ギルバートは空を見上げていた。

 その視線の先には、雲1つ無い空が広がるだけ。
 太陽はまだ頂点に到達しては居ない。空を見上げるまで気がつかなかったが、まだ昼も過ぎていないのは驚きだった。
 セシル達が洞窟に入ったのが朝早くとはいえ、思ったよりも時間は経っていない。

(つまりそれは、セシル達は連戦を強いられると言うこと―――)

 洞窟の底でアストスと戦い、地上でスカルミリョーネの率いるゾンビと戦い、そして今、ゴルベーザという巨悪との決着を付けるために空へと飛び上がった。
 戦いの合間に休息し、ある程度は回復しているが、間違っても万全の状態とは言えない。

 空の彼方。
 ギルバートが見つめる視線の先は空しか見えない―――が、それはセシル達を乗せた赤い翼の飛空艇が飛び去った方向だ。

「王子、そろそろ行きますぜ」

 後ろから、声。
 ギルバートは車椅子に座ったまま後ろを振り返る。
 そこには筋骨隆々とした巨漢が立っていた。

「リックモッドさん・・・」
「他の皆は飛空艇に乗り込みました。・・・オーディン王の遺体も。あとは王子と・・・・・・」

 リックモッドは横に視線を向ける。ギルバートもつられてリックモッドの視線を追うと、少し離れた場所で小さな女の子がこちらを心配そうに伺っていた。

「どうしたんだい? ファス」

 ギルバートが声をかけると、少女はとてとてとギルバートに走り寄る。ただし真っ直ぐではなく、リックモッドの傍を大きく迂回して。
 そんなファスの様子を見てリックモッドは苦笑。元々、女子供に好かれるような容姿ではないし、ファスの性格もセシルとのやりとりを見てれば想像はつく。少しも傷つかなかったといえば嘘になるが、まあそんなもんだろうな、とも納得する。

「あのっ・・・王子様がずっと空を見上げていたから・・・」

 人見知りの気があるファスだが、ギルバートとは彼が何度かトロイアを訪れた際に知り合っている。だから、他の人間に接するよりも普通に話すことができた。

(それでも、ファーナやセシルほどでは無いけれど)

 ギルバートから見たファスは、人見知りで引っ込み思案で、自分を主張しない大人しすぎる女の子だと思っていた。
 だから、セシルに向かって「悪い人」とか叫んだり、訴えかけたりするファスは新鮮で驚いた。

 ふと思う。

(セシルには人の本質を引き出す力のようなものがあるのかもね)

「―――かりますがね」
「え?」

 不意にリックモッドの声が聞こえて、ギルバートは驚いてリックモッドを振り向く。
 見れば、彼は気遣うような表情で、こちらを見ている。

「あ・・・ごめん、考え事してて聞いてなかった」
「不安になる気持ちは解りますがね、と言ったんですよ」
「不安・・・? 僕が?」
「違いますかい? ずっと飛空艇の飛び去った空を見上げている。それはそういうことじゃあないと?」
「そうだな・・・」

 ギルバートはなんとなく空を見上げていただけだ。特に理由など無かったと自分では思っていたが。
 だが、言われて見れば確かに。それは、そう言うことなのだろう。

「セシルのヤツなら心配しなくてもいいですぜ。つか、心配するだけ無駄ってもんです」
「あははっ」

 そう言って肩を竦めるリックモッドに、ギルバートは思わず声を立てて笑った。

「確かに、そうだね。きっと、僕の不安や心配なんてお構いなしに、無事に戻ってくるだろうしね」
「そうそう。きっと、『あー、今日も良く死にかけた〜』とか言いながら帰ってくるに違いない」
「言いそうに無いけど、なんか似合いそうな台詞だね」

 くすくすと、またギルバートは笑う。傍らで、ファスも口に手をやって笑いを噛み殺していた。

「そうだな・・・信じなきゃね、セシルを。リックモッドさん見たいに」
「信じる・・・か」

 そうギルバートが言うと、リックモッドの表情が陰る。

「どうかした?」
「いや・・・・・・王子はしっていますか? セシルは誰も信じていないってことを」
「誰も信じない・・・?」

 言われて、その言葉の意味がわからなかった。

「信じないって・・・セシルが? まさか」

 リックモッドの言葉の意味こそ信じられなかった。
 セシルはいつも信じてくれた。ファブールでも、ギルバートたちを信じて力を使い果たした。その後も、もしもの場合を考え、ギルバートを信じてトロイアに送り出したはずだった。
 ギルバートだけではない。ファブールの港で、バッツを送り出した時も、セシルの強い信頼を感じ取った。

 そんなセシルが誰も信じていないなどと信じられなかった。

「正確には、信頼の定義が厳しいというか・・・・・・王子は、信じるというのはどういうことだと思いますかい?」
「どういうことって・・・信じることは、信じると言うことでしょう?」

 それ以上、言い様がない。
 だが、リックモッドは苦笑して。

「セシルに言わせれば、信じると言うことは “考えないこと” “想わないこと” “望まないこと” だそうですよ」

 指折り数え、リックモッドは三つの言葉を呟いた。

「考えないこと、想わないこと、望まないこと・・・・・・どういう意味?」
「うーん・・・」

 問い返され、リックモッドは難しそうな顔をした。

「説明するのは難しいですな。実例を見せられれば一番なんですが・・・」
「実例って・・・」
「俺が知る限り、セシルがこの世で信じている人物はたった一人」
「それは・・・もしかして、カイン=ハイウィンド・・・?」

 若くしてフォールス最強の男と謳われ、セシルの親友だった男の名をギルバートが口に出すと、リックモッドは頷いた。

「一度だけ、今言った言葉の意味を見せつけられたことがあります―――あの時ほど、俺はセシルのヤツを怖ろしいとおもったことはない」
「何があったんですか?」
「・・・・・・・・・」

 ギルバートが問うが、リックモッドは応えない。
 難しくしかめていた顔を唐突に吹き飛ばし、豪快な笑顔に変える。

「まっ、なんにせよ本当に信じているなら、不安に想うことすらしないって事です。そこいくと、俺なんかはもう不安で心配で・・・だけど、結局それも無駄になるから、信じてるフリをしているだけなんですよ」
「本当に、信じる・・・か」

 ギルバートはもう一度だけ、青い空を見上げる。赤い翼が飛び去った彼方を。

「大丈夫です」

 空を見上げるギルバートの耳に、少女の囁き声が届いた。
 視線を降ろせば、ファスがギルバートと同じ青空を見上げて微笑んでる。

「セシルならきっと大丈夫。絶対になんとかしてくれるから」

 それこそ不安も疑いもない言葉で、ファスが言う。
 ファスはセシルの事を信じている。それがはっきりと感じられる。
 ギルバートは、リックモッドが言った “信じることの定義” の意味が少しだけ解った気がした。

「おおーい、なーにやってんスかー! そろそろ城に戻るッスよー!」

 エンタープライズの方から、ロイドの声が聞こえた。
 「今行くー!」と、応え、リックモッドがギルバートの車椅子を押す。

「んじゃ、いきやしょう」
「うん、悪かったね。手間を取らせて」

 リックモッドが車椅子を押して飛空艇の方へと向かう。その後を、ファスがついて歩く。

 飛空艇に向いながら、ギルバートは心の中だけで呟いていた。

(信じよう、セシルを・・・ファスのように、心配を考えず、不安を想わないように、無事に帰ってくることを信じよう―――)

 ・・・その時、ギルバートは気がついていなかった。
 ファスの言葉に隠された本当の意味を―――

 

 

******

 

 

「っ・・・またか・・・」

 セリスが悔しそうに顔を歪める。
 それとは対照的に、ローザは嬉しそうな顔をしてはしゃいだ声を出す。

「セリスがババ引いたー♪」

 二枚のトランプカードを手に持って、プルプルと震えているセリスを見て、ローザは嬉しそうに笑う。
 セリスは心底悔しそうに奥歯を噛み締めると、手にしたカードを超高速でシャッフルしてローザの目の前に突きだした。

「次はそっちの番! さっさと引きなさい」
「じゃ、こっち」
「あう」

 ローザが無造作にカードを一枚引くと、セリスはがっくりと肩を落とした。
 反対に、ローザの表情がぱーっと明るくなる。

「やったわ! これで10連勝!」
「くうう・・・こ、この私がたかがババ抜きで・・・!」

 ローザは手にした二枚の札を場に投げ出し―――ハートのエースとクラブのエースだ―――バンザイをする。
 その前で、セリスはジョーカーを握りしめたまま、心底悔しそうに身体を震わせた。

 と、そこへ。

「ただいまー」

 唐突に、何もない場所から声が聞こえ、バルバリシアが姿を現す。

「あ、シアーおかえりー。聞いて聞いて、私ったらセリスに10連勝」
「くっ・・・」
「はいはい、それはよかったわね」

 さっと、受け流し、バルバリシアは自分の両腕を交互に鼻に近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐ。

「なにやってるの?」
「いえ、さっきクッサイモノを運ばされたから、匂いが染みついていやしないかと心配で・・・」
「ふーん。別に匂いなんかしないけど―――ねえ、セリス」
「そーね、特には」

 同意を求められ、暗い顔で応えるセリス。よっぽどローザに負けたのが悔しいらしい。

「それなら良いのだけど―――ああ、そうそう。ローザ、貴女にとって吉報があるわ」

 鼻から腕を放してバルバリシアが面白くも無さそうに言う。

「セシル=ハーヴィ・・・・・・貴女を助けにここへ来るわよ」
「・・・・・・」

 バルバリシアの言葉に、ローザの表情が陰る。

「? どうしたの、ローザ?」
「ん・・・いいえ、別に。ただ―――やっぱり来ちゃうんだなあって思っただけ」

 そう言うローザの表情は、苦笑。
 だが、セリス達には悲しんでいるようにすら見えた。

「な、なんか、来て欲しくないような言い草ね」

 意外すぎるローザの反応に、セリスもバルバリシアも戸惑いを隠せない。
 セシルが来ると聞けば、もっと大はしゃぎするのだとばかり思っていたが。

 ふと、セリスは思い出す。
 以前、ローザを交した賭けのことを。

「賭けはお前の勝ちだな」

 賭けの内容は、セシルが助けに来るか来ないか。
 その賭けをした時、セリスはかつて無いほどに激怒していた。ローザの愛を踏みにじったセシルも許せなかったし、それを受け入れるローザも許せなかった。もっとも、後で「・・・なんで私が怒らなければならないんだ」と馬鹿馬鹿しくなって我に返ったのだが。

「貴女の信じたとおりに、セシルはここへやってくる―――貴女は自分の命を賭けた。なら私はどうすればいい? ここから貴女を逃がしてあげようか?」
「ちょっと!」

 流石にバルバリシアが声を上げる。

「別に構わないでしょう? セシル=ハーヴィがここへ来る以上、こいつを人質にした目的は果たされた」
「まあ、そうかもしれないけど・・・けれど、ゴルベーザさまの許しも無しに、それを認めるわけにはいかないわよ?」
「私は気にしない―――でも、それなら説得でもなんでもしてくればいいでしょう」
「簡単に言ってくれるわねー」

 バルバリシアは苦笑い。
 だが、困ったような顔をするだけで、拒否はしない。
 バルバリシアも、ローザの命を助けたいとは思っていた。少なくとも、見殺しにして後味が悪くなるくらいには、ローザの事を気に入っていた。

「別にそんなことしなくてもいいわ。セシルが私を助けてくれるから」

 ローザがぽつりと呟く。
 セリスは嘆息して。

「貴女は最後までセシルを信じるというワケね」
「・・・・・・違うわ」
「え?」
「私は、今までに一度だってセシルを信じたことなんてないの」
「なに言っているの? だって、セシルを信じたこそ、助けに来るって断言できたんでしょう」
「私は知っているだけ。セシルって人は、ここに来るって知っているだけ」
「未来予知でもできるのか?」
「ううん。私が知っているのは未来なんかじゃない。セシル=ハーヴィという人がどういう人か、それを知っているだけ」
「わからないわ」

 セリスは視線をローザから外していた。
 ローザは、哀しみを帯びた微笑を浮かべている。喜怒哀楽の激しくて、はっきりとした感情を表に出すローザにしては珍しい表情だ。
 そして、セリスはなんとなくそんなローザの表情を見たくはないと思った。

「―――セリス、お願いがあるの」
「なに?」
「セシルは必ずここへ来るわ。そしてその時、セシルと貴女がもしも戦うようなら―――」

 ローザは “お願い” の内容をセリスに話す。
 それを聞いて、セリスは激しく困惑する。

「わけが解らないな・・・普通は逆じゃないの?」

 セリスの疑問に、ローザは微笑んだまま応えない。
 そんなローザにセリスは嘆息して。

「相変わらず貴女の考えていることは解らないわね―――まあ、無理に理解する気もないけど。・・・・・・バルバリシア、そういうわけだから」
「解ってるわよ。セリスとセシル=ハーヴィを一対一で戦わせればいいのね」
「察しが良いな」

 セリスが頷くと、バルバリシアはローザへ向いて。

「じゃ、悪いけどそろそろまた拘束させて貰うわよ。こんなところ、ゴルベーザ様やカインに言われたら怒られるだろうし」
「怒られるだけで済むのか」

 ガストラならば、人質を牢屋から連れ出して遊びほうけるなど死刑にも等しい。
 セリスもこのゾットの塔がどこにあるのか正確な位置は知らないが、それでも高い空の上にあるという事だけは聞いていた。如何に転移魔法テレポを使えたとしても、地上までは届かない。空中に投げ出され、そのまま墜落死するのがオチだ。だからこそ、逃げ出す術が無く、逃げ出さないと確信していたからこそ、こうしてローザの拘束を外して暇つぶしをしていた。

(本当に毒されているわね、私)

 例のギロチン付きの鉄椅子に拘束されていくローザを見ながら、セリスは苦笑した―――

 


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