ラバウルの属するパプアニューギニア国は、三十年前、豪州による国連信託領から独立した。国土は世界第二位の大きさのニューギニア島の東半分「大陸部」と、島嶼部では、ラバウルが州都のニューブリテン島とそれと対をなすニューアイルランド島のビスマーク諸島、東のソロモン群島のうち、ブーゲンビル島などからなる。陸上の激戦があったのは、ソロモン 群島の大半からなるソロモン諸島(国名)のガダルカナル島とニューギニア本島(西半分の現・インドネシア・イリアンジャヤも含み)北岸の各地だから、米軍の蛙跳び作戦で一種跳ばされた格好のラバウルには、思い出の跡はあるが、戦闘跡はほとんどない。以上が、ラバウルの今である。当時のラバウルについての説明は、「若年」の私ができることではない。ただ、天然の要港であるラバウル湾(シンプソン湾)を取り巻く外輪活火山のうち、ダブルヴル山(日本名:花吹山)ほか一山が十年前にも大噴火をし、ラバウルの中心地区は現在、その降灰除去等の復旧中であることは、最近のニュースだ。 ラバウルの人たちには日本人と暮らした経験から日本的な生活様式が残っている。たとえば、話しをしていても、常に話し相手の意図を先回りして推測・理解しようとする。とは、ツアーガイドさんの解説だったが、私が話しかけるちょっとしたことでも、すぐに、そのことがわかった。日本人同士の会話と同様スムーズなのだ。いままで、日本語だから会話が楽だと思っていたのだが、彼らとの英語混じり(ピジンイングリッシュという英単語起源の自然発生語)の会話ででもスムーズなのは、全部を事細かに言わなくても相互理解が可能となる、日本的会話だったからだろう。 |