1945年7月31日 横須賀海軍工廠
濃緑色の空…否。
それは、鋼の塊。
戦艦「カール・デア・グローセ」は、駆逐艦「雪風」と連れだって、入渠していた。
浮かんでいるときでも十分に巨大な戦艦だが、入渠すると水線下の分、さらに巨大に見える。
果てしなく続く、濃緑色のキール。
押し潰されそうな錯覚を、艦長テレーゼは覚えた。
こんな物が、海に浮かび、そして30ノット以上もの速度で疾走する。
自然の力も脅威だが、人智の力もこんなところまで来ている。
彼女は恐怖と感慨を同時に覚えた。
それにしても、圧倒的な存在感で迫る主砲塔は、既に50.8cmSKC/43砲ではない。
エンジンも、ドイツの誇るMZ65/95ディーゼルではない。
いずれも日本製に載せ換えられ、外板もしっかりと点検・改修されて、北極海でのストレスも取り除かれた。
たった半年の間に、生まれ変わったのだ。
『注水します。総員退去してください』
やがて、警報音と共に、アナウンスが流れた。
彼女もやがてその場を去る。
今は、乗員達もここには居ない。
日本語講座で勉強中なのである。
「侯爵閣下、ハルビンが陥落したとのことです」
突貫工事の大使館へと戻る道すがら、彼女は呼び止められた。
「そうですか。なぜ…? 詳しい話は大使館で」
暑い日差しの下で、そもそも屋外で、こんな事を話すわけには行かなかった。
「改めて報告します。ソ連軍集団がハルビンを陥落させました。関東軍の守備隊は完全に壊滅した模様です」
暑い中でも、かなりのショックだ。
関東軍も都市防衛の地の利を活かして善戦していたのだが、結局は押し潰されるように敗退したとのことである。
「どうして? 奉天には日本の75個師団が配備を完了していたと聞いています。助けようと思えば…」
「私にも解りかねます。部下の報告では、奉天の日本陸軍主力には特に動きはなかったとのことですし」
確かに奉天からハルビンまでは、かなり距離がある。
しかしながら、奉天から200km程北東の長春にも、日本陸軍は25個師団を展開し、これを動かすだけでも牽制は出来たはずだ。
さらに、圧倒的戦力を誇る陸軍航空隊も、同じく特に動きを見せず、いつも通り訓練に精を出しているという。
そして、謎に包まれた海軍の“大魔王”も、動いた様子はない。
唯一行動中の戦略空軍も、いつもの作戦を繰り返すのみで、特に変わった行動は無い。
こうなると、一つの疑惑を抱かざるを得ない。
勿論、どこから飛行機の燃料を調達しているのか、というのも疑問ではあるが、それではない。
そう、わざとハルビンを取らせた…あるいは、わざと関東軍を壊滅させた、という疑惑だ。
やっぱり、そうなのだろうか、と二人は思った。
疑惑は後者の方が確率は高い。
東条独裁体制下において、唯一に近い、独自の発言力を有する組織であるから…いや、であったから、だ。
つまり、ソ連軍を利用して、関東軍を粛正した、という疑惑である。
「侯爵閣下、やはり…」
日本側との折衝を担当する、30代の武官の顔も、深刻である。
「証拠はまだ何もありません」
それを制するように、テレーゼは首を横に振った。
「私達は、信じるしかないのです…」
天井を仰ぎながら、彼女は付け加えた。
相手も押し黙ってしまう。
何もかも、日本側におんぶでだっこ状態。
そもそも易々と口を挟める立場ではないし、下手に口出しすれば、日本国民の不興を買うことだろう。
しかし、東条独裁体制というものを、どうやっても完全に信用することは出来ない。
いずれも噂に過ぎないが、相当汚いことをやっているはずだ。
その証拠を掴んで、失脚させることは可能であろうが、その調査をするのは如何なものか。
バレれば東条を敵に回すことになるだろう。
それは致命的な意味を持つ。
結局、日本人が、自らの手で何とかするしかないことなのか。
だとしたら、何のために自分達はここにいるのか。
何のために、祖国を捨てて、冬の北極海をはるばる渡ってきたのか。
膝に乗せた手に力が籠もるのを、彼女自身が感じた。
「報告は以上ですね?」
「はい」
「では、戻って結構ですよ」
「はい、失礼します。…あまり深刻に考え込まれると、眉間に皺が出来ちゃいますよ?」
立ち去り際に、そういう言葉が放たれた。
「え? ああ、そうですね。ありがとう」
不意に緊張が解ける。
「あ、では。失礼しました」
にこやかな笑顔で、軽く手を振りながら、彼女は部下を見送った。
しかし、和やかな気分も一瞬だった。
結局、何も手を打てないまま、過ぎていくのか。
それを思えば、気分は一気に沈む。
どうにかなるだろうか。
現実は、どうにもならないのだ。
世の中は、容赦なく動く。
それを、祖国ドイツで嫌と言うほど見てきたのだ。
あれは一体何だったのか。
敗北を目前にして、ヒトラーという男は、何を考えたのか
…急に、彼女は日本の天皇にもう一度会ってみたい気分になった。
自分のような臨時ではなく、生まれついての国家元首とは、何を思うのか。
そこに突破口があるようにも思えた。
その頃、金峰山基地では、馬鹿っぽい声を聞くことが出来た。
「おっきいな〜。もう、気が狂いそうなくらい、おっきいな〜♪」
「確かに非常識な大きさだが、何を馬鹿みたいに…」
「ふん、誰が馬鹿じゃい。幾つになっても童心を忘れない、熱い漢だと言え。巨大な乗り物は、男子の浪漫だぞ」
「…勝手にしてくれ」
溜息を付く男と、むきになって語る男は、言うまでもなく新庄将嘉と、柳井槍太である。
そして、問題の物はその目の前にあった。
これは…何かの冗談である。
鰹節系の胴体が三つも並び、それがマンタかエイを思わせる異常に大きな翼で結ばれている。
この翼ひとつ取っても、端から端までは、富嶽を横に2機並べたより大きい。
空母の飛行甲板のような主翼には、数え切れないほどのエンジンが付けられている。
驚くべきは、エンジンナセルの直径より、主翼の厚さの方が遙かに大きい事だ。
勿論、主翼内には通路が通り、飛行中にエンジンを点検、場合によっては整備することが出来る。
与圧もバッチリ効いている。
そして、その機体の至る所に、銃座が睨みを利かせている。
その数なんと38基・76門。
下手な巡洋艦並みである。
いや、実際に巡洋艦並みの図体をしているのだから、それも当然なのかも知れない。
戦艦の主砲で撃っても、結構な確率で命中してしまうのではないだろうか?
そういう非常識が、彼らの目の前に浮かんでいた。
「ふっふ〜ん、爆弾だって、230トンも積めるんだぞ。大満足だ。空中戦艦だ。そう思うだろ?」
富嶽の11.5倍である。
ちなみに、12月7、8日に真珠湾で投下された爆弾・魚雷は、200トンに満たない。
誤植かと思われるほど非常識である。
「こいつさえあれば、例の滅一号作戦も、完全勝利万々歳だな。あの作戦は無茶だろうって思ったんだが、これなら納得だぞ?」
「あんまり浮かれるなよ…」
思えば、初めて「富嶽」を見たときにも、この男ははしゃいでいた。
巨人機が大好きなんだな。
新庄はそう思った。
ちなみにこの機体、19試大型飛行艇「幽谷」という。
真に驚くべきは、これを楽に運用できてしまうこの基地の広大さかも知れない、とも新庄は思った。
あるいはこれを造った連中の技術か。
それともこれを計画した奴の頭の中か。
いずれにしても、彼には呆れ返ることしかできなかった。
今着水した幽谷は、やがて停止し、中から人が出てくる。
出てくる出てくる。
幾らでも出てくる感じだ。
何しろ、射撃手コミで40人も乗っているのだ。
またしても、新庄は呆れた。
「どうだ、宮崎〜! 乗りやすいヒコーキだったか!」
柳井が叫ぶ。
「いえ…ちょっと、やっぱり、“重い”ですね」
「そうか、また後でゆっくり聞かせてくれ!」
大声を出した疲れか、柳井は軽く息を付いた。
「さて、役者も揃ったぞ。例の部屋の出番だ」
「…例の部屋? 作戦があるのか?」
「ああ、聞いてなかったか? ん〜、おかしいな、指示してなかったっけか…? ま、来ればわかるわ」
ぽりぽりと頭を掻く柳井。
「しっかりしてくれよ…」
「バカタレ。それが上官に対する物言いか」
「しっかりしてください」
「同じことだ、この野郎」
相変わらずずけずけと言いたいことを言う新庄(夫)に、柳井は笑いながら毒づいた。
もう、付き合って一年になる。
元々技官上がりで整備士だった事もあって、この状況。
本来は海軍軍令部総長、陸軍参謀総長、戦略空軍統帥部総長と同列の肩書きを持っているのだが…。
もちろん、実験空軍の規模が、これら三軍に比べれば、冗談みたいに小さい事は、無関係ではない。
「何だこりゃ?」
「レーザーポインターですが」
「ほう…おっ、格好いい! 貰っていいのか?」
「駄目です。これは部隊の制式装備品です」
「そうか、残念…」
早く来すぎてしまった柳井は、副長の藤崎を相手に馬鹿なことをしていた。
「街へ出れば売ってるかな?」
「…隊長、皆が待っています」
「お? いつのまに…」
呆れる藤崎。
訂正、柳井を除く全員が、呆れた。
「え〜…」
「ああ、レーザーは失明の恐れがあるので、くれぐれも目に当てないでください」
言葉を遮られた柳井が、眉間に皺を寄せて藤崎を見た。
しかし、相手は「どうかしましたか?」とばかりに自分を見ている。
仕方なく、彼は咳払いをして切り出すことにした。
「え〜…何だか、俺の知らない間に随分増えたな」
80人前後の集団に、笑いが起こる。
今日は飛行機乗りだけの集まりだが、整備士や兵站関連の人員も含めれば、もっとずっと増える。
「まあ、いい。ニミッツの機動部隊が、トラック方面へ進出するのが確認された。フィリピンに展開するマッカーサーの陸軍集団にも動きが見られる」
そこで、柳井は一区切りした。
既に、皆真剣な眼差しに戻っている。
流石は一流だけ引き抜いてきた集団だ。
茶化したい気分を抑えて、柳井は続けた。
「海軍筋の情報によれば、敵は速やかに準備を整え、沖縄を攻撃するとのことだ。推定されるXデイは、恐らく2週間後」
そろそろ、レーザーポインターの出番だ。
「ついて、大本営はかねてよりの計画を実行に移す決定を下した。太平洋全域の支配権を一挙に奪回する“滅”作戦だ。以降、これの解説を行う。藤崎、例の物を」
藤崎は頷き、プロジェクタを操作した。
スクリーンに、沖縄を中心からやや北西にずらした、一辺5000kmほどの地図が表示された。
「作戦は三つに分かれるが、我々の担当は一号作戦だ。滅一号作戦の目的は、ニミッツ機動部隊及び輸送船団の撃滅にある。英国艦隊出現の情報もあるが、一緒に来るようなら、これも撃滅する。米海軍の大型艦艇は大半がニミッツ機動部隊に編入されているから、これを壊滅させることは、米海軍を壊滅させることに等しい」
柳井は嬉々としてレーザーポインターのスイッチを入れた。
「連合艦隊主力は呉と…佐世保だ。現時点でタイムテーブルは敵さん次第だが、特別任務部隊とやらが、まず派手に突入し、注意を引き付ける」
レーザーポインターの赤い点から、赤い矢印が一直線に沖縄沖へと伸びていく。
「紅部隊」と書かれているが、これが連合艦隊の特別任務部隊を指す。
「そして、その背後から連合艦隊主力が敵主力へと航空攻撃を掛け、そしてそのまま戦艦決戦へと持ち込む」
今度は碧の矢印が、フィリピンから伸びる黒い矢印の後ろに回り込むように、九州近海から伸びていく。
「さらに、沖縄に基地を置く海陸軍航空隊が、作戦全般を援護する。これが基本だ」
レーザーポインターの点が沖縄を指し、同時に黄色い破線の同心円が、そこを中心に広がり、半径1000kmほどで確定する。
「これに潜水艦隊、偵察部隊などが加わる他、戦略空軍の爆撃機部隊が誘導爆弾による大規模な対艦作戦を計画している」
潜水艦隊と偵察部隊が、続けて表示される。
最後に紺部隊として戦略空軍の重爆隊が、九州及び朝鮮半島から伸びる矢印で示された。
「さて、敵もフィリピン及び大陸方面から航空機を出してくることが予想される。そこで、灰部隊がフィリピン方面へ先制して爆撃を行い、地上で敵航空戦力を破砕する。恐らく大きな損害は与えられないが、作戦期間中の沖縄及び連合艦隊主力への攻撃を阻止できれば、それで成功と見なす。時系列的には、一番先行しての作戦となる」
灰色の矢印が、九州からフィリピン方面へと伸びていく。
「灰部隊の指揮は俺が執ることになっている。今日来た幽谷の他、富嶽と泰山も連れて行く。他、実験空軍の参加は…戦闘機隊は黄部隊配下として沖縄へ、連山隊は紺部隊、大海…おい、藤崎。なんだ、この大海って飛行機は」
説明の途中で、柳井は困惑した。
「二式大艇に皿回しのようなレーダーアンテナを付けた電波警戒機です。書類を出しておいたはずですが…」
「そうか? 変だな。…まあいい。大海は白部隊として、索敵行動に当たる。え〜、なになに…、状況に応じて富嶽特により空中給油する事を得…? 空中給油か…。以上だが、詳細は配付の資料を読め。明日のこの時間に、もう一度会議を開くから、それまでに目を通して、質問事項をまとめておけ。以上だが、質問は?」
まあ、これだけの大雑把な話じゃ、わからんわな。
そう思いながら、しばし沈黙。
「無いらしいな。じゃあ、解散。ちゃんと読んでおけよ。特に佐藤! 貴様は浮ついていて注意が足りん」
「な、何ですか、それ!」
突然名指しにされて慌てる佐藤。
会場は笑いに包まれた。
戦艦「ルイジアナ」
怪物モンタナ級の末っ子は、米海軍初の18インチ砲搭載艦となり、今やニミッツ提督を戴く栄光の太平洋艦隊旗艦である。
しかし、その怪物ですら頼りないと、その提督は思っていた。
白塗りのモンスター戦艦と撃ち合えば、このルイジアナといえども、たちどころにスクラップにされてしまう、そう、誰もが思っていた。
艦隊は、波を蹴立てて突き進む。
一旦トラック環礁へ進出した艦隊は、マッカーサーの輸送艦隊と合流し、準備を終えたら直ちに沖縄へと出港するのである。
急に増大した日本側の無線通信から、彼の艦隊が動いたことは、既に知られたものと思われる。
いや、知られたのだ。
何故判るかと言えば、日本側の暗号は全部解読済みだからである。
それによると、彼らは何とか一号作戦とやらを計画し、全力で迎撃に向かってくるらしい。
どういう兵力が、どういう風に突っ込んでくるのかまで、しっかり判っている。
…白いモンスターも来る。
ともあれ、これに勝てば、さしもの彼らの工業力を以てしても艦隊の再編には手間取り、事実上の勝利が決定する。
と言うより、今勝たなければ、彼らの艦隊は異常な急ピッチで増勢中で、そうなると永久に勝てなくなってしまう。
なお、一号作戦と言うからには二号以降もあるのだろうが、これは確認できていない。
少々不安なところであるが、これは情報部の仕事で、心配しても仕方がない。
それにしても、いつの間にかとんでもない生産力を身に付けたようだが、暗号が漏れている事には気が付いていないらしい。
彼は少々呆れたが、しかしその暗号にも、解読できない部分があった。
「WTY」という略号が頻繁に登場し、それが何かの新型通信機器に関連しているように推測されるのだが、判らないのである。
わかっているのは、それがもう間もなく実用化―――実用化という言葉が適切かどうかは不明だが―――するらしい、ということだ。
ただし、前後の文面から察するに、私信に近いような内容には思えるが…。
情報部も歯切れの悪い答えしか示していない。
要は、不明ということである。
ただし、ミッドウェイの時のように、地名を示す物でないことは確かなようだ。
「どう思う? スプルーアンス君」
「えっ? 私はただ、無事に帰りたいな、と思っているだけです」
「…」
このチキン野郎、と言おうと思ったが、ニミッツ提督は止めておいた。
言ったところで、どうせ、チキンはチキンなのだ。
「チキン野郎」
そして、予想通りにハルゼーが代弁してくれた。
「チキン野郎とは何だ、ブルドッグ野郎! 戦場に行って怖くない奴は、キチガイだけだ! 怖いと言って何が悪い!」
「開き直るな、この野郎! 貴様それでも提督か!」
「やかましい! 今すぐそのお喋りな口を閉じろ!」
どうして、こんな奴等と一緒に、命を張って仕事をしなければならないのか。
どうして、合衆国海軍は、こんな連中に艦隊の指揮権を与えるのか。
WTYって何?
大統領は死にかけてるし…。
陸軍は本土防空用にベアキャットを寄越せなどと言い出すし…そのくせ早く艦隊を出せと言うし。
胃薬の使用量はますます増大するし…すると痔は悪化するし。
ニミッツ提督は、深々と溜息を付いた。
まるで、アメリカ軍幹部の歪が全部自分にしわ寄せられているようだ、と彼は思っていた。
実際、そうだった。
太平洋で他に大物でマトモな奴と言えばマッカーサーぐらいだが、彼はといえば異様な威圧感で、自分の要求を全部通してしまうのだ。
もちろん、親しく話し掛けたいなどとは思わない。
残りはといえば、ハルゼーやスプルーアンスはもとより、アル中でヒステリーのカーチス・ルメイだとか、変な奴しか居ない。
大統領は生死の境を彷徨っているが、副大統領のトルーマンという男は、まあマトモなようでいて、しかしニンジャごっこに付き合わされたり、やっぱり変人なのだ。
こうなったとき、彼の安息は、家族のことを考えるか、兵と話すかの2つしかなかったのである。
否、もうひとつある。
「ジョンストン君、ちょっと外へ出よう…」
「はい。…お顔の色が優れません。大丈夫ですか?」
「いや、気にしなくて良い」
火花を散らす愚かな提督二人を置いて、ニミッツと、ルイジアナの艦長であるジョンストン大佐は、部屋を出た。
少々気が弱いようだが、礼儀正しく、常識人のジョンストン大佐は、密かにニミッツのお気に入りだった。
二人はしばらく連れだって歩いた。
階段が、金属質の音を立てる。
兵達は、こんなにも真摯に任務をこなすというのに…。
横を眺めながら、太平洋艦隊司令長官は思った。
やがて二人は、防空指揮所の屋上へと出た。
毎度のことだが、潮風が強い。
痛いほどだ。
「日差しが強いですね」
そう声を発した主に、ニミッツは注目した。
軍服姿も凛々しい、いい男だ、彼はそう思った。
軍人にしては少々長い金髪も、この男の場合は、気にする気にもならないほど、よく似合う。
無論、米海軍初の18インチ砲搭載戦艦の艦長に任ぜられるからには、その能力も非凡だ。
「若いとは、素晴らしいことだな」
「え?」
ジョンストン大佐は、右手で日を除けながら天を仰ぎ見る姿勢から、突然の声に怪訝な表情をした。
「いや…。今回の戦い、どう思う?」
「そうですね。敵の動きは判っているんです。楽観してよいかとは思います。しかし油断はなりません」
いや、と大佐は思い直した。
「判っている、という表現は不適切でした。正確には、かなりの確率で予想できる、と言うべきでしょうね」
「まったくだ。しかし、恐らくは、判っていると言っても良いだろう。それでも、問題はある」
ニミッツ提督は、眼下の艦隊を見やった。
数えたくもなくなる大艦隊だ。
「…白いモンスター、ですか。一応の対策は取られているはずですが」
「一応はな。…頼っていい手だと思うか?」
ううむ、とジョンストンはしばし考えた。
「スマートとは言い難く、私はあまり感心しませんが…しかし、他に手はないというのも事実です」
「そう…だな。我々が数ヶ月を費やして、ようやく出した結論だ」
「まったくその通りです」
再び、二人は艦隊を眺めた。
各艦の蹴立てる波を見ていれば、時は幾らでも過ぎる。
果たして、この内何隻が、オキナワの海に消えることになるのか。
自分の任務は、それを少しでも減らすことなのだ。
不安はあれども、二人はまったく同じように思っていた。
翌8月1日、呉
見物人が集まるほどに、軍港呉は賑わっていた。
艦隊は泊地に収まりきれず、一部は港外に錨泊している。
辺り一面に浮かぶ、鋼鉄の群。
第一艦隊、第二航空艦隊、特別任務部隊の艦船は、空母を内に、戦艦を外にして停泊していた。
「いや〜、いやいや。大したモンじゃねえか。おい、陸に上がった連中は、全員戻ったか?」
大和の昼戦艦橋に出ていた橘川は、適当に兵を捕まえて聞いた。
「え〜っと、それは菊池さんが知ってると思いますけど」
新入りらしき兵は、レーダースクリーンを調整する手を休めて、そう答えた。
ちなみに菊池というのは、先任士官のことである。
「あぁ…やっぱあいつか。どこに行ったか知らねえ?」
「それはちょっと…。スケジュール通りにやってるんじゃないですか?」
「お前はまだ知らないか。この艦は奴等はなぁ、決められたとおりのスケジュールじゃ動かねえんだぜ?」
やれやれ、と橘川は両手を挙げた。
「ま、俺のせいだけど」
「…良いんですか、そんな事で」
「さあね。まあ、ちゃんと仕事はこなしてるんだし、良いんじゃねえのか? それよっか、WTYが楽しみだよなァ…9月だっけか」
そう言って、まだ若い艦長は豪快に笑った。
こういうことだから、艦に女を連れ込んで降格させられる奴が出て来たりするのである。
「カール・デア・グローセが出港したらしいですね」
「ああ、聞いてるぜ。あのこわ〜いネーチャンが、大砲向けて、俺達の後ろに付いて来やがんの。やだねぇ」
「…何ですか、それは」
「いや、それがよ、前、コイツがドック入りしてたとき、あの艦長がチャンバラ仕掛けて来やがってな…。とにかく、気を付けろ」
「一国の代表でしょう、相手は。何をしたんですか?」
「何だ! いかにも俺が悪いみてーな言い方だな。…やっぱりワルモノに見えるか、俺?」
「それは…」
相手は口ごもった。
「やっぱりな…。良いよ、もう。わかってるからよ。俺は海賊の末裔だぁ!」
がっかりする橘川だった。
まあ何にせよ、カール・デア・グローセが到着すれば、主力艦はすべて準備完了となる。
「で、こりゃ何だ?」
気を取り直して、彼は見慣れないスクリーンを指差した。
「ああ、聞きますか? これはですね、最新式の24号アクティヴ・フェイズド・アレイ・レーダーの受像器です。ちょっと出力が強すぎて人体に悪いので、今は切ってありますが、出港したらどれくらい凄いのかお見せできると思います。感動しますよ」
どうやら相手は機械屋らしく、水を得た魚のように喋り始めた。
なお、受像器は昼戦艦橋の他に司令塔等にも設置してある。
発/受信機は、測距儀塔の後方にマストを立てて設置された。
「対空対水上を一つでこなすことが出来まして、単機飛行の戦闘機なら、およそ300km、戦艦クラスなら250kmで探知できます」
お〜っ、と唸る橘川。
超水平線レーダーだ。
「誤差も十分に小さいので、これと主砲を連動して射撃することも可能です。対空砲は既にそうなってますね」
「う〜ん…俺みてーなボンクラの出番は無くなりそうで怖いな。けど、故障は?」
「耐久試験は念を入れて行われたとのことです。2組積んでますし、そうは壊れないでしょう」
その時、別の兵が飛び込んできた。
「艦長! 北斗より入電です!」
「何、かせ!」
乱雑に紙切れを奪い取った艦長は、サッと目を通した。
「作戦命令だ。状況説明もあるな。出撃は…7日か」
彼は独り言を口にしながら、脇に停泊する軽巡洋艦「北斗」を見た。
「軽巡洋艦」などと言っては、誤解を招く。
これは、24隻大量生産の巡洋戦艦「三笠」型の船体を流用し、超重装甲の指揮専用艦に仕立て直したものだ。
よって、最大備砲が155ミリの高角砲なので軽巡洋艦と呼んではいるが、図体は戦艦並である。
これが現在、山本長官の座乗する連合艦隊旗艦となっている。
その北斗は、錨を上げるわけでもなく、今まで通りにそこに居た。
どっしりとした巨大な艦橋と、いかにも頼りなげにちょこんと載った高角砲が、不釣り合いである。
連合艦隊旗艦にしては、今ひとつ美しくない…とは、誰もが口にはせずに思っていたことだ。
橘川はその北斗から目を離し、一瞬手元を見た。
「これは放送用のマイクだったよな?」
「そうですが」
何だか妙にハイテクなデザインだな、と思いながら、彼はマイクを取った。
「野郎共! 作戦命令が届いた。喜べ、とうとうアメリカ海軍をカンペキに叩き潰す日が来た! ついては後で説明するから、全員休みは取り消し、務めに戻れ!」
艦全体に、その荒くれた大声が轟いた。
どういう艦に来てしまったんだ、と補充された者達は思っていた。
勿論、歌上提督も聞いて、溜息を付いていた。
つづく
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