第19章「バブイルの塔」
E.「正しい選択」
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character:エドワード=ジェラルダイン(エッジ)
location:エブラーナ・海岸
「―――この音・・・!」
「音?」不意に緊迫な声を発したキャシーに、ファリスがきょとんとして尋ね返す。
投錨した船の上だ。
波間に揺れ、船体をちゃぷちゃぷと叩く水の音くらいしか聞こえない。「忍び笛―――忍者にしか聞こえない、特殊な笛の音です。犬笛、というのを聞いたことはございませんか?」
「んー、なんか聞いたような気もするけど。・・・なんにせよ、つまりそれって、忍者の間で使われる合図かなにかなんだろ?」
「はい。生憎と、私は抜けた者ですので、内容までは解りませんが・・・」忍びの暗号は、時により変更される。
暗号や合図の類は、長く使っていれば外に漏れたり、解析される畏れがあるためだ。
特に、キャシーの様な抜け忍が出た場合など、暗号符丁の類は全て一新されてしまうだろう。「―――しかし、何か異変が起こっていると考えられます。おそらく・・・」
「炎の魔人。ルビカンテとか言うヤツか・・・?」ファリスの言葉に、キャシーは肯定の代わりに一礼する。
「けど、それはあの王子様の策でなんとかなった筈じゃなかったのか?」
現に、ここ一両日、ルビカンテに襲撃されたという話はなかったはずだ。
「なんにせよ憶測の域から出ません―――岸に行ってみますか?」
「いや―――」首をふり、ファリスは周囲に向かって声を張り上げる。
「野郎共! 出航の準備を急げ! いつでも逃げられれるようにな!」
『イエッサー!』ファリスの指示に、威勢の良い複数の声が答える。
そんな様子に、キャシーはやや非難げに眉を細めた。「・・・岸に居る者たちを見捨てると?」
「もしも件の炎の魔人が出たって言うなら、俺らが行ってもどうしようもねえだろ」
「だからと言って見捨てるのですが。流石は海賊ですね。自分のことしか考えない」
「おいおい、落ち着けよ」
「落ち着いていないように見えますか? 冷静に貴女のことを分析したつもりですが」確かにキャシーの声音はさっきから全く変わっていない。
普段から丁寧ながらキツイ言葉遣いをするメイド―――もとい、使用人なので、確かに普段と変わらないように思えるが・・・「・・・俺らはもちろん、岸にいる連中だってどうしようもない。なにせ、バッツの野郎やバロン新王並の剣士でなければ歯が立たないって言うんだからな。んで、そんな場合、どうするのがベスト・・・いや、ベターだと思う?」
「戦って勝てないのなら、逃げるしかないでしょうね・・・」
「そゆこと。だったら、俺らがしなきゃいけないことはなんだよ?」
「・・・だからこその逃走準備ですか」
「ああ。―――まあ、もちろん王子サマたちが逃げる余裕すらなくて、全滅しそうになったら、さっさと逃げるけどな」最後の一言は照れ隠しなどではなく、ファリスの本音だった。
一応、ギリギリまで見捨てるつもりはないが、こっちまで全滅しそうだったらそうなる前に逃げる。ファリスはセシルに雇われただけで、別にギルバート達は仲間というわけではない。そして、ファリスにとって自分と仲間の命以上に大切なモノは、この世に存在しないのだ。
そういう意味ではキャシーの分析は正しいと言える。そしてキャシーも、それを咎める気などはなかった。彼女が昔属していた忍の世界はもっと過酷で、目的のためならば仲間を斬り捨てることも自然と行われる。
なのに、キャシーがついぞ皮肉を言うよな口調になってしまったのは、単なる性格で、皮肉を言いたかっただけである。しかし、ファリスはキャシーの皮肉にも動じず、応えて見せた。
そのことにキャシーは感嘆の息をついた。「・・・若いのに、大した女性ですね。貴女は」
「へっ、おだててもなにも―――って、だ、誰が女だよ?」
「―――失礼、秘密でしたか。・・・・・・若いのに、大した男装の麗人ですね。貴女は」
「それで言い直したつもりかコノヤロウ」
「おや? 何故怒っているのですか? 私は貴女のことを褒め称えて―――ああ、なるほど」ふむ、とキャシーは納得したように手を打つ。
それから、無表情のまま、ファリスの額をつん、と指でつついて。「このテ・レ・屋・さ・ん」
などと感情のない声で言う。
そんなキャシーに対して、ファリスはにこやかな表情で青スジを額に浮かべ。「人を馬鹿にすんのもいいかげんにしろおおおおおおおっ!」
「馬鹿にしているつもりはないのですが―――ただ、おちょくっているだけで」
「よーし殺す。とりあえず殺ーすっ!」殺意を込めてファリスは拳をブンブンと振り回す。
それらを危なげなく回避しつつ、キャシーはちらりと岸辺の方を見やる。―――敵に補足された場合。それも決して倒すことのできない相手が出た場合、味方を囮にして仲間達を逃がすのは忍者の常套手段だ。
それでも必要以上にトゲのある言い方になってしまったのは、性格のせいでもあるが―――(ジュエル様・・・どうかご無事で・・・!)
ファリスの攻撃を避けながら、キャシーはかつて世話になった彼女の身を案じる―――
(他の方々―――特にエッジ辺りは犠牲にしても構わないので、どうかご無事で・・・!)
訂正。
ジュエル “だけ” の身を案じていた―――
******
―――などと。
そんなキャシーの心配など知るはずもなく、ジュエル達は炎の魔人―――ルビカンテと相対していた。「どうして私達の居場所が・・・!? 焚き火で攪乱していたはずなのに!」
「ほう・・・やはり、私が熱で探知していたことは気づかれていたか・・・」感心したようにルビカンテが言う。
「適当に探し回っていたら偶然見つけた・・・って事じゃねえのか?」
「馬鹿エッジ。そんなワケないだろ、伝令によれば真っ直ぐにこっちに来たって話じゃないか」エッジの言葉に、ユフィが異を唱える。
ちなみに、この砂浜にも念のため、篝火が焚かれていた。だから、ここにいる者たちの熱を頼りにして来たとは考えられない。「まさか、熱以外の探知方法があるというの!?」
ジュエルが危機感を言葉に込めて言う。
もしも別の探知方法があるというのなら、いずれは他の仲間達も見つかってしまう・・・!「いや―――」
と、それを否定したのはギルバートだった。
彼は、己の背後―――沖の方に浮かぶ海賊船を見やる。「海賊船が・・・?」
マッシュが疑問詞を呟く。
すると、ルビカンテは「ほう」と感心したように声を上げた。「熱で探知していることを見抜いているのは貴様か―――ご名答。あの船を目印にして、ここに来た」
「しかし、船の上でも篝火は焚いてあったはず!」ジュエルが叫ぶのを、ギルバートは苦渋の表情で聞いていた。
「・・・裏目だった」
「えっ・・・?」
「その通りだ。最初は他の焚き火と同様のものだと思っていたが―――あることに気がついたのだ」
「あること・・・?」
「その焚き火の周囲の熱だ。熱が全くない―――そのことで、その火の周囲が水・・・つまりは海であると言うこと・・・」海の中に浮かぶ火。
それさえ気がつけば、それが船の上で焚かれた火であると言うことに思い当たるのは、そう難しいことではなかった。「その船がエブラーナのものだという確証はなかったが、な」
「くっ・・・」ギルバートは悔しさに唇を噛む。
完全に迂闊だった。
良く知らない海岸に、無理に接岸するよりも、沖で錨を降ろして待機していた方が何かと危険も少なく、便利であるとファリスに言われてその通りにしたのだが、これならば多少無理にでも、岸に船を着けておくべきだった。そんなギルバートに、ルビカンテは声をかける。
「―――貴様、名をなんという・・・?」
「ギルバート・・・ギルバート=クリス=フォン=ミューア! ダムシアンの王子だ」
「ほう? ふむ、聞いた話ではダムシアンの王子は腑抜けだと聞いたが、噂とはあてにならんものだ・・・!」にやり、とルビカンテは笑う。
「ダムシアンと言えば火のクリスタルの守護者―――私にとっても縁無き者でもない。どうだ? 望むならばゴルベーザ様に取りなしてやっても良いが・・・」
「・・・・・・ッ」ふざけるな、と怒鳴り返したい気持ちを呑み込む。
ゴルベーザの配下になるならば、死んだ方がマシだと思う―――自分一人ならば。「・・・もしも、僕がそれを望んだとしたら、他の皆を見逃してくれるかい?」
「ギルバート王子!?」
「なにいってんだッ!」ジュエルやマッシュが声を上げる。
だが、それを無視してギルバートはルビカンテに問いかける。「どうなんだ!?」
「できぬ相談だ。私はゴルベーザ様に敵対する者―――特に、そこのエブラーナの人間を滅ぼすために、今ここにいる」
「なら話は終わりだ。僕はお前達を絶対に許しはしない・・・!」普段は気弱な吟遊詩人の王子が、珍しく怒りを顕わに睨付ける。
それを見て、ルビカンテは心の底から愉快そうに笑みを浮かべる。「ふむ・・・貴様の内からその身を焦がさんばかりの怒りの炎を感じ取れる。・・・それほどの激情を抑え込み、己をさておいて仲間達が生き延びる事を望むか―――つくづく、惜しい男だ・・・!」
「来る・・・!」
「逃げなさい!」ジュエルがギルバートとルビカンテの間に割ってはいる。
その手には、黒い忍びが使う刃物―――くない、が握られている。「ジュエルさん!? 無茶だ!」
「いいから! エッジ、ユフィ! 王子さんを連れてさっさと船へ! ここは私が食い止める!」
「おふくろっ!」
「黙れ! ウチの跡取りなら、今、為すべき事を果たせ!」
「くっ・・・」エッジは歯がみすると、踵を返してギルバートの腕を掴む。
そしてそのまま、浜に乗り上げている小舟へとダッシュする。「自分の母親を見捨てるのか!?」
「てめえに何が解るかよッ!」
「・・・っ」エッジに言い返され、ギルバートは押し黙る。
手首を握りつぶされんばかりに掴んでくるエッジの手に、どれほどの感情が押し殺されているのかが解ったからだ。ジュエルは即座に状況を判断していた。
今、この場に居る戦力では、ルビカンテを退けることはできないと。
そしてそれは、かつてルビカンテの力を見せつけられたギルバートも同意見だった。(エブラーナの忍者達の実力はよく解らない―――けど、僕は戦闘能力はないし、マッシュは僕なんかよりも遙かに強いけど・・・・・・だけど、ヤン僧長を凌駕するとは思えない・・・)
ホブス山の山頂で、ルビカンテを相手にヤンは全く歯が立たなかった。
あの時、ルビカンテを退けたのはバッツとセシルの二人。最低でも、その二人並の剣士でなければ、どうにもならない相手だ。「くそっ・・・」
自分の力の無さが恨めしい。
昔から傷つけあったりすることは嫌いだった。取っ組み合いのケンカもしたことがない。争うよりも、竪琴を奏で、詩を謳うことの方が好きだった―――そして、それは今も変わってはいない、が。(立ち向かわなければ成らない時に、戦う力がないというのは・・・!)
悔しいと、思う。
かつてのカイポの村でのことを思い出す。初めて魔物に立ち向かったあの時。
死を眼前にして、それを受け入れようとした瞬間、死んだはずの彼女の声が聞こえた。諦めないで、と励ましてくれた―――そのお陰で、ギルバートは今ここにいる。(アンナ・・・)
その最愛の彼女はもう、いない。
おそらく二度と、ギルバートの前に出てくれることはないだろう。(僕は・・・)
もうすぐで小舟に辿り着こうというその時。
唐突に、ギルバートはブレーキをかけた。「のわっ!?」
急なブレーキに、ギルバートを引っ張っていたエッジはつんのめって倒れかけた。
「な、なに足を止めてるんだよ! さっさと逃げねえと・・・!」
「逃げたく、ない」
「はあ!?」エッジが苛立ちを込めた声を吐く。
「お前、自分が何言ってるのか解ってんのかよ!? あいつはマジで強いんだぞ! 俺様と同じレベルの上忍が何人も歯が立たずに燃やされたんだ!」
ルビカンテが二番目に襲撃した砦に、エッジは居た。
その時、同じ砦には上忍も数名居た。エッジの父と同年代の忍びであり、バロンとの戦争経験もある歴戦の強者。エッジは同レベル、などと言ったが、実際は遙かに上の実力の忍者だった。そんな忍者達が、エッジ一人を逃がすだけで精一杯だったのだ。
あらゆる攻撃も術も、炎の前には無力化され、ルビカンテの腕の一振りだけで炎が巻き起こり、一人、また一人と燃やされていく―――エッジの母、ジュエルはそんな上忍達よりも数段上の実力者ではあるが、その彼女ですら、おそらくルビカンテには敵わない。
いや、敵う、敵わないの問題ではない。そもそも攻撃が通用しないのだ。そんな相手を倒すことなど不可能である。そして、そんなことはギルバートも解っているはずだった。
しかし―――「諦めたくないんだ・・・」
「格好付けてるんじゃねえぞ! 今戻っても単なる犬死にだ! 戻りたきゃてめえ一人で戻りやがれ、俺は―――」エッジが全てを言う前に、ギルバートは踵を返して元来た場所へと舞い戻る。
その途中、ミストと共に駆けてきたユフィがすれ違い、彼女は困惑した様子でエッジの元へとたどり着く。「ど、どうしたの王子様!? なんで戻るのさ!」
「知るかよ! よっぽど死にたいらしいぜ、あいつは!」
「・・・そうでしょうか」ぽつり、とミストが呟く。
彼女は小さく首を傾げて、「とても死にに行くような顔には見えませんでしたけどね」
「気が触れてんのさ。自分は空を飛べると思い込んで、崖から飛び出すようなもんだ。なにが、なにが逃げたくない、だ。諦めたくないだ! 死んじまったらそれまで―――」パァン!
小気味よい音が、エッジの頬で鳴る。
それはユフィがエッジの頬を平手で殴った音だった。「な・・・なにしやがる!」
「ふん、アンタがムカツクこというからだよっ! お陰でヤなこと思い出しちゃったじゃんか!」
「はあ?」(ちぇっ・・・あのクソ親父と同じ事言って・・・)
ふん、と鼻を鳴らして、ユフィはエッジに背を向ける。
「おい、どこに行くつもりだよ!」
「決まってる、戻るんだよ―――ジュエル様を見捨てるなんてイヤだし」
「イヤとかそう言う問題かよ! おい―――」エッジを無視して、ユフィは先に戻ったギルバートを追いかける。
「・・・・・・っ。あの馬鹿ッ!」
「―――貴方は、どうします?」残ったミストがエッジに問いかける。
エッジは一瞬だけ言葉に詰まり―――小舟を振り返った。「・・・逃げるに決まってるだろ! 俺一人が戻っても結果は変わらない。皆仲良く全滅するのがオチだ」
「その通りですね」
「そうだ。俺は間違ってねえ・・・!」
「その通りですね」
「あいつらは忍びの宿命ってのを解っちゃいねえ! 情に流されずに任務を最優先。己に課せられた使命を果たすことを第一とする」
「その通りですね」
「俺は・・・俺はエブラーナの後継者だ。絶対に死ぬわけにはいかねえ・・・! だから、親父だって、お袋だって、他のみんなも俺を・・・俺を庇って―――だから」
「貴方は間違っていません」ミストは優しくエッジに微笑みかける。
そして、さらに続けた。「それで? 貴方の望みは間違わないことなのですか?」
「・・・俺は―――」ミストの問いに、エッジは答えられない。
しばらく寄せては返す波の音が耳に触る。「俺は―――」
何かを言いかけたその時。
ギルバート達が戻った方から爆音が聞こえて、エッジとミストは反射的に振り返る。戦闘が―――始まっていた。