第24章「幻界」
I .「誰がための怒り」
main character:セリス=シェール
location:幻界
(―――・・・そういう言い方はないと思うんだけど)
リディアの声援(?)を耳にして、セリスは内心で苦笑する。
(まあいいか。これで私が勝っても負けても、リディアは “裏切り者” にはならない)
図式としては、リディアは幻界に戻るためにセリスを利用して、セリスは自分の身を守るためにアスラと戦う。
幻獣達はリディアに好意を持っているようだし、それで納得してくれるだろう。(あとは私が勝つだけ・・・!)
アスラが強いことは先程見せつけられた。
超高速の体術を使い、ブリットが言うには忍術も使うらしい。或いはあの動きは忍術によるものなのかもしれないが。ともあれ、リディアやブリットがどうしても勝てなかった相手だという。
リディアの魔力の高さは知っているし、ブリットの剣技にはバブイルの塔で何度も助けられた。その他、トリスやボムボムとの連携も―――通用しなかったが―――バッツとの決闘で知っていた。そんなリディア達が敵わなかった相手だ。
セリス一人で勝てるかどうか―――というか負ける確率の方が高い。それはアスラも解っているのだろう。
「・・・そろそろ初めても宜しいでしょうか?」
相対したアスラは、余裕をもって尋ねてくる。
対し、セリスは何も答えない―――代わりに、口早に魔法の詠唱を始める。
その声は小さく、アスラまで詠唱は聞こえないのでどんな魔法か彼女には解らなかったが―――ともあれ、それならば、と微笑んで。「すでに戦闘開始、ということでよろしいですね!」
宣言すると同時、その身体が疾風のようにセリスに向かって疾駆する。
一瞬で眼前まで接近され、先程ラムウと攻防を繰り広げていた時と同じ、遠目で見てもなお霞むほどの高速拳がセリスの顔面を狙う!「『ヘイスト』!」
「!」アスラの拳が直撃する一瞬前、セリスの魔法が完成する。
同時、セリスはアスラと同等以上の速度でスウェーバック。拳が鼻先をかすめるようなギリギリで回避する。続いて、後ろに向かって倒れるような形でバックステップして、アスラと間合いを取った。「時空魔法・・・!」
「素のままでは貴様の動きには付いて行けないのでな」言いつつ、セリスはロックの短剣を手に構える。
普通の剣以外はあまり使ったことはないが、今使える武器はこれしかない。ブリットから剣を借りる、ということも考えたが、ブリットやリディアに協力してもらうのなら、一人で戦う意味がない。なにより―――
(こんな奴はこれで十分だ)
と、心の中で呟いて、セリスは疑問を感じる。
先程から感じていたことだが、どうもこのアスラという幻獣に対し、セリスはあまり心良くは思っていないらしい。
特になにをされたわけでもないはず―――というか出会ったばかりだ―――で、向こうがこちらを憎む理由はあっても、こっちが向こうを嫌う理由はない――――――などと考えていたら、いつの間にか目の前にアスラの姿がなかった。
「なにをぼーっとしているのですか?」
「っ!?」真横からの声に振り返れば、アスラが拳を振りかぶるところだった。
反射的にセリスはさっきとおなじようにスウェーで回避しようとして―――違和感に気づく。(―――動いていない)
時間にして10分の1秒も満たない瞬間の話だが、アスラの速度から考えれば、もうその拳はセリスに向かって突き出されていなければならない。
だというのに動いていないということは―――(分身か!?)
と、セリスは思わず自分の背後を振り返った。
そこには “ご名答” とでも言いたげににっこりと笑みを浮かべたアスラが、すでに蹴りを放つ体勢になっていた。セリスが不用意に振り返るのを待っていたらしい。如何に加速魔法で加速していても、バッツの無拍子のように、直前の動きを無視して次の行動に移れるわけではない。振り返った状態ではすぐに回避行動できず、アスラの蹴りはセリスの脇腹に直撃する―――
「楯よ―――!」
直撃の直前、セリスは必死に叫んでいた。その直後、蹴りが脇腹に激突して吹っ飛ばされる。
「!?」
セリスの身体が吹っ飛び―――しかしアスラは顔をしかめる。
クリーンヒットしたはずだが、手応えが妙に硬かったのだ。
アスラの感じた違和感が気のせいでなかったかのように、吹っ飛ばされたセリスは草の上で足裏を滑らせながらも倒れることなく着地する。軽く咳き込む―――が、あまりダメージはないようだった。咳き込んだ後、口を拭うと即座に短剣を手に構え直す。よくよく見れば、セリスの脇腹が淡く輝き―――防御魔法の光だ―――すぐに霧散するように消え去った。
「そういうことですか」
と、アスラは納得したように呟いた。
「詠唱を短くして防御魔法を無理矢理発動。さらに、防御個所を一点集中にして私の攻撃を防いだのですね」
幻獣や “魔女” でなければ詠唱無しで魔法を使うことは出来ない。
短い詠唱で、無理矢理に魔力を注ぎ込んで使っても、不完全な効果しか発揮しない。
しかしセリスは、それをピンポイントに限定することにより、通常以上の防御力を発揮させたのだ。「ガストラの魔導戦士はその名のとおり、魔道士でありながら戦士でもある―――このくらいの芸当はできるさ!」
とはいえこの方法には、幾つかの欠点がある。
まず、下手をすれば不完全な効果すら発動しない可能性があった。さらにピンポイントなので、防御箇所をミスっても直撃をくらう―――いや、魔法に集中した分、まともに喰らうよりも大きなダメージを受けてしまう。最後に、強制的に魔法を発動させるため、効果に比べて消耗が激しいことだ。
そう何度も使える手段でもない。だからこそと、セリスは短期決戦で決着を付けるべく、アスラに向かって駆け出す。
ヘイストで加速されたセリスは、アスラにも劣らぬ速度で肉薄する。
短剣を左手で握りしめ、その切っ先を右肩に付けるような形で横に振りかぶり―――「 “見えなき路よ―――” 」
魔法の詠唱を呟きながらアスラの直前で停止。そのまま左に向かって跳躍する。
超高速で迫ったと思ったら即座に横っとび。並の人間ならば、消えたようにしか見えないだろう―――が。当然アスラは並ではなかった。(その程度のフェイント―――)
アスラはセリスの動きを完全に見切っていた。
その姿を見失う事無く視線で追いかけ―――直後、セリスが唱えていた魔法を発動する!「 “テレポ” !」
「なっ!?」目で追ったセリスの姿が転移魔法で消え去る。
アスラの超反応が逆に仇となった。
テレポによってセリスが転移したのは、アスラのすぐ前。跳躍する以前の場所だ。テレポ、デジョンといった転移魔法は、一歩間違えれば次元の狭間へと落ちてしまう危険な魔法だ。
アスラの蹴りを不完全な防御魔法で防いだように、短い詠唱で強引に発動させれば失敗する可能性は高くなる。だが、転移魔法の難度、成功率は “距離” に反比例する。
ほんの数歩分の距離を転移するだけなら、短い詠唱でも成功率は低くはない。「くらえ―――」
「くっ・・・」アスラの首元めがけて振りぬいた短剣は、しかし皮を斬るだけに留まった。
ぎりぎりでアスラが首をそらして回避した、というのもあるが、そもそもセリスがいつも使っている長さの剣だったなら、すでに勝負はついていたかもしれない。ともあれ、その一撃は致命傷にならなかった。
セリスは無理に追撃を放つことなく、後ろに下がって間合いを取る。「・・・ふふふ」
アスラの首に赤い血が滲む。
短剣に切られた首を手でなぞり、アスラは不敵な笑みを浮かべる。「なかなかやりますね―――人の身でありながら私に傷を負わせるとは・・・・・・久しぶりに “戦士” として血が滾ります」
「・・・・・・」アスラの称賛の言葉に、しかしセリスは相手とは正反対に怒りすら思わせる、厳しい表情を浮かべていた。
今の攻防に不満はない。アスラが称賛したように、今のはセリスに軍配が上がったと言える。
だが、セリスの胸中では抑えきれないほどの苛立ちが湧き上がっていた。「・・・違うだろう」
セリスの口から漏れた言葉は、彼女自身意識せずに出た言葉だった。
「・・・はい?」
セリスの言葉の意味が解らなかったようで、アスラが疑問の声を発する。
それは言ったセリス自身、意味がわからない言葉だった―――が、疑問の表情を浮かべるアスラの表情を見て、自分が何を言いたいのか理解する。「貴様の力はこんなものではないだろう?」
******
(・・・なんとか勝てそうね)
セリスとアスラの攻防を見て、リディアは安堵する。
ブリットはセリスの強さを保証したが、それ以上にリディアはアスラの力というものを思い知っている。
かつて誓約を交すために戦った時は、幻獣としての力を発揮したアスラを前に、リディアもブリットもかすり傷一つ負わせることは出来なかったのだ。だが、アスラは本気を出すつもりは無いようだった。
人の状態のままセリスと戦ってくれている。
・・・といっても、人の状態でもアスラは十分に強い。事前にラムウとの攻防で、その強さの一端を見せてくれたとはいえ、互角以上に戦っているセリスは称賛に値する。(・・・まあ少しくらい認めてやったっていいかな。本領発揮したアスラには流石に勝てないだろうけど)
などと思っていると。
「貴様の力はこんなものではないだろう?」
・・・その言葉の意味を、リディアはすぐには理解できなかった。
それは言われたアスラも同じだったようで、訝しげにセリスを見つめている。「ちょっと!?」
アスラよりもいち早く我に返ったリディアが思わず叫んだ。
「何を考えて―――」
叫ぶリディアを、セリスは首だけ振り向く。
その眼差しは、思わず言葉を失うほど冷たかった。「な・・・なによ・・・」
「・・・・・・」セリスは答えずに再びアスラへと向き直る。
何を考えているのか、リディアには解らない。解らないが―――解ったことが一つだけある。(怒って・・・るの?)
おそらくはアスラに対して。
セリスが今まで―――とはいってもそれほどの付き合いはないが―――リディアが見たことないほど怒っていた。「なるほどな」
ブリットが小さく苦笑する。
「なにが “なるほど” よ?」
セリスの気持ちが解っているようなブリットに、リディアは不機嫌そうに口をとがらせる。
そんなリディアに、彼はふっ・・・と笑って言う。「セリスも俺と同じ気持ちだってことだ」
******
理解した。
さっきから自分の中に渦巻いている感情の正体を。
「・・・あなたは自分が何を言っているのか解っているのですか?」
アスラからの疑問が飛んできた。
さっきまでならば、その問いに対して困惑することしかできなかっただろう。だが、今は違う。
自分の想いを理解し、納得して、はっきりしている。
「ああ」
短くそれだけ答える。それ以上は必要なかった。
怒り、だった。
セリスは、今までに覚えがないほど怒り狂っていた。「・・・・・・なるほど」
セリスの感情を読み取ったのか、アスラがうなずく。
「気持ちは解りますが―――後悔しますよ」
「しない」するはずがない。
なぜなら。「貴様の本当の力がどれほどのものだろうと、私は貴様を叩きのめす」
――― “彼女” は泣いていた。
セリスに希望の道を切り開いてくれた彼女は、彼女の仲間たちに “裏切り者” と呼ばれて泣いていた。実際に彼女は涙を流したわけではない。問われただけで、裏切り者だと断定されたわけでもない。
けれど彼女は同胞たる幻獣たちに責められ、激しく傷ついていた。それがセリスは許せなかった。
逆恨みだということは解っている。
彼女が苦しんだ原因の一端は、セリス自身にあるということも解っている。
幻獣たちは彼女を傷つける気などなかったのだと―――ただ彼女の事を信じたかっただけなのだということも理解している。それが解ったうえで―――
(それでも私はこいつらを許せないんだ)
リディアを傷つけたこいつらを。
自分たちの言葉が苦しめていることにも気付かず、彼女の気持ちを理解しようともせず、ただ追いつめただけの幻獣達を。(私は叩きのめしたいと思っている)
セリスがアスラを倒せば、アスラはリディアの召喚獣とならざるをえないらしい。
ならばこいつが本気の力を出したうえで完膚なきまでに叩きのめし、リディアに従わせてやる―――そうまでしないと、怒りは収まらない。どうしてリディアのことでこんなにも怒りを感じているのか―――その理由も解っている。
おそらく、今はバロンに居るはずのローザがこの場にいれば、セリスと同じ―――それ以上の怒りを感じてくれるはずだ。
特別な理由はなにも無い。それはとてつもなく簡単で、単純で、それでいて絶対に無視出来ない理由だった。
「・・・仕方ありませんね」
アスラとしては、セリスと相対した時からリディアに協力してやるつもりではあった。
“誓約” は、必ずしも幻獣に勝利する必要はない。
敗北したとしても、幻獣が召喚士を認めればいいのだ。だからこそ、召喚士自身でなくとも、その仲間が勝利すれば誓約を交わすことができる。その仲間との絆も、召喚士の力と言えるのだから。だからここで、セリスが勝っても負けても、誓約を交わす気ではいた。
先刻のセリスの選択。
幻獣達を敵にまわしながら本来の目的を果たそうとして―――多少、アスラがセリスの策に乗ってやった部分もあるが―――アスラと戦う場を作り出した。それだけでも認める価値はあると思っていた。が、今のように感情に流され、本来の目的を忘れるようでは考え直さなければならない。
人の姿のアスラには善戦したが、幻獣としての力を発揮すれば、おそらくセリスは瞬殺されるだろう。
それくらい、アスラの本性は圧倒的な力を持っている。
アスラが圧勝してしまえば、相手の力を認めるわけにはいかない―――誓約も交わすわけにはいかなくなる。「・・・仕方ありませんね」
ふう、と彼女は嘆息する。
セリスの気持ちはよく解る。彼女も元は人間だった者だ。セリスやリディアが、どんな想いをしているのか、他の幻獣達よりは解るつもりだ。それに―――
(私としても、こうも挑発されては黙っていられませんし、ね)
穏やかに微笑み、丁寧な口調を心掛けてはいるが、実はアスラは割と短気な方だった。
幻獣となってからはそれなりに落ち着いたが、人間だったころは戦鬼とまで呼ばれたほどだ。さらに付け加えれば、 “もしかしたら” という想いもある。
幻獣となってから、アスラは強くなりすぎた。
同じ幻獣達でも、互角にやりあえるのは、ラムウや幻獣王くらいなものだった。とはいえ、ラムウはあんなだし、まさか幻獣王とやりあうわけにはいかない。
そんなわけで、アスラは久しく “真剣勝負” というものをした覚えがなかった。だが、この人間の女戦士がアスラの本気を前にして互角以上に戦い、さらに勝利するのであれば―――
(たとえ我らの仇敵だとしても、喜んで彼女の力を認め、リディアの力となりましょう!)
言葉には告げず、胸中だけで呟いて彼女はセリスを見据える。
「それでは・・・行きます!」
宣言した瞬間、アスラの全身から凄まじい “気” が放たれる!
それはマッシュの使う “オーラキャノン” のように “力” として放った闘気ではない。アスラの中に秘めていた気を解放しただけだ―――だというのに、それは物理的な力を持ち、セリスの身体を押し流そうとする。「・・・く・・・ぅ・・・!」
闘気に押されながらも、セリスはなんとか踏ん張る―――その目の前でアスラが変異していく。
どちらかと言えば細身だったアスラの肉体が二回りほど大きくなる。
さらに肩や腰が盛り上がり、そこから二対の腕が生える―――最後に、側頭部にそれぞれ男性を思わせる怒りに満ちた赤ら顔と、女性を思わせる慈愛に満ちた優しい顔とが現れる。そのどちらもが、人とは思えぬ異貌であった。三つの貌に三対の腕。三人の人間を一人にまとめたようなその異形に、セリスは見覚えがあった。
それはまるで―――「ギルガメッシュ・・・!」
それはロックを殺した男が変身した姿に良く似ていた。
思わずセリスが漏らした名前に、微笑みの表情を浮かべた元のアスラの表情が、疑問を発する。「―――何故、その名前を貴女が知っているのですか・・・?」
「・・・・・・答える義務があるのか?」闘気に気圧されながら、セリスはそう言い返した。
セリスの方を向くアスラの顔は、微笑みを動かさずに呟く。「いいでしょう―――それならば、貴女を殺した後にゆっくりと話を聞くことにしましょう。力の差を見せつけられれば、そんな口は聞けないでしょうから」
「殺した後・・・?」
「あら。リディアから聞いてはいないのですか? この世界は私が創り出した “かりそめの空間” 。ここで起こったことは夢の中の出来事のようなもの。つまり、ここで死んだとしても、本当に死ぬわけではない・・・」アスラの説明に、セリスは「フン」と笑い飛ばす。
「随分とお優しいことだな。問答無用で私を殺すつもりだと思っていたが」
「貴女に与える慈悲などありません。ここでの死は “かりそめ” ですが、死の恐怖や痛み、苦しみは実際のものと同じです―――つまり、ここで死に、現実世界でもう一度死ねば、二度 “死” を体験すると言うこと。貴女のような罪人にはふさわしい罰でしょう?」
「罪、か・・・」セリスは短剣を握っていない右手で、自分の胸を触れる。
アスラが言う “罪” とは自分の中に秘められた幻獣の力のことを言っているのだろう。「フン・・・」
冷笑。
セリスは胸に触れた手を握りしめる。「この身に秘められた力が “罪” だろうと構わない」
アスラから放たれる闘気を振り払い、セリスは短剣をアスラへと向ける。
「私の “罪” が貴様を倒すか、貴様の “罰” が私を殺すか―――試してみようかッ!」