俺が行きつけにしている店は、決して高級な訳でも、良い酒を出しているわけでもない。
気さくなマスターとのおしゃべりが楽しめるなどということも、ないと言っていい。
どちらかというと客は少なく、店の照明も抑え目にしているから――率直に言わせてもらえば、様々な意味で、暗い。
後ろめたいような連中がたむろしているわけではないのだが、それでもどこかうらぶれた感じのある、そんな場所だ。
…もちろん、この街で一番の剣士である俺だから、行こうと思えば最上級のバーやクラブに出入りすることも難しくない。
何しろ、実力的には俺の下にいるはずのライザックさえも、この街で貴族ヅラして社交界の一角を演ずることができるのだ。
それでも、俺はそういう場所を好まない。貴族様とテーブルを囲んで、夜通し愉快なおしゃべり。
……糞くらえだ。そんなもの。勝手にやってろ、という気分になる。
だから今日も俺は、このうらぶれた安い古酒場に来ているのだ。

「相変わらずだな」

カーテンからオレンジ色の明かりが漏れる窓を覗いて、俺は思わず苦笑した。
最初に来たときと、以前来たときと同じ様に、この店にはほとんど人の気配がしないのだ。
それが少しばかり嬉しくて、俺は気分良く店内へとドアを開けた。

――カラン、カラン

扉に取り付けられたベルが乾いた音を立てて、それだけが俺を出迎えた。
所狭しと並べられた酒瓶。そしてその合間に程良く配置されたアンティークまがいのテーブル。
シックとでも言うのだろうか。間違いなく古ぼけてはいるが、マスターのセンスは悪くない。

「いらっしゃい」

ベルの残響が完全に消えた頃にようやく、マスターの低い声がした。

「ああ」

俺も短く返すと、カウンターの席を適当に見繕って座る。
適当に注文して、マスターが奥に引っ込むと、周囲からはほぼ完全に音が消えた。
俺は店の雰囲気を愉しむようにゆったりと椅子に掛ける。

――と、俺はふと、俺とマスター以外の気配がこの店にあることに気付いた。どうやら先客らしい。
少し好奇心に駆られた俺は、奥のテーブル席に目をやってみる。

「……?」

女がそこにいた。俺よりふたつみっつ年下を思わせる顔つきで、質素な白麻の服を纏っている。
赤茶毛をセミロングに切り散らして、顔は化粧っ気がないが、よく見れば端正な顔つきである。
顔がほの紅く見えるのは、決してオレンジ色のランプだけが理由ではあるまい。テーブルの上のボトルが物語っている。
…なんて少し観察していると。

「……ん?」

…目が、合ってしまった。

 

 

 

「……ん?」

ふと、他の客と目が合った。
あたしの座っている奥の席からほんの少し離れた、カウンターの席に座っている若い男。
黒髪で、黒っぽい上着に下はインディゴ麻のパンツを履いて、割と背が高い。
あたしが視線を向けても、変わらずにこちらを見ていた。

「あたしがどうかした?」

若干のからかいの意味もこめて、あたしが言った。

「いや、済まん」

彼はまず、少し謝った。

「いや、こんな店にアンタみたいな若い娘が来てるのが珍しくてな、つい。」
「ふうん」

この店に入ったときからうすうすは思っていたが、どうもこの店は年頃の娘が来るような場所ではないらしい。
でも、そんなことはあたしにはどうでもいいことだ。
どうせ、この店にはこれから先、何回も来るようなことはないだろう。
ひょっとしたら、二度と来ないかも。

「アンタ、この店は初めてか?」
「うん。こんな高いトコ、そうそう来れないもん」
「高い?」

彼は疑わしげな表情をあたしに向けた。
ああ、そうか。

「見て分かんない?」
「何がだ?」
「あたしさ、スラムの人間なのよ。だから、ここでマトモに飲み食いなんてしたら一週間分くらい食費飛んでっちゃうんだ」

あたしは自慢気に(自慢することでもないと思うけど)粗末な麻服をつまんで見せた。
納得したかは分からないけど、彼はふうんとだけ言った。

そこに、彼の注文したらしい酒と料理をマスターが運んでくる。
うわ。コイツあたしのよりも上等なモン頼んでやんの。美味そう。
……と、あたしはひとつ、ベリーナイスでリーズナブルなことをブレイクスルー。

「物は頼みなんだけどさ」

あたしは最大出力で色目を送りつつ、彼に言った。

「なんだ?」
「一緒に飲まない?できれば、何か奢って」
「………」
「…駄目?」
「…まあ、いいが」

色気に当てられたという感じではなさそうだけど、あっさり承諾してくれる彼。
うんうん。男ってこういうときしか利用価値ないよねぇ。
あたしは遠慮なく、彼の隣に座ってあげる。

「そゆわけでマスター、タイドリーチキンとマッシュポテト、そいからさっきのをボトル3本ねー」
「…食いすぎだ。ちょっとは遠慮しろよ」
「育ち盛りだからいーのよ♪」
「そういうことを言ってるんじゃない。…俺に奢らせてるんだぞアンタ」
「好意は精一杯に受け取るのがあたしの作法なの♪」
「…ああそうかい」

もう何を言っても無駄と判断したか、彼はそのことについてはもう何も言わなかった。
得したなー。

 

 

 

「でね? あたしは言ったわけよ。そんなにその神様がエライんだったら、その神秘の力であたしを洗脳して信者にするなりすればいーじゃんって」

2時間くらい経っただろうか。
成行きで酒を奢ってやったお陰で、俺はえんえんこの女の愚痴とも世間話ともつかない何かに付き合わされている。
確か今は、新興宗教の勧誘員に迷惑していることを話しているような気がする。
まともに聞いていないし、俺も少し酒が入っているから、どういう話の筋でそうなったのかはまったく覚えていないが。

「そしたらソイツ、何て言ったと思う? ”神の御意志は貴方の信仰を強制するようなことを望んではいないのです”だよ!?」
「はァ…」
「だったら昼の忙しい時分に、人のウチに押しかけてくんじゃねえよ!って怒鳴ってやりたくなったわよ」

もはや俺には溜息も出ない。
この女が頼んだボトル3本の内、2本も丸ごと飲ませてしまったのが失策だった。
こいつは完全に出来上がってしまっている。当分離してくれそうにない。
まだ時間帯としては早いし、今帰っても寝る以外何もすることはないのだが、人間いつ終わるともしれないことを待ちつづけることほど苦痛なことはない。

「…聞いてる?」
「聞いてるよ。新興宗教にまとわりつかれた話だろう?」
「よく分かってるじゃないの」

そう言って、女は話を再開しようとする。
いかん。ここでまた話し出されたら、次はいつ途切れるかわからん。
こちらから話を振って、それとなく帰れるようにしないと。

「なあ」

女の顔色を伺いつつ話しかけた。

「なに?」
「アンタ、もう帰る時間じゃないのか?」
「なんで? 夜はこれからよ?」

確かにそうだが、俺はアンタの話を夜通し聞いていたいわけじゃない。
そう心の中で呟く。

「親とかは心配しないのか?」
「親は…7年前に死んだわ。二人とも」

女の声がちょっと曇った。

「そうか。…聞いちゃ悪かったか?」
「ぜんぜん。もう思い出の中だけの存在だし。あの人たちは。それに、」
「それに?」
「弟がいるから、天外孤独ってわけでもないしね」

女は、あっけらかんとした表情で笑った。
その表情にはすでに一点の曇りもない。

「……いい弟なんだな」
「あ、わかる?」

俺はもう少し、この女の話を聞いてやることにした。
他人の領域に立ち入るというのは好きではないが、相手の話を聞くのなら構わない。

「うん、世間で言うトコロの”いい子”ってワケじゃないけどね、なんていうのかな。一心同体って言うか」

さっきの新興宗教の話と打って変わって、女は穏やかな、そして遠くを見るような表情で語り始めた。
その表情が弟、それがこの女にとって本当に貴いものであることを示していた。

「親が死んで、ふたりっきりになって、それから7年。ぜんぜん長いって思わなかった。ふたりで生きてくのに毎日必死だったから」

俺は黙って聞いていた。
女は手に持ったグラスを少し傾けると、続けた。

「楽しかったんだと思う。生きがいっていうのかな――
 確かにそういうモノだった。あたしにとってあの子の存在は。あの子と別々になるなんて、あたしには考えられないし。
 いや、それ以外に道なんかなかった、と言うべきなのかも」

女の言っていることが、少しだが俺には理解できた。
この女には、そうして自分の心を守っていくより他なかったのだろう。
それは恐らく、当人にとって幸せでも不幸せでもない。

「ま、苦労してきたことには変わりないんだけどね」

こんなとき、なんと言うべきなのだろうか。
なんとなく言うべきセリフが見つからず、その場には沈黙が流れた。
まあ、気まずい沈黙でなかったからいいが。

「――?」

気が付くと、さっきまで微笑んでいた女が、泣いていた。
ぼろぼろと涙を流して。

 

 

 

あたしは、弟のエミィルと一緒にいられることが何よりも大切だ。
だから、あたしは病気の弟のために、ソヴェン=レークシュラインという剣士にデスマッチを挑んで――勝って、賞金を手に入れる。
そしてその金でエミィルに手術を受けさせて、これからも一緒に生きていくのだ。
あたしはそう決めた。何の迷いもない。そのはずだ。

でも――

――なぜ、あたしは泣いているのだろう?

目の前の男が慌てて、あたしに何か言っている。
どうしたんだ、とか何とか。でも良く分からない。

悲しいのだろうか。
違う気がする。

悔しいのだろうか。
何に悔しがる必要があるのか。

 

怖い。
あたしが明日負けたら、あたしは死んで、エミィルはいずれ死ぬ。
何も為すことが出来ぬまま、まるっきりの犬死にで終わる。
それが、どうしようもなく怖くて、あたしは泣いているのだった。

今日この男に話を聞いてもらっていながら、あたしは今までのことを思い出していたのだ。
幸せとも不幸せともつかぬ、それでも充実した日々のことを。
それを失うのが怖くて、あたしは泣いているのだった。

今まで、あたしは自分が負ける可能性など、まったく考えていなかった。
いや、考えていないフリをしていた。どうせ、負ければそこでおしまいだからと。
そして、それで正しかったのに。
やっぱりあたしは、不安で不安で、とてつもなく怖くて、泣いているのだった。

 

「…ゴメン、少しだけ、胸貸して」

彼に少しだけ頼らせてもらって、あたしは思いっきり泣いた。

 

 

 

少し落ち着いてから、女は俺に語った。
さっき話していた弟は不治の病に罹って、このままでは長くないこと。
手術にかかる費用は、とても普通の稼ぎでは追いつかないこと。

「だから、ある仕事をすることにしたの。でも、その仕事ってのが――」

さっきの柔らかい微笑みに表情を戻して、女が言った。

「失敗したら、死ぬ。そういう仕事」
「そうか…」

それはおそらく、まっとうな仕事ではないのだろう。
だが、俺はそれに関しては何も言わない。彼女がそれを選んだなら、俺には口出しできない。

「なんだかんだ言って、あたしは怖かったの。アンタと話してて、分かっちゃったのね、それが」
「俺は謝るべきか?」
「いいわ別に。あたしが勝手に思っただけだし」

女は俺を見て、やるせなげに微笑んだ。
俺は何気なく言った。

「聞きたいことがあるんだが」
「何?」
「なんで俺にそこまで話してくれたんだ?」

女は笑った。
その姿はひどく安定して、先程まで俺の胸で泣いていた少女の面影はないように見えた。
…おそらく、ないように見えるだけなのだろうが。

「これも何かの縁だし、それに奢ってもらったからね」

そう言ってまた笑った。

 

 

 

俺と女は、その後適当にいくらか飲んでから別れた。
家路につきながら、俺はよった頭でぼんやり考えていた。
あの女は、病気の弟のために何かしているらしい。
俺は明日、知らない誰かと命のやりとりをすることになっている。
それは――誰のためだ?
俺のため?それとも他の誰かのためか?誰のためでもないのか?
……………

(――いや、止そう)

誰のためかなどどうでもいいことだ。
どうもあの女の話を聞いていて、不安になったのは俺も同じらしい。

(明日に試合を控えて考えることじゃないな)

相手が何を考えていようが、俺が何を考えていようが、俺は相手を全力で叩き潰す。それだけだ。
そう、決めたはずだ。迷いはない。

ならば。
――明日、俺は人殺しになろう。

 

 

 

あたしは明日、死ぬかもしれない。
首を跳ね飛ばされたり、心臓をひと突きされたり、あるいはじわじわと血を奪われて、死ぬかもしれない。
それを考えるとたまらなく怖い。
あたしが死んで、負けたら、エミィルも長くは生きていないだろう。
それはもっと怖い。

さっきまで――名前も知らない男に話すまで――あたしは、自分が負けることなど考えもしなかった。
あたしの今できることを固く信じ、エミィルと生きる未来だけを視ていた。
最悪の可能性なんぞ、考えてもしょうがないモノとして、心の隅に小さく押し込めていた。
でも、やっぱりそれはとても大きいことなのだ。
恐怖。その圧倒的な存在感は、今やあたしのちっぽけな決意や意志を食い尽くそうと歯を研いでいる。
怖い。とてつもなく怖い。今すぐにでも走り出して、どこか遠くへ行ってしまいたい。
――でも、それでも、あたしには逃げることなんかできそうにない。
エミィルを放り出して逃げたって、絶望以外のなにものも、あたしの世界には残っていない。それは、間違いなく死ぬより怖い。

上等だ。
逃げ場のない獣は、目の前の敵を殺す以外に道はない。
この世界の全てに、あたしを追いつめたことを呪わせてやる。
恐怖があたしを喰おうと言うなら、逆に襲いかかって喰い尽くしてやる。

ともかく、明日だ。
果てに待つモノがなんであれ、明日あたしの運命は決まる。

 

 

 


THE DEATH MATCH


 

 

 

――朝。

 

 

スラム街の一軒家で。

「姉ちゃん、仕事? 昼飯は?」
「鍋に昨日のシチューが残ってるから、それ食べときな」
「あいよ」

「…エミィル」
「なに?」
「…あたしたち、姉弟だからね?」
「はぁ?」
「何があっても、姉弟だよ」
「なんだよ気持ちわりーな。とっとと行けよぉ」
「………むか」
「いってぇーっ! なんで殴るんだよっ!」



ソヴェン=レークシュラインの家で。

「悪かったな。朝早くこんなトコまで来させて」
「出征兵士さんのお見送りも、道場の娘のお仕事ですから♪」
「…出征兵士?」
「死して護国の鬼にならないように、がんばってくださいね♪」
「バカにしてるだろ?」

「…レーシャ」
「何か?」
「……いや、何でもない」

 

 

 

***

 

 

 

その日、闘技場の客席はいつにない盛況ぶりを見せていた。
目当ては本日のメインイベント、この都市では初の「デスマッチ」。
収容人数の3倍を越えてなお、闘技場へ押し寄せる人の群は消えるどころかその数を増している有り様であった。
…デスマッチがあるという情報が、試合の5時間前までは伏せられている、というのにも関わらず。
道徳上でも、実際の法でももっとも重大な罪とされている”殺人”が、公然と認められるという事実が、多くの人を動かしていた。
通常の試合でも希に死者がでることもあったが、それはあくまで事故であり、死を前提として闘われるデスマッチとは比べるべくもない。

……
前座の、毒にも薬にもならないB級同士の試合が終わった時点で、客席の人数はついに頂点に達した。
当然のように、席に座っている人間よりも、立ち見や、防護用のフェンスにしがみついている人間の方が数が多い。
デスマッチ開始を告げる号砲<ゴング・キャノン>まで、あと10分。

 

 

 

 

2人の大柄な男を両脇に付けながら、俺は闘技場中央の試合場へと薄暗い廊下を歩く。
両脇の2人は頭をすっぽりと覆うフードと、身体全体を包み隠すマントを身につけている。その色は闇をそのまま取り出したような黒で統一されている。
こいつらは”介添人”。いつもの試合にこんなのはいないが、重要な試合のときには付いたりする。(そういうときは黒装束じゃないのだが)
そして、俺も今はこいつらと同じ黒装束を防具の上から着込んでいる。
奇妙としか言いようがない格好だが、デスマッチの際のしきたりだと言うのだから仕方あるまい。
剣は帯びていない。これもしきたりなのだそうだが、剣は俺の左を歩く男が捧げ持ちながら歩いている。

この廊下を抜ければそのまま試合場に出るが、客席の下を通る通路だから存外に長い。
歩きながら何か考えようとして最初に思ったことは、

(…何も、考えることがないな)

だった。
そう言えば、最近は今日のことを考えてばかりいた気がする。
今日のことについて、デスマッチについて、戦うことについて、もう充分すぎるほど考えた。
肉体的にではなく、精神的に疲れることが多かった。
似合わないことをしたからだろうな、と思う。
――やはり俺は、どこまで行っても剣士でしかないのだろう。
ここ数日、いろいろぐだぐだと考えていたというのに、それがどうだ。
頭の中で考えた理屈なんかお構いなしに、この刻一刻と闘いの時が近づくにつれ、俺の心臓は大きく脈打っていた。
昨日考えたこと――俺は誰のために戦っているのかということだが、俺は自分自身に”誰のためでもない”と応えた気がする。
やはりそれで正しかった。誰のためでも、俺のためでもない。全てはこの、精神の奥底から突き上げる闘争本能に従っているに過ぎない。

試合場への扉が近づく。
ああ、もうそんなことを考えるのさえ鬱陶しい。
戦っていいのだ。あの扉を開ければ、その向こうにいる相手と。

――黒衣の大男が、扉をゆっくりと押し開けた。

 

 

 

 

長い廊下を、どれだけ歩いただろう。
同じように黒衣を纏った人間が3人、観客席下の通路を連れ立って歩いている。
左側の人間は両手に長槍を捧げ持ち、中央の人間はマントの下に防具を着込んでいる。
そう、中央を歩く人間があたし、エルナ=クレティだ。
そして、この薄暗く長い廊下を抜ければ、そこに試合場が待っている。
後には退けない。退くつもりもないが、やっぱり怖い。
あたしの左側の男が持ってる長槍は、いつもあたしが使っている模擬槍ではない。
モノホンの穂先が乗ってる、実戦用のロング・スピアーだ。闘技場の倉庫にあったヤツを借りている。

(これなら、人が殺せるんだ…)

唐突に、そんなことを思った。

人の気配のしない薄暗い廊下に、あたしとその他ふたりの靴音が響く。
廊下の終着点、扉が見えてきた。
近づくにつれ、心の奥に重圧が少しずつのしかかる。
胸の奥では心臓がおもしろいくらいにヤバイ速さで鼓動を刻んでいる。
緊張している。もう怖いとさえ思わなくなってきた。ただ、この胸の鼓動を止めて欲しい。
まあ、もうすぐあたし以外の誰かが止めることになるのかもしれないが。

扉が近づいて、あたしは足を止めた。
右側の男が重そうに扉を押し開ける。
――途端、新鮮な空気と光、そして膨大な数の人間の気配がなだれ込んできた。
その全てに気圧されながらあたしはまっすぐ向こうを見た。
大騒ぎする数え切れない数の観客たち。そしてそれのさらに向こうの、こちらとは反対側の、扉。
…いた。
黒い装束で全身を包んだ男。
その両隣にはあたしと同じように介添人が付いている。
違うのは、介添人が持っている武器が槍ではなく剣だというコト。

…アイツが、ソヴェン=レークシュラインか。
かなり距離があるし、黒装束だからどんなヤツかまでは分からない。
ただはっきりしているのは、アイツはあたしの敵だということ。

 

 

 

 

万単位の視線と、声とは認識できないほどの声。
ある者は興奮に笑い、またある者はこれから始まる心無い所業に嘆き、またある者は訳も分からず怒る。
それらの混声合唱に迎えられて、ふたりの戦士は試合場に対峙した。
ふたりの間の距離は100m近くあり、遠すぎる対峙ではあったが。
それぞれが己の得物を、左に控える介添人から受け取る。
西はロング・ソード、東はスピアー。

もはや”ゴング・キャノン”を待つばかりだ。
”ゴング・キャノン”が鳴れば、ふたりの戦士は装束を脱ぎ捨てて戦い始めるだろう。
その戦いの果てにに待つものがなんなのか、まだ知るものはいない。

 

 

 

 

試合場をぐるりと囲む客席の頂点。
円形の外壁には、小型の砲台が4門配置されている。
試合開始の合図として使われている号砲、人は”ゴング・キャノン”と呼ぶ。
それは喇叭(らっぱ)の演奏が終わったあと、空撃ちされる。
まあ、喇叭の音など、観客の歓声罵声に掻き消されてしまうから、その代わりにということになっていた。

――特に今日など、観衆の数が数万を超えたとあって、その真価は発揮されたと言っていいだろう。

喇叭の演奏など、聞こえている者がいたかわからないが、それが終わるか終わらぬかのところで<ゴング・キャノン>が火を噴いた。
その轟音は、白煙をたなびかせつつ空気をびりびりと貫いて、一瞬で観客を沈黙させた。

 

――デスマッチが、始まった。

 

 

 

 

俺は片手で着脱用の金具を一気に5つもぎ取ると、黒いマントを放り投げた。
向こうの方でも黒いものが舞っていたから、どうやら相手もそうしたらしい。いや……当たり前か。
あちらさんが駆けてくる。女だろうか?長めの茶毛をなびかせながら走ってくる。
俺は鞘を脇に放り投げた。
槍の相手の情報と対策を、一瞬脳の中で逡巡する。
突き・払い両方に対応できるよう正眼に剣を構え、相手を迎え撃つ。
茶毛は穂先を後ろに溜めて、こちらに飛び込んできた。
剣より遥かに長いリーチの薙ぎ払いで、けん制を掛けてくるつもりか。

「はあッッ!」

殴りかかるようにして、斜め上方からの穂先の斬撃が俺を襲う。
馬鹿が。他の剣士ならともかく、俺にそんなもの通用しない。
――俺は退かず、逆に踏み込んで剣を一閃し、相手の手首を切り裂く。
…はずだった。

「!?」

しかし、驚愕に腕が止まった。
俺は咄嗟にガードし、それでも受けきれず穂先に肩を浅く切り裂かれる。鋭い痛みが走り、血が吹き出た。
追撃を防ぐため、全力のバックステップで間合いを取る。

「――お前ッ!?」

肩の痛みも忘れて、俺は叫んだ。
相手の、茶毛の女も俺を見ていた。何か言いたそうに口をぱくぱくしている。
そう。今、槍を持ち防具を身につけて俺の前に立っている相手は、俺が昨日あの流行らない酒場で会った女に間違いなかった。

 

 

 

(つまり、昨日会ったこいつこそが、ソヴェン=レークシュライン…?
 ってことはナニ? 昨日あたし敵と会ってたってことでそれはつまりその、あの、えっと…)

パニクりそうになる頭をなんとかなだめつつ、あたしはソヴェンに向き直った。

「アンタって、昨日のアンタ!?」

言ってから、自分でもよく分からないことを言ったと思った。
でもソヴェンはこっちの意図を理解してくれたたらしく、

「ああ」

苦々しい顔で言った。やっぱり、昨日一緒に飲んだ相手を斬るのは気が引けるのか。
あたしだってそうだ。だが、それに驚いている場合ではない。
あたしは何の警告もなしに(当たり前だが)全力の突きに必殺の気合を乗せて放った。
狙いは胸の中心、急所中の急所。

「――はッ!」
「ッ!」

ソヴェンが軽く穂先を捌いて、あたしの一撃は彼の横をすり抜けた。
やっぱコイツ、強い。不意打ちの上に、今のタイミングはなかなかかわせるものではない。
間合いを詰める隙を与えたらあたしの負けだ。あたしは遠距離からの突きを続けざまに打ち込む。
全て見事にかわされるが、やるなら相手が少しでも動揺している今が最大のチャンスだ。
けん制の薙ぎ払いでソヴェンの動きを封じて、さらに突き込む。

「やる気だな」

ソヴェンは剣で穂先を捌いて、苦々しい顔で言った。

「ゴメン」

バックステップで間合いを取った彼に、あたしはなんとなく謝っていた。
その言葉とは裏腹に、中段の片手突きを放ちながら。

 

 

 

「謝らなくていい」

槍の間合いから離れて、俺は言った。俺に謝る必要はない。
中段の片手突きが飛んでくるが、線をちょっとずらしただけでこれも難なくやり過ごす。
この女は強くない。というか、確実に弱い。俺が全力で打ち込んだら10秒も立っていられないだろう。

俺はまた突きをやり過ごす。
第一に攻撃のパターンがストレートすぎる。俺を間合いに入れないための薙ぎ払いと、機を見て打ち込んでくる突きだけだ。フェイントも何もない。
突いてきた槍の横っ腹を思いっきりぶっ叩くだけで、女は槍を取り落とすか、そうでなくともある程度の隙ができるだろう。
――俺が仕掛けるには充分すぎるほど充分な隙が。
そうすれば俺は勝てるし、そうすべきだとも思った。

しかし、俺はそれをしようとしなかった。
昨日この女は俺に、自分は弟の手術代を稼ぐために命がけの大仕事をする、といった。
恐らく、いや間違いなく”これ”がそうなのだろう。確かに俺をデスマッチで打ち負かせばそれくらいの金にはなるはずだ。
だからといってこんな一山いくらの実力で、しかも命がけで俺と戦うなど…正気の沙汰じゃない。

顔面を狙ってくるのを、首を振って避ける。空気を貫く音が耳のすぐ横を通り過ぎていった。

この女は、病気の弟のために戦っている。その事実が、俺を躊躇わせていた。
同情したわけではない――と思う。同情してもどうしようもない。ここで戦っている以上は、俺かこいつのどちらかが死ぬ以外の結末はない。
そして、俺はまだ死にたくない。
それなら、結果が同じなら、こんなところで躊躇うだけ無意味だ。
やるせなさを振り切って、俺は戦うことにした。

でも、その前に聞くことがある。
足払いを見切りながら、俺は聞いた。

「お前、名前は?」
「エルナ=クレティ」

それだけは知りたかった。殺す前に。本人の口から。
上段から、槍の穂先が打ち下ろされてくる――

 

 

 

あたしは目を疑った。
打ち下ろした槍の穂先が、軽い金属音と一緒に、逆に大きく跳ね上がったのだ。
ソヴェンが、剣の切っ先を真上に突き上げていた。槍の穂先を剣の切っ先で突っついたらしい。なんてヤツだ。
無防備なあたしにソヴェンが急接近してきている。あたしは反射的に槍を打ち下ろした。

――ザシュッ!

「……ッ!」

焼けるような痛みが縦に走って、あたしの両の胸の間から血が縦に吹き出していた。革の胸当てをつけていたにも関わらず。
派手な流血に観客が沸いた。ソヴェンはあたしを斬り上げたその動きで、そのままあたしの打ち下ろしを受けていた。
防御と攻撃が一体となった、恐ろしいほど正確で冷酷な斬撃。

「……うぐぅっ…」

ただ痛がっていては殺られる。痛さを堪えながら、あたしはそれでも冷静に跳んで退く。
でも――その跳躍は意味を為さなかった。
ソヴェンはあたしが退くのと同時に飛び込んできた。

――斬られる!
構えもなにもなく槍を持ったまま頭を下げて顔を両手で覆う。
ムダだった。鳩尾を思いっきり蹴り上げられた。ものすごい重い衝撃。
また観客が沸く。

――殺される!
倒れようとする体を、あたしは必死に抑えた。ここで倒れたら死ぬ。殺される。
ソヴェンが喉を突いてきた。避けきれる速さじゃない。かばった右腕を貫かれた。痛みで、視界が白熱した。
それでも、あたしは左手一本で至近距離のソヴェンに突きを放った。

「ちっ!」
「……ッ!」

あたしの右腕から剣を引き抜いて、ソヴェンが飛び退いた。掌からは血が噴き出した。
傷ついた体に鞭打って追撃する。右手がやられた左手だけの突きには力が入らなくて、彼はそれをやすやすといなしてしまう。
剣が真上から大振りに打ち下ろされてくる。あたしは横っ飛びにかわして――そのまま衝撃を受けて反対方向に吹っ飛んだ。何をされたかわかったのは受身を取った後、足を振り上げたソヴェンを見てから分かった。
大振りの打ち下ろしはフェイントで、あたしはその後の回し蹴りに吹っ飛ばされていたのだ。
あたしはよろよろと立ち上がりつつソヴェンを見た。彼は一点の揺るぎもない構えと表情であたしを捉えていた。

――この男、やっぱり化け物だ。あれだけのことをしておきながら、息ひとつ切らしていない。

不意打ちも簡単に捌いてくれるし、彼の心の中は氷のような平常心でいっぱいなんだろう。少なくとも、あたしの攻撃で揺らぐことのない程度に。
それより何より、コイツの恐ろしいところは攻撃と防御が一体となっているところだ。こちらから仕掛けるのはあまり得策ではない。
だったら…
――いや。
…可笑しくなってきた。
あたしはこんな化け物みたいな相手を前にしても、往生際悪く倒そうと考えを巡らせている。
胸を裂かれ、アバラを砕かれ、手を貫かれてなお、あたしは戦うことを諦めていない。恐怖が麻痺してしまったのだろうか。
……なら望むところだ。存分に利用してやろう。
ソヴェンは速くて捕まらない。なら、あたしの命を餌にして、釣り上げてやろう。

(エミィル、姉ちゃん頑張ってるからねっ!)

何故かそんなコトを心の中で言った。ひょっとしたらそれが、あたしなりの最期の覚悟だったのかもしれない。
ソヴェンははまたすぐあたしに斬りかかろうとして、止まった。
あたしが何をしようとしているのか、わかったのだろう。あたしは槍を頭の上で構え、ソヴェンのアクションを待っていた。
竿で頭を守り、穂先で胸への攻撃を防ぐ。急所はしっかりガードできても、それ以外は空いた構え。

 

 

 

それはつまり、他の部分は捨てても頭部と胸部だけは守る、即死しないための構えだ。
一撃が体に食い込んでも、即死さえしなければいい、自らの体で刃をくわえ込んで、その一瞬でケリを着ける――という意志らしい。
肉を斬らせて骨を断つをそのまま体現したようなものだ。捨て身の、非常に強力な構えだろう。

だがそれは同時に、実力が同等程度の相手でないと、それはただ単に隙を見せているに過ぎないことにもなる。
圧倒的な実力の差をカバーするほど、捨て身というのは強力ではない。
だから、俺はそれを破るカードなどいくらでもある。正攻法によらなければ危険でも――厄介ですらない。
ヒット&アウェイでチクチクと傷を増やさせて力尽きるのを待ってもいいし、剣を投げつけても失敗しない自信がある。極端な話、エルナの体を直接狙わず槍だけを壊して無力化することも容易だ。

それでも俺は、正攻法で――エルナの真正面に向き直って剣を中段に構えた。
これなら、エルナの勝機もないことはないだろう。
別に…憐れんでやっているつもりはない。

(アンタの覚悟とやら、見せてもらうぞ? エルナ=クレティよ…)

他人のために戦う者の強さというものを俺に見せてみろ。
そんなものがあるならな。

 

 

 

正眼に構えたソヴェンから、あたしは慎重に間合いを取る。
失敗したら、確実に命はない。そしたらすべてが終わる。あたしも、エミィルも。
ソヴェンが仕掛けた後の一瞬の硬直時間。そいつを、剣をあたしの体に食い込ませてちょっと引き伸ばしてやる。
その一瞬さえできればいい。というか、その一瞬しかない。
ソヴェンはあたしの狙いに気付いているだろうか。知った上で正面から挑んできているのだろうか。
――いや、挑んでいるのはあたしか。
ソヴェンの剣を喰らっても死なないか否か。そしてその後すぐ必殺の一撃を打ち込めるか否か。

「………」
「………」

観客が静まり返り、沈黙が流れる。
破れた右掌から伝う血が、槍を伝って地面に赤い雫を垂らす。

「………」
「………」

じりじりとソヴェンがあたしとの間合いを詰める。
どんなに近寄られても、こちらから仕掛ける気はない。

「………」
「………」

――来た!
ソヴェンが、あたしの攻撃エリアに踏み込んだ。振った剣が霞む。
あたしは痛みと衝撃に耐えるべく歯を食いしばる。

――ぞごッ!

「…………ッッッ!」

その一瞬、猛烈な痛みと振動が全身をくまなく駆け巡った。骨が削れるような嫌な音とともに衝撃を受けたのは腰だった。
横薙ぎの剣が、腰の皮膚を斬り破って腰骨に食い込んだ。
骨にまで喰い込んで、剣の動きが止まった。もつれそうになる両足を踏ん張って、残った精神を全てつぎ込んで槍を突き下ろす。
そして、叫んだ。

「――アアアアアアアアァァァァッ!」

狙いは顔面――眼。
引き伸ばされた感覚の中で、槍の穂先がソヴェンの顔目掛けてゆっくりと吸い込まれていく。
あと少しだ。あと少しで、すべて終わる。
もう数瞬で。

しかし――その穂先が突き刺さる瞬間、ソヴェンの頭は位置が右にずれた。
穂先はソヴェンの頬を裂き、頬から空中の順に血の曲線を描きながら、後ろへと流れた。

そこで、時の流れが戻った。
唐突に槍が動かなくなる。ソヴェンが槍の竿を肩越しに左手で掴んでいた。
右手は剣を持っている。あたしは直感的に槍を手放して飛び退いたけど、次の瞬間、肩に鋭い痛みが走った。
あたしは着地できずに後ろに倒れた。ソヴェンはあたしの槍を後ろに放り投げると、倒れたあたしに剣を突きつけた。

あまりにもあっけなく、あたしは負けた。
――いや、あたしが死ぬまで負けではない。あたしが死んだら、こんな戦いの勝ち負けなんかどうでもいい。
なら、最後まであがいてやろう。諦めたくはない。
でも……疲れた。

 

 

 

俺はエルナの槍を後ろに放ると、倒れた彼女の喉に切っ先を突きつける。
降伏勧告ではない。デスマッチにはそんなものはないから、さしずめ祈るための時間とでも言ったところか。
俺は無神論者だが、エルナはそうでないかもしれないからな。
エルナは創痍満身で――それでも俺をひたと見据えていた。どうやら祈るつもりはないらしい。
大した胆力だ。普通こんなことになったら涙を流すとか目を瞑ってその時を待つとかするだろうに、そうしていない。
状況を受け入れて、それでもなおまだ戦おうとこの俺の隙を伺っている。すごいヤツだ。
……エルナ=クレティ。
C級のくせに俺に挑戦し、ここまで頑張ってきた馬鹿。
名前は、忘れないでおこう。

「何やってんだーッ! さっさと殺せーッ!」

いきなり観客席から、ひときわ大きいヤジが飛んできた。
その声に触発されてか、多くの観衆が叫んだ。

「そうだ! 殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「ぶっ殺せ!」
「その女を殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」

――言われなくても分かってる。それ以外俺の生きる道はないからな。
俺はエルナの首につけた剣を握る手に力を入れた。エルナの首筋の皮膚が裂け、血が滲み出す。
あと一押しすれば、刃が頚動脈を斬り破り、血を噴き出してエルナは死ぬだろう。
しかし何故か――俺の手はそこで止まった。手がそれ以上進まない。

「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」

なぜ剣が進まない? なぜ殺せない?
分からない。俺はなんだかんだ言って、エルナに同情しているのだろうか。いや違う。
それとも俺は、ただ単に殺人者という一線を超えることを恐れているのだろうか。いや違う。
なら何故?

「コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ!」

――分からないなら、今すべきことをすればいいではないか。
この声に従ってしまえば、何も考えないまま終れる。悩まなくて済む。
声はこう言っている。目の前の女を殺せ。そうすれば全て終わる。こんなに苦しみ悩む必要はない。

「コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ! コロセ!」

――ああ、殺すさ。

『頑張って、下さいね?』

「…………」

――やっぱ止めた。
俺はレーシャに、頑張ってくると約束した。俺が後悔しないように、と。
今エルナを殺したら、あのとき俺はなぜエルナを殺せなかったのか分からないままになる。
それはとてつもなく後悔することだろう。
俺はレーシャを想っている。だからというのは無責任かもしれないが、俺はアイツとの約束のために殺さない。
そして、俺自身のためにも。

「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」

まだ観衆が唸っているが、俺は無視した。
さて、問題はデスマッチの基本ルールとして、どちらかが死ぬまで試合は終わらないということだ。
……まあ、それとてどうにかならないこともない。方法はある。
その方法のことを考えると、自然に笑みがこぼれた。苦笑だったが。

(なんつーか、ンなこと初めての経験だしな)

俺はエルナを見て、口だけで軽く笑った。

 

 

 

ソヴェンが笑った。その表情に、あたしは嫌が応にも覚悟を決める。
けっこう時間をくれたから、その間ずっと隙を伺っていたが、とうとうそれが終わったらしい。
あたしは今までしっかりと開けていた眼をついに瞑って、その時を待った。

「………」

暗闇の世界に、観客の声だけが雑音として紛れ込む。

「………」

なかなか来ないなと思っていると、唐突に首筋の刃の感触が消えた。
途端、どっと観衆が沸いた。
あたしはなんだか怖くなってぎゅっと体を縮めた。

観客の声が一層大きくなる。
……何が起こっているんだろう?

「レークシュラインが逃げたぞッ!」
「…え?」

観客の声に驚いて目を開けると、試合場にはあたしの他誰もいなかった。
廊下へ続く扉は打ち破られ、その中に控えていた介添人2人が倒れてうめいている。

「…は、はい?」

頭が真っ白になるあたしのまわりで、観客が逃げた逃げたと騒いでいた。

 

 

 

 

(…ったく、何やってんだろーな俺は)

扉を破り、介添人を打ち倒して闘技場を飛び出した俺は、また笑っていた。
きっと今ごろ闘技場では、右へ左への大騒ぎになっているだろう。まあ知ったことじゃないが。

どちらかが死ぬことによってのみ決着が着くデスマッチ。
しかし、逃げるということは勝ち負け以前に、戦士として最も恥ずべき行為とされている。敵前逃亡をした戦士は無条件で闘技場追放だ。
俺が逃げれば、俺もエルナも死ぬことなく試合が終わるだろう。
もちろん、戦士の資格は剥奪、闘技場からは永久追放だが、そんなに気に病むほどのことでもない。

……とりあえず、今日は帰ろう。
疲れた。言い訳は明日だ。

 

 

 


THE DEATH MATCH


 

 

 

あれから、1週間が過ぎた。
あたしにはまだ実感がない。

とりあえず、ハッピーエンドとしたらいいのだろうか。

あの日、あたしは勝者として賞金をもらった。観客からは批難ゴウゴウだったけど、一応勝ちは勝ちってことで。
その賞金で、あたしはエミィルを首都の王立病院に送り出した。エミィルはムチャ混乱してたけど(当たり前だ。いきなりお前は重病だから首都へ行って手術しろなんて言われたら混乱するしかないだろう。お陰で説明と説得に3時間かかった)無理やり送り出して今はスラムの我が家にひとりぼっち、ぽつんと暮らしている。

――それでも、あたしはまだ実感できないのだ。

(ホントにあたしが勝ったのかなあ…)

なんだか今にも「実はドッキリでした」とか言われそうな気がする。それでもおかしくないと思う。そんなことはありえないと理屈では分かっていても、やっぱ納得できない。

「はー…」

とはいえ、何ができるわけでもない。あたしはこうしてウチの中でごろごろするだけだ。
テキトーにそのへんの物を喰って、寝るだけ。まーいろいろ考えてもいるけど。
ソヴェンに会いに行くべきだろうか、とも思う。
でも会ってどうする? ありがとうと言う? 何のつもりかと問い詰める? どれもピンと来ない。
でも会うべきだと思う。そこで何をすべきかはその時決めることだ。

――でもやっぱ、なんかやる気が起きない。デスマッチが終わって気が抜けたのだろうか。

それとも、これで終わったのだから何もするな、このままでいいじゃないかと思っているせいかもしれない。
なにしろ、あたし的には万事オッケーな方向に転がっているのだから。
何が怖いかって、せっかくのこの状況がどうにかなってしまうのが一番怖い。
あたしが勝ったという実感がないから、この状況は何か危ういバランスの上に立っているのではないのかという気になる。

エミィルがこの場にいれば少しは違うのかもしれない。
アイツがいればあたしはひとりじゃないただの”日常”だから、あまり悩まなくていいと思う。
でもエミィルは今頃首都で、あと2,3週間は帰ってこない。あたしはひとりだ。
デスマッチが始まる前の緊張感は行き過ぎて、それでも前の日常は戻りきってない、そんな宙ぶらりんな感じだから、あたしは今どことなく異常だ。
小人閑居してなんとやら、ということわざがあるけど、まったくもってその通りだ。
ひとりでこうやって家の中でごろごろしてると、今みたいにロクでもないことしか思いつかない。

「ソヴェンに会おっかなぁ…」

――とか。

 

 

 

 

呆れたことに、闘技場のお偉いさんのトコに順次回って罵り倒されるばかりで3日潰れた。
それから、その試合を見ていた豪商やら貴族かなんやらのご機嫌伺いでさらに3日潰れた。
それが済んでから俺は、お偉いさんの前に引き立てられて、闘技場の戦士から除名された。これで俺は、闘技場で金を稼ぐことは永久にできないことになった。
それは別にいい。むしろお偉いさんやらの所に行かされる前に除名してくれれば良かったと思っているぐらいだ。
……そうすれば、道場に来るまでに1週間もブランクを空けることはなかったのだから。
まあいい。どちらにしろ今はこうして道場にいるのだからとやかく言うまい。

 

俺は最初に邸宅の師匠の所へ行って、今回の試合の結果を伝えた。
師匠は怒りも笑いもせず、ただ一言「これからどうするつもりだ」と聞いた。
俺はわからないと答えた。「ただ」俺は続けた。

「決着を着けねばならない相手がいます」

その言葉にも師匠は「そうか」と言っただけだった。
過剰な期待をするわけではないが、師匠は俺の意図を汲み取ってくれた… と思う。
それだけで充分だと思った俺は、師匠の邸宅を辞した。

 

邸宅内の道場に入った俺の目に、最初に入ったのは板張りの床に横たわる人物だった。
この道場にいる人間で、こんな不届きなことを平気でやる奴は一人しかいない。

「レーシャ」

俺は床で眠っているレーシャに声をかけた。
…………反応なし。この女マジで寝てやがる。いつぞやといい、よく寝る奴だ。
俺は寝たままのレーシャの顔を覗き込んでみた。

すぅー

すぅー

何かムカツクほど規則的に安らかな寝息を立ててくれる。
長い睫毛に整った鼻梁、仄赤く艶やかな唇。これで無防備な寝顔を見せられると――このまま寝かせておこうかという気にもなる。
しかし、ほぼコイツに会うために1週間かけてやってきたわけだから、このまま寝かせておくわけにもいかない。
それにほら、こんな場面を師匠に見られたらヤバイし。

「おい、レーシャ」
「……ふんん…ぅ…」
「起きろ」
「……んん…………」
「おい」
「…………」
「コラ」
「………すー、すー」
「襲うぞ」
「あぁ…襲わないでください」

レーシャはようやく目をこすりつつ身を起こした。
寝乱れた髪を軽く直して俺に向き直ると、

「ソヴェン、おかえりなさい♪」

寝起きとは思えないほどのにこにこと上機嫌な口調で言った。
起きてすぐでも平気で笑ったりできるのはコイツの特技の一つだ。
まあ、単にいつもと寝てるときのテンションが同じなのかもしれないが。

「ああ」

俺は苦笑した。まさかだれも殺さずに、それでいて生きたままこの言葉を聞けるとは思わなかった。
いい事だと言ったらいいのだが、複雑な気分だ。

「…聞いてるか?」

俺とエルナの勝負の結果を。
俺がどうしたのかを。

「はい、聞いてますよ」

当然この街に住む人間ならば皆、あの試合の顛末は知っているだろう。
一時はその話題が新聞の一面を飾るくらいの大騒ぎだったからな。さすがにそろそろ下火になりつつあるが。

「――俺は、間違ったことをしたと思うか?」

俺は誰にも聞かなかったその質問をレーシャに言ってみた。
特に理由はない。だが、レーシャなら誰よりも信頼できると思う。
その問いにレーシャは、かくんと首を傾げると、

「よく…わかりません。私はその場にいませんでしたし…」

でも、とレーシャは続けた。

「ソヴェンは、頑張ったんでしょう?」

俺は少し迷って、そしてはっきりと、

「ああ」

と言った。俺は俺が後悔しないように、俺が信じたようにした。
するとレーシャはいっそう優しく微笑んで、俺の頭をさらさらと撫でた。

「じゃ、私からはご褒美です」

俺の髪をばらばらにしながらレーシャはにこにこと笑っている。
たったそれだけでも、ここに来るまでの1週間が報われた気がした。
――やっぱり俺は、コイツにどうしようもなく惹かれている。

「なあ…、レーシャ」
「…はい?」

こういう場合、何と言えばいいのだろう。
少しでも正確に俺の想いを伝えるためには、どんな言葉がいいのだろう。
好きとか愛してるとか、君の瞳は100万ボルトとか知ってることは知っている。
……だが、どれも今の俺には適切でない気がしてならない。
言葉など使わず、この前のように行動で示してみるのもいいかもしれないな……

と、そこまで考えて俺はふとあることを思い出した。
俺は今この場で、レーシャに想いを打ち明けるのを断念した。

「いや、何でもない」

自分はあの時決めたはずではないか。
『ここはやはり、勝って道場へと凱旋した後、堂々と告白すべきではなかろうか。
 それが男として、いや漢(おとこ)としてあるべき姿ッ!』
我ながら笑ってしまう言葉だが、本音だ。そうと決めた以上はきっちり守りたい。

――そう、まだ決着は着いていない。
俺は試合には負けたが、勝負にはまだ勝っても負けてもいない。
それまでは、この想いは胸に秘めておこう。

「…レーシャ」
「どうかしました?」
「明日、決着を着けに行く」
「え……?」
「あの試合の――いや、俺とアイツの勝負の、な」

向こうはどうか知らない。ただ、俺は決着を着けておきたい。それだけだ。
――俺はあの女に同情したわけではないからな。
レーシャはよく分からないような顔をしていたが、すぐにまた微笑んで、

「それじゃ……頑張って、くださいね?」
「…ああ」

やはり、俺は負ける気も不安も微塵もない。
――それでもまた、生きて帰ってくると約束しよう。

 

今夜挑戦状を叩きつけに、アイツの家へ行こう。
今度は俺が挑戦者だ。

 

 

 

 

喜ぶべきなのか、それとも嘆くべきなのか。
常識的にいけば嘆くべきなのだろう。一度助かった命がまた危うくなるのだから。
あたしの心情としては喜ぶべきなのだろう。あたしのもやもやを消し飛ばしてくれるだろうだから。
ついさっき、アイツが――ソヴェンがウチに来た。
ソヴェンは近所に買い物に行くような格好で、それでも剣は腰に差してあたしの前に現れた。
彼はあたしを見て、にいっ、と笑うとただ一言、

「第2ラウンド――明日早朝、町の北はずれの寺院跡だ」

と言ってきびすを返した。あたしは去って行くソヴェンの背中に問いかけた。

「……あたしが逃げたら?」
「そしたら第2ラウンドは俺の勝ちだ。ただ、それじゃこの勝負は終わらないがな」

そう言うと、ソヴェンは今度は本当に夜の闇の中に姿を消した。

あたしがどうして勝利の実感を持てなかったのかようやく分かった。
どうしても何も、あたしはまだ勝っていなかっただけの話だったのだ。
あの試合はあたしの勝ちだが、デスマッチはまだ終わっていない。だから、明日第2ラウンドだ。

明日は行こう。
別にメンツとかプライドのためじゃない。
そんなもののためなんかに、あたしは槍を取らない。
戦士の美徳のためでもない。
あたしは根っからの戦士じゃない。ただ、金のためにやってきただけ。
それでも、あたしのために戦士の称号と栄誉をかなぐり捨ててくれたソヴェンに、あたしも本気で応えたい。

やっぱ、怖くないわけじゃない。
ソヴェンの実力は分かってるし、そりゃあたしだって確実にエミィルに――元気になったエミィルに会いたい。
そして、あたしは金のために戦って弟を養う、そういう”日常”に戻りたい。
でも、ソヴェンを無視してそうするわけにはいかない。
なんだかんだ言って、エミィルが死なずに済んだのは彼のお陰だから。
もちろん、ソヴェンは彼自身の理由があってやったんだろうけど、それでもだ。
だからこそ、あたしたちの決着は着けておかなければならない。

あたしは仕舞っておいた槍を取り出した。

「………」

こいつはあの試合で使った槍だ。記念にと、賞金の余りで買い取ったのだ。
もうこの槍は当分使うことはないだろうと思っていたのだが。

「よしっ」

気合一発覚悟を決めると、あたしはベッドに転がった。
明朝決戦なら、今から寝ておいたほうがいい。
まあ気の進むことじゃないけど、あの試合と同じだ。やるしかない。

でも、勝つのはあたし。あたしものこのこやられるだけのつもりはない。
ソヴェンを、今度こそぶっ殺してやる。あたしとあたしの未来のために。

 

 

 


DEATH MATCH 2R


 

 

 

早朝の風はこの季節、めっきり冷え込んで刺すような感覚を吹き付ける。
雲はまばらで、登ったばかりの太陽が少しずつ世界を明るく塗り替えていく。
いい時間だ、と思う。
俺はガキの頃から、ピリッとしたこの空気が好きだ。
他のどんな時間帯にはないこの容赦がない感じが何とも言えない。
決闘の時刻というのは日暮れ時というのがポピュラーだが、それよりも適しているのではないか。

俺はいつもの普段着に剣だけを佩いた格好でここ――寺院跡にいる。
ここは、レーシャの「そういうことなら、あそこがいいですよ〜♪」という一言でここに決めたのだが、なぜレーシャはこんな場所を知っているのか。
……まあ、おおかた『気持ちいいお昼寝すぽっと』とかなんだろうが。

それにしても――来るだろうか。
いや、普通に考えたら来ないだろう。誰だって死にたくない。自分の大切な人間と一緒に暮らしていたいと思う。
来なかったらどうする? 

(その時はラウンド3だ)

それも来なかったら?

(その時はラウンド4だ――つっても、そうなったらもう二度と来ないか)

エルナがそこまで逃げるなら、またそれもいい。追うつもりはない。
どちらにしろ、戦いを望んでいない相手と無理やりやるのはただの襲撃だからな。
逃げたからと言ってどうこう言うつもりはない。俺はあのとき闘技場で彼女を殺せなかったのは、俺が勝手に殺したくないと思っただけだからだ。
弟の病気にという理由で俺にデスマッチを挑んできたエルナを、俺はあの観客どもの娯楽の慰みなんぞにしたくなかった。誰からの干渉もない俺と彼女だけの場所で決着を着けたかったのだ。
そう、今この場所のように。

まあ、レーシャへの約束の方は適当に折り合いをつけるさ。
――おっ。
来たのか。

 

 

 

寺院跡の祭壇だったと思しき場所に、ソヴェンはいた。
普段着らしき服に、剣だけを腰に差して、昨日と同じような格好だ。
あたしも、防具は着けずに槍だけを持ってきた。この化け物相手に生半可な防具は通用しないらしいから。
作戦はあんまし考えていない。作戦通りに動いてなどいたら、こいつの動きに臨機応変に対応できない。
強いて作戦があるとしたら――そう、相手次第。

あたしはエミィルにもう一度会いたい。また一緒に暮らしたい。
だから戦う。
それだけで今は充分だ。

 

 

 

『レーシャ』
『はい?』
『頑張るから、これからずっと俺と一緒にいてくれないか?』
『……え? どういう、ことですか?』
『結婚を前提にお付き合いしてくださいって言ってるんだ』
『………ん』
『………』

『…はい、喜んで♪』

 

『ただいま〜』
『おっ帰ったか金食い虫』
『か、金食い虫って…』
『医者にはなんて言われたの?』
『んー、まあ手術の経過もいいって。これなら大丈夫なんだってさ』
『そうかそうか。なら手加減いらないよね』
『はいッ!?』
『心配かけさせた罰ッ! ”神の指”ッ!』

 

 

 

「さあ、始めるか! ”デスマッチ”を!」
「来いッ!」

 

 

勝つのは、どちらの未来か。

 

 

 

"death wish" closed.


 

後書きに代えて
故・プログラム28先生を偲ぶ

「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。」
 プログラム28先生の訃報を受けたとき、私は思わずこう呟いていた。
 ネット物書きである先生の担当についてから永年、私はとうとう先生のお考えを理解することができなかった。
 プログラム28先生が作品を通して、この世界に何を見ていたのか、そして世界に何を訴えたかったのか、私は永久にそれをお聞ききすることができなくなってしまった。その点、私は決して優秀な担当編集者ではなかっただろう。
 それでも私は、急な先生の逝去により、遺稿となってしまったこの作品「death wish」を世に出すことを担当として最後の仕事と思い、自らの筆によるこの文を添えて発行する。

 それにしても、先生は不思議なお人であった。
 往来の真ん中でライスカレーを食べつつ雨乞いの踊りを舞うのをもっぱらの日課としていたし、ご自宅の本棚には「月刊明日の養鶏農家」や「ラジオライフ」が所狭しと並んでいた。
 また、雪印コーヒー500mlパックが唯一の友である旨を誰はばからず触れ回っていたのは世界広しといえど先生ぐらいのものであろう。実際コーヒーのパックに話しかける様子も度々目撃されているから、あれはあながち冗談でもなかったのだろう。

 そんな先生はこの作品「death wish」について、生前このように語っておられた。
「2人の人間が、デスマッチという残酷な運命で交わるとき、2人は何を考え、どう動き、そしてどう戦うかということを書いてみたかった。」と。
 私が思うに、この作品は『Authentic People』に続く、”死を通して生を視る”作品の第2弾と言えるのではないだろうか。
 『Authentic People』ほどの直接的なメッセージはないにしろ、プログラム28先生はソヴェンに、エルナに、己の魂を投影していたのだろうと私は信じる。

 ある日、先生は私にこうおっしゃった。
「あとがきを書かねばならんのだが、どうも普通のあとがきではおもしろくない。だからいっそのこと私が死んだことにして、君に追悼文という形で書いてもらうというのはどうだろう」
 ――という訳で、先生はまだご健在であるし、ここに書いてあることの8割方は嘘である。
 勿論、「先生が亡くなった」という部分だけは、私の手によって真実にしてもよい。
 というか、むしろそうしようと思う。(グシャッと云う効果音)

下級武士代表・編集N

 


未来を勝ち取るためのデスマッチを

death wish解説

 

 一言断っておく。
 私は解説など―――言ってしまえば「説明文」という類のものは苦手で、生涯書くことはないと思っていたのだが。
 しかし、まあ故・プログラム28氏とは「えぬびぃ」時代より、某究極超人漫画を共に愛読する徒として、因縁浅からぬ仲ではある。
 だからこそ、解説の話が来た時には戸惑いながらも、承諾した。したはいいが・・・




 はてさて困ってしまう。
 解説といわれて何を書けばいいのか。大体にして、この文章を読んでいる読者諸兄らはすでに本文を読み終えて、わざわざ解説されるまでもなく物語の魅力を堪能したことだろう。
 よって、ここで如何にこの小説が面白いかを力説してもくどくなってしまうだけなのだが。

 だからここは、私が「death wish」を読み、そして感じたことを語ろうと思う。




 そうはいっても語ることは多くない。
 一言で済ませてしまえば「面白かった」で終わってしまうし、余計なことを連ねてもそれは只の心無い修飾になってしまうだろう。

 だが、それでは少々芸がないというものだ。
 私よりも一足先に棺へと眠りについた氏も浮かばれまい。

 この物語は言ってしまえば―――かなり屈折した私の私見でいえば―――自分たちの未来のために「殺そうとする」人間と、そのために「殺されようとする」人間の物語である。

 「殺そうとする」人間は、弟の病気を治すために無謀なデスマッチに挑んだエルナ嬢であり。
 「殺されようとする」人間は、そのデスマッチを受けたソヴェンである。
 この面白いところは、殺す側と殺される側の実力差がかけ離れ、そのために双者の「デスマッチ」という命のやり取りに向かう観点が異なるところだろうか。

 エルナには自らの命を賭けるほかに道はなく、ただただ勝ち目のない強者に勝つ為に駆け回り。
 ソヴェンは強者であるがゆえに、勝ち負けを考えずに「デスマッチ」という死のゲーム、それに参加する自分の意味と、相手の意味―――死を賭けてまで何を戦うか? と、思い悩む。


 死合の直前、二人は偶然に顔をあわせるが、互いの正体に気づかないまま別れる。
 そして、実際に刃と刃を交えたときに互いを知ることになるのだが・・・まあ、読んで貰ったとおり、エルナはそれでもなお刃を振るい、ソヴェンは自らが出した命題の答えに詰り刃を引いた。


 後日、ソヴェンは「答え」を導き出すためにエルナに再びデスマッチを挑むこととなる。
 それをエルナは受けるのだが―――実は、彼女のこの選択にはいささか疑問が残る。

 エルナの目的は「デスマッチに勝つ」ことではなく、「弟を助ける」ことだったはずだ。
 なのに、どうしてまた勝ち目のない勝負に挑んだか? 本文中に彼女が言っているとおり、金メッキの名誉やチャチなプライドのためではない。
 ソヴェンへの恩・・・を、エルナはほのめかしているが、私にはそれが理由とは思えない。




“ソヴェンを、今度こそぶっ殺してやる。あたしとあたしの未来のために。”

“誰からの干渉もない俺と彼女だけの場所で決着を着けたかったのだ。”




 上はエルナ、下はソヴェンのモノローグである。
 私が思うに、これこそが理由なのではないか。

 ソヴェンは未来を賭けたデスマッチ、それは大衆の娯楽のエサではなく、自分と、それに立ちふさがる相手―――それだけで決着を着けたかったのだろう。
 そして、エルナは借り物の“未来”を生きることを良しとしなかったのではないのだろうか?





 それにしても往生際が悪いとはこのことだろう。
 「究極超人あ〜る」を片手に「やあ、おはやう、プログラム28だよ」と笑う氏を姿を瞼に浮かべ、私は涙混じりに苦笑を禁じえない。
 よもや、死してなおもこれほどまでに語りかけてくる作品を残すとは。
 そも往生際を悪くするのならば、いっそのこと死神を追い返すくらいのことをして欲しいものだ。

 作者である氏が、何を想い、何を残そうとしてこの作品を遺作としたのかはもはや誰も知ることはできない。
 が、おそらくは命を賭して未来を勝ち取る―――それこそがヒトの生きる道だと言いたかったのではないだろうか。


 まさに人生とは、命を賭けた―――死ぬまでいき続け、戦い続けるデスマッチなのだから。

 

願わくば、この「解説」と名のついた私の文が氏の供養となるように。
2001/10/03 貸し本屋“SSS”店主 ろう・ふぁみりあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・って、これシャレにならないっすよプログラム28の旦那ァ(核爆)。

どーでも、いいけど無理矢理に解説らしくしようとしたら、メチャクチャになってしまったなー。すまんです。


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