「ん・・・」
カーテンの間から自分の顔に降り注ぐ日光に、彼女は目を覚ました。
「ふあ・・・」
軽くあくびをして、ベッドから身を起こす。
そして部屋の出入り口のドアの上に飾り付けてある時計をぼやける視界で見つめる。11時。
いつもなら、学校で授業を受け―――ずに熟睡している時間だが、今日は日曜日。
先生に怒鳴られる事なく、眠っていられるが―――そうなると、何故かあまり眠くならない。
ともあれ、彼女はベッドから降りると、部屋を出て階下へと降りていった。彼女の部屋は二階なのだ。
ダイニングのテーブルの上には朝食の用意がしてあり―――そのほとんどが食い散らかされていた。
(あのやろ・・・あたしの分まで残しとけっていったのに―――)
彼女は朝食を食い散らかしたであろう存在を頭に浮かべ、眉根を寄せる。
もっとも、その朝食を作ったのも、その存在なのだが。
彼女は白いご飯を茶碗によそい、冷蔵庫からスチロールに包装された納豆を取り出すと、ぐりぐりとかき回した。
ご飯を食べ終わり、歯を磨く為に洗面所へと赴く。
と、顔を洗っていない事に気付いて顔を洗う。
冷たい水が顔にかかり、眠気がわずかに吹き飛ぶ。
何度かそれを繰り返し、ほとんど眠気が吹き飛んだ後、タオルで顔を拭う。
「う〜ん、今日も美人♪」
鏡を見て、ニッと笑う。
鏡の中では、快活そうな(自称)美人の顔がニッと笑っていた。納豆の糸を引いて。
その事に気付き、彼女は即座に歯を磨いた。
自室に戻り、着替えようとしたときに異変に気付いた。
着替えがない。
「あれ・・・? おかしいな・・・」
ごそごそとクローゼットを開け放つが、そこはがらんどうとしていた。
「リョーコ、あたしの服知らない!?」
部屋を出て、声をあげながら彼女は二階の、自分の身内の部屋へと入る。
「リョーコ・・・あら、いない」
きちんと整頓された質素な部屋。本当になにもない部屋。
あるのは大きな机と、大きなタンスがそれぞれ一つ。そして万年床となっている布団が一つあるだけだ。
と、その大きな机の上にある日記帳を見て、彼女はうめいた。
かなり分厚い、かなり高価な日記帳だ。日記帳にはもったいないほどの日記帳。
リョーコが『マニュアル』と呼んでいるモノだ。
普通の日記帳とは違い、事前にその日の出来事を書いておく事でそのとうりに行動する為のもの。
予定帳とは違う。予定ではなくて『確定』なのだ。
つまり、そこに書かれた事はなにがなんでも行わねばならない。リョーコにとっては。
まるで、『ドラえもん』の秘密道具にでも出てきそうなモノだが、本人はいたって本気だ。
彼女もおもしろ半分に、たまに書いて見る。すると、それも実行するので面白い。
そして昨日もリョーコが風呂に入っている間に部屋に侵入して、今日の予定を書いてやった。
『姉の服を借りて街に行き、男の人にナンパされる』
と。
(それであたしの服がないわけか・・・でも、全部ないってのはどういうわけだ?)
不思議に思いながら、彼女は『マニュアル』をパラパラとめくる。
今日のページを開き―――絶句する。
そこには先の文に続いて、こう書いてあった。
『家を出る前に、自分が借りた服以外の姉の服をすべて洗濯する』
他にもないか続きが書いてあったが、とりあえず彼女はそれを閉じて机に叩き付けるように置くと、
階下へと駆け下りた。
(けど、さっき歯を磨いたときには洗濯機はまわってなかったけど―――)
いやな予感。
もう手後れだろうが、彼女は洗面所に飛び込むと脇にある洗濯機の蓋を上げる。
そこには衣服の類は全くなく、代わりに一枚の紙があった。
『めんどくさくなった』
その一言で彼女はすべてを理解した。
洗面所から直にいける風呂場へと飛び込むと、その浴槽を見る。
浴槽には昨日はいった風呂のお湯―――というか水がまだたっぷりと残っていて―――
「あたしの・・・服・・・」
そこに彼女の服がぷかぷかと浮いていたー――
「リョオオオオコオオオオオオオオオオオオオッッッ!」
あるひあるときあるばしょで
RYO-KOパニック!
「?」
誰かに呼ばれたような気がして、リョーコは振り返った。
誰も自分を見ている者はいない。
(気のせいか・・・)
嘆息する。早速、『マニュアル』どうりに事が進むかと思ったのだが。
(そう、たやすくは行かないか・・・)
だが、それでこそやりがいがある。
リョーコはふっふっふ・・・と不敵に笑うと、人で賑わう駅前通りを渡り歩いた。
外から見れば赤いシャツに黒いダウンジャケット、そして青く短いスカートを着込んだ少女。
背中には灰色の小さなナップサックを背負っているが、つぶれ具合から見て何も入っていない様だ。
人形のようにかわいらしいその白く綺麗な顔にはその快活な姿は似合わないが、
ロ リ コ ン
それでも幼女愛好家であらずとも、思わずほころんでしまうだろう。
そんな少女が笑みを浮かべながら、やや前傾姿勢になって歩いているのだ。
はっきりいって、闇夜で月明かりに照らされ、一人でに笑う人形のように不気味である。
だが、もちろん当の本人はそんな事に気付かずに、ただ歩みを進めていた。不気味な笑みを浮かべながら。
30分ほどして。
(む・・・誰も私に声をかけないとはどういう事だ?)
リョーコの顔には焦りと疑問の入り交じった表情が浮かぶ。
『男の人にナンパ』された後、他にもやらねばならない事がある。
(このままでは・・・任務失敗か?)
リョーコは『マニュアル』に書き込まれた事を『任務』と呼んでいた。
某新機動世紀の自爆少年のノリである。
リョーコがそんな焦燥を感じはじめた頃、目の前をいく一人の男に気付いた。
スラリととした長身の男だ。
やや長めの赤っぽい茶髪を後ろでちょんまげのようにまとめて縛っている。
オリーブ色のロングコート。その下からは、青いジーパンをはいた足が二本生えている。
「あいつは―――」
思わず声に出して、リョーコは足早にその男の前に出た。
とうや
冬哉は街に出ていた。
これといってあてもなく―――ただ暇だったからだ。
いつもと同じ、格好でいつもの街を歩く。
たまに何人かの女性に声をかけられるが、笑みを振りまきながらそのお相手をお断りする。
少しもったいないとも思うが―――もうすでに自分の相手は決まっているのだ。
告白する勇気はまだもてないが。
情けないと思う。他の女を相手をするのは平気なのに、『彼女』の前に出るとどうしても萎縮してしまうのだ。
まぁ、幼い頃からずっとそうなのだが。
と―――
(ん?)
冬哉の前を小柄な影が通り過ぎていった。
ハッと気付く、あの服は―――彼女の好きな服じゃなかったか?
「あ―――」
思わず冬哉は声をかけかけると・・・その小柄な影は振り返った。
「今、呼んだな? 呼んだ。よし呼んだ。というわけでナンパ成立」
口早にまくしたてながら、その影―――リョーコは冬哉に擦り寄るように近づいてくる。
「リョ、リョーコ!? お前、その服―――」
「姉から借りた。というわけでいこうか、ナンパ師」
「誰がナンパ師だ!?」
「姉が言ってたが」
「うう・・・」
思わず涙する冬哉に、リョーコは淡々と言う。
「会うたびに言っているような気がするが、今日も言ってやろう。お前、趣味が悪い」
「ほっとけ!」
「そういうわけにも行かない。私はお前のような義兄など欲しくない」
「俺だってな―――」
「ストップ!」
言いかけた冬哉の言葉を遮るように、リョーコは声を上げた。
「な、なんだよ?」
「今の私は街を一人でさ迷い歩いて、性質の悪いナンパ師にナンパされる不幸な少女なのでよろしく」
「なにがよろしくだ!」
言い捨てて、冬哉は足早に立ち去ろうとする。
「待て」
と、リョーコは冬哉の手をつかむ。
「離せっ! 俺にはお前の『マニュアル』なんか知った事じゃねえ!」
冬哉は捕まれたまま、強引に走ろうとする。
リョーコはそのまま引きずられる形となって―――
「待てっ! 彼女の手を離せ!」
唐突に聞こえて来た声に、冬哉は思わず足を止めて振り返る。
嫌な予感を胸に秘めながら―――
ジンオウ
塵王はその日、愛読している格闘書の続刊を買いに出かけていた。
きっちりと黒い学校の制服’(学ラン)を着込み、もちろんカラーもつけている。
きびきびとした動作で、ピンと伸ばした両手両足を交互に前に出して進む。
(ふっ・・・どこからどう見ても優良生徒の模範生のようだな)
自分の姿と行動を頭の中でトレースしながら、塵王は笑みを浮かべる。
―――もちろんそんな事はなく、周りから見れば変な高校生にしか見えない。
だが、塵王には周りの視線など気付くような神経は持ちあわせていなかった。
ともあれ、ナルシーに浸りながら塵王は本屋へと向かう。
すでに完結している本だが、塵王はすべて持っていなかった。
全三十一巻だが、未だ二十二巻までしか持っていない。
第三部が終わり、第四部へと入った最初の巻だ。
財布の中の財産を確かめつつ、本屋へと急ぐ。と―――
(・・・・・・・・!)
ふと、目の前を歩く可憐な少女に目を奪われた。
まぁ、リョーコなので、描写等は省略するが、ともあれそれは塵王にとって衝撃的な運命の出会いであった。
(何と言う偶然だ!? 本を買いに行こうとした俺の目の前に天使の様な少女が通り過ぎるとは!)
どこが偶然だか。
だが、塵王はそれを運命と勘違いし、リョーコの後ろから付け回して行った。物陰に隠れながら。
それはもう、ストーカーのように。っていうか、ストーカー。
街行く人々からは奇異な目で見られていたが、塵王の目にはリョーコしか写っていなかった。
しばらくすると、リョーコは一人の男―――冬哉に声をかけられた(様に塵王には見えた)。
どうやら知りあいらしい。
まさか彼氏か―――とも、思ったが塵王はすぐさま否定した。
自分と運命の出会いを果たした彼女に恋人がいる筈がない。
そう、考えてみればすぐに解る事だ。
例えば恋愛ゲームのヒロイン達は、必ずと言っていいほど『恋人募集中』ではないか。
それは主人公と運命の出会いを果たす為である。
そして運命の出会いを果たした彼女―――リョーコに恋人がいる筈がない!
・・・変な奴である。
しばらく二人は何やら喋りながら歩いていく。
と、不意に男が彼女の手を引っ張り、彼女を引きずる様にして走り去ろうとする(用に塵王には思えた)。
(おのれ・・・俺の彼女に!)
まるっきし、自己中な思いを叫びながら、塵王は物陰から飛び出し声をかけた。
「待てっ! 彼女の手を離せ!」
変な奴だ。
冬哉は即座にそう判断した。
マジメそうな顔立ちに、そのマジメさを強調するかのように黒の学生服をキッチリ着込んでいる。
それだけならまだ普通のマジメな学生と見れたかもしれない。
だが、さきほどのセリフ―――リョーコを連れ去ろうとか勘違いしているらしいが―――と、その熱っぽい瞳。
その暑苦しいほどに熱い瞳はリョーコをじっと見つめていた。
変な奴だ。
冬哉は再び即断した。
「俺の名は塵王!」
「変な名前だな」
冬哉の即答に、塵王はハッと嘲るように笑う。
「負け惜しみを!」
「負けって!?」
「ちなみに、塵王というのは俺自身がつけた名だ! 凡庸な両親がつけた平凡な名前を捨ててな!」
どうやら両親はマトモな人種らしい。
「彼女の手を離せ! でないと、俺の陸奥○明流が火を吹くぞ!」
変な奴―――塵王が上げた声に、冬哉は認識を改める。
すごく変な奴だ。
こういう奴とは関わり合いにならない方がいい。
そう、判断すると、冬哉は再び背を向ける。
「オイ、どこに行く! 逃げるのか!?」
(かまってられるか!)
無視して、冬哉は歩を進める。
ふと、手にリョーコの手の感触がないのに気付く―――
「助けてください!」
と、リョーコはいつのまにか塵王にすがり付いていた。
さっきまでの不気味な笑みや無表情ではない、恐怖に震える普通の少女のように、すがっていた。
「あの人が、私を暗いところに連れ込んで、あんな事やこんな事を―――」
「なにいっ!?」
塵王はそそくさと去ろうとする冬哉の襟首をつかむ。
「貴様、そんな事を―――」
「するかぁっ! 俺はそこまで落ちぶれちゃいねーぞ!」
「問答無用! 食らえ正義の鉄拳―――っ!」
トン・・・と、塵王は握りこぶしを冬哉の腹に当てる。
当てただけ。
殴ったわけではない。
「どういうわけだ?」
「こういうわけだ!」
怪訝そうに首をかしげる冬哉に、塵王はイッキに拳を突き放つ!
その瞬間、冬哉は腹に重い衝撃を受けて―――
「ぐはっ!?」
胃の中の空気を、唾液と一緒に吐き出しながらその場に崩れ落ちる。
それを見下ろして、塵王はフンと笑った。
「どうだ! 毎日、干し布団を拳を添えた状態から拳のスピードだけで打ち抜く練習をして来たその威力は!」
なに言ってるんだ、コイツ―――とか思ったが、いまだ呼吸できないほどの衝撃に喋る事すら出来ない。
「さておじょおさんおけがはございませんでしたか?」
緊張しているのか、いきなり棒読みになって塵王はリョーコを振り向く。
その頃にはリョーコは無表情な顔に戻っていた。
「いや、別に。だが、礼を言っておこう。お前のおかげで任務は達成された」
「へ?」
先ほどまでとはまるで違うリョーコの態度に、塵王は困惑する。
そんな塵王に構わずに、リョーコは右手をすちゃっと上げる。
「では、私はこれにて帰還する。協力、感謝」
「あ、はい・・・じゃなくて!」
「なにか他に?」
「ええと、ボ、ボクと一緒に修○の門でも読みませんか?」
おそらく、ナンパだろう。男が女に対してコミュニケーションをとる一つの手法。
変な誘い方だが、熱がこもっていた。先ほど(一応)助けてもらった礼も含めて、もしかしたら―――
「遠慮する」
―――という、塵王の思いは即座に切り捨てられた。
「な、なんでですか!? あの本はまさに格闘技の―――」
「格闘技に興味はないし、何よりも―――」
と、リョーコは言葉をそこでいったん切ると、塵王の顔をイヤそうに眺める。
「私には同性愛についてはさらに興味がないからだ」
「はい?」
言葉の意味が理解できない。
硬直する塵王に背を向け、リョーコはすたすたと歩み去っていった。
「・・・げほ・・・おまえが・・・ごほ・・・かんちがいするのも・・・はぁ・・・わかるが・・・」
塵王の足元で冬哉が息を切らしながらうめくように呟く。
「あいつは・・・がは・・・オトコだぞ」
「・・・・・へ?」
街の駅前通りに―――
一人の呆然と立ち尽くす男と、道に倒れたまま動けないでいる男二人が雑踏のなかに取り残されていた。
(まぁ、少しマニュアルと違うがー――まぁ、任務達成でいいだろう)
はしば りょうこう
家へと向かいながら、リョーコ―――本名『羽柴 良光』は不気味な笑みを浮かべていた。
今日のマニュアルの内容。
・『姉の服を借りて街に行き、男の人にナンパされる』
・『家を出る前に、自分が借りた服以外の姉の服をすべて洗濯する』
・『ナンパされた男と街を歩き、変な男に<かわいいねーちゃんつれてんじゃんよー>とかからまれる。
あとがき
というわけで、お馬鹿な小説です。
・・・しかしオイラって女装ネタ&男装ネタって好きかも。
他にも魂入れ替えとか、多重人格とか好きだし―――変身願望でもあるのか自分?
ちなみにこの話、続きがあるかも知れません。いやありますが。
まあ、書くかどうかは不明。
でわでわ〜