「みんなぁ! 今日はとっても嬉しげなお知らせがあるぞぅ♪」

 とっても嬉しげな担任の声に、草原高校1−3の教室の自分の机に突っ伏していた綾は眠たげな顔を腕枕から持ち上げた。
 ・・・眠い。というか身体がだるい。
 昨晩、隣の県まで馬鹿を迎えに行ったせいだろうか。
 どういった経緯があったかしらないが、その馬鹿は夜の11時も回ろうかという時に隣の県のコンビニの公衆電話から、「帰り道がわからないから、ちょっと迎えに来てくれ」と電話してきた。どうしてそんな所にいるのか問いただしても、「記憶にない」と返答が返って来るだけ。電車も無く、タクシーを呼ぶ金もない。仕方無しに自転車こいで迎えに行って、馬鹿を荷台に乗せて帰って来た(往復60キロ強)ら、夜の一時。汗だくになって馬鹿の家に辿り付いて、 “そういえば、どーして私が迎えに行かなくちゃならないのよ?” と思い始めた時に馬鹿がにこやかにほがらかに一言。

『車が少なくて風が気持ち良かったねー』

 のたまう馬鹿に「おやすみ」といいつつ正拳突きを見舞って(確かに、全く車通りの少ない車道をかっ飛ばすのは気持ち良かったが)、帰ろうと思ったら珍しく家にいた馬鹿の父親に捕まって晩酌させられて―――

(寝たの・・・何時だっけ・・・?)

 ふわあ、と欠伸しながら思い出そうとする。
 時間は覚えてない。が、家に辿り付いた時、東の空が白みかけていたような気がする。
 ふわあ、ともう一度欠伸をして、綾は窓際の席に座る馬鹿の姿を見やる。

 

 

 なんでこんなに眠いんだろうか?
 馬鹿―――もとい、西山幸治は、窓際の席で小さく欠伸をしながら考える。
 なんか昨日、もの凄く寝るのが遅かったのかもしれない。・・・覚えて無いが。
 もしかしたら綾ならなにか知っているかも知れない。と、幸治は綾の方を見ようとして―――首を傾げる。

「綾って誰だっけ?」

 思わず呟いた瞬間、とすっ、と良い感じに幸治の頭にシャープペンの先が刺さった。
 その刺激で思い出したらしく、幸治は綾の机を振り返る。
 険悪な表情で、なにかを投射したポーズのままでいる綾に向かって、フレンドリーに片手など挙げつつ。

「やっほー」
「やっほー言う前に頭に刺さってるのを抜きなさいよ・・・」

 険悪な表情から一転して、とても疲れたような表情で綾が言う。
 幸治が頭からシャープペンを抜くと、ぴゅーっと小さな血の噴水ができたりしたが、当人を含めて誰も騒がない。つまり、それだけ日常茶飯事になっていると言うことだった。
 ともあれ幸治は、シャープペンを抜くと再び担任の方へと目を向ける。綾になにか聞こうと思ったことは完璧にカケラも無く忘れていた。

 

 ―――ここで知らない読者に説明ターイム。
 西山幸治は鳥頭である!(注・トサカとかサカト(!?)とか読まないよーに!)
 ・・・と言っても、鳥の頭と言うわけではない。至って外見は普通っぽい人間の高校生だ!
 だがしかし、中に内蔵されている脳味噌に少々欠陥があり、幸治には記憶能力というものが欠如している! 言った端から物事を忘れる―――というより、言う前からすでに忘れている、とか言えばなんとなく解かってくれると思う。というか解かれ(読者に説明する態度じゃねーな)。
 ・・・詳しくは、ろう・ふぁみりあ作「あるひあるときあるばしょで」を参照のこと。

 

 幸治の頭からぴゅーぴゅーしてる噴水を止まるまで眺めた後、綾も担任に目を戻してぎょっとする。
 担任は、じっとにこやかな目で綾を見守っていたからだった。どうやら、綾が話を聞ける態勢になるまでじっくり見守っていた様だった(・・・じっくり?)。
 草原高校1−3担任・古畑耕助。教育熱心であり、自分の生徒たちをこよなく愛しながら、しかし決して叱ることはせずにじっと生暖かい目で見守って生徒の自主性を促す教師である。
 その生徒を見守る様を、畏怖をこめてこう呼ばれる。「古畑微笑三年殺し」と。

「では転校生の秋津 透クン。かまぁーん!」

 転校生?
 と、綾を含め生徒が全員教師の入り口に目を向ける。
 がらがら、と教室の戸が開いて、入って来た転校生に幸治を含まない生徒全員が呆然とした。

「あ、あの、初めまして・・・」
「ああもう、駄目じゃないか透クン。ちゃんと打ち合せ通りに “シャア=アズナブル!” と叫んで登場してくれなきゃ! そこで僕が“それははかまぁーんじゃなくてハマーンやろ?” とエセ関西弁で・・・」
「ええと、よくわからないですし。それにぼくの苗字は秋津じゃなくて “渡瀬” なんですけど・・・」

 転校生が担任に押され気味になりながらも弁明(?)しようとする。
 と、担任はポン、とその転校生の肩を叩いて。

「ルナ・ヴァルガーって知ってるかい?」
「知りません」
「ンヌォオオオオオオオオオオオッ!」

 担任は一万飛んで39の精神ダメージを受けた。
 担任はショックで燃え尽きてしまった。

「萌え尽きたぜ・・・真っ白によ・・・」

 担任は床に体操座りで座り込むと、膝を抱えて真っ白くなった。カーン、とどこかでゴングのなる音が聞こえる。
 綾が振り返ると、幸治がどこから取り出したのか―――というより、何処からもって来たのか、ボクシングのゴングをカンカン鳴らしていた。至極五月蝿い。

「没収」

 ぱちん、と綾が指を鳴らす。すると幸治の隣に座っていた生徒が引っ手繰るようにして、幸治からゴングを奪い取った。
 幸治は恨みがましくゴングを奪った生徒を睨んでいたが、ゴングが綾に渡されると負け犬の表情になって諦めたように机に突っ伏した。
 それを見て綾は満足すると―――前にたった転校生とやらをじっと見つめる。
 転校生は、真っ白くなった担任に戸惑っているようだった。まあ、普通は戸惑うだろう。担任がいきなり真っ白くなれば。

「あの〜・・・ちょっと、いい?」

 誰も尋ねようとしないので、仕方無しに綾が手をあげた。
 すると、真っ白になっていた担任が即座に復活し、無意味にクルクルと回ってから奇妙なポーズを決めて、ビシィと綾を指差した。

「はい! ポニーテールが眩しい出席番号4番の綾ちゃん!」

 ちゃん付けするな。
 言っても無駄だから、心の中で言いつつ席を立つ。

「あの、その転校生なんですけど」
「転校生って言い方は酷いと思うなぁ。ちゃんと秋津 透クンと言う名前があるんだから名前で呼んであげなきゃ!」
「・・・渡瀬、です」
「エンジェルバーズって知ってるかい?」
「知りません」
「ぐふわぁぁぁああああああああっ!」

 担任は一億飛んで11の精神ダメージを受けた。
 担任はショックで倒れてしまった。

「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ・・・」

 担任はその場で倒れると、どこから沸いて出たのか馬鹿に大きな犬と横たわる。
 綾はつかつかとその犬に近寄ると、思いっきり蹴飛ばした。

「きゃいんきゃいん」

 犬の着ぐるみを着た幸治は、悲鳴を上げて自分の席に戻った。・・・着ぐるみを着たまま。
 はあ〜・・・と、昨日、隣の県まで自転車を往復したよりも疲労した気分で、綾は自分の席に戻ると転校生に向かって、

「あのさ」
「な、何でしょう?」

 狼狽したような声の転校生に、綾はじーっと転校生の姿を見つめた。
 転校生は学校指定の黒い学生服を着ていた。上下。いたって普通の学生服。
 教室の蛍光灯の光が、きらりんとボタンをにぶく光らせている。
 とまれ、その転校生の外観的な印象はその学生服だけだった。その学生服しかなかった。何故なら、学生服しか見えなかったのだから。
 つまり―――

「あんた、もしかして・・・透明人間?」
「ああっ、なんでぼくの秘密を知ってるんですか!?」
「わからいでかッ! 学生服だけがふよふよ浮いて動いて挨拶してればッ!」

 ―――フツーの人間は、学生服が浮いている現象を見て透明人間と結論つけないと思います。
 綾と幸治、それから担任と転校生を除くクラスの全員がそう思ったが、誰も言わなかった。

「そう! 透クンは陶芸人間なのだよ!」
「皿でも割ってろッ!」

 だん!
 と、綾は机に飛び乗り、机を蹴って担任へ跳躍。そのまま蹴る。

「あべしっ!?」

 担任は綾のフライングキックに、あっさりと気絶する。
 とりあえず担任を蹴倒した後、綾は肩でぜーはー息をすると、きっと転校生へ向き直った。
 そして転校生を睨み、睨んで、睨みきった挙句、もう一度だけ睨んでから「はあ・・・」と “まあどうせ私に一番迷惑が降りかかるんだろーな” とでもいうかのような、諦めの混じった吐息をこぼして、改めて転校生に向かってぎこちなく微笑みかける。

「まー、透明人間でもなんでもいいけど―――とにかく。あたしがこのクラスの学級委員やってるから、困ったことがあったら、私に迷惑かけない程度に頼ってくれていいわよ」
「は・・・はいぃ。お・・・おねがいしまふ・・・」

 転校生の返事は、可哀想なほど震えていた。

 


あるひあるときあるばしょで

あるひあるときいんびじぶる


 

 朝から透明人間が転校して来ると言う事件があったものの、案外その日はなにごとも無く過ぎていく。
 教師たちは前もって説明を受けていたらしく、授業が始まるたびに転校生―――透の方をジロジロ見ていたが、大して驚きもせずに授業を進めていった。
 ―――そして、二時間目の授業が終わり、ちょっと長めの休み時間。

「おーい、綾ー」

 二時間目の授業を寝て過ごした綾は、自分の名前を呼ぶ声に机から顔を上げる。

「・・・なんだ、冬哉・・・?」

 欠伸しながら教室の戸口まで出る。
 隣のクラスの男子生徒を眠たげに見やり、

「何か用事? あたし、眠いんだけど」
「キミは学校に眠りに来とるのかね?」
「ふっふ。あたしには睡眠学習と言う必殺技があるのよ」
「にして成績に反映されねーな?」
「ほっといて」

 とかやりあってから、綾は冬哉の隣を見る。
 ・・・誰もいない。冬哉一人だ。

「ん? どうかしたか?」
「いや、リョーコが一緒にいないのって珍しいなーって」
「あのなあ。あいつは俺のオプションじゃねーぞ」
「そうよね。どっちかっていうと、アンタがオプション?」
「やめてくれ」

 冬哉は頭を抱える。それを綾は可笑しそうに笑って。

「で? なにか用なの?」
「用ってほどじゃねーけど・・・。なんか面白い転校生が来たらしいじゃねえか」
「ああ、そのこと? 見る?」

 見えないけどね。と、綾は思いながら教室の中を指差した。
 転校生は窓際の一番後ろの席に座っていた。座っているだけの様だった。
 その周りを、ちょっと興味ありげに―――しかし、不気味そうにクラスメイトが取り巻いている。

「・・・なるほど。噂通りの透明人間だ」

 冬哉はうむうむと頷く。
 そんな風に二人が見ていると、転校生に二つの影が踊りながら近づいていった。

「君のクラスの、一番後ろ〜いぃちばんうしろ〜♪」

 ついでに歌っていた。

「ぱっぱっぱパーマンは、そっこにいる〜♪」

 それは、歌っている通りにパーマンの格好をしていた。
 それぞれ、青と茶色のヘルメットを装着している。
 一号と二号だった。

「僕、パーマン一号!」
「・・・・・」

 パーマン一号が、転校生に元気良く自己紹介する。が、パーマン二号はなにも言わずに立っているだけだった。
 それを一号が小突いた。

「どうしたんだいブービー」
「すまん、台詞忘れた」
「ブービーは猿だから猿語でいいんだよ!」
「その猿語を忘れてしまった。・・・ “初めまして” はウッキキーだったか?」
「それは “愛してる” だよブービー」

 ホントかよ!?
 その光景を見ている全員が心の中で突っ込んだ。

「むう、猿語は難しい。・・・英語ならなんとか思い出せそうな気がするのだが」
「ううむ、仕方ないなあ。じゃあ、実はブービーはメリケン帰りということにしよう!」

 どんなブービーだよ!?
 その光景を見ている全員の脳裏に、金毛でガムをくちゃくちゃ噛んでいるサルの姿が思い浮かんだ。

「じゃあ、改めて・・・やあ! 僕、パーマン一号!」
「How do you do? My name is booby」
「そして彼女がパー子!」
「あたしーッ!?」

 パーマン一号に指差された綾はひきつった顔で自分を指差す。
 うむ。と、有無も言わせぬ調子で頷くパーマン一号。
 そして、転校生の肩をがしぃっ! と叩いて。

「そして君がパーヤンだ!」

 転校生イジメかーッ!?
 思わずその光景を見ている全員が思ったが、それはパーヤンに失礼ってものだろう。

「じゃあ、アンタは “お前がパーヤンだ” って言われて嬉しい?」

 ・・・嬉しくないです。ごめんなさい。
 確かに、転校生も困っているようだった。・・・多分。表情が解からないので、喋らなければどういう気持ちでいるのか解かり辛いが。
 

「・・・綾。今、誰に向かって・・・?」
「それはともかく!」

 冬哉の疑問を決然と無視して、綾はパーマン一号とブービーにつかつかと歩み寄る。

「コラ、ちょっと担任!」
「はっ!? パー子、どうして僕の正体を・・・!」
「パー子は一号の正体を知ってるでしょうが!」
「おお、そう言えばそうだった気も!」
「・・・じゃなくて、なんの真似よ! 幸治も!」

 綾はブービーに扮装した幸治を睨みつける。
 ブービー=幸治はむう、と唸ってから。

「ウーキキ、ウッキキキ、ウキー!」
「ああ、なんてこと言うんだブービー! そんなこと、女の子にいっちゃあ―――」

 ピッ、とパーマン一号はピストルの形に指をそろえ、ブービーを指差した。

「―――駄目だぜ?」

 ちょっとカッコ良かった。
 綾はブービーがなにを言ったか非情に気になったが、あえてその欲求を押し留めてパーマン一号の手を握り締める。

「な・ん・の・つ・も・り・かと聞いているんだけど・・・!」
「うをう!? パー子! そのまま力を入れつづけると、僕の手がピンチー! っていうかチョーク持てなくなったら僕の教師生命がー!」

 綾は手を解放する。
 パーマン一号は解放された手をぶらぶらふりながら。

「うう、痛かった―――」
「で、何を馬鹿やってるの?」
「それはだね、転校したての透クンが上手くクラスに解け込むようにと」
「だったらなんでパーマンなのよ!?」
「キミのクラスの一番後ろだったからさ!」

 凄い気迫。
 綾は、マスクごしのその瞳の奥に燃え盛るなにかを見た。
 言ってることは馬鹿としか言いようがないが、しかしそれは100パーセント純正マジだった。

「綾」

 ブービーの瞳の中は燃えてこそなかったが、パーマン一号と同じ真摯さに溢れていた。

「透は転校生だ。だから友達がいない」

 ブービーはゆっくりと転校生を振りかえった。

「だから、こちらから歩んでやることが必要だと思う。俺は、透の良い友人になれればと思う」

 ブービーの言葉に、綾はなにも返すことができなかった。
 そうなのだ。
 例え、まるっきし真性馬鹿に見えても、担任と幸治の二人は真剣に転校生のことを考えているのだ。転校生を仲間として迎え入れ様としているのだ。それは、二人の目を見れば良くわかる。
 ・・・どちらかというと、馬鹿の集団に招き入れようとしているようにも見えるが。まあ、さておき。

「ぼくのことを考えて・・・?」

 今まで一言も発しなかった転校生が、感極まったように呟くのが聞こえた。
 それを聞いて綾は担任と幸治の正しさを認めた。
 ただでさえ転校生という疎外感があるのに、彼は透明人間でもあるのだ。先ほどから、彼の周囲は好奇と不穏に包まれていた。そんな動物園の珍獣の檻の中にいて、居心地の良い訳がない。
 多少・・・いや、ものすごく馬鹿であっても、触れ合える仲間が必要なのだ・・・多分。

「あ、ありがとうございます・・・! ぼ、ぼく。こんなだから、友達・・・とか、できなくっ・・・て・・・」

 透の言葉はだんだんと、かすれ声になっていく。
 どうやら泣いているらしい。
 虚空からぽろぽろ涙が零れるのは不気味だったが、綾は目頭がちょっぴり熱くなるのを感じた。
 ぽん、と泣きじゃくる透の肩に、今度はパーマン一号とブービーの手が一つずつ置かれた。
 そして、二人は同時に、優しく語り掛けた。

「「じゃあ、これからもよろしく、パーヤン」」
「それはイジメだッ!」

 ちょっとだけ滲んだ涙を誤魔化す様に、強烈な綾の必殺蹴りがパーマン一号とブービーを叩きのめした。

 

 

 

 

 

 そんなこんな、色々あったが放課後。
 綾が帰る支度をしていると―――

「綾、ちょっといいか?」

 幸治が呼びかけてきた。
 綾は、机の上のものを適当に机の中につっこむと、幸治のほうに向く。

「なに?」
「実はだな・・・・・・・」
「うん?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・ねえ?」
「なんだ?」
「実は・・・なによ?」
「・・・なんだろう?」

 ばきぃっ!
 綾のコークスクリューブローが幸治の脇腹をえぐる。

「いつも言ってるでしょうが! 用件があるなら紙に書いてからにしろって! 聞こうとしても内容を即座に忘れるんだから!」
「うう・・・紙に書くことを忘れていた・・・」

 本末転倒。
 というか、本も末も忘れてしまうのが西山幸治である、と綾は何千回目かになるだろう再確認をする。
 脇腹を抑えて悶絶する幸治に、綾はばきりぼきりと指を凶悪な音で鳴らし、

「もう一発ブチ込めば思い出すかしらね・・・?」
「あ、今、思い出した!」
「なら、早く言いなさいよ! 忘れない内に!」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・思い出したことを忘れた」

 綾はにっこりと鬼婆も裸足で逃げ出すような微笑を浮かべ、拳を振り上げた。

「あの、西山君・・・学校を案内してくれるって・・・・・」

 綾が拳を振り上げ様とした瞬間、そんな声が耳に届く。
 声のした方を振り返る―――がいつのまにやら殆どの生徒は帰ってしまったらしく、誰もいない。・・・いや―――
 人の姿はなかったが、学生服が浮かんでいた。

「えーっと・・・秋津くん、だったっけ?」
「・・・渡瀬、なんだけど」
「ああ、渡瀬くん渡瀬くん」

 愛想笑いなんぞ浮かべつつ、慌てて綾は言いなおした。

「おお! 思い出した!」

 ぽん、と手を打つ幸治を、綾はうさんくさそうに見つめた。

「なにを?」
「透を学校案内する」
「・・・アンタが?」

 思わず聞き返す。
 ものすごーく、不安だったからだ。幸治の案内など、下手すると学校の中で遭難しかねない。実際、幸治はこの学校で何度も遭難しかけたことがある。
 ・・・まあ、ただ単に移動教室の時に行き先を忘れて、綾が見つけるまで普段は誰も使わないような倉庫の中でぼーっとしていたりするだけだが。

「そうだ。だから、綾にも手伝って欲しい」
「ああ、そういうこと」

 ようやく納得して綾は勿論、快く承諾した。

 

 

「この学校は―――外から見ればわかると思うけど、 I 字型の三階建ての棟が三つ並んであるわけよ。で、ここは一番校門側の棟なんだけど・・・」

 綾は長く真っ直ぐに続く廊下の端から端―――というか、端から順順に部屋のプレートを指し示していく。
 一番奥から保健室、校長室、応接室、会議室、職員室、事務室・・・と並んでいる。
 事務室のその隣は玄関だった。とはいっても、生徒用の玄関ではなく、教職員・来客用の玄関だ。

「見ればわかると思うけどここは職員棟で、主に職員室とか先生たちが居る棟ね。二階、三階には社会科研究室みたいな先生たちの部屋がある。と―――あ、音楽と美術、化学は別ね。あれはそれぞれの移動教室のとなりにあるから―――もっとも、三階はあまり使われてない様だけど。ちなみに、保健室もここの棟だから」

 と、一番奥のプレートを指し示す。
 何故だか「なるほど」と、幸治が初めて聞くような顔でこくこく頷いている。それを無視して、綾は透を見た。
 学生服の首元が微妙に動いている。幸治と同じように頷いているのだろう。多分。
 それでも確信の持てない綾は、一応尋ねてみる。

「ええと、渡瀬くん、わかってくれた?」
「ああ、はい」
「駄目だぞ透、頷いてるときはちゃんと “頷いています” って言わなきゃ」
「それもヘンだと思うけど・・・でも、まあそうしてくれると解かり易くていいかな」

 綾が苦笑しながら言うと、透は頷きかけて―――慌てて言う。

「頷いています」

 それを聞いて幸治は満足げに、

「よし。ちゃんと気をつけなきゃな。リプレイじゃ発言しなければ居ないのと一緒なんだから」
「なにそれ」
「? なにが?」

 幸治は自分で言ったことを即座に忘れ、首を傾げた。

 

 

「で、三つあるうちの真中のここが生徒棟・・・ってわかると思うけど、一応説明しておくわね」
「頷いています」
「まず、三階に一年生の教室があって、二階が二年の教室。で、一階が三年生の教室―――なんで一年生の教室が一番上なのか良く解からないけど、この学校はそうなってるの」
「頷いています」
「それで、三階には会議室、二階には生徒会室、一階には教室のほかは特に無いけど、強いて言うなら玄関と別の棟や中庭に通じる出入り口がある・・・と」
「頷いています」
「頷いてる」
「・・・幸治、あんたまでなに言ってるのよ」
「あれ? 人の話を聞いたら頷いてると言わなければならないんじゃないのか?」
「自分で言ったことを速攻忘れてるんじゃないッ!」

 

 

 

 

「で、最後の棟が特殊教室棟。音楽室はまた別の所にあるんだけど、美術室とか家庭科室、化学実験室がここに摘め込まれてるの」
「頷いています」
「頷いてる」
「いやもうそれはいいから」

 はあ、と息を吐いて綾は続けた。

「一階と二階の半分は特殊教室で、二階の半分と三階は文科系クラブの部室ね―――もっとも、吹奏楽部やコーラス部は音楽室の所だけど」

 綾は、それから廊下の窓に近寄ると外を指差す。
 そこには、テニスコートがあった。

「この棟の裏手には見ての通り、テニスコートがあるわけ。だからテニス部の部室も文科系に混じってここにあるわ。で、この特殊棟の周りに格技室や弓道場があるの。柔道部や弓道部は道場をそのまま部室にしているから、ここには部室はないわね」
「あれ・・・?」

 ふと、透が首を傾げる―――というか、疑問を発した。

「どうしたの? なにかわからないことが―――」
「い、いえ、そうではなくて―――西山くんは?」
「え?」

 その時になって初めて綾は気付いた。幸治の姿がないことに。

「あの馬鹿、どこに言ったのかしら・・・」
「トイレ、じゃないでしょうか?」
「そうかもしれないわね。なら、探しにいかないと」
「え? なんでですか? トイレならここで待ってればそのうち―――」

 綾は透の言葉を遮り、ひた、と透の見えない顔を見つめた。

「あなたは・・・西山幸治を甘く見過ぎている」
「は、はあ」
「自分の名前すら時々忘れるような男よ・・・すでに自分が転校生を学校案内してることなんて忘れている・・・・・!」
「じ、自分の名前を忘れるって・・・」
「そーゆーヤツなのよ。そのまま家に帰って辿りついてくれるならまだしも、下手をすれば家に帰ることすら忘れて、全く別の遠いところ―――もしかすると外国にでも行ってしまうかも知れない!」

 流石の綾にも外国まで自転車で迎えに行ける自信はなかった。
 言ってることはまさしく荒唐無稽だが、その表情は触れれば斬れそうなほど真剣な表情の綾を見て、透は呆然と呟いた。

「なんか、すごい人ですね・・・」

 透明人間にまで「すごい」とか言われてるぞ西山幸治。
 果たして、透明人間と記憶喪失。どっちの方が凄いのか。
 それは作者にも判別つかない・・・

 

 

 幸治の下駄箱を除けば、靴はまだあった。

「ということは校舎内にまだいるのかも・・・」
「甘いわ!」

 透の言葉を、綾はキッパリと否定した。

「あの記憶喪失、自分の靴を忘れて帰るなんて朝飯前なのよ!」
「それって・・・なんか言葉の用法を微妙に間違えてる気が」
「ともかく、これじゃ帰ったかどうかなんてわからないし―――あ、冬哉」

 ふと見れば、こちらに歩いて来る冬哉の姿が見えた。
 冬哉は綾の姿を見つけると、軽く手を上げる。

「よう綾。リョーコしらねーか?」
「知らない。そっちこそ幸治知らない?」
「知らんな・・・幸治も居ないのか・・・」

 冬哉と綾はしばらく考え込んで。
 ふと笑顔になって笑い合う。

「あの二人が同時に居なくなった・・・・・なんか、すごく嫌な予感がするな俺」
「冬哉も? じつは私もー」

 うふふふ、とどこか壊れた様な笑顔で綾も頷く。それから二人同時に真顔に戻って。

「よし。俺は学校の外を探してくる。綾は校舎内を頼んだ!」
「わかったわ! ・・・あ、リョーコの靴は?」
「ある。が、ダミーかも知れない」
「愚問だったわ―――じゃ! 一時間後にまた下駄箱で!」
「おう!」

 冬哉は下駄箱を飛び出す。
 綾は透を振りかえって

「じゃあ渡瀬くんは―――」
「ぼ、ぼくも探します!」
「え・・・でも・・・」
「なんか、良くわからないけど大変みたいだし、ぼくになにか出来るなら・・・・・」
「そう、ありがと・・・じゃ、渡瀬くんは特殊教室棟の方をお願い。私は生徒棟を探すから!」
「頷いてます!」

 透の返事に苦笑しながら、綾は下駄箱を飛び出した。

 

 

 しばらくして―――

「どうだった?」
「ぼくが探した限りではいませんでした!」
「そう・・・なら、あとは職員棟か・・・」

 玄関で落ち合った二人は、職員棟に向かう。
 まず、保健室を除いたが幸治どころか保険医の姿も見えなかった。次に職員室を除けば、1−3の担任である古畑耕介が必死の形相でクロスワードパズルを解いていた。
 仕事しろ。おまいは。

「綾ちゃんじゃないか。それに麗しの透くん」

 麗しのってナニ?
 綾と透の頭にハテナマークが浮かんだが、それを首を横に振って振りきって、綾は尋ねた。

「西山くん知りませんか?」
「勿論、知っている。僕の愛しいスイートスチューデントだからね」
「知ってるんですか!?」
「当たり前だよのび太くん。僕が、僕の生徒たちのことを忘れるわけないじゃないか! 君たちのことは僕のハートフルメモリーにフォーエバーさ!」

 誰がのび太くんだ! 言いかけて、綾は担任の誤解に気付いた。

「いや、そうじゃなくて・・・西山くんが今、どこに居るのか知りたいんですけど・・・」
「知っているよ」
「だからそうじゃなくて・・・・・・って、ホントに知ってるんですか!? 今、どこに居るか!」
「勿論だとも」

 担任は鷹揚に頷くと、クロスワードパズルを机の引き出しにしまいこみ、机の上に出ていたノートパソコンを起動させる。
 しばらくして画面が写る―――ちなみに、デスクトップの壁紙は、入学式の時にとったクラスの集合写真だった。

「今度、透クンも一緒に取らなきゃね」
「いや・・・どうせ写らないし」
「なにを言うんだ! 写ることに意味があるんじゃない! 一緒に取ることに意義があるんだよ!」
「いやンなことはどーでもいいから」

 綾が先を促すと、担任はパソコンを操作した。
 ちなみに綾には担任がどういう操作をしたのかよく解らなかった。基本的に、コンピューターと名前のつくモノは苦手なのだ。

「よし、出たぞ!」

 ピ、と画面に表示されたのはこの学校の見取り図だった。
 ピコンピコンと、幾つか光点が学校の中で光っている。
 この職員棟でいうなら、この職員室に二つ、それから屋上に一つあった。

「これって・・・」
「うーむ、どうやら幸治クンは屋上に居るみたいだね」
「もしかして・・・探知機?」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー!」
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜正解ッ!」

 めきょ。
 綾の一撃で、ノートパソコンの画面が砕けた。

「うわあああああああああっ、なんてことを!」
「アホかぁッ! 生徒に発信機付けるなんてナニ考えてるのよ!」
「生徒のことを考えて居るに決まってるじゃないか!」

 担任のその言葉には異常なほどの気迫と説得力があった。
 しかし。

「生徒に発信機をつける担任がどこにいるかあああああああああああああああああッ!」
「ここに居るッ!」
「だあっしゃぁっ!」

 会心の一撃!
 綾の床からすくいあげるような強烈なアッパーが、担任の顎をマトモに捕らえた。
 自分の身長よりも高く舞いあがり、担任は地面に叩きつけられてKO。その瞬間、透ははっきりと見た! 拳を突き上げた綾と吹っ飛ぶ担任、その二人に重なるようにして “JET” の文字が!

「こ、これは・・・! 河合武士のジェットアッパー!」

 透は車田正美ファンだった。
 職員室で公然と行われた教師への暴力行為だが、気に留めるものは誰もいない。―――とゆーか、今の綾に触れることは、空腹の虎に触れるに等しいと、他の教員は良く知っていた。

「とりあえず」

 ほう、と息を吐いて綾は透を振り返る。
 透はびくっ、と怯えた用な表情になるが―――幸いといおーか、透明人間だったので、綾が気付くことはなかった。

「屋上ね、いってみましょう」
「は・・・はいぃ」

 その声は、おおかみさんを目の前にしたうさぎさんのように怯えていたけれど。

 

 

 立ち入り禁止。
 屋上の扉にはそういうプレートがかけられていた。

「ここの屋上、フェンスとかなにもないのよ。だから、生徒は立ち入り禁止なんだけどね」

 言いながら綾はその場にしゃがみこむ。
 扉の下。床との1センチもない隙間に、鍵が置いてあった。

「何故かこんなところに鍵が置いてあるのよね。なんでかしら」

 笑いながら綾は鍵を開けた。
 少し錆びついた音を立てながら、扉が開く。
 開いた扉の先には―――

「中島先輩に告白するぞー!」
「いつの話だあああっ!」
「どわあああっ!?」

 馬鹿叫んでる幸治の背中を思いっきり蹴倒す。
 幸治はゴロゴロと転がって、屋上から落ちかけて―――なんとかギリギリ屋上の縁にしがみついた。

「こ、殺す気ですか!?」
「あ、つい・・・」

 ぞっとした声で叫ぶ透に、綾はエヘへとか舌を出して振り返る。
 そんな二人に、屋上の縁から起きあがってきた幸治がなにごともなかったように、

「綾じゃないか。それに―――おお、もしかしてそれは透明人間!? 初めて見る・・・」
「気にしないで、いつもの健忘症だから」
「はあ・・・頷いてます・・・」

 よくわかってない声で、透は頷いた。

 

 

 幸治の首根っこを引っつかみ、下駄箱に戻ってみると、冬哉が一人の少年を綾と同じように首根っこ引っつかんで待っていた。

「よう、見つかったようだな。こっちも見つかった」
「見たいね」

 冬哉が捕まえた少年は、背が低く、女の子のような顔だちで―――初めて見る透は、一瞬、女子が男子の制服を着てるんじゃないかと思うほどだった。

「リョーコ、あんたどこ行っていたのよ?」
「企業秘密だ」

 リョーコと呼ばれたその少年は、無愛想な声で答えた。
 と、ふと透の方を見て。

「珍しいな、透明人間か」
「・・・驚かないんですか?」
「珍しい、と私は言ったぞ?」

 全く無表情にリョーコは言った。
 そんなリョーコに戸惑う透に、綾は苦笑しながら、

「まあ、とにかく探し者も見つかったことだし。帰ろうか」

 

 

「あのリョーコってのが、幸治以上に変人でね。 “マニュアル” って未来日記に書かれた予定を、実行することが唯一の楽しみって言うんだから」

 帰り道。
 冬哉とリョーコと別れた綾たちは、偶然に方向が一緒だと言う透と一緒に歩いていた。
 ちなみに “マニュアル” 等などリョーコについては「RYO−KOパニック」参照のこと。

「未来日記、ですか?」
「そ。・・・っても、前日に自分で適当なことを書いておくんだけどね。で、それに何故だか幸治が良く付きあってるのよ。変人同士、波長でもあうのかしら?」
「・・・そういえば西山君、どうして屋上なんかに・・・?」
「そういえばそうね」

 綾は幸治を振り返る。

「こら幸治、あんたどうしてあんなとこに居たのよ」
「あんなところ・・・?」

 幸治は不思議そうに首を傾げた。

「屋上よ、屋上。しかも中二の時のコト、叫んでたし」

 もしかしたらコイツって記憶力あるんじゃ。
 思いながら、しかし幸治はさらに首を傾げた。

「屋上・・・?」

 どうやら幸治は自分が何処に居たかすら忘れていたらしい。
 綾は肩を竦めて。

「まあ、わかってはいたけど」
「あ、ぼくこっちです」

 Y字路の右を行こうとした綾たちに、透は左側を指差し―――綾には裾が左を向いたようにしか見えなかったが―――、綾たちの方へと向き直ると、制服が深深とお辞儀をした。

「今日は、ありがとうございました」
「はは、なに言ってるのよ。学校の案内くらい・・・」
「いえ! そうじゃないんです! ぼく・・・こんな透明人間だから・・・こんな風に、普通の友達として扱ってくれたの初めてなんです」
「あ・・・」

 そういえば、透は透明人間だった。
 いや、それは頭にあったのだが、綾の頭にはそれが “異常” だということがすっぽり抜け落ちていた。
 おそらく、それは休み時間のパーマン騒ぎで、もっと異常な馬鹿たちがいたからかも知れないが。

「あの・・・できれば、これからもよろしくお願いします」
「できれば、じゃないでしょ。友達なんだから―――あ」

 ふと、綾は思い出す。
 そういえば、自己紹介がまだたった気がする。

「そう言えば、あたし名前言ってなかったっけ。九条 綾。綾、でいいわよ」
「あ、はい。綾さん、ですね。ぼくは渡瀬 透といいます」
「いや、それは朝に聞いたし」
「あ、そうですね」

 学生服が頭を掻く仕草をする。
 それが可笑しくて綾は笑った。

「それじゃ、また明日」
「はい、それでは」
「じゃーな」

 幸治と綾は、透を見送って家路につく。
 ふと、幸治が綾に

「なあ、さっきの透明人間、綾の知り合いか?」
「・・・転校生で透明人間の渡瀬 透くん。忘れないようにメモしときなさい」
「わかった」

 素直に頷いて、幸治は愛用のメモ帳にさらさらと手馴れた手つきで書く。
 それを見ながら綾ははぁ、と息を吐いた。

 

 

 

 

 

 次の日。
 綾と幸治は偶然、昨日別れたY字路でばったり出会った透と一緒に登校することになった。
 他愛無い世間話をしながら―――主には、学校について透が知らない情報を綾が透に教え、何故だか幸治も一緒になってふんふん頷いている、と言ったような―――学校の校門まで辿りつく。

「・・・あれ?」

 それに一番最初に気付いたのは幸治だった。
 幸治の呟きに、綾も幸治の視線の先を辿る・・・と、校門の前に草原高校の女子生徒が集まっていたからだ。
 綾の知っている顔も何人かいる。・・・たしか、あれはみんなテニス部の部員たちではないだろうか?
 その女子たちは、綾たちに気付くと、一斉に険しい顔をした。

「ちょ・・・ちょっとどうしたの?」

 ものすんごい険悪な気配に、とりあえず顔見知りの女子に綾が尋ねる。
 しかしその女子が答えるよりも早く、リーダー格の女子が前に出る。その顔には綾にも見覚えがあった。テニス部の副部長だ。

「九条さん・・・だったわね。私たちが用事があるのはあなたじゃないの」

 綾は自分が名前すら知らない相手が、自分の名前を知っていることに軽い驚きを感じた。
 ・・・まあ、天然記憶喪失症の馬鹿の噂は学校中に知れ渡ってるし、それの世話をしている武闘派(笑)の幼馴染も有名だろう。

「あなたじゃなくて・・・・・そこの透明人間!」
「・・・は? ぼ、ぼくですか?」

 副部長に指し示されて、学生服の裾は自分を指差すように―――ってか裾指す(というのもヘンだが)。
 わけがわからず戸惑う透の横で、綾が訝しげな顔をする。

「どういうこと?」
「昨日、私たちの部室から下着が盗まれたのよ! 犯人はそこの透明人間しかいないわ!」

 一瞬、事情が飲み込めずに綾は首を傾げる。
 どうやらテニス部の部室から彼女らの下着が盗まれたらしい。それはわかった。
 しかし、わからないのは―――

「ちょっと! どーしていきなり透くんが犯人扱いなのよ!?」
「だって、透明人間ですもの。身体が透明なら、誰にも見られることなく犯行を行うことが可能でしょ! それに、昨日、私たちの部室の前をその学生服が走りまわっていたって見た人もいるし!」

 え、と一瞬綾は透の方を見そうになったが―――考えてみれば、昨日は幸治を探すために透には特殊教室棟を探して貰ったのだ。テニスコートの位置関係で、テニス部の部室は特殊教室棟の二階にある。透がテニス部の部室あたりをいてもおかしくない。
 綾は幸治の腕を引っ張って、

「それは違うわよ! あれはこの馬鹿を探しに―――」
「問答無用! ―――そこの透明人間を捕らえなさい!」

 副部長の号令で、テニス部員たちが透に飛びかかろうとする―――よりも早く。

「ちょっといいか?」

 待ったをかけたのは綾に腕を掴まれた馬鹿だった。
 幸治は綾の手を振り解いて副部長の前に出る。

「あんたの言い分は、 “透明人間だから誰にも見られることなく犯行が可能” だってことに聞こえるが?」
「ええそうよ。その通りでしょう?」
「だがコイツは学生服を着てるぞ。身体が透明でも服が見えてちゃ意味がない」

 今度は幸治が透の腕を引っ張る。
 だが、そんな幸治の言葉にも動ぜずに、副部長は蔑む様に透を見る。

「脱いだんでしょ。素っ裸で私たちの下着を漁ったんだわ。・・・変態ね」

 副部長の後ろで、部員たちが顔を赤らめたりくすくすと笑ったりしている。
 幸治はなるほど、と頷いてから。

「でもコイツがテニス部の部室の前を走ってた・・・っていうのを見たヤツは、学生服を着ているコイツを見たんだよな。でなきゃ “見えないんだし” 」
「そ・・・それは・・・下着を盗んでから学生服を着たのよ! そうに違いないわ!」
「・・・誰にも見られることなく犯行を行ったのに、目撃されるために部室の前で服を着て―――しかも目立つように走ったのか?」
「う・・・ぐ」

 副部長は言葉に詰る。
 綾は幸治の弁論を半ば放心して聞いていたが、おもむろに幸治の手を両手で握り締めた。そして感極まったように、

「幸治・・・あんた、ときどき凄いわ!」
「・・・? なにが」
「今の推理よ! あんた探偵か弁護士になれるかも!」
「は? スイリ? ・・・俺、なにか言ったか?」

 自分が言ったことを忘れてやがる。
 幸治はやっぱり幸治だった。

「と、とにかく!」

 綾は幸治の手を離すと、副部長に向き直った。

「幸治の言うとおりよ。透くんが犯人なら、わざわざ特殊教室棟で目立つように走り回るはずがない!」
「そ・・・そう言われてみれば・・・」

 副部長が弱気になって呟いたその時。

「―――いいえ、その透明人間が犯人よッ!」

 部員たちの中から一人の女子が前に出た。
 綾の知らない顔だが、まあテニス部員なんだろう。
 その部員は透を指差すと、汚物でも見るような目付きで、

「私知ってるのよ! その透明人間がどうしてこの学校に転校してきたか!」
「あ・・・あ・・・!」

 部員の言葉で、狼狽したような声を出す透。
 その反応を見て満足したのか、部員はふふん、と笑みを浮かべて、

「その透明人間が前にいた学校に私の従兄弟が通っていてね・・・そこでその透明人間、下着泥棒の常習犯だったのよ!」
「誤解だッ! ぼくは、そんなことやってない!」
「じゃあ、なんで転校して来たの? 後ろめたいことがあるから転校してきたんでしょ? 違う?」
「そんな・・・・・」

 愕然と透が呟く。
 その声に、綾が我に返って怒鳴る。

「言いすぎよ!」
「部外者は黙ってなさいよ! ・・・・・さあ、白状したらどう!?  “私は裸で女の子の下着を盗んだ変態です” って!」
「違う・・・ぼくは・・・やってな・・・」
「決まりね」

 透の言葉を掻き消すように、ぴしゃりと副部長が言い放つ

「・・・このこと、校長先生にかけあって、停学―――じゃ生ぬるいわね。退学にしてもらいましょう」

 退学! 退学! 退学!
 テニス部員たちから退学コールが巻き起こる。
 いや、いつのまにか騒ぎを見て集まってきたのか、関係のない一般生徒までコールしていた。

「退学だー、退学ー!」
「透明人間なんかと勉強なんて出来ないぜ」
「どこで覗き見されるかわからないものねー。変態」

 綾がやめなさいと叫ぶが、大勢の大音量の前にかき消される。
 ちなみに幸治は訳が分からない様子でぼーっとしていた。
 そして。

「ぼくは・・・ぼく・・・」

 透は拳を握りしめ(見えないが)、歯を食いしばり(見えないけど)、必死で退学のコールに耐えていたが。

「元のガッコに帰れよ、透明人間!」
「あぅっ」

 誰かが投げた石が透の頬にあたり、血が流れ落ちた。
 それを見た瞬間、退学のコールがピタリと収まる。

「うわあ、何もないところから血が出てる・・・不気味ー」
「気持ち悪い」
「人間じゃないよ、あいつ」
「あんた達・・・いい加減に!」

 そろそろ綾がキレそうになった時、

「う、うわああああああああッ!」

 綾が近くの男子生徒に殴りかかろうとするよりも早く、ついに堪えきれなくなったのか、透は叫び声を上げると近くに立っていた幸治を突き飛ばして校舎の中に駆け込んだ。

 

 

「死んでやる! もう何もかもたくさんだッ!」

 昨日、幸治を見つけた職員棟の屋上。
 その縁で透は叫んでいた。
 一歩下がれば即座に真っ逆様という位置だ。

「ちょ、ちょっと透くん・・・!」

 屋上の入り口まで追ってきた綾は声を掛けようとして・・・なにを言えばいいのか判らず困惑。下手に刺激を与えれば、即座に飛び降りてしまいそうな気迫が今の透にはあった。

「もう嫌だ! 透明人間だからって、覗きや下着泥棒、それが全部ぼくのせいにされて、こんな姿だから誰も気味悪がって近づいてもくれない。もう・・・ぼくは生きたくない!」
「渡瀬くん・・・」

 どうしようどうしようどうしようどうしよう。
 綾は完全に頭がパニクっていた。止めなければならない―――が、一歩でも近づけばどうなるかわからない、という不安が綾の動きを封じる。

「なんだ! どうした!? ・・・おお、どうして屋上の鍵が開いている!?」

 それは私が昨日、鍵を掛けるのを忘れたからです。
 騒ぎを聞きつけたのか、上がってきた教師の一人の声に、綾は心の中で呟いた。
 教師は透の姿を見つけると、はっと眼を見開いて、

「んな!? 学生服が宙に浮いて!? SFX!?」
「転校生の透明人間です先生!」

 答えたのはこちらも追っかけてきたのだろう、あのテニス部の副部長だった。
 副部長は冷や汗を流しながら、ぎこちなく笑みを浮かべ透に語りかける。

「あの・・・さっきは言い過ぎたわ。ごめんなさい。だから死ぬなんてそんな・・・!」
「うるさいっ! ぼくは死ぬんだ! 死んで、やるぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 透は小さい子がいやいやと駄々をこねるように頭を降る。
 ぐらぐらと体が揺れて今にも落ちそうだった。
 その場の全員が気が気でない雰囲気の中を、透が一人わめき続ける。

「ぼくは生まれたくって透明人間なんかに生まれたんじゃない! だから、死んで・・・死んで普通の人間に生まれ変わってやるんだぁぁぁぁぁっ!」

「ふざけんなッ!」

 突然、怒鳴り声が屋上に響き渡った。
その声に驚いて、透はバランスを崩して落ちそうになった・・・が、なんとか屋上の淵で堪える。
 その場の全員が、怒鳴り声の主を振り返った。

「こ・・・幸治・・・?」

 綾の呟き。その通りに。
 屋上の入り口から、副部長を押しのけて幸治が現れた。

 

 

「こっちだ」

 屋上に向かおうとした冬哉を、リョーコは今は使われていない三階の空き部屋の入り口を開けながら呼びとめる。
 ―――朝、学校に来て見れば校門前の騒ぎだ。
 冬哉とリョーコが来たのは透が走り出した直前で、綾も幸治も声をかけるまもなく屋上に行ってしまった。
 で、他の生徒や職員と同じようにここまで追いかけてきたわけだが。

「どうしたんだよ。あいつらは屋上だぜ?」
「屋上に私達が行っても仕方がない―――自殺志願者の説得をするなどとマニュアルにも書かれてなかった」

 お前が書いてるんだろうが。
 冬哉は心の中でツッコんだ。

「それに、屋上へ行くのはもう無理だ」

 リョーコの視線の先、屋上へ向かう階段は透を追いかけて来た生徒たちと、それを押し留め様としている教員達とでごった返していた。あれを突破して屋上へ向かうのは難しいだろう。

「だけど、こんな所でなにする気だよ?」
「今日の私の任務は―――」

 リョーコは冬哉の疑問には答えずに、誰に聞かせるというようでもなく呟く。

「――― “人命救助” だ」

 

 

 西原幸治は怒っていた。
 自分でも、何故だかわからないが怒っていた。
 それと同時に、何故か、哀しかった。哀しいことがあったということを思い出したからだ。

「ちょっと、幸治!?」

 透に向かって歩こうとする幸治を、慌てて綾が止め様とする。
 一歩でも透に近づけば、そのまま飛び降りてしまうだろう―――そんな危機感が、反射的に幸治の肩を掴んだが、その綾の手を幸治は乱暴にふりほどいた。

「幸治・・・?」

 怒っている、と綾は感じた。
 いつになく―――もしかしたら初めてかも知れないと綾は思った。
 随分と前、中学の頃の幸治は時折凶暴になることがあったが、そういった暴力的な怒りではない。
 憤然と、なにかを許せないという怒り。

「く、来るな! それ以上近づくな!」

 透が叫ぶ。
 が、幸治は止まらない。
 ゆっくりと一歩一歩、透へと近づいていく。

「死ぬんだ・・・ぼくは死ぬんだぞ! 来るなあああああっ!」
「そんなことは俺がさせない」

 重く響く力強い声。
 声量はあきらかに透の喚き声のほうが大きいはずなのに、幸治の言葉はその喚き声を完全に掻き消すほど強かった。

「透。お前は透明人間に生まれたくなかったのに透明人間に生まれてしまった。それは不幸なのかもしれない」

 何時の間にか、透は喚くのを止めていた。
 ゆっくり近づいて来る幸治の姿を、半ば呆然と眺めている。

「だから死にたい―――そう思うのはお前の勝手かもしれない。・・・だが!」

 幸治は、怒りの篭った眼差しで透を睨みあげた。
 睨まれた透はビクッと震える。
 しかし幸治には、その怒りが透に向けられたものなのか自分で良く解らなかった。それは、もしかしたら自分に向けられたものだと感じたからかも知れない。
 何故、自分自身に怒りを覚えたのか、その記憶を幸治はすっかり忘れ去っていたのだが。

「お前が透明人間として生まれたくなかったのと同じように、生まれたくても生まれずに死んでしまったヤツも居る! そのことを知らずに死のうとする・・・そんなこと、俺は許せん!」
「ぼくは・・・・・・あ!」

 何時の間にか、幸治は透の学生服の腕を掴んでいた。
 透は、幸治に腕を掴まれるまで、幸治がこんなに近づいて来た事に気づけない程、呑まれていた。

「死にたいか?」
「え・・・?」
「死にたいのならそこから飛び降りればいい―――ただし、その場合は腕を掴んで居る俺も道連れだ」
「は・・・離してくれよ!」

 透は幸治を振りほどこうとする―――が、場所が場所だ。思いっきり振りほどこうとすれば、一気に転落してしまいそうな恐怖を感じ、強く振り払うことが出来ない。
 恐怖。
 そう、透は恐怖を感じていた。さっきまでは感じることのなかった恐怖。
 死ぬことを先ほどまでは “解放” であると感じていた。透明人間と言う自分から解放される死。
 しかし、幸治の言葉を聞いてそれは罪であると感じ始めた。
  “生まれたくても生まれずに死んでしまったヤツ” 幸治が誰のことをいったのかはわからない。しかし、そういう人間は確かに居るのだろう。そして。
 透は幸治を見る。自分の腕を掴むクラスメイト。
 自分が飛び降りれば幸治も落ちて死ぬ。自分だけが死ぬのならともかく、誰かを巻き添えにしてしまえばそれは殺人であり罪である。
 ―――自分が死んでしまえば関係ない。そんな考え方を、透はすることができなかった。

「あいつは俺を消してでも生き様とした。なら、お前は俺を殺してでも死ぬべきだ―――それが出来ないのなら、俺はお前を死なせない!」
「ぼ、ぼくは・・・・・」
「・・・あいつ?」

 不意に幸治は首を傾げた。
 あいつ? あいつって誰だっけ? そんなことを思いながら―――ふと目の前の透に気付いた。

「・・・あれ? なんでこんな所に透明人間が?」
「に、西山くん?」

 唐突に雰囲気の変わった幸治に戸惑う透。
 透だけでなく、その場の全員が幸治の変わり様に戸惑っている中、ただ一人綾だけがその理由に気がついていた。

「この馬鹿幸治ィィッ! 大事な所で鳥頭大発揮してるんじゃないッ!」

 はい、お約束。
 幸治は「あれ、綾?」と後ろを振り返って―――その時、きんこんかんこんとホームルームの予令が鳴り響く。

「お。ホームルームが始まるぞ。早くしないと」

 とかボケたことを呟きつつ、幸治は自分の身体が向いてるほうへと首を向けると同時に、前へ一歩踏み出した。
 虚空へ。

「あれ?」

 とか幸治が呟いた時にはもう遅い。
 その身体は前のめりになって屋上から落ちていく。
 ついでに、未だ腕を掴んだままだった透の身体も引っ張って。

「え?」

 と透が裏返った声で呟いた時には、透の学生服は屋上から消えて居た。
 後には呆然と綾たちだけが残される。

「こ・・・」

 予令がなり終わる頃。

「幸治いいいいいいいいいいいいいっ!?」

 遅れて綾の悲鳴が草原高校の青空一杯に響き渡った。

 

 

「あれ?」

 という幸治のボケた声を、冬哉は見上げながら聞いていた。
 聞きながら、叫ぶ。

「リョーコ!」

 教室の入り口の辺りで立っていたリョーコは、猛然と冬哉の居る窓際に向かってダッシュ。
 ―――職員棟の三階。使われていない教室。
 教室と同じく使われない机や椅子が積み重ねられ、掃除もされずに埃の積もったその教室は、透が飛び降り様としていた場所の真下だった。
 その窓から身を乗り出して、冬哉は透の様子を見上げていたのだが。

「透明人間だけじゃねえ! 幸治も一緒だ!」

 突進して来るリョーコに、道を開けるようにして身を乗り出していた窓から後退する。

「一人も二人も同じだ」

 淡々と答えながら、リョーコは一瞬の躊躇いも無く窓を蹴って外に飛び出す―――左手だけを、教室の中に残す様に伸ばして。
 リョーコの視界に青空と学校のグラウンド、それから学校周辺の街の風景が広がった一瞬後、目の前に幸治の顔と透の学生服が写った。
 リョーコは右手を伸ばすと幸治が掴んで居るのとは反対側の透の腕を掴んだ―――それと同時に、リョーコの左手を冬哉が掴む。

「離すなよ」

 リョーコの呟きは、自分の腕を掴んで居る冬哉に向けられた物なのか、それとも透の腕を掴む幸治に言ったのか、はたまた自分自身へなのか。ともかく。
 冬哉はリョーコの腕を掴みながら、教室の窓ワクに足をかけて踏ん張り、リョーコも冬哉と透の腕を掴みながら叫んだ。一瞬だけ、二人の目と目が交錯し、にやりと笑みを交わす。そして、叫ぶ。

「ファイトォォォォッ!」
「いっぱああああああああっ!」

 がしっ!
 リョーコと冬哉のリボビタンDのようなコンビネーションによって掴まれ、幸治達の落下が止まる。
 3階建ての屋上から死のダイブを結構しかけた透と幸治の二人はこうして無事に救われたように見えた。しかし。

「おや?」

 という呟きを残し、冬哉を中心としたベクトルに乗って、幸治の身体が校舎の壁に思いっきり叩きつけられる。合掌。

 

 

 

 

 

 ―――翌日。
 綾は透と一緒に並んで登校していた。

「でも・・・良かったわね。停学にならなくて」
「はい。テニス部の人達が、弁明してくれましたから」

 あの後―――
 騒ぎをおこした罰として、透は停学処分を受けるところだった。
 しかし、意外にもテニス部の副部長や部員達が校長とかけあってくれ、透は停学を免れたのだ。

 ―――確証もないのに疑ってごめんなさい。

 騒ぎの後、副部長はそう透に謝った。

「でも、仕方ないですよね。仕方なかったんです。・・・誰だって・・・透明人間なんて見たら気味悪いって思うだろうし、いつ覗かれても気付かないって、不安に思うだろうし―――前の学校も、そうでした。ぼくが透明人間だから、色々な噂が立って・・・苛められて、だから転校して―――でも、何処へ行ってもぼくは “透明人間” なんですよね」
「そんな・・・」
「いいんです」

 なにか気の抜けたような透の言葉に、声を上げかけた綾を、当の透が押し留める。
 その表情は―――見えないはずの表情が、何故か笑っているように綾は感じた。

「西山君の言葉、心に響きました。もうぼくは “透明人間だから” なんて考えません―――」
「透くん・・・」

 気の抜けた、ようにというのは間違いだった。
 どこか肩の力が抜けた―――そんな感じだった。

「でも・・・」

 ふっ、と透の声のトーンが低くなる。

「その西山君には、申し訳ないことをしました・・・」

 その透の言葉に、綾も表情を曇らせた。。
 やがて、綾がポツリと呟いた―――その声音もまた、暗い。

「幸治ね・・・昨日病院に行ったら、全身打撲で骨折も何箇所もあって・・・全治数ヶ月だって」

 なにか、重く―――なにかの感情を押し殺した声。

「頷いています・・・」

 透の表情も暗く、重い(見えないケドな)。

「大変だな・・・」

 幸治の顔もなんとなく暗そうだった。
 ・・・・・・
 ぴた、と綾と透の足が同時に止まった。
 一拍遅れて幸治の足も止まる。不思議そうに後ろを見て。

「どうした? 遅れるぞ」
「・・・なんであんたがここに居るのよ!?」
「全治数ヶ月云々はどうしたんですか!?」

 綾と透の二人に次々に迫られて、幸治はちょっとだけ悩むように首を傾げて。
 一言。

「忘れた」

 はい、お約束。
 がくーっと脱力する綾と透。
 と、綾の下げた視線の先で、早くしろとその場駆け足する幸治のポケットからなにか落ちるのがみえた。

「幸治、なにか落し・・・た・・・わよ・・・・・・?」

 幸治が落したその物体を認めて、綾は徐々に硬直していく。
 透も幸治が落したその物体Aを凝視したまま動かない。
 それは・・・・・白いブラジャーだった!

「お前が犯人かぁぁぁぁぁぁっ!」

 綾の怒りのこめたギャラクティカなんちゃらが幸治の身体をすっ飛ばした。

 

 

「それにしても・・・結局誰だったんだろうなー」
「なにがだ?」

 草原高校1−2の教室。
 窓際の自分の席に頬杖付きながら冬哉が呟くと、なんでだか窓に向かってシャドーボクシングなんぞをやっているリョーコが聞き返す。
 なんでも、今日のリョーコのマニュアル内容は “ボクシング部」に殴り込む” らしい。とはいえリョーコ自身はそれを書いた記憶はない。どうにも悪意・・・というか憎悪に満ちた筆跡(わかるのか!?)だったが、まあマニュアルに書いてあることだしと、リョーコは深く考えずにボクシングの練習(付け焼刃)などしているのだ。

「んー・・・だからテニス部の下着盗んだ犯人」
「ああ、それなら私だ」
「ふーん・・・」

 冬哉は頬杖をついたまま、気のない返事を返す。
 ・・・・・
 しばらく教室の喧騒をBGMに聞きながら、シュッシュと拳を繰り出すリョーコの姿を眺めていたが―――

「はあ!?」

 ようやくリョーコの言葉の意味に気付いて声を上げる。

「ちょっと待てリョーコ! なんでそんな・・・!」
「一昨日のマニュアル内容が “女性物の下着を手に入れて姉の部屋に放り込む” だったんだ」
「あ、あの人は・・・」

 冬哉は即座にリョーコの姉―――自分の片思いの相手を頭に思い浮かべ、頭を抱える。
 気まぐれかなんらかの事情で自分の下着が駄目になったからとか、理由はそんな所だろうか。
 リョーコ姉としてはリョーコに下着を “買ってこさせる” つもりだったのだろうが―――それなら素直に買ってこいと言えば良いのにと冬哉は思った。

「でもそんな素直じゃない所が大好きさ」
「お前に好きと言われても嬉しくない」
「誰がお前に言うかぁっ!」
「ああ、そーいえば私だけじゃなく、幸治も共犯なのでよろしく」
「幸治もッ!?」

 幸治が下着ドロなんてしたことに意外そうに驚き―――それは勘違いだと自分で気付く。
 大方、リョーコが下着ドロに行く途中で偶然に出会って、そのまま訳もわからずについて行っただけに違いない。・・・きっと、自分がリョーコの下着ドロに付き合ったコトすら忘れているのだろう(大正解)。

「あの透明人間も災難だったよなあ・・・・・」

 思いっきり疲れたように脱力し、机の上に突っ伏しながら冬哉は呟く。
 その傍らでシャドーを繰り返すリョーコがぽつりと呟いた。

「それにしても昨日の朝。下着を姉の部屋に放り込んだら聞こえてきた “サ、サイズが大きすぎるゥッ!? 最近のガキどもってなんでこんなに発育が宜しいのよ!?” という悲哀のこもった喚き声はなんだったんだろう」

 そのわめき声が、今日ボクシング部に殴り込みに行かなければならない理由だと、リョーコは知っているのか知らないのか。

END

 


あとがきがわりの自爆な座談会ッ! 

 

ろう・ふぁみりあ(以下ろう):ども、作者です。

九条 綾(以下綾):草原高校1−3の九条 綾です(ぺこり、と礼儀正しくお辞儀)。

西山 幸治(以下幸治):ミナミハルオでございます。

ろう&綾:それ違う。

幸治:・・・おや?

綾:まー、馬鹿はほっといて・・・ああ、久し振りの出番! 私は三年待ったのだッ! ・・・でもどうして突然書こうなんて思ったわけ?

ろう:気まぐれ。

綾:あんた・・・その「気まぐれ」と「なるようになるさ」って考えで生きるの止めた方がいいと思うわ。

ろう:実は一部西山幸治の性格は作者から来たと言う噂がありますが・・・

綾:違うの?

ろう:いやこれが大当たり。なにせオイラ記憶力ないから、どーしても思考がその場の気まぐれになってしまうと。えっへん。

綾:威張るなああああああっ!

ろう:っぐふわああああああああ!?

 

 めきょ―――と、綾のまわしげりが作者の腹を捕らえた。
 胃の中のものを吐き出しつつ飛んでいく作者。

 

綾:・・・・・・あ、作者、飛んでっちゃった。

幸治:これじゃあ座談会続けられんな。

 

 んじゃ終わる。ちゃんちゃん♪(なにがなんだか)。


なんとなく登場人物紹介〜

 

・西山幸治(にしやまこうじ)

 記憶喪失症。鳥頭。アルツハイマー。
 喋り方は鷹揚っぽい。一人称は「俺」。
 「昭」という弟が、中学ニ年までとりついていた(笑)。

 背は低くも無く高くもない、中肉中背。
 運動神経はほとんどなし。でも水泳は何故か得意。いつも綾に殴られているせいか、耐久力がリビングデッド。
 記憶障害の癖に何故か学校の成績は良い。

 トラックの運ちゃんやってる父親と二人暮し。
 でも父親はあまり家にいないので、実質一人暮し。

 

・九条綾(くじょうあや)

 幸治の相方。かなりデンジャラスなツッコミが得意。
 小学校の頃、空手を習っていたが道場の師範を病院送りにしてから止める。
 でも趣味で色々な格闘技の通信教育をやっているとかどうとか。
 一人称は「あたし」

 背が高い。長い髪を後ろでしばってポニーテールにしている。ぽに?
 無敵の運動性能を誇る。ある意味超人。反面、成績は最悪。でも勤勉。基本的に勉強とは相性が悪いらしい。
 頭よりも反射神経でモノ考えるタイプ。
 いつも幸治に弁当を作ってあげている。けっこー料理は上手い。

 父母と三人家族。居候が一人。

 

・羽柴良光(はしばりょうこう)

 通称リョーコ。
 「マニュアル」と呼ばれる未来日記の通りに生きていくことを至上の喜びとしている。
 一人称は「私」。固い口調。でも「マニュアル」の内容によりコロコロ変わる。

 美形。背が低く、線が細いのでうっかりすると女の子に見える。
 実際、女の子として何度か男に告白されたこともある。
 文武両道。成績優秀で、かつ運動神経も良い。完璧超人。
 「真流」と呼ばれる武術を体得している(笑)。

 父母姉の四人家族。
 「ちゃっぴぃ」という犬らしきものも一匹。

 

・久保冬哉(くぼとうや)

 冬に生まれたから冬哉。
 元不良。が、中三の夏、綾に叩きのめされて更正。以降、女のケツばかり追いかけるナンパ師になるも、高校に上がってリョーコに出会い、その姉に一目ボレしてからは一途(あは)。
 一人称は「俺」。けっこーお調子もの。

 二枚目。でも綾やリョーコに言わせれば三枚目。
 半端に長い髪を、後ろでチョンマゲにしている。
 勉強は苦手。煙草のせいかスタミナも最悪。けれど喧嘩は結構強い。ある意味幸治の対極にある存在。

 一人暮し。天涯孤独というわけでは無く、家を飛び出した。

 

・渡瀬透(わたせとおる)

 透明人間(笑)。
 でも家族は普通人。
 一人称は「ぼく」

 透明人間であるほかは普通の人間。
 勉強もそこそこできて、運動神経もまあまあ。
 性格はねがてぃぶ。

 父母妹祖母の5人家族。熱帯魚が友達(笑)。

 

・古畑耕助(ふるはたこうすけ)

 変人教師(おい)。
 古畑任三朗と金田一耕介という新旧の名探偵の名前から作者が名づけたのだが、その理由は不明。ってか気まぐれ。
 一人称は「僕」。通称「担任」(By綾)。
 自分の生徒達をこよなく愛し、愛しすぎてちょっと暴走気味。

 実はモチーフが某コスモス荘に登場する先生だというのは秘密。バラしてるし。

 必殺技は古畑微笑三年殺し。
 どんな不良クンでも最後にはいうことを聞いてしまうという、恐ろしい精神攻撃だッ!

 


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