第24章「幻界」
K.「力の差」
main character:セリス=シェール
location:幻界
(・・・え?)
気がつけばセリスは勢いよく吹っ飛ばされていた。
殴り飛ばされた瞬間が思い出せない―――のは、どうやら一瞬だけ気を失っていたらしい。アスラの一撃は、セリスの防御魔法を易々と―――まるで意味がないもののように貫き、セリスを打撃していた。
そのことを理解する間もなく、地面に墜落する。
どん、という鈍い衝撃が全身を揺らし―――遅れて、バラバラになったかと思うほどの激痛が全身に響き渡る。「―――――――――っ!?」
今まで味わったことのない苦痛に、セリスは声を上げる事も出来ずにひたすら悶え苦しむ。
普通の人間ならば、痛みを感じる前に気絶するかショック死していただろう。
しかし幸か不幸か、セリスは魔導の力で強化されている。
そのためか、意識を失うことも出来ず、ただただ激痛に泣き叫ぶことしかできなかった。「あらあら、手加減はしたつもりなのですけど」
姿は変わっても変わらぬ口調でアスラが微笑む。
「ぐ・・・っ」
セリスはようやく痛みを堪え、歯を食いしばりながら必死で立ち上が―――った所を、一足飛びに間合いを詰めたアスラの回し蹴りが容赦なく肩口を蹴り飛ばす。
ごきん、と肩の骨が外れる音を耳にしながら、セリスは再度吹っ飛んだ。「あ゛ああああああああああああああああああっ!」
左手に持っていた短剣を放り出し、壊された右肩を抑え、今度は絶叫する。
アスラの一撃は先程よりも手加減されていた―――が、それで逆に激痛ははっきりと感じて、セリスは恥も外聞も無く泣き叫んだ。「今度は上手く行ったようですね」
セリスの悲鳴を変わらぬ微笑みで聞きながらアスラが満足そうに呟いた。
「アスラ・・・っ!」
抗議の意味を込めてリディアが叫ぶ。
だが、それ以上は続けない―――続けられない。
セリスを庇うことは、イコール幻獣達への “裏切り” となる。それはリディアはもちろんのこと、セリスだって望んでいない。「どうかしましたか? リディア」
「・・・・・・っ」アスラの問いかけに、リディアは唇を噛み―――なにも答えない。
何も言わないリディアに、アスラはそれいじょうは構わず吹っ飛ばしたセリスの元へと歩み寄る。肩を押さえ、仰向けに倒れたまま低く悲鳴を上げ続けるセリスの腹を―――踏みつぶした。
「あ・・・がはぁっ・・・」
まるで押し出されたようにセリスの口から血が吐き出された。
噴水のように噴き上がった血は、アスラの身体を汚し、セリスの身体に降りかかり、周囲の地面を濡らす。「私達の仲間の力を得ているだけあってなかなか丈夫ですね―――」
「あうっ!?」アスラはセリスの髪の毛を掴むと、それを引っ張り上げて起きあがらせる。
「どうです? 痛いでしょう? 死んだ方がマシだと思いませんか?」
「・・・う・・・あ・・・」意識が朦朧としているのか、呻き声しか上げられないセリスに、アスラは「答えられませんか」と呟くと―――
「「 “オン” 」」
先程セリスの魔法を防いだ時と同じように、側面の顔が言葉を唱える―――と、セリスの身体を柔らかな癒しの光が包み込む。
瀕死だったはずのセリスは、一瞬で怪我が癒され全快状態となる。「え・・・?」
髪を掴まれながら、癒やされた事に疑問を感じるセリス―――の顔面を、アスラの拳が無造作に叩き潰した。
「あ・・・ぐ・・・っ」
歯が砕かれ、鼻血を撒き散らし、掴まれていた髪の毛を強引に引きちぎられながら、セリスは地面に叩き付けられた。
「私達の同胞が受けた “痛み” はこれくらいではありません」
全快した直後に、たった一撃だけで再び戦闘不能となったセリスに向けて、アスラは静かに告げた。
「・・・本当なら、リディアのために力を貸すのもやぶさかでは無いと思っていました―――が、ああも挑発されたなら話は別です」
と、アスラの頭がぐるんと回転する。
今まで微笑んだ表情が前を向いていたのが、怒りの表情を浮かべた仮面のような顔が前になりセリスを見下ろす。「これから私は貴様を何度でも叩き潰す。死んだ方がマシだと思える “痛み” を何度も何度も何度でも貴様に与え、その度に回復してやる」
声音は変わらないが、口調は荒々しくなり、伏したまま動けないセリスに向かって言い捨てる。
そして、アスラの頭がもう一度回転した。今度は “怒りの面” とは対照的な慈愛に満ちた穏やかな面だ。「ただし、貴女が自ら死を望んだ時は、ひと思いに殺して差し上げます―――それがせめても慈悲というもの」
この世界は “かりそめの世界” 。
だが、かりそめで在ること以外は現実世界とは何も変わらない。
つまり、この世界で死を望んだと言うことは、現実世界でも同じように死ぬことを望むだろう。これは報復だった。
幻獣達を傷つけ、その力を我が物としたガストラの人間への報復。
自ら死を願うほどの苦痛を与え、自らの死ぬ事を二度も望ませる―――これ以上の復讐はない。「最後に忠告です。どんなに耐えても結果は変わりません―――早めに諦めることをお勧めします」
そう言って、アスラはセリスの身体を蹴り上げた―――
******
圧倒的だった。
アスラの強さは知っているつもりだった―――が、まさに “つもり” だったことをリディアは思い知る。リディアやブリットは、アスラとは何度も手合わせしたことがある。
その時もアスラは本気など出していないとは思っていたが―――リディアが想像していた以上に “手加減” されていたようだ。「手も、足も出ないじゃない・・・」
目の前で展開される “暴力” を眺めてリディアは震える声で呟く。
すでに戦いになどなっていなかった。
ただアスラはセリスを殴り、蹴るだけ。対してセリスは反撃も防御も出来ず、泣き叫び血反吐を吐くだけだ。セリスが悶えることすらできなくなると、アスラは回復魔法を唱える。それは一瞬でセリスを全快させ―――それをまた叩き潰す。その繰り返しだ。
夕焼けに赤く染められた草原は、セリスの血でなお赤く染められていく。
―――以前、リディアはバッツに言われたことがある。
幻界で十数年分修行したリディアより、バッツの方が強くなっているのは、幻界にはセシルやレオのような “化物” がいなかったからだと。けれどそれは間違いだ。
ただリディアは相手にすらならなかっただけ。
本当の化物は目の前にいる。(セリスじゃ、勝てない)
人間状態だったアスラと互角に戦ったセリスならば、もしかしたら、と思った。
だが、そんなに甘くない。
そう簡単に勝てる相手なら、リディアはすでに誓約を交し、ロックを助けるために幻界まで来る必要など無かった。(セリスじゃ勝てない・・・でも)
一つだけ、リディアには勝てる可能性を持っていた。
アスラと同じく、人間だった者が幻獣へと昇華した存在。( “オーディン” なら、もしかしたら・・・)
バロンの地下で戦った時の事を思いだしても、アスラに劣っているとは思わない。
セシルとカインの2人に敗北したとはいえ、あれは相手が悪すぎたと言える。1対1ならば、まず負けることはなかっただろう。オーディンを召喚すれば、なんとかなるかもしれない―――が、問題が無いわけではなかった。
ここでセリスを助ければ “裏切り者” となる事もそうだが、なによりも。(・・・あたしが耐えられるかどうか・・・)
セリスのお陰で多少は回復したとはいえ、リディアのMPはかなり減っている。
そしてオーディンが居るのは現実世界だ。魔封壁を越えて幻界に召喚するには、かなり消耗してしまう。召喚に失敗する可能性が高く、運良く召喚できたとしても制限時間は短いだろう。
如何にオーディンが斬鉄剣の使い手とはいえ、アスラを一瞬で斬れるとは思えなかった。(あたしに・・・あたしにできることはなにもないの・・・?)
何度も何度も叩きのめされるセリスを見つめながら。
リディアは何も出来ない無力な自分に対して、悔しさのあまりに涙を流していた―――
******
「う・・・ぐ・・・ぅ・・・・・・」
何十回―――下手をすれば百に近いかも知れない。
それほどの数、セリスは吹っ飛ばされて―――それでも、よろめきながら起きあがる。叩きのめされるたびに回復されているため、何度も殴られたようには見えない。
だが、常人なら―――いや、例え魔導で強化されたセリスであっても、五十回は死んでいるほどのダメージを受けたはずだ。普通ならばすでに発狂している。
だというのに、セリスは未だに立ち向かおうとしている。「・・・まだ死ぬ気にはなりませんか?」
「・・・・・・」セリスは答えない。
血と泥にまみれた身体で―――回復魔法でも、汚れが綺麗になるわけではない―――ふらりと立ちつくしながら、じっとアスラを見つめている。
その瞳には確かに怯えがあった。アスラに対する畏れだ。
圧倒的な力で何度も殴られ、痛い想いをすれば当然とも言える。すでにセリスからはヘイストの効果も失われ、不完全な防御魔法は無意味となり、避ける事も防ぐことも出来ない状態だ。
肉体は何度も打ちのめされ、精神もかなり削られた―――はずなのに、セリスは未だに死を望まない。
慈愛の面でアスラはセリスへと告げる。
「もういいでしょう? 痛い想いをしたくないでしょう? 楽になっても良いのですよ・・・?」
その声は、心からセリスの事を思いやっていた。
優しさに満ちた言葉に、セリスは震えながら口を開いて―――しかし何も言わずに閉じる。「私には勝てないということは思い知ったでしょう―――それなのに、どうしてまだ耐えようとするのです?」
「・・・・・・」答えない。
答える気力がないのか―――それともすでに心が “壊れて” しまっているのか。
アスラは「これ以上は無駄のようですね」と嘆息すると、顔を元の面―――微笑みを浮かべた顔を前に向けて。「貴女の “生” への執着を認めます―――ひと思いに殺して差し上げましょう」
(これ以上は、リディアを苦しませるだけですし、ね)
セリスが殴られるたび、リディアも同じように殴られているかのように、苦痛に顔を歪めているのに気がついていた。
どうしてリディアが “敵” であるはずのセリスのために苦しんでいるのか―――その理由はアスラにも解らない。なんだかんだ言っても、同じ “人間” なのだから―――とも思ったが、 “元” 人間であるアスラは、例え同じ種族だとしても憎しみ合うということを良く知っている。ただ、セリスが幻獣達に対して怒りを感じた理由は解っている。
もしかしたら、リディアもそのことに気がついて、それでセリスのために傷ついているのだろうか。なんにせよ、これ以上続けても無意味だと、アスラはその拳に力を込めた。
「・・・っ」
アスラが本気だと悟ったのか、セリスは身構える。
今までされるがままだったセリスが、今更反応を見せたことにアスラは怪訝に思ったが―――それだけ “死にたくない” のだと結論づけた。アスラはさっきまでと同じように、セリスへと接近するとその拳を振り上げる。
手加減抜きの本気の一撃ならば、あっさりとセリスは “死ぬ” だろう。「安心しなさい。この一撃貴女は死にますが、それは本当の死ではありません―――もう一度殺す前に、 “ギルガメッシュ” について聞き出さなければね」
「そんな不安など感じていない・・・」
「・・・?」セリスが返事を返したことに、アスラは驚く。よく見れば、その瞳には活力が戻っているように見えた。いや、その瞳に宿るのは―――
( “覚悟” ・・・?)
何かを決め、それを貫き通すと決めた時に生まれる力。
そこにはすでに怯えはなく、アスラは拳を振り下ろすことに躊躇いを覚えた。(何か企んでいる・・・?)
何を、までは解らない。
だが。「何を企んでいようとも、これで終わりです!」
告げて、アスラは拳を振り下ろす。
加速魔法の効力が失い、ダメージをその身に負ったセリスは、アスラの高速の一撃を回避する術はない―――が。「ブリット!」
アスラが拳を振り下ろす直前、リディアの叫び声が響き渡った。
同時、セリスとアスラの拳との中間に、剣を盾のようにして構えたブリットが出現する。
リディアがその場所にブリットを “召喚” したのだ。「くっ!?」
突然現れたブリットに、アスラは反射的に拳を止めた。
直後、空中に召喚されたブリット―――背の低いブリットでは、背の高いアスラの拳に届かないためだ―――は、そのまま地面に着地する。「リディア」
アスラはリディアの方に正面の顔を向けて首を傾げる。
涙は止まっていたが、頬はまだ濡れていた。「どういうつもりですか?」
「・・・あたしは」
「私達を裏切るというのですか!?」
「あたしは・・・・・・!」アスラに詰問され、リディアは俯いたまま―――何も答えられない。
「「裏切ってなんかいない!」」
異口同音。
まるでリディアの代わりにとでもいうかのように、その言葉はブリットとセリスの2人から放たれた。驚いたようにセリスを見上げるブリットに、セリスは優しく微笑んだ。
「・・・・・・リディアは “誰” も裏切っていない―――そうよね、ブリット?」
「セリス・・・」
「私は幼い頃の彼女を良く知らない―――けれど、バッツ達から話は聞いているし、短い間だけど共に行動して。少しは彼女のことを解っているつもりよ?」いいつつ、セリスは視線をブリットからアスラへと視線を移ししていく。
それとともに表情を冷たく、静かな怒りを込めたものへと変じていった。「リディアが “誰” のために “何” を裏切ったのか―――それは貴様も解っているはずだろう・・・!」
その言葉は、それほど力強いものではな無かった。
セリスはアスラに吹っ飛ばされている。魔導で少しは肉体強化されたセリスだから何とか立っていられているが、普通なら身動き出来ないほどのダメージだ。そしてそれはまだ回復魔法で癒されていない。だからその言葉にはむしろ力がなかった―――にもかかわらず、アスラは無意識のうちに、僅かだけ身を退いていたことに気がついた。
(・・・私が、気圧されている・・・?)
そこで彼女は疑問を覚える。
リディアがセリスのことで痛みを感じるのもよく解らないが、尚更解らないのは。(どうして彼女はこうまでリディアの事で激怒している・・・?)
「ブリット、退がっていて」
「セリス!? しかし・・・」
「大丈夫。私は負けないから」断言して―――付け加える。
「というか、貴方達が近くにいると “勝てない” 」
ブリットはそう言われて、アスラと戦う直前にセリスがリディアに告げた言葉を思い出す。
「・・・足手まといだと言うことか?」
「そうじゃない―――見ていれば解るから。できるだけ遠くに退いていて」
「・・・・・・解った」ブリットは頷くと、言われたとおりに後ろに下がる。
「リディア、退くぞ」
「で・・・でも・・・」
「いいから」
「ちょっと、ブリット!?」ブリットは強引にリディアの腕を退き、トリスやボムボム、レイア達とさらにセリスから離れる。
それを振りかえってみていたセリスは「ありがとう」と小さく呟く―――と、その耳にアスラの声が聞こえた。「―――圧倒的な力の差を見せつけられて尚、私に勝利する気だというのですか」
アスラの問いに、セリスは答えない。
まるでアスラなど居ないかのように無視して、周囲をきょろきょろと見回すと―――「あ、あった」
何かを見つけて、そこへと歩み寄る。
やはりその動きは緩慢で、演技ではなくダメージが在ることは見て取れた。自分の言葉を無視されたアスラは、首を回転させて怒りの面をセリスに向けて怒鳴りつける。
「人の話を聞いているのかッ!」
「そう怒るな―――ちゃんと聞いている」セリスは、地面に落ちていたロックの短剣を拾い上げると、アスラに向かって笑いかける。
何が愉快なのか、クスクスと笑いながら彼女は続けた。「駄目だぞ。そんな風に頭に血が昇っていると―――」
短剣を手の中で弄びながら彼女は言った。
それはかつて、とある帝国の常勝将軍様が、とあるトレジャーハンターに “敗北” した時に言われた言葉だ。「―――罠にハマってお終いだ」