令和八年 瑞雲寺 伝道掲示板
| 4/22 | 巡礼の旅 春の大山参り、大雄山最乗寺で精進料理・大般若祈祷を身と心を清らかに。 |
4月22日(水)恒例の瑞雲寺巡礼の旅にお参りしてきました。 今年は例年より一週間春が早く進み、富士見では桜が既に散ってました。当日朝は気温0度と冷え込み、その分天気は良好で、黄砂の飛来があり幾分霞がちでしたが、前日は雨、翌日は雨予報でしたのでタイミングもよく、天候に恵まれた巡礼になりました。 25名の瑞雲寺巡礼団は朝5:30に出発しました。中央道~圏央道~新東名と渋滞もなく順調でした。車中ではH1グランプリという各宗派の若いお坊さんの法話クランブリのDVDを鑑賞しながら進みました。 8:30に神奈川県伊勢原大山に到着しました。最初の目的地は関東総鎮護の大山阿夫利神社、関東三大不動の大山寺です。 絶壁のような急勾配の山肌は既に新緑に覆われていました。まずは最初の難関、362段の階段こま参道を登ります。お土産屋さんを横目で見ながら、また時折登山スタイルの方に追い抜かれながらなんとかケーブルまで到着しました。 始発9:00のケーブルに乗り込みまずは大山阿夫利神社下社にお参りしました。たまたまケーブルで隣になった神社に奉職している巫女さんにいろいろとお参りのポイントを教えていただきました。袖振り合うも多生の縁といいますが、たまたま隣になった方に教えていただいたおかげで、その後の大山でのお参りが大変スムーズになりました。神職さんとの出会いですから御神縁なのでしょう。有り難い限りでした。 大山阿夫利神社では本殿にお参りの後、大山名水をいただき、そこから本社に登拝する起点地までいきました。おそらく江戸時代から続く急勾配の石段で、終点が見えないほど続いていました。その場所から約2キロで山頂本社とのことです。江戸時代、大山参りをしてはじめて一人前と言われたといいますが、このような厳しい登拝をしてこそ神仏に認められたという意味なのかもしれません。帰りに日本三大獅子等をみながら、山頂から遠く少し黄砂で霞む相模湾を眺めながら下りのケーブルに乗り込みました。 ケーブルを途中下車して次に大山寺に向かいました。奈良東大寺を開いた良弁僧正が開山した由緒と歴史があり、特にご本尊である大山不動尊は旧国宝であり、関東三大不動、関東三十六不動霊場の第1番札所になっています。そのお姿の迫力のすさまじいこと。その威風と重量感にしばし心を奪われました。鎌倉時代より多くの武将や庶民がその御利益を賜ろうとしたのも頷けます。このお不動様をお参りでき、心に力が湧き上がってきました。このお不動様は凄いの一言です。 ちょうどたまたま本堂ではご住職様がご祈祷をお勤めをされていて、読経と修法の声明が山中に響き渡っていました。その声を聞きながら三十六童子が参道の左右を守護する正面の階段を降りました。急勾配でしたが護られている感がありました。読経は般若心経から「不動真言・慈救呪」に移り、私たちの心の煩悩を最後まで根こそぎ抜き取ってくれるようでした。そして、ケーブルで始発駅に戻ってこま参道を下って11時に出発しました。 次に向かうのは曹洞宗の名刹大雄山最乗寺です。大本山総持寺に次ぐ格式を持ち全国に四千ヶ寺の門葉を持つ大寺院です。瑞雲寺もその門葉のひとつになります。開山以来600年の歴史を持ち、無数の巨木杉に囲まれたまさしく聖域の山中の大伽藍は、現代風にいえばパワースポットといえるでしょう。 ちょうど12時に到着し、まずは精進料理を頂戴しました。山内香積台で二の膳付きの高膳です。まずは山内の和尚様と典座和尚様からお話をいただきました。具材や料理の説明を聞いていると、修行僧様が今日の為に何日も前から準備をしている姿、早朝から丹精込めて調理をされている姿が思い浮かんできました。その料理に込められた想いをかみしめながら有り難くいただきました。身体に染み渡る優しい料理の数々、山内の静寂さも相まって身体と心の両面に栄養になりました。 そして、いったん外に出て、一気に階段を上って大雄山を守護されているご開山了庵禅師のお弟子である道了大薩?の御真殿にてご祈祷を受けました。キビキビとした修行僧に御真殿内部に案内されると、大きな太鼓を合図にご祈祷が始まりました。10名以上の和尚様と修行僧が左右の高速で打たれる祈祷太鼓と読経。日頃からの修行の鍛錬がなければこれほどの読経はできないと思いました。また、一糸乱れぬ所作にも感動しました。人間のできる限りの読経とできる限りの誠意を示すことによってご神仏と通じるのでしょう。まさひく「至誠天に通ず」です。ご回向の時には自然に手が合わさり、礼拝していました。本当に有り難い瞬間でした。今日大雄山にお参りして本当によかったと心から思いました。 特にご祈祷の直前に一気に階段を駆け登った77段の階段は、皆さん息が上がり大変苦労されました。しかし、決して人間的な楽をしては神仏の世界に踏み入れることはできません。かといって厳しすぎるのもいけませんが。今回は階段の多さに閉口した方も多かったと思いますが、その階段一歩一歩が皆さんを身と心を鍛え、強くし、神仏の世界に導いていることに気がつけば、階段すら有り難く感じるのです。ご祈祷が終わってみると外は先ほどより澄み切った、充された空間が広がっていました。おそらく精進料理とご祈祷のおかげで身と心に何か大きな転換が起きたのではないでしょうか。これこそ本当の御利益です。 その後、南足柄市のガイドボランティアの皆さんに三面大黒殿、不動堂、鐘楼、霊水金剛水、法堂をご案内いただきました。三面大黒殿では私が以前お参りしたときにある和尚様から教えていただいた、三面大黒天の御金印のお守りのことを思い出しました。瑞雲寺ではその以前から三面大黒天をお祀りするご縁をいただいていていて、私はその御利益を知る一人であります。そんなお話をするとそのガイドさんが、実は息子さんがあることで人の借金を数千万も背負い込むことになり途方に暮れていたそうです。その後この大雄山のガイドボランティアを始めたそうですが、そういえばそれからその借金もなんとかなったそうで、それもこの大雄山の御利益かもしれないと語ってくれました。 禅では一部「仏は自分の中にいる。」などと豪語してしまい、祈りの世界に真摯に礼拝することを忘れがちな傾向があり、私も以前そうだったと思いますが、本当にご神仏はおられます。しかし、人間は神や仏と同じく修行をしなくてはその世界に感応することはできません。たとえ感応した実感がなくても、毎朝真摯にご神仏に合掌礼拝し心を込めて般若心経を読経することを必ず毎日続けることです。ただし例外をつくってはいけません。 最後に大雄山さまからお土産までいただき、身と心が充された状態で帰路につきました。バスの中では法話クランブリのDVDの続きを拝聴しました。若いお坊さんの熱のこもった法話の数々も素直に心に響いてきました。 夕方6時頃に瑞雲寺に帰ってきたとき私のスマートウォッチは既に一万三千歩を数えていました。その半分以上が階段だったと思います。車中から皆さんを見渡すとぐったりされているかと思いきや、一様に目を輝かせているではありませんか。おそらく身体は心地よく疲れ、充実して疲れたのではないでしょうか。これが巡礼と普通の旅行と違うところです。ご神仏が皆さんが聖域に訪れようという気持ちを受け取って、今日一日ご加護してくださったのでしょう。そして、知らず知らずのうちにご神仏と感応しているからだと思います。充実して疲れたとういのがご神仏の境地の一端なのです。実際私はそう感じましたし、翌朝はなんともいえない清々しさの中目覚め、暁天坐禅は気がつけば50分坐っていました。 その感動を伝えようと早速巡礼記を記させていただきました。ご参加いただいた皆さん、この文章をご精読いただいた皆さんに感謝申し上げます。 |
| 4/15 | 「一毫、衆穴を穿つ」 ほんの小さな存在でも、全体に影響を及ぼしている。 |
先日、大本山永平寺様より、令和十二年にお迎えする二祖懐奘禅師の七百五十回大遠忌のポスターが配布されました。道元禅師より二歳年上の孤雲懐奘禅師(1198~ 1280)であります。十八歳で比叡山にて出家し、学識に優れ将来を嘱望されますが、実母に「わたしがお前を出家させたのは、僧としての位が上がって公卿づきあいをしてもらうためではない。ただ、名利の学をやめて、黒衣の非俗の出家者として背に笠をかけ、わらじがけで往来する、真実の道人になってもらいたいと願うばかりである。」と諭され比叡山を下山します。その後、浄土門や日本達磨宗を経て道元禅師の門下に入られ、二祖となって常に師に身辺に随身し、教えを筆記し広めることにつとめられました。 今回のポスターには肖像画が描かれ、そのお姿から、枯淡さと清貧さが滲み出ておられました。おそらく実母の諭しを生涯護持されておられたに違いないと感じました。これこそ禅僧のあるべき姿であると早速本堂に掲示して拝しております。また、当山の日曜坐禅会では懐奘禅師が嘉禎三年(1237年)に日ごろ道元禅師が大衆に教示された法話をまとめた「正法眼蔵随聞記」の勉強会を行っています。現在二巡目の第五章が終わったところです。 さて、瑩山禅師の伝光録には懐奘禅師の大悟の因縁を伝えています。 「第五十二祖永平奘和尚、元和尚に参ず、一日請益の次で、一毫衆穴を穿つの因縁を聞て即ち省悟す、晩間に礼拝し問うて曰く、一毫は問わず、如何が是れ衆穴、元微笑して曰く、穿了也、師礼拝す。」 道元禅師が石霜慶諸禅師の「一毫、衆穴を穿つ」の話を懐奘禅師に挙示されたところ、懐奘禅師は言下に大悟して礼拝されたというのです。「一毫」とは極めて細長い毛、極めてわずかなものにたとえ、「衆穴」は全身の毛穴、全体全身をたとえたものです。無門関の一則にも「八万四千の毫竅(竅孔・穴)」という表現があります。 これを禅門では一即一切、一切即一ともいいます。ほんの小さなものであっても、全体に影響を及ぼしているということです。懐奘禅師の悟りはもちろんこのような思想的なものではなく、体験的に活きたものでありますので、私などはその境地に到底及びませんのでそこには触れません。 さて、ここ最近の世界情勢を鑑みるに、何事も対岸の火事ではありえないことが多く、世の中はすべて持ちつ持たれつであると思うことがあります。 世の中の見方を二つあげるならば、ひとつは自分を中心とした見方です。これは誰でも普段からしています。自分を中心に損得を計算しながら相手に接したり、行動することです。このような自分を愛する気持ちは当然誰にでもあり、否定されるものではありません。むしろ、自分の成長発展させる原動力にもなるものです。しかし、その見方に偏ると自分さえよければいいという自利の心が強くなってきてしまいます。特に現在は世界的に自利的な見方に偏っているようにもみえます。 もうひとつは宇宙から地球全体を見るような見方であります。もちろん宇宙に行った人はほとんどいません。最近、地球から離れた場所に到達した記録を更新したそうですが、要は俯瞰的、全体的に見てみることです。宇宙から我々が住む地球を見れば何処にも国境という線や対立したものは無く、一つの円球の中に海と陸地が調和していることに気がつき、すべてはひとつの世界に収まっていることを実感するに違いありません。 このような見方は坐禅で体験することが出来ます。坐禅は端から見ると、一人でじっと坐っているので、自力、自利的に感じる方もいるかもしれませんが、実はそうではありません。 まず、自分というそれはほんの小さな存在に集中してスポットを当てていくのです。するといわゆる自分を超えた存在、即ち大宇宙のはたらきが、この私を生かしていることに気がつく時が必ず来ます。一毫(自分)は衆穴(すべての存在)を穿って(影響を与え合って)いることがはっきりするのです。 すると、指一本立てることも、言葉を発するのも、呼吸をするのも、懐奘禅師のように礼拝するのも、生きていることは全て、自分がやっているのではありません。全宇宙のはたらきによってできているのです。これほど有り難いことはありません。逆に言えば、ほんの小さな存在を大切にすることは、全体を安定化することに繋がる一番の特効薬であると思います。自分を大切にすることが相手を大切にするのです。自分を守りたければ、相手を守ってあげることが一番の近道といえるでしょう。 |
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「花は半開を看る」 未完成に徹した姿は美しい。 |
中国明代末期の洪自誠が著した菜根譚(後集百二十二項)に出てくる言葉です。 花は半開を看、酒は微酔に飲む。 此の中に大いに佳趣あり。 若し爛(らん)漫(まん)骸醄(もうとう)に至いたらば、 便ち悪境を成す。 盈(えい)満(まん)を履む者、宜しく之を思うべし。 意訳 花は五分咲きを見るのがよく、酒はほろ酔いくらいがちょうどいい。その中にこそ、すばらしい趣がある。もし花も満開に咲き乱れ、酒も泥酔するまでに飲めば、それは悪い境地となる。盈満(みちみちている)の境遇にいる者は、よくよくこのことを考えなければならない。(湯浅邦宏:菜根譚より) つまりこの一句は、花の見方や酒の飲み方を語りながら、人生の生き方として、頃合いがよいこと、ほどほどがよいことを説こうとしています。 私は少し異なった視点で「花は半開を看」を受け取ってみました。花満開を人生の全盛期と見るならば、半開はその途中であります。私たち僧侶であれば修行僧であります。大本山や修行道場に参拝された方の多くは修行僧の姿に感動を覚えるといいます。修行僧はお坊さんとしては半人前であるかもしれませんが、未熟でありながらも一生懸命修行しています。その懸命さそのものに輝きが放たれているのです。しかし、修行生活を終えて一ヶ寺の住職になってその輝きが薄れたり、消えてしまったりしているときは気をつけなくてはいけません。もしかしたら一人前であるという自負が「盈満」の状態にしているかもしれないからです。 菜根譚には他の箇所にも「盈満」という言葉が出てきます。「盈満の咎」といえば、物事が最高潮に達すると、かえって災いを招きやすいという戒めの意味があります。「富貴も満ちればいつかは欠ける」という道理を表しています。 たとえ世間的には一人前といわれても、修行時代を忘れずに、修行僧という思いで住職を務めるならば決して盈満になりません。修行時代だけが半開ではなく、気持ちの持ちようではいつでも半開なのです。 道元禅師は次のようにお示しです。 「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず。発心・修行・菩提・涅槃、しばらく間隙あらず、行持道環なり。」(正法眼蔵行持の巻) 「行持道環」とは、行持とは仏祖の修行を持続することです。道環とはこれで完成ということはなく、仏祖の修行はどこまでも発心・修行・菩提・涅槃の連続であるということです。仏祖の大道は、満ち足りることではなく、修行そのものなのです。それは、どこまでも未完成、永遠の途中、花の半開の状態です。この修行を続けることで、身心が磨かれていきます。同時に気力・体力・精神力が調和してきます。その充実感は、何ともいえない悦びとなって心の奥底から湧き上がってきます。盈満の状態とは全く異なります。盈満はいわゆる慢心のことです。慢心は仏教では四煩悩のひとつであり、身を滅ぼしかねない恐ろしいものです。 現在ある宗派の管長様は、そのお立場になっても修行僧より早く起床し、自らに課したご修行をなさってから、道場で修行僧と同じ日課をおつとめになられておられます。管長様でありながら修行僧のような輝きを発しておられます。そのような管長様がおられる限り、私も止めるわけにはいきません。半開きをさらに徹底したいと思います。 |
| 3/15 | 「諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法」 善行為にはご先祖様の応援と助けがある。 |
お釈迦様の涅槃会は二月十五日ですが、寒さや雪の心配される当山では、月遅れで三月にお勤めしております。涅槃とは、サンスクリット語のニルヴァーナの音写で、三毒である貪欲と瞋恚と愚癡の煩悩の火が滅し吹き消された状態のことで、安らぎや悟りの境地をいいます。その意味では、仏教における修行の究極目標、修行実践上の目的を指し示す言葉であります。また、一般的にはお釈迦様がお亡くなりになったことを示し、生命の火が吹き消された死去(入滅)を意味する言葉として使われます。 本来はお釈迦様の入滅の月日は不明であるようですが、原始仏教ではインド暦の第二の月のヴァイシャーカ月の満月の日とされ、このことから中国や日本に伝わった大乗仏教では二月十五日と定めたようであります。当山では、御射山神戸の三偉人の一人江戸時代の伊藤山亭老翁が描いた涅槃図を掲げ、法要を勤め最後に絵解きをしながら、お釈迦様の教えに触れていただいております。 涅槃図中央のお釈迦様はまさに涅槃に入ろうとする瞬間であります。その姿は金色に輝いていて、横たわってはおりますが、その表情は死んでいるようには見えません。生きているように描かれているのです。よく枕経で故人様のお顔を拝見する機会がありますが、お釈迦様と同じように眠っているようであったり、中には軽く微笑みを浮かべておられる方もおられます。そこには、生物としての死だけでは説明できない、生死を超えた大いなる命の存在を感じざるを得ません。本当の命、人間の本質は決して死んでいないのではないか。滅することはないのではないかと思うことがあります。 その永遠なる不生不滅の命のことを、仏性といいます。人間はじめ生きとし生けるものの本質は仏性であり、その仏性によって生かされて生きているという真実に目覚めるのが仏教の第一義であるのです。この仏性に生かされて生きていることに目覚めるために、お釈迦様は様々な教えや修行実践を説かれ、遺教経では八大人覚を説かれました。八つの大人の自覚です。 第一は「少欲」欲を無くすのではなく、欲を少なくしなさい。五欲(財・色・食・名誉・睡眠)を追求しない。欲の多い人は、求めることも多く苦悩も大きい。欲を少なくすれば、心の憂いや畏れがなくなり、安らぎとゆとりが得られると説かれます。 第二番目が「知足」足ることを知ることです。 これで十分ですと知ることです。このこころが無いと一生涯欲望に引きづりまわされて、財産があっても苦しみから逃れることが出来ません。 第三番目が「楽寂静」静けさです。 現代は特に情報が多すぎて、騒がしい世の中です。情報過多と言われる時代です。時には喧噪から離れて静かに自己を見つめることを楽しみとするのです。 第四番目が「勤精進」精進つとめ励むことです。 修行は休み休みするのではなく。一気呵成に行う。どんな小さな事でも精一杯精進すれば、事ととして難しいことはない。必ずやり遂げることが出来るのです。 第五番目が「不忘念」正しい教えを心に念じて決して忘れない。 欲望の誘惑に負けずに、いつも念じ続けることです。そうすれば、善知識の師匠や、同行、外護の者が現れて仏道を成就できます。 第六番目が「修禅定」坐禅して心を静めることです。 心が散乱していては確かなもの(世の中の道理・真実)を見抜くことが出来ません。 第七番目が「修智慧」聞思修証を起こすことです。 よく仏法の道理を聞いて、よくのみ込んで、実践していくと智慧を得ることができます。この正しい智慧こそ、苦悩の海を渡る船であり、暗黒の世の灯火であります。 八番目が「不戯論」無益な議論はしないことです。 教えを自分と関係ないことだと思っていると、無益な議論をするようになります。教えを自分の問題として自分で実践していくこと、今自分がなすべき事を今取り組むことこそが大事であります。 そして、遺教経には「我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、即ち是れ如来の法身常に在して而も滅せざるなり」とあります。この八つの項目を実践していけば、いつでも仏様が常に存在して私たちに影響を与えていることがわかると説かれています。法華経の如来寿量品にも「諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法(諸の有らゆる功徳を修する、柔和質直なる者、則ち皆我が身、此に在って法を説くと見る)」と同じことが説かれています。 この八項目はすべて関わり合っていますので、先ずは自分が取り組めそうなものをひとつでも実践してみるのです。そうすれば仏の声なき説法が聞こえてきます。ここで言う仏はお釈迦様に限りません。皆さんのご先祖様、親しい亡き人の声なき声も聞こえてきます。何も霊能者に聞いたり、滝に打たれたり、神様を拝んだから聞こえるというものではありません。私たちが仏の行い、実践していく中に、共に仏や故人がいるのです。そこに仏のはたらき即ち「仏性」が現れているともいえます。亡き人は今お身体は大自然にお返しして、この仏性そのものとして私たちを常に支え、応援し、生かしてくれているのです。 しかし、私たちは五欲の一時的な快楽や享楽に溺れて振り回されて、仏性に生かされて生きているという本質を忘れてしまっています。 涅槃会や三月十七日から始まる彼岸会、故人のご命日などは、先人達が本心本質をを見失っている私たちに、目を覚ます機会を与えてくれたのだと思うことがあります。宗教はその役割を担っているのです。 本心に目覚めて善き行いを修せば、いつでもご先祖様、亡き人の応援、助けがあるものです。仏性に生かされて生きている。仏に手を合わせ、仏の説かれたことに耳を傾ける機会を大切にしていただきたいと思います。 |
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「是処即是道場」 日常生活や心が調うと善き方向に自然と転じてくる。 |
「是処即是道場」は妙法蓮華経第二十一巻の如来神力品の一節であります。永平寺御開山の道元禅師が入寂される時に、療養していた京都の深草の一室の柱に、唱えながら書き記した経文であります。 「若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般涅槃したもう。」 超訳しみますと「何時でも何処であっても、自分が今立っている場所はすべて仏道を実践修行する道場であると目覚めて、この命を生かそうではないか。仏様もすべて今此処において本当の生き方に目覚め、仏道を実践し、究極の悟りを得られたのである。」 このことに目覚めて生きないと、無駄に日暮らししてしまいます。なんとなく一日を過ごすことを「空過流転」といって時間の殺生です。本来生かせる命を生かさなかった一日をつくってしまった「殺生」とも言えます。 私たちはどこか別の世界に究極の楽園というか、極楽浄土、悟りの世界、仏の世界があると思ってしまいます。そうではなく今此処、自分の今立っている場所、その以前に自分の命を自立させなくてはいけません。これを孟子は「立命」といわれました(立命館大学の名前の由来でもあります)。この命を立てた処を「道場」と呼び、「阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、般涅槃する」場所であるのです。 お釈迦様もお悟りを開かれたといって安楽な世界に安住していたわけではありません。いやむしろ、当時としては驚異的な八十歳になって、入滅される直前までご修行とお説教を続けられました。今でも息を引き取る直前まで説かれたものが「遺教経」として今でも涅槃会、お通夜で拝読する習わしになっています。 この世は「娑婆国土」といって苦しみに満ちた世界であるから、早く極楽の世界に行こうというのではなく、今此処に自分の全身全霊をかけてみる。ひとつになってみる。そこに阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、般涅槃の場所であると思い切って飛び込んでみる。そうすると、俗的にいえば「いいモノ」が出来てくる。善き方向に転じてくるのです。もちろんモノは物品だけに限りません。日常生活や精神、心も含まれます。すべてが善き方向に変わってくるのです。 マイナスもプラスに転じてくる。自分自身が変わってくる。自分が変われば相手も世界も変わってくるのです。世の中が、法輪が転じてくる。その原点こそ「是処即是道場」という自覚であると思います。 |
| 2/15 | 「末後の一句」 今日は人生最初で最後の一大時 |
末期とは禅学大辞典によれば「最後。最後に。ついに。終りの。究極の。また命終の時をいう」とあり、末期の一句は「末後の一句とも。向上絶対の一句。仏道極妙の境地を述べた活句。」とあります。 日曜坐禅会の後に毎月一回無門関の勉強会をしており、先月は第十三則徳山托鉢を取り上げました。師匠である徳山宣鑑禅師(782~856)と兄弟子の巌頭全豁、弟弟子の雪峰義存との間で末後の一句がテーマになって問答が繰り広げられる話です。 昼食の合図である雲板や太鼓が鳴らないのに、鉢を持って食堂に来た住職である師をなじって方丈に戻らせた典座の雪峰に対して、あの師は「まだ末後の一句が手に入っていない」とわざと周囲に聞こえるように巌頭が答えました。それを伝え聞いた師は巌頭を呼びよせ、その真意を問います。すると翌日の師の説法は見違えるほどになり、巌頭は喜んで師が末後の一句が手に入った、もう誰も手出しが出来ないと宣言した。という話です。 なお公案についての私見はここでは避け、詳細は各自無門関の原文を手に取って参究してください。 さて、末後の一句というと、禅僧の遺偈でもあります。最期の最後に、死の間際にその心境を吐露して偈頌にしたためるものです。 飯山の正受庵で臨済宗中興の祖、白隠禅師を厳しく指導し、眼を開かせた正受老人(道鏡恵端)は、八十歳のある朝、次の遺偈を書にしたため、坐禅をされたまま、からからと大笑せられ、そのまま遷化されたといいます 「坐死」 末後一句 死急難道 (しきゅうにしていいがたし) 言無言言 (むごんのごんをごんとし) 不道不道 (いわじ いわじ) 私訳:坐死 死はいつでも忽然とやってくる(いやいや、死はいつでもやってきているぞ)。末後の一句などわざわざ言っている暇などない(末後の一句などといかにも大事なことのように思っているが、そんな特別のものはない。いつでもどこでもなんでも末後の一句じゃないか)。 そもそも言葉では究極のところは言い表せない(言葉などなんの当てにもならない)。 言うまい言うまい(わざわざ言わなくても今まで生きてきたこと全てが末後の一句におさまっているぞ)。 私たちが考える「死」とは心臓が止まって冷たくなった命終の状態を示しますが、実は今この瞬間も生と死が一つになっているのが真実の見方です。この身体は一瞬一瞬変化して留まることがありません。生と死をひたすら繰り返しています。時間軸で見てみても同様にこの一瞬、この一日はこれが最期で最後の一瞬で一日です。一瞬の死がまた一瞬の生を生み出しているのです。 圜悟禅師の「生也全機現、死也全機現」も生も死も同じ大自然のはたらきである。生が尊く、死は忌み嫌うのは人間の頭の世界の話です。わざわざ末後の一句など命終の時だけ、また究極の一句などと持ち上げるものではありません。強いて言えば、生死がひとつになった今ココこの一瞬こそ真実であり、尊く貴いといえるでしょう。 ですから、赤ちゃんのが産まれときの「オギャー」と、人が息を引き取るときの「ンー」を、仏教では仁王様の阿吽で表現しますが、どちらも同じ尊さがあるのです。ここのところを、無門慧開禅師は「最初の句を識得すれば、便ち末後の句を会す。末後と最初と、是れ者の一句にあらず」頌しておられます。最初も最後も、いや人生の風景全てが一大事であり、同価値であるのです、 ですから、大事なのは今生きていること。それ自体が尊く貴いということです。ただ、そのことに気がついて精一杯人生を今日一日を尽くしきって生きるか、ただ、楽な方に流されて、無駄に過ごすか。そこに優劣があるわけでありませんが、尽くしきって生きることは、苦しさも伴いますがそれ以上の心の悦び、充実感も得られるのです。楽に流された一日は一時的であり、心はいつも今に直視できなくて、楽な刺激を求めて彷徨い、満足できないために愚痴る生活に陥ってしまいます。愚痴は、真実を知ろうとしない心です。これが、疑心暗鬼になったり、右往左往したり、不確かな情報に振り回されることになってしまいます。それでは、せっかくのたった一度の人生もったいない。 今日は人生最初で最後の一大時。一大時は一大事でもあります。「死んだつもりでやれ」と昔よく言われましたが、死は人生最後ととらえれば「人生最後だと思ってやれ」と言う意味であります。実は「つもり」でなく、どの一日も一瞬も本当に最後なのであります。また、今日は釈尊涅槃会(当山は月遅れで三月七日に行います)、お釈迦様の最期のお説教「遺教経」はもちろん、全ての経典や言葉に学び、常の一切の行為。行住坐臥のすべての行履にも真理が現れておられます。偲びつつ、学び、真似ていきたいと思いを新たにしたいと思います。 |
| 2/1 | 「正師を得ざれば、学ばざるに如(しか)ず」 求めて学べば、必ず師匠は現れる。 |
道元禅師の学道用心集にある言葉です。学道用心集は宋から帰朝して普勧坐禅儀を撰した翌年1234年に撰述されたもので、仏道修行を志す者が、真っ先に心掛けることを十章あげています。その第五に「参禅学道は正師を求むべき事」に詳細に出てきます。その後半部を紹介します。 「正師を得ざれば、学ばざるに如ず。夫れ正師とは、年老耆宿(ぎしゅく)を問はず。唯だ正法を明めて、正師の印証を得るものなり。文字を先(さき)とせず、解会を先とせず、格外の力量あり、過節の志気ありて、我見に拘はらず、情識に滞らず、行解相応する、是れ乃ち正師なり。」 意訳:正しい師匠を求め得ることが出来なければ、仏道を学ばない方がよいくらいだ。正しい師匠であれば年齢や修行歴などの経歴は問題にしない。ただ、正しい(如来の)仏法を明きらかにして、その正師たる印可証明を得たものでなくてはならない。文字言句を知ることや、仏教教理を理解することが仏道修行の第一ではない。正師とは、文字、教理の理解を超えた、徹底した修行の力量を持ち、大きな求法の志を持ち、自己中心的な考えに拘わらず、分別を離れた、修行(修)と見解(証)が一致した方こそ正師である。 道元禅師にとっては、宋国で出逢った如浄禅師がまさしく正師でありますので、師のお姿を眼に映じながらこの文章を書かれたことでしょう。よきお師匠様には必ずよきお師匠様があられるはずです。昨年ご講演いただきました八田捷也先生には佐保田鶴治先生というヨーガ禅の大巨匠がおられるわけです。そして、その八田先生のお弟子様の坂本悦子先生に今ヨーガ禅を教えていただいているのも有り難いご法縁といえます。 私自身が僧侶として沢山の曹洞宗や他宗の老師にもお世話になりましたが、皆それぞれに大先達の正師をお持ちであります。ただ知っているというのではありません。そ膝下で学び、ご修行されたことを今以て実践されている方ばかりです。 では、正師に出逢うのにただ待っていればよいのでしょうか。何処かに良い師匠さんが自分を見つけてくれて、手取り足取り教えてくれるということは無いと思います。 以前それに近い考えをしている若手の僧侶がいて幻滅した事があります。誰かが学ぶことを教えてくれるまで待っていることほど愚かなことはありません。まず自分から学ぶことです。道を求めることです。そうすれば、その志のアンテナの周波数に見合った師匠が現れてくるのだと思います。師匠は自分自身の心の投影であると思います。ですから、道を学ぼうとしない人、求めていない人には正師が勝手に現れて教えてくれることはないと思います。 もし、正師たる人物に近づくことがあっても、こちらのアンテナが立っていなければ、ご縁が繋がらないでしょう。ただ、そのような人物に出逢ったことでアンテナが立つということもあるでしょう。それは潜在的な道を求める心が出逢いによって目覚めたのではないかと思います。 さて、二月三日が節分。約一ヶ月弱の寒中も終わり、いよいよ季節は春になります。マイナス十℃を下回る日でも参禅される皆様に本当に頭が下がります。求道心がないと、この富士見の寒中に参禅することはできません。冬場だからと坐禅をお休みすると、せっかくの求道心が育ちません。寒中だからこそ求道心が育ち、高まり、深まり、広がるのです。特に坐禅はどんな環境にあっても心を坐らせることです。良い条件、環境でないと坐れないというのではもったいないと思います。 |
| 1/15 | 日日是好日 悩む日も真実の姿だから安心して大いに悩む。 |
茶道をテーマにした「日日是好日」という映画がありましたが、禅語の中でも五本の指に入るほど有名な言葉であります。 漢字五文字中三文字が「日」で「好」という字の組み合わせがとても明るく、とても好い日、良い日常を想起させてくれます。茶掛けでよく見ることが多いのでご存じの方も多いと思います。 この禅語は碧巌録第六則「雲門日日好日」が出典です。 「挙す。雲門垂語して云く。十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道い将ち来たれ。自ら代わって云く、日日是れ好日」 雲門文偃禅師(864-949)は中国唐代の禅僧。雪峰義存禅師の法嗣で雲門宗の開祖と言われています。有名なのが「雲門の三句(函蓋乾坤、截断衆流、随波逐浪)」と「雲門の一字関」であり、その宗風は機鋒峭峻であり、語句は簡潔、接化の手段も他と著しく異なるものがあった(禅学大辞典)。 雲門禅師が修行僧達に垂示をしながら問いただします。ちょうどその日が十五日だったのでしょう。「十五日以前の事は問わないが、十五日以後、お前さんの禅の境地を示す一句を持ってこい」という問いです。それに対して、修行僧達は誰も答えられる者はいませんでした。 そこで雲門禅師自ら「日日是れ好日」と答えられたのです。 よく「毎日が好い日である。」と解釈されることが多く、人生は毎日が好い日の連続であって欲しいわけです。しかし、実際にはそうではありません。天気のように晴れの日もあれば雨あられの日も、どんよりと曇った日も、大雪で立ち往生してしまう日だってあります。体調の良い日も悪い日もあるのが人生です。それをどうして好い日だと言えるのでしょうか。 好いに対して悪いをセットで考えてしまうのは人間だけでしょう。悩みのない状態は良い。悩みがあるのは悪いという比較する価値観は人間が勝手に作り上げたものであります。そもそも大自然にはよし悪しはありません。人間にとっては災害であっても、大自然には害という概念がありません。比較して考えるのは人間の頭の中だけのことです。この比較なしの真実の世界を雲門禅師は頌に「上下四維等匹無し(どこにいっても比べるものなし)」と示しています。 「人間は悩める生き物」ともいわれますが、悩みは悪いわけではありません。「悩みによってはじめて知恵は生まれる。悩みがないところに知恵は生まれない」といったのは古代ギリシャの詩人のアイスキュロスです。また、ゲーテは「人は努力する限り迷うものである。」ともいいました。 誰しもそれぞれ何かしらの悩みや迷いを抱えて生きています(ちなみに悩みランキングのトップは健康面だそうです)。もしその悩みのない楽園のような日々が生涯続くならば、それは人生と言えるでしょうか。 やはり、悩みも迷いも大事な人生の一コマであるのです。悩まなければならない時節は大いに悩むしか道はありません。そこから解決に向けた努力と智慧が生まれ、新しいものが生み出されていくことに繋がるのです。ですから悩むことは悪いことだという考えは捨てて、これも真実の姿、人生の一風景だと安心して悩むことができたら「日日是好日」でしょう。 しかし、頭だけで「安心して悩む」と理解しただけではこの境地には至れません。だからこそ修行があるのでしょう。私は「日日是れ修行」が「日日是れ好日」と同意語に思えてなりません。さすがは雲門禅師が「句中に機を蔵す」といわれるだけの、軽々しく近づけない一句であります。 |
| 1/1 | 「新年仏法問如何」 「楽」や「辛さ」では量れないものを問う |
謹んで新春をお祝い申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 心新たにこの一年を始めるにあたり、私自身が昨年末に心をリセットさせていただいたことをお話ししたいと思います。 昨年十二月一日から七日まで朝晩お釈迦様がお悟りを開いた成道会に因んで瑞雲寺でも臘八攝心会を修行いたしました。毎回参加された地元の方、それから日中も坐りたいと、ほぼ一日中坐禅された方もおられました。「坐禅は安楽の法門なり」と道元禅師は普勧坐禅儀でお示しではありますが、実際に平常の坐禅で一回の四十分を坐るだけでも特に足に負担がきます。それを何回も繰り返すと痛みが出てきます。この苦痛と向き合うのは正直辛いものです。 それがこれらの皆さんは休んでいる時間はほとんどなく、ひたすらに坐禅されていました。また、現役でお仕事でも活躍されているので、時間に余裕があるのではなく、限られた時間を捻り出しての参禅であります。足の痛みもあるでしょうし、休みの日など楽をしようと思えばいくらでもできる状況にあるでしょう。おそらく仏法とは「楽」や「辛さ」では量れないものであることを自得されておられるのです。これには曲がりなりにも禅宗である曹洞宗僧侶、すなわち禅僧であると自称している自分自身が本当に恥ずかしくなりました。 毎朝坐禅していること、坐禅会を開いて、未熟な説法をして満足している自分。それは外に向けての自分に他なりません。本当に自分自身を深く掘り下げて坐禅をしていく、己の修行がまだまだ充実していないのです。それは自分自身に手を当ててみればよく自分が一番よくわかります。 ただ、昨年の臘八摂心では参禅者の皆さんの姿に私自身が大変感化され、菩提心、求道心が沸々と湧き上がってきたように思います。一ヶ寺の住職であろうと、いつでも仏法に対して問題意識を持って、常に問いかけていきたいものです。 さて、今回は大智禅師の偈頌であります。大智禅師(1290-1366)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧で詩偈の天才と評されています。 「元旦」と題する二首のうちの一つであります。 新年仏法問如何(新年の仏法如何と問う) 開口不須説似他(口を開いて 他に説似することを須(もち)ひず) 露出東君眞面目(露出す 東君 眞面目) 春風吹縦臘梅花(春風吹き縦(ほころ)ばす 臘梅花) (意訳) 心新たに元旦に仏法の一大事を自らに問いかけてみる。 それは、言句を超越しているので、とても口を開いて言葉にして他人に説けるものではない。 説けるものではないが、天の神が 本来の姿を現してくれている。 それは春の風に臘梅の花が一心に、ひたすらに咲きほころぶ姿である。 参禅者の一心ひたすら前向きな姿は、まさしく大自然のはたらき、仏法そのものであります。しかし、一心ひたすら前向きになれない時は誰にでもあるものです。私自身も当然あります。そのときの自分を分析してみると「楽をしたい」「辛いことから逃げたい」という思いに頭が占領されています。そんなときは、寒いという言い訳を振り切って思い切って外に出てみることです。この行動こそ「新年の仏法如何と問う」です。問いかけとは、積極的に行動することに他なりません。そこには大自然のはたらき、仏法が何時でも何処でも展開されているというのです。その姿に触れた分だけ自分の中にも「楽」や「辛さ」では量れない仏法の価値観が発動してくるのではないでしょうか。 「新年の仏法如何と問う」からはじめてみたいと思います。 |