差出人: Takagi Shigehira 件名 : 6月5日 〜♪胸や 背中は 大人だけれど〜 日時 : 1999年6月11日 14:34  ・・・もう土曜日は何回目だろう。 入院期間も2ヶ月を過ぎ、「折り返しはもう越えましたね」と言われたりする。まあ 順調にいけばあと1ヶ月前後、というところまで来た。6月、梅雨、夜涼しいかと 思っても、昨日などはちっともそんなことはなくて、おまけに皆9時には電気を消し てしまっていて、この部屋で明るいのは僕の空間だけになってしまっていて、(僕は イエモンのライブアルバムをCDウォークマンで聴きながら、差し入れでもらった生ま れて初めてのレディ・コミを読んでいたのだが)、一匹の羽アリがまわりをウロチョ ロし始めた。ぷいーんと飛んでみたり、壁をチョコチョコ歩いたり、かと思えば髪に 止まったりと、こいつとにかく落ち着きがない。あーなんか俺みたい、と思いつつ、 暑い夜に落ち着きのない奴はうっとおしいので、ティッシュ片手に何度も戦いを挑ん だのだが、意外と”羽アリシゲちゃん”はすばしっこく、結局ホカクできぬまま、い つしかイエモンもレディコミも終わり、いつしか寝てしまった。熱帯夜には大人しく していましょう。シゲヒラ君もね。  昨日は昼前に彼女が来て、夕方まで居てくれた。方や足裏もんだりもまれたり、GB やったりと、なーんかゆったりと時間を使った。ふふ。いつの間にかなってしまった 5時半過ぎに青の栃木ナンバーのマーチはバイトに向かって走っていった。 見送 る。  ちなみに昼食と夕食は選択メニュー(時々、2種類のメニューのどちらかを患者が 選べる日がある)であり、昼にはうどんが出た。うどんも久しぶりだったけれど、塩 分制限のため、スープが薄く、いまいち美味しい、とは言いかねた。もともとが昼に 比べてシンプルな夕食は、メインは魚だったが、何かそれよりも食いでのある蒸し ケーキが付いてきて、それと格闘していたところ、不意の来客。中学時代の同級生が (女の子)二人来てくれたのだ。 一人はここ日赤で助産婦をしている。そしてもう一人は「いのちゃん」の憧れ (MADONNA)。嬉しかったが、歯にこびりついたままの蒸しケーキがなかなか取れな くて、何か少し恥ずかしかった。 近況の話や、病気の話、あと主治医の上条先生に奥さんも子供もいるというマル秘情 報(子供を取り上げた助産婦が言うのだから非常に確か)を聞いたりした。先生は ゴールデンウィーク中にさえ毎日回診に来てくれ、「お休みはとられないのですか ?」と尋ねても、「まあ、行くところもないので・・・」と返事をするような具合で あったので、独身だと勝手に決めつけていたのだ・・・。  二人はお見舞いで「笠原書店」の紙袋を持ってきてくれた。何か「消灯してから ゆっくり読んで」とか思わせぶりなことを言うので、エロ本?とか思ったが、せっか くなので消灯後に開けることにした。今度「いのちゃん」が来たら自慢してやろうと 思って、というのもあり、恒例となった「withお見舞い」写真を撮った。  そして消灯後、前述のようにイエモンを聞きつつ紙袋を開くと、何とレディコミ だった。あらまあ過激!!大輔(仮名)が持ってきてくれたロリ・コミよりスゴイか も、という感じ。レディコミ恐るべし、と思いつつ、ああ時は流れるものねえ・・と しみじみ。でもやっぱロリ・コミの方がツボ突いてる。  ・・・ところで、明るい朝はあっという間に暑くなる。「今日は暑くなりそうだな あ」と思いつつ、箸拭き用のふきんをベランダに干した。  ・・なるほど今日は暑くなりそうだ・・・   <はじめの一歩>  ・・・といっても、週刊少年マガジンの話ではない。大学時代のバイト先「風来 坊」で毎週バイト終了後に読んでいた”マガジン”では、何となく絵のタッチが嫌い な”一歩”は必ず飛ばして読んでいたので、ボクシング漫画ということしか知らない が、今日はその”一歩”の話ではない。僕はむしろ、このタイトルならば小学校時 代、地区の子供達がまとまって投稿する”集団登校”の待ち合わせ場所の(八十二) 銀行の駐車場で、みんなが集まるまでいつもやっていた「だるまさんが転んだ」のか け声の方をむしろ思い出すのだけれど、その話でもない。今日の話は、新しいことを 始めるときの”一歩”の話である。  今まで、それぞれがそれぞれなりに、僕が僕なりに重ねてきた何年間、何十年間の 時間・生活というものがある。そしてその中で、意識したり、また意識せずして作り 上げられた習慣や固定観念、もっと言うならば性格や思想といった「自分のフィール ド」というものがあり、その中で駆け回っているのならばある程度は心地よいし、そ こから踏み出すことなく進んでいくのも、それなりに悪くはないものだとは思う。  しかし、そこから一歩踏み出すとき、例えばそれまでの自分が認めていなかったも のや、それまで否定していたものに手を出したり、始めたりするとき、妙に勇気が必 要なものなのだ。「はじめの一歩」を踏み出す、ということが。 時としては、ただその、始めようとすることに関してのみ自分が変わるだけなのに、 何かそれまでの自分を完全否定してしまうような、そこまでの心の葛藤に陥ってしま うことさえあり、「一歩」を踏み出すのに数年間もかかってしまうこともある。  まあ、もちろん誰もがこんな風には考えはしないだろうが、結構大学時代から(も ちろん自ら望んで)「ピエロ的生き方」をしてきた僕でも、「一歩」を踏み出すこと に関しては、こういう「ためらい期間」が必要であったのは事実なのだ。例えば茶パ ツにする、という今では大したことではなく感じてしまうものさえ、決意するまでに は約一年ためらった。  この茶パツの話をするには、僕の基本的な性格を話す必要があるかな。  僕は本当はすごい怖がりだ。最も怖いのは「人に嫌われること」。 自分が嫌っている人から嫌われるのさえ、自業自得ながらあまり面白くなく感じるけ れど、それは仕方ない。でもそうでない人(=自分から嫌いという感情を特に持って いない人、そしてもちろん好意を持って付き合っている人=つまりほとんどの人)に 対しては、お願い、何でもするから嫌いにだけはならないで、という感じだ。 特に大切な人になれば、もう自分の持てるもの全てを差し出してもいいですから(・ ・といって、大したモノは持ち合わせてはいないのだが・・)、嫌いにはならないで 下さい、という気持ちもあるくらい、正直嫌われるのが怖い。  しかし、それはおいといて、この場合は、暴力やヤンキーに対する怖さ。つまり、 突き詰めて言えば、理不尽に受ける痛み、に対する恐怖である。特に身体的なものに 関して。  僕はこれに対しての潜在的な恐怖が常に心のどこかにある。多分そういったもの に、これまで最低限くらいしか、いやもしかしたら最低限も関わってこなかった僕の 道程が、いつしか心に埋め込んだものだとは思うけれど。  本当に僕は”殴られずに育って”きたのである。今の今まで。 もちろんオヤジには殴られた。割と寛容で、兄妹ゲンカの裁きもフェアであったオヤ ジだが、ルールやマナーには厳しかったので、よく特製のゲンコツを食らった。その 痛みと、その後ほとんど必ず放り込まれた”反省室”物置きはセットになってしつけ の記憶として心にしっかりと刻まれている。が、僕には他に特にケンカや暴力による 直接的な痛みを受けた、という経験がないのだ。  ケンカをしたことがないわけではない。でも僕の通ってきたケンカは(たまたま ?)全て直接的な痛みは伴わないものばかりだった。投げかけられた言葉によって間 接的な痛みを味わったことはあるが、取っ組み合いや殴り合いのケンカなんて、小学 校時代まで記憶をさかのぼってみても、全く覚えがないのである。  本当に冗談でなく、ケンカの仕方が分からない。自分の拳にどれだけの威力が(多 分ないだろうが)あるのかが分からない。だから、ヤンキーやチーマーが連想させる 「理不尽な暴力」というイメージが、怖い。これまではたまたま関わらなかったから いいが、もし突然街中でそういう連中に囲まれたら、どうしたらいいのか分からな い。今であれば、ある程度の正論で対処するだろう、とは思うけれど、できれば一生 を終えるまで、そんな理不尽なものによる直接的な痛みには関わらずに生きたい、と いうのが本音だ。  それと「タカギ茶パツ化」に何の関係がある?と思うかもしれない。でもこれが” ためらい”の大きな一因であったのだ。極端に言うと「茶パツにするとヤンキーにか らまれる」という妄想がかった臆病さ。  僕はそれまで「親からもらった身体はできるだけそのまま」という思いが強かっ た。まあピアスやタトゥーには今でも(自分でする分には)抵抗があるが、茶パツな んかにも抵抗があった、というわけ。そしてやっぱり「茶パツ=不良」というイメー ジも強く、(周囲の茶髪は日々増加して、そのイメージは段々弱まっていたが・・ ・。)ともかく茶髪にしたらからまれる、まではいかずとも、からまれやすくなる、 というある意味古風な臆病風を吹き荒れさせていたのだ。  しかし、それだけだったら永遠に黒々としていたであろう僕の髪が茶色くなったの は、ただ怖がりなだけでなく、スリルも好きだという側面があるからだろう。まあ、 特に得意なのは、ジェットコースターとか激辛カレーとか、決して死ぬ訳じゃない、 安全の約束されたスリル。決して死ぬ訳じゃない、と思うと僕はとてつもなく大胆に なれる。たとえバンジージャンプでも。 そういったスリルの積み重ねにより、何となく思い切れるようになってきた。怖い、 よりも、スリルをちょっと味わってみようという欲求が強くなって、”茶パツ化”に 踏み切ったのだった。でも初めて染めたときは「○週間でだんだんブラウンヘア」み たいな、”徐々に変色”タイプであった。このへんに小心者ぶりがまだ見え隠れして いた。  いずれにせよ、僕ははじめの一歩を踏み出せ、チャパツになった。葛藤はあれど、 思い切れたのだ。周囲には好評だったし、実際怖れていたヤンキーどうこうというこ ともなく、「茶パツ=不良」なんていう図式はあっという間に自分で都合良くいつし か消し去っていた。  結局、はじめの一歩なんて、一歩を思い切って踏み出してみれば、実際は大したこ とでもないというケースが結構あるもんだ。一歩踏みだし、二歩目、三歩目と歩いて いくうち、いつしか自分でも周りでも当たり前のこととなっているのだ。  また、自分で思っているほど他人は自分を見ていないのだ、とも気付いた、茶髪化 であったのでした。 ***************************           恵と伊集院、どっちがわざとらしい?       S311号室より         たかぎ しげひら ***************************