瑞雲寺行持報告
| 令和8年10月1日 | 大般若会・観音例祭・法話の会 | 5日前の週間天気予報では台風の影響で雨の予報で、「予報は変わりにくいでしょう」とありましたが、一転して雲ひとつ、風ひとつない青空になりました。住職である私は雨男を自認していますが、今回は本当に天候に恵まれました。 お彼岸に薬師堂のお勤めをした際、またその前後に不思議な仏縁を体験をしました。今回のこの天候もきっとお薬師さまのお陰であります。朝堂内をお掃除をさせていただき、般若心経と薬師本願功徳経をお勤めしました。すると最後のご真言の大呪が心地よくて何度も何度も繰り返しました。ご真言はお薬師さまの歓喜の音声と受け取りました。最近仏菩薩ご神仏は本当にいらっしゃることが修行を重ねる毎にはっきりしてきています。 さて、今回は百名ほどの参加を得ました。これは今回の講師をお願い致しました野口法蔵老師のお陰であります。思いがけなく大勢のご参加でしたので椅子が足りなくなるほどでした。 大般若会は大般若経六百巻を転読する法要です。毎日理趣分を修法していますので最近は導師も慣れたものだとほとんどぶっつけ本番で行っていました。しかし、やはりお彼岸で仏菩薩ご神仏はちゃんと私たちを観ている、お導きしてくださっていることがはっきりしたものとしては、もう一回点検して誠を尽くす、更に最善を尽くすことこそ仏恩を報ずることだと気を引き締めました。そこで作法を見直して、何度も習儀を重ねました。まだまだ完全に納得いくものではありませんが、以前に比べれば作法も向上し、十三名の住職様と百名もの皆さんの般若心経に後押しもあって今時点でのベストは尽くせたと思います。 それと、この本堂にお集まりいただいた仏菩薩が私たちを働かせて大般若の梵風を一大旋風を起こしてくださったのでしょう。堂内の熱気は最高潮になり、大般若の回向にあるように仏菩薩の威光が増加(ぞうぎゃ)するということを実感しました。 観音例祭では観音経と延命十句観音経を読誦しました。法話で般若経典が男性的であるならば、法華経は女性的であると野口先生がおっしゃいましたが、同じことを私も感じていました。観音経と十句観音経は観音様の慈悲のシャワーが甘露の雨となって降り注がれているような感覚になるものです。この組み合わせは大変有り難いものです。 さて、野口法蔵先生のご法話は「からだに効く般若心経」としてお話しいただきました。先生とお会いして20年。特に修行に関しては先生の姿から多くのことを教えていただいております。 先生は修行を通して、輪廻転生があることがはっきりして、死ぬことへの恐れがなくなったそうです。その基本となるのがこの般若心経を毎日唱えていくことで実現できるとされ、私たちもそうなれるとお話しいただきました。 また、チベットでの寒さや小食の中での修行の体験を通じて、人間の潜在的な能力、動物としての自然治癒力などが発揮していくことの大切さを身をもって体験されました。帰国後、それを坐禅断食として一般の人たちにご指導されていますが、お医者さんと共にその効果効能をしっかりと解明されたお話もいただきました。 また、「意味はわからなくてもよいから、とにかく毎日姿勢を正して、特に首がまっすぐになるようにして合掌してお唱えする。」「自分が自分に向かって唱えるのだから声に出して読んでいく。まずは一万回。」「とにかく毎日続けていく」「1日二十分」「呼吸は1分間に四回」「合掌はまっすぐ頭の上部に」、「いろいろなお経や修行があるが般若心経が非常に優れている」などなど多くの学びと、明日からいや今日からできる般若心経の実践について教えていただきました。私にとって更に修行に菩提心に火が付いたお話の数々、私自身が大変有り難く拝聴しました。 私も昨年より先生に教えていただいた礼拝行を、現在までこの一年間毎日百八礼拝を続けさせていただいています。道元禅師は「おほよそ礼拝の住世せるとき、仏法住世す。礼拝もしかくれぬれば、仏法滅するなり。」礼拝がなくなれば仏法はなくなるとまでおっしゃっています。 これからも野口法蔵先生から教えていただいた礼拝行を更に続けていく決意が固まりました。 今日は多くの皆様にご参加いただき誠にありがとうございました。 ![]() ![]() |
| 7月19日(日) 二日目 | 夏期坐禅とヨーガの体験会 | 昨日の雨のお陰で涼しい朝を迎えました。昨日のヨーガと坐禅が効いているのでしょう。昨日よりも30分も早い2:30には目が覚め、3時前に起床しました。二日間参加された方の中には同じように昨日よりも早く目覚めたかたもおられたようです。 身体からヨーガをやりたいという呼びかけではないか思います。身体と心が本当の清々しさを体験したことで、内なる自分が目覚めたともいえます。その目覚めは、早起きの目覚めにも繋がります。心は朝つくられるといわれますが、朝の目覚めは心にとって重要な意味を持つのです。 6時にかかっていた雲は日差しともに消えていき、陽の光がだんだんと差し込む中、二日目の体験会を始めました。38名の参加者の中には昨日の体験した後に、希望された方も多くおられました。ヨーガや坐禅は即効性があるものではありません。陽の光と同じようにだんだんと徐々に、時間差を置いて効いてくるのです。 また、朝一番は少し緊張したお顔だった方が、アーサナ毎にほぐれていき、笑顔や穏やかになって行かれる様子が見て取れました。 坂本悦子先生のヨーガでは金剛坐の坐り方から、姿勢と呼吸の調え方を教わり、シャバアーサナののち、昨日の続きである簡易体操の4番と5番を実習しました。簡易体操は上半身の隅々まで血流が行き届くような感覚がして非常に気持ちよいのです。はじめて教わった当初は簡単過ぎると思っていた体操が、今になって身体に悦びを与えてくれるかけがえのないものになっています。 その後、今体験会のテーマである猫のポーズを教わりました。二番目の四つん這いになって片足を伸ばすポーズの時の皆さんの表情はまさに猫の顔でびっくりしました。精神も猫になりきっていたのか、ポーズが猫にしたのか。どちらでもあるのでしょうけれども。 そして、一時間半の実習を終えると、既に皆さんの身体は余計な力みが消えて、瞑想の準備が整ったようで、坐禅を組むことを欲しているように感じました。先生はその機会を見逃さず、皆さんにシャバアーサナ・達人坐を組ませて坐禅に引き継いでくれました。 坐禅を組ませるのではなく、身体が自発的に坐禅を組みたくなることが大切であります。お釈迦様も苦行から自然に坐禅に移行したように、必然性を感じなければどうしても余計な意識や力みが生じてしまいます。ヨーガは瞑想坐禅の呼び水になるのです。 また、今回猫のポーズを教わる中で気がついたことがあります。それは人間は猫や動物のポーズを真似することができますが、動物は人間のポーズを真似できませんし、真似しようとも思いません。人間の優れているのは、真似ができることです。坐禅のポーズはまさしく、仏様のポーズです。諸々の仏様は全て坐禅によって成道され、本当の自分に目覚められたのです。その仏様を真似しようと思える存在、またそれを実践できる人間に生まれることができたのは、本当に貴重なのです。そのようなことをお伝えしながら10分間坐禅を組んでいただきました。 坐禅の後、般若心経の読経の後に少しお話をいたしました。 今日のこの日を待っていたかのように境内の蓮の花が咲き始めましたが、私たちの心の中にも仏様になる種・蓮の実が具わっていることを忘れてはいけません。そのことに気がつかず、この世の欲にまかせて生きていると、発芽することなく、そのうち腐ってしまします。腐らせないためには昨年張った根を取り出し、泥を耕し、適度に栄養を与えていくという手入れをしなければなりません。そうすると、そのうちにその欲をも養分に変えて花を咲かすのです。この花こそ仏智見であり、智慧とも般若ともいうのです。この智慧を完成させることを般若波羅密多と呼び、この花のことを妙法蓮華というのです。どうか、この二日間の体験を元に自らの蓮を咲かせていただくことが、主催した当山の本望であります。 最後にこの二日間通ってくれた中学2年の男子学生さんがおられました、二日目の帰り際にお顔を拝見して驚きました。昨日とは一変されているではありませんか。その微笑みには多幸感が滲んでいました。心の充足感がはっきりと表情に現われいました。これこそお釈迦様が体験した心です。これを正法眼蔵涅槃妙心といいます。 坂本悦子先生、二日間ご参加いただいた皆様に感謝申し上げます。 ![]() ![]() |
| 7月18日(土) 一日目 |
夏期坐禅とヨーガの体験会 |
連日30℃を越える日が続きますが、今朝は薄曇りで涼しい風が本堂を吹き抜ける体験会の第1日目を迎えました。ちょうど40名がお越しになり、本堂は満員となりました。初心者の方や先生のお教室の方など多くの方に体験いただきました。 ヨーガと坐禅は同じくインドが発祥ですので、親戚のような関係といえるでしょう。当然、お寺にお祀りしている仏様はインド由来の神仏ですから、お寺でヨーガを行うと仏様が古里を思い出すように「懐かしい」と喜んでくださるような気がして、住職の私自身もとても嬉しく感じます。 まずは、講師の坂本悦子先生にヨーガ禅をご指導いただきました。基本の坐り方のひとつである金剛坐(バジラアーサナ)を丁寧に教わり、呼吸を調えながら背骨をひとつひとつ立てていきました。姿勢と呼吸が落ち着いたところで、ご挨拶をしました。 挨拶一つでも心から行うには、ます調えなくてはなりません。何事でも丁寧に行うことが入り口であると再認識しました。シャバアーサナの後に簡易体操の二番と三番をいただき、更に猫のポーズをご指導いただきました。猫のポーズは簡易体操の発展した形でもあり、基本形をしっかり丁寧に行うことの大切さを教わりました。 猫は自らの身体のゆがみを矯正するために、本能的に伸びのポーズをとるのだと思います。人間ももちろん動物ですが、自然から離れた生活をしているために本来のあるべき身体を状態を忘れてしまっているのだと思います。そこで動物の動きを観察し人間の身体に当てはめた先人の智慧には学ぶ意義があると思います。 そのあとに、住職が坐禅をご指導致しました。坐禅は坐蒲を用いずそのまま畳に腰を下ろすスタイルの達人坐(シッダアーサナ)で足を組んでいただきました。達人坐はヨーガでは坐禅で組む結跏趺坐(蓮華坐)よりも一般的な坐法であり、膝への負担も少ないので年配の方でも組みやすいものです。「心を高度に活動させながらも、心は落ち着き静まっているのが坐禅」と説明しましたが、具体的には呼吸や丹田に意識を集中させていくことです。集中が極まると、自他を忘れる統一の状態になり、やがて三昧へと繋がります。呼吸や丹田に集中していくための準備段階としてヨーガは最適だと思います。 最後に般若心経を全員でお唱えしました。皆さん練習したわけでもないのに一発で揃って唱えられるところをみると、普段からなじまれているのでしょう。今日のヨーガ禅で得られた心の清浄心を、仏様はじめ全ての存在にも分け隔てなく、手向けるようにと普回向で締めさせていただきました。 ヨーガや坐禅は「人間を本物にする」と私は思っています。本物とは何か。それは今日皆さんがヨーガや坐禅で体験した「清々しい心」「わだかまりのないすっきりした心」「純粋・純真な心」を持つことです。それは即ち仏の心であり、「空・くう」の心です。そこに至る過程を「色即是空」と般若心経は表現されていますが、その空の心で物事を見れば、物事が本物に見えてくる、物事の本質が見えてくるのです。草木の緑であってもその命が光り輝いて迫ってくるのを感じると思います。これを「空即是色」といいます。ただし、私たちは「色」の世界だけが本物だと思い込んいる習慣が染みついているので、一回二回では「空」から視る見方が定着しません。どうか続けてください。続けることしか見えてこない世界があるのです。そんなことをお話しさせていただきました。 ![]() ![]() ![]() |
| 令和8年7月3日 | 施食会(施餓鬼会) | 前日まで降った雨も止み、涼しい梅雨晴れの朝を迎えました。恒例の施餓鬼法要が厳修されました。 今年は例年より多くの皆様、約200名の参加者をお迎えして、盛大に法要をお勤めすることができました。 まず法要に先立って、導師である住職が、法語をお唱えしました。「この人間界から餓鬼道に堕ちてしまった精霊たちよ、畏れることなくどうぞ本堂へ、施食棚にお上がり下さい。今日は多くのお施主様方がお越しになり、清らかな心でもって食べ物や水等を皆様に施しをして、皆様を餓鬼道の苦しみの世界から成仏の道へとご供養くださいます。どうぞお集まり下さい。」と呼びかけました。その呼びかけに応じて多くの精霊が集まってきていることを観想しました。 お参りを下さった皆さんが真剣にご焼香されている後ろ姿には、清々しさが漂っていました。このように施主の皆様の清らかな心で施しをしてくださったおかげで餓鬼道に落ちた精霊たちも、心を一転一新して成仏の道を歩まれたことだと思います。そんな想いを一座一座観想しながら、導師をお勤めさせていただきました。 道元禅師は「布施とは貪らざるなり」とお示しです。貪り心、怒りの心、そして愚痴の心を仏教では心の三毒といって、心を汚す行為として克服することを目標としています。施主をつとめる私たちはこの施食会を通して、三毒の解消に努めることも忘れてはいけません。 これからお盆を迎えます。お盆の由来にも餓鬼道の精霊を救う故事が出てきます。苦しみの中にいるもののために自分自身を精一杯尽くす、施すことこそ、人間界で生かされている者としての忘れてはならない大切な役割だと思います。 これからお盆になります。ご先祖様の供養とともに、すべてのものを救うための布施行の第一歩として、まず自らの心の貪りの心を離れ、更に仏道を学ぶ機会にしたいものです。 |