※ 中山みきのお話を若者の目線で話し合いませんか? ※
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あなたは、今の天理教に疑問や不安を感じたことありませんか?
少しでも感じたことがあったら一緒に考えてみませんか?
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私は教会の娘です。しかし、父である会長が今の天理教に疑問や不安を感じ勉強して間違っていることに気がつき、離脱というかたちで、天理教から、独立しました。
しかし、中山みき様は私達の教祖であることには代わりありません。
教会の息子さん娘さんたちにこそ、私は色んなことを話してみたいと思います。
あなたは、天理教教会長になりたいですか?
あなたは、天理教教会長婦人になりたいですか?
あなたは、天理教教典を文字どうりに理解していますか?
皆平等と言っていますが、私はそうは思いません。なぜなら下の教会は「お供えしろ」だとか言われて苦しんでいるのに、上の教会はとても苦しいという感じではありません。あなたはこんな矛盾だらけの天理教で本当におたすけをして助けられると思いますか?
一度、櫟本分署跡へ行って見ませんか? 教祖、中山みきのこと沢山分かると思います。
あなた達はきっと教祖の産まれた場所や、参考館は見たことがあるでしょう。しかし、教祖がご苦労なさった場所(牢屋)などは見ていないと思います。ぜひ、天理に帰って来た時は、櫟本に足を運んでみて下さい。きっとあなたの疑問が解決します。
あなたのご意見を聞かせて下さい。
私も、勉強を、始めたばかりです。
あなたも、一緒に勉強しましょう。
櫟本でお会いしましょう。
そして、今の天理教を変えましょう。あなたのお力が必要です。
若いからこそ今の天理教から真っ直ぐな道を歩むことを始めましょう。
特に、10代から20代の方の意見が聞きたいです。
真柱様のお言葉
四代真柱様は(立教百六十三年)春季大祭から(立教百六十五年)まで、「つとめは、第一義は、ぢば・かんろだいを囲んでつとめるかぐらづとめを指しますが、その理を頂いて、国々所々の教会でも月々のおつとめを勤めるのであります。」
三年間も続けて同じ言葉で話しています。
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22歳のヨシ
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※ ♪よろづよ八首、十二下りのおつとめについて ※
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★十二下りのおつとめとは、6人でかんろだいを囲んだ形でつとめるのです。
『どうして?』と聞きたくなりますよね?
では「何故教会本部や、教会では、横一列に並んでおつとめをするのですか?」
私は何も知らずに毎月の月次祭をしていました。
でも、教祖は一つひとつに意味があると、教えて下さっているのです。
十二下りの全ての意味をかんろだいを囲んでおつとめすることによって分かるからなのです。
ですから、教祖は、国々所々でかんろだいを囲んでおつとめをしなさいと教えているのです。
十二下りの意味が分かると、今までのおつとめとは何だったんだろうと思うでしょう。
おつとめの意味は、
http://www.medias.ne.jp/~mikihisa/
ホームページで読んでみて下さい。
とても勉強になります。
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かぐらづとめについて
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★かぐらづとめは、10人でつとめます。8人が、かんろだいを囲み、2人は雌雄(♀♂)で夫婦の方がつとめるのです。
最初に、「ちょとはなし」をつとめるのです。しかし、座っておつとめをするのではありません。
今の各教会では、皆さん座っておつとめしていますが、これも意味があり、座っていても意味が分かりません。ですから、立ってやってこそ意味か分かるのです。
「ちょとはなし神のいうこと聞いてくれ、あしきのことはいわんでな、この世の地と天とを象りて、夫婦をこしらえきたるでな、これはこのよのはじめだし、ヨシヨシ」というようにうたいます。
少し説明させて下さい。
「ちょとはなし」の時は指を立てて人を指さないように前後させます。
「神のいうこときいてくれ、あしきのことはいわんでな」は今までと同じです。
「この世の地と天とを」は、地は両手で地面を指します。天は右手が上を指します。
「形どり」は、左胸下で手と手を合わせます。「て」の時は右手の平を見せます。
「夫婦をこしらえ、きたるでな、これはこの世の」も今までと同じです。
「はじめだし」は、今までは前に出していましたが、これは赤ちゃんが生まれると言う感じで下に出しす。
こんな感じで足もついています。これが本当のおつとめです。
出来ると意味も分かってきます。
次に「かんろだい」づとめです。
「あしきをはらうてたすけせきこむいちれつすましてかんろだい」
これは、説明したいのですが、一人一人が違うので説明は致しません。すみません。
もし興味を持ちましたら、私の教会へ来てみて下さい。毎月11日には、1時より月次祭を行なっています。
来て頂いたら、とてもこのおつとめの意味が分かると思います。(いつでも、CDで見る事もできます)
これで、おつとめはおしまいです。
「あれ?」と思われましたか?
そう、もう一つあるはずですよね!
しかし、この「てんりおうのみこと」は、教祖から教えて頂いたものではありません。教祖が亡くなってから、明治21年東京本部で山沢一族の誰かが創ったものなのです。だから、これはやらなくてよいのです。
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♭ひのきしんとは!
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三下り目
| 八ツ やむほどつらいことはない わしもこれからひのきしん
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七下り目
| 一ツ ひとことはなしはひのきしん においばかりをかけておく
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十一下り目
| 二ツ ふうふそろうてひのきしん これがだいいちものだねや
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| 三ツ みればせかいがだんだんと もっこにのうてひのきしん
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| 四ツ よくをわすれてひのきしん これがだいいちこえとなる
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| 七ツ なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならば
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ひのきしんというのは、日々神様の心に沿う行ないです。神様にお受け取り頂けるような行ないがひのきしんの意味です。
昔は「日之寄進」(ひのきしん)という字を使っていました。
寄進というのは神仏に寄せ参らせるものという意味です。
今どのようにおつとめの理から外れて違和が起こっているかという現状認識をして、調和を回復するように自分が働くことが「ひのきしん」なのです。
日々の生活を正すのが「ひのきしん」です。 父の言葉より
あなたは、「ひのきしん」をしたことがありますか?
あなたは、「ひのきしん」を「ひのきしん」という名のボランティアだと思っていませんか?
それは、違います。
「ひのきしん」は、人のためにするのではありません。自分のためにするのです。
どんなに道を綺麗にしても、自分の心が汚れていては、「ひのきしん」にならないのです。
だから、ただ嫌々「ひのきしん」をしても、意味がないのです。本当にただのボランティアになってしまいます。自分の汚れた心を綺麗にするようにどんなに小さなことでも、人が嫌がることでもやってこそ、素晴らしい「ひのきしん」といえるのです。
「ひのきしん」は、自分の小さな種なのです。この種を良い種にするのも自分、悪い種にするのも自分、なのです。この種が芽を出す前に摘み取らなければ、植物と同じように、まずくなってしまうのです。
「夫婦そろってひのきしん」というように、二人でもよいので、自分の心を綺麗にして、いきましょう。教祖は見ています。あなたの出来ること何でも率先してやりましょう。
toyohumi@po22.lcv.ne.jp
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