度は思うものです。弱い自分を誰でも持っているのです。そういう自分も認めつつ、この釈尊の遺言を思い出して、更に一歩を踏みだし、自分自身を奮い立たせたいと思っています。 このお孫さん達は、、人生の荒波にあっても、このお爺さんを人生行路の模範として乗り越えていかれることでしょう。 |
2/1 | 「この生死はすなわち仏の御いのちなり」 人生という仏からお役を拝命して生まれて来たに違いない。 |
正法眼蔵に「生死(しょうじ)」という巻があります。この巻は日付けがありませんので、詳細はわかりませんが、一説には道元禅師が京都の深草におられた時に、のちにある宗派を打ち立てた宗祖に宛てたものではないかと聞いたことがありますが、史実上は不明であります。もし仮に鎌倉仏教の二大宗祖が生死についてやりとりをしていたらと想像するのは歴史のロマンであると共に、その当時は宗派を越えて仏道の為に交流していたと考えたいものです。ですから、あまり宗派意識に拘ることなく、様々な宗派の祖師の言葉にも参じることは大切だと思います。 さて、生死とは、この世に生まれて、そして死んでいくありようで、人生そのものといってよいでしょう。寺院の住職たる者の役割のひとつとして、この生死の締めくくりである檀信徒様の葬儀式の導師をお勤めさせていただいております。この生死の最終場面で仏弟子となり、仏の悟りの世界へお送りした故人はもちろん、遺されたご家族・親縁者と、僧侶としてどのように向き合い、どう導いていくかについては、まだまだ道半ば、途中の者であります。最近私が至っている考えは、言葉を尽くして説明することも大事にすることはもちろん、日々の己の修行底以上の導きは出来ないと気付いております。ですから、まずは我々禅宗の根本である坐禅修行。そして、坐禅によって生じた禅定・三昧力を出し切ってお勤めすることを大切にしております。その意味ではまだまだの導師であり、この生死の問題について毎回葬儀の毎に考えさせられます。 道元禅師は私たちのこの生死・人生は「仏の御いのちなり」と示されていますが、仏から与えられた役割・使命と捉えてよいと思います。それにはまず、その仏から与えられた使命そのものに気付かなくてはなりません。この後に続く言葉をこの使命と捉えて訳してみました。 「この生死はすなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなふなり。」 (この生から死に至る人生とは、仏から与えられた役割・使命を持って、仏の命を生きているのです。この使命に気付かずに、果たすことがなければ、仏の命を失うことになるのです。この仏の命である人生を自分の欲望などに執着し、自分の好き勝手に過ごしたならば、せっかくの仏の命を見失うことになるのです。) 江戸時代の沢庵禅師は「たらちねに よばれて仮の客に来て 心残さず 帰るふるさと」と詠まれました。私たちは両親に呼ばれて、この世に仮住まいをしながら仕事に来ている。この仕事、やるべき役割を果たし、心残りがない状態になって古里に帰ろうではないかというのです。この仏の役割のことを本来の自己、本来の面目などと禅門では呼んでいます。 さて、この生死には、その仏になる。仏の使命に気がつく方法が最後に示されていますので紹介します。 「仏となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを仏となづく。又ほかにたづぬることなかれ。」 (仏の使命・役割に気がつくとても簡単な方法があります。それは一切の悪いことをしないこと、人生において、自我にこだわったり、ものをむさぼったりなどの執着せずに、全ての存在に対して慈悲の心、敬いの心、あわれみの心をもって、何事にも好き嫌いの心を持たずに、一切の分別する心、憂いの心をおこさない心の状態であるときを、仏というのである。この外に仏の存在を求める必要はありません)。 ここで坐禅の事を持ち出していないところを見ると、他の宗門の方にも受け入れられるように配慮したようにも見えます。その真意はわかりませんが、道元禅師が示したことは誰でも実践可能に見える内容となっています。ただし「いとやすきみちあり」と言われても、これだけの心の状態を導き出すには、相当な心の修行が必要です。かといって、どれだけ修行しても完全にこのような心の状態にはなれないでしょう。しかし、そこに向かって努力することは今すぐに出来ることです。その基本中心になるものは、坐禅だと私は信じております。ですから、今日もまず坐禅から一日始めました。 |
1/15 | 「常楽我浄」 一旦停止は、心・行動・習慣を変える。 |
私は延命十句観音経が大好きであります。私の修行した僧堂では、托鉢は延命十句観音経と決まっていましたし、お世話になった道場では梵鐘を付くたびにお唱えしていて、瑞雲寺でもその習慣を引き継いでいます。 この延命十句観音経の中に「常楽我浄」とあります。この常楽我浄は初期仏教においては四顛倒といって真理とは逆さまな見方のことをいいます。 お釈迦さまが出家した時、人間世界の多くのものが、この世・この自分は「常」なるものと見ていました。そのために一時的な快楽を幸福であると追求し、俺と他人を区別して見ることで、綺麗や汚いなどの選り好みをする見方をしていました。お釈迦様はお悟りの後、まずこの四顛倒の間違いをただして、この世は無常でり、快楽は苦につながり、我というものは無く・浄・不浄は分別観念であると説かれました。これが諸行無常・一切皆苦・諸法無我・涅槃寂静の四法印として仏教の基本となっています。ですので当初は「常楽我浄」とは真理と反対の見方に陥っているという否定的なものとして捉えられていました。 それが後の、大乗仏教に発展していく過程で、仏菩薩の境涯からの見方として変化し、次に示すような真理の世界からの見た肯定的な見解をするようになりました。 「常」…私たちの本質である仏の命は常住で永遠であり不生不滅である。 「楽」…苦の原因をあきらかにし、苦を滅し乗り越えたところに本当の安楽、安心の世界がある。 「我」…私たちの本質である仏の命こそ真我・如来我・仏性である。 「浄」…私たちの本質である仏の命は、浄・不浄を越えた本当の清浄の世界である。 この四つを四徳、または四波羅蜜といいます。 よく、「逆さごと」「逆さ仏事」といって葬儀に関係する行為や飾りを、従来の用途とは逆にして使用うることがあります。今では見られなくなりましたが、故人の頭上に置く屏風を逆さにして飾る「逆さ屏風」や、 故人の着る白装束の着せ方を左前にすること、枕飯に箸を立てること等です。これは、仏教の教えではなく、あくまで風習、俗説に基づいた考え方ですが、普段の生活では縁起が悪いこととして絶対にしません。 また、坐禅の結跏趺坐や法界定印の手足の組み方は仏像とは逆です。坐禅では降魔坐、吉祥坐といって、迷いの世界と悟りの世界を逆転することで区別しています。 この「常楽我浄」も同じです。「人生このまま続く(常)」「快楽こそ幸福(楽)」「俺が俺が(我)」「選り好み(浄)」これは間違ったものの見方です。その逆といえば「今日一日は取り戻せない貴い一日」、「心の落ち着きこそ本当の安らぎ」、「みんな兄弟」、「すべてのものは繋がっていて、本質的には平等である」となります。我々が陥りやすい考え方や見方を逆転してみると、それが真理であることが多いと思います。 ですから、今の生活をこの観点から見直してみて、時には正反対の見方をしてみることも必要かもしれません。できれば、仏教や先達の智慧から学んで、間違っている点があれば、意識して直していくことが大切だと思います。 私はそれと共に、毎日十分の坐禅、瞑想をお勧めします。坐禅によって毎朝心と体を一旦停止するのです。これを十分毎日続けることで、心の落ち着きはもちろん、不思議と生活全般が調ってきます。そして、心や行動、習慣も徐々に変わってきて、四徳、四波羅蜜の実感に繋がると思います。 |
1/1 | 元正啓祚 万物咸新 元正祚(さいわい)を啓き、万物咸(みな)新たなり 毎朝お仏壇で気持ちを改めて、新鮮さと輝きを持って始める。 |
「元正祚(さいわい)を啓き、万物咸(みな)新たなり」は禅語辞典によると、年の初めに福運がひらけ、万物みなあらたまるという意味で、「明けましておめでとうございます」という新年の挨拶用語。と説明されています。 石川啄木は「何となく 今年はよい事 あるごとし 元日の朝 晴れて風無し」と歌いました。苦労が多った旧年だったのかもしれませんが、清々しい風のない晴天の元旦に、今年は良いことがきっとあるだろうという願いを込めて読んでいます。年を無事に越して、これまでのことをリセットし、新たな気持ちで新年を迎えると、何もかもが新鮮に見えてくるものです。 「正法眼蔵・梅花」の巻に、道元禅師の師匠である天童如浄禅師が年頭に上堂して「元正啓祚 萬物威新 伏惟大衆 梅開早春」という頌を示されたとあります。 そして、たとえすぐれた長老と言われる脱落底の老師であっても、この梅開早春という道を歩まなければ真実を尽くした人とはいえない。と言われています。では、梅開早春とは何か。春が来て梅が咲くのではなく。梅が咲くと全てが春になる。本来の自己に目覚め、そのはたらきを発揮するとき全てが新たになり、全世界が開けてくるのです。 さらに続けて「その宗旨は、梅開に帯せられて万春はやし。万春は梅裏一両の功徳なり。一春なほよく万物を咸新ならしむ、万法を元正ならしむ。啓祚は眼睛正なり。」 春を「本来の自己・本来の姿」、梅花を「衆生(自分も含めた)」と置き換えて訳して読んでみると、 (この頌の宗旨は、衆生が目覚めることに催されて、本来の姿がやってくる。それは衆生の持つひとつひとつの功徳によって現れてくるのである。大自然の本来の姿が現れると、全てのものが新鮮に、正常にはたらくようになってくる。それこそが本当の平安の世界をもたらす、仏祖の本来の正しい姿なのである。)となります。 私たちの本来の姿に戻れば、この大自然は平和であり、全ては新鮮で輝いている存在であるということがはっきりするというのです。 本来の姿とは、赤ん坊をたとえるとわかりやすいかもしれません。一瞬一瞬見るもの全てが初めてで、好奇心いっぱいな頃は記憶になくても誰でもがあったはずです。それが、だんだん慣れてきて、過去の記憶を持ち出して比較するようになって、物事を頭の意識分別で判断して見るようになってから、万物の本来の姿もかすんで見えなくなってきているように思います。 また、碧巌録四十四則の評唱と正法眼蔵三百則の第三十九則に鏡清道?和尚の「道?失利」の話にも「元正啓祚 萬物威新」が出てきます。 ある僧が「新年年頭にあたって仏法はありますか、ありませんか」と問うたのに対して道?は「元正啓祚 萬物威新」と応えます。すると僧が「お答えありがとうございました。」と納得したように返事をしたところ、「儂は今日はしくじってしまった。」と道?が応えたというものです。 この僧は、どの程度まで「元正祚を啓き、万物咸新たなり」を受け取ったのでしょう。なんとなくおめでたい言葉だから、心新たにすることが新年の始めに大切なことだと受け取ったのかわかりませんが、まだまだ、本来の姿を徹見できていなかったのではないでしょうか。早合点してしまったのかもしれません。正法眼蔵三百則ではまた別の和尚の問いに対し「なし」と応えられた問答も載っています。 新年だからといって全てが良いことだらけではありません。新年という概念は人間が便宜上作った暦です。大自然にとっては元日は特別な日で、他日は平凡であるという区別はありません。昨年も地震や事故などが年頭から起こって衝撃の年始でありました。 そうはいっても、お正月は気持ちを改め、リセットするには良いタイミングであります。どのように気持ちを改めるか。私は「咲くため(目覚めるため)の努力は厭わない。」このような一年にしたいと思っています。 |