差出人: Takagi Shigehira 件名 : 6月3日 〜♪ゆるやかな坂道を あの日のように〜 日時 : 1999年6月10日 17:03  今日は天気が悪いみたい。5時40分の時点でまだ部屋が薄暗い。いつもならさっ さとゲームボーイ(今は「ゼルダ」をちょこちょこ進めている。エッセイの合間に・ ・)を始めるところだが、今朝はCDウォークマンを取りだした。実は、この前家に 戻ったときに、CDのキャリングケースの中身をほとんど入れ替えてきたのだ。12枚 入るケースが2つあるが、先週までは割と新しいCDで埋められていたのだが、今は片 方のケースには俺的名盤、もう片方のケースには爆風ディスコグラフィーというテー マで構成されている。 またそれを聞くにしても、やっぱりテーマを決めて聞きたいなーと思い、とりあえず 「爆風フィードバック」にしたのだ。最新のアルバムからデビュー作までさかのぼり つつ聴いていく、というテーマである。そうやって聞き始めてみると、この前爆風へ の思いを切々と綴ったときは「爆風難でもこーい」ぐらいの大きな気で書いていたの だが、実は結構歌詞を忘れていたりする。いいや、この際「爆風のリハビリ」もやっ ておこう。  4曲ほど聞いたところで、廊下の電気が灯り、いよいよ内科病棟にきちんと朝が告 げられる。部屋の人々も起き出して、カーテンを開ける。「昨日の巨人は結局どう だったのかねえ」というおはよう代わりの挨拶を交わす。(相変わらず5対1で巨人 ファンだ。) 「降ってるねえ」というつぶやきに外を見ると、雨が降っていた。そう言えば昨日母 ちゃんと一緒に来たじいちゃんが、「九州は梅雨入りしたぞー」と言っていたのを思 い出した。梅雨かあ・・・。  検温ワゴン(体温計・血圧計・食後の薬などが乗っている)を押して看護婦のマル ヤマさんが入ってきた。検温の時間だ。このマルヤマさんも典型オバチャンで、ほと んど常に口が動いていて、矢継ぎ早に言葉がポンポンと飛び出てくる。たとえ廊下を 歩いていても、足と口が連動しているんじゃないかと思うくらい、ポンポンポンポン 言葉を生み出している、でも手際もいいし、さっぱりしていて面白いので、僕の話好 きの血も騒ぎ(?)いつも長話になる。  ちょうどマルヤマさんはここで車を買い換え、(スプリンター→カロゴン)この前 の週末に届いたのであるが、注文をかけるくらいの段階から(話の中で車のセールス をしてる、ということになったこともあって)色々と相談を受けたりして、僕なりに 答えられる範囲でアドバイスをしたりしていたのである。 きのうもマルヤマさんが友達と今週末に行く予定の岐阜・高山ツアーの話になり、僕 も大学4年の秋に友人と北陸旅行に行った帰りに安房峠が雪で閉鎖されていて、仕方 なくふもとで引き返して結局下呂超えて中津川まで出たんですよ、なんて話をしたと ころだ。けさのマルヤマさんは、カロゴンにつけたエンジンスタータが病院の更衣室 からも利いて、非常に具合がいい、ととても嬉しそうであった。  昨日は午後主治医の先生と薬剤師のお姉さんがそれぞれみえて、血液や尿の細かい データを見せてもらった。血中蛋白やアルブミンという、入院当時は腎臓というフィ ルターの故障により、かなり数値の落ち込んでいたものも、もう正常といってもいい 域まで戻ってきたそうである。またその反作用(?)として増えていたコレステロー ル(血中)も段々減ってきている。コレステロールはもう少し減らさないといけない が、薬を使うのはホルモン剤との併用になるため、あまりすすめられない、もう少し 様子を見ようという話であった。  あっさり「これ捨てろー(る)」と言えないのが、めんどくさい。   <時の 匂い>  昨日の文章の最後で、曲が風景や思い出へ運んでくれる、というような話をした。 僕のあまり鋭くない五感絡みの話が続いて恐縮だが、今回は嗅覚絡みの話をさせても らおう、と思う。  ちなみに僕の五感は鋭くないどころか、欠陥オンパレードである。目に関していえ ば近視・乱視・色盲と、きれいに三拍子。耳も、穴が中で奇妙に曲がっているらし く、耳掻きが奥まで到達することがないため、聞こえが悪い(?)。しかも鼓膜の奥 の三半規管にまで話を持っていけば、こいつ俺の身体の器官の中で一番落ち着きがな くて、いつも波うってんじゃないの?と疑ってしまうほど、バランス感覚は悪い。本 当「衡」の字を返却したいくらい。 そして今日の主役の鼻もブタクサとハウスダストのアレルギーのため、人々が花粉症 の苦しみから抜け出す頃からしばらくの間、全くの無駄な器官に成り下がってしま う。 つまり、総合的に鋭くない、というか鈍い。  さて、嗅覚の話だ。今日は耳からではなく、花から感じる匂いで思い起こす風景の 話。その匂いも、空気の匂い、風の匂い、それも「あ、この匂い、あそこで嗅いだこ とがある」と、直接的に思い出に導いてくれるのだから、時の匂いというわけであ る。  もちろん、アレルギー全盛期(?)である4月から5月にかけては、僕のデリケー トな鼻は長い春眠(?)に入っているので、空気の匂いに気付くことはない。でもそ の間は時として視覚が冴えてみたりして、”桜”や”木漏れ日”が思い出に導いてく れることもあったりする。  しかし、時の、空気の匂いに導かれて思い出に足を踏み入れるのはそれ以外の時期 ということになる。特に僕がそれを感じるのは”直前”の3月が多い。3月の空気は 断片的な映像とともに、様々な旅の思い出を思い起こさせ、僕をその中にバーチャル に運んでくれさえする。 それは九十九里浜で待った朝日だったり、瀬戸大橋の途中のドライブインだったり、 うみほたるだったり、白馬のおみやげ屋さんだったりする。もちろん感じる場所は全 く違うし、もちろん潮の香りがするわけでもない。でも、匂いが、そして温度が同じ なのだ。 少なくとも僕の鈍い五感は、そう感じ取るのだ。  考えてみると、実際「春休み歴16年」の中で、3月に旅をする機会は多かったよ うに思う。そもそも旅は全く日常を脱けてみるものでもあるし、思いもよらない感動 や、予想もしなかったものに出会えることも多いものであり、僕の脳味噌の”3月” のページには沢山の旅の思い出がクリップされている。匂いというきっかけで、その うちの一つが突然輝き出すのは、それを眺めているだけでも楽しいものだ。  そんな3月の沢山の思い出の中でも、特に輝くものがある。3月の風と小学校時代 から変わらない我が家の玄関が僕をトリップさせてくれるのは、「藤沢(江ノ島があ るところ)への旅立ちの朝」だ。 一人旅へのドキドキとワクワクで踊りだしそうだった、あの朝。  幼い頃から生粋の鉄道マニアとして育ってきた僕は、おじいちゃんが「国鉄○○線 シリーズ」みたいな本を毎月買い与えてくれていたせいもあって、それらの本を愛読 し、プラレール、スーパーレールで遊び、貨物列車を見かけると、いつも「今日のは 何両編成かなー」と数えているような、かなりマニアはいった子であった。  中央線の駅名を松本から新宿まで全部言えたり、特急○○はどの駅とどの駅の間を 結んでいるのか大体知っていたり、どこにでもいそうで、でもクラスには1人しかい ないタイプの小学生だったのだ。  そんな、鉄道に関してだけは相当マセた小学生が、春休みに一人旅をと思い立った のが小学校3年生の時。目的地は神奈川県藤沢市、オヤジの実家。つまり僕の第二の ふるさと。中央線→小田急線→江ノ電という、マセガキにしては2回乗り換えるだけ の簡単なコースだったし、オヤジについて何度もこのコースで行ったことが何回も あったので、楽勝と思っていたのだった。  しかし、さすがに小学校サイドは簡単に許可はくれなかった。小学校3年生が一人 で県外に旅行というのは危険だという考えがあったのだろう。結構すったもんだが あった末に、「私が全部責任を持ちます」というような約束書きをオヤジが学校に出 した気がする。それで何とか旅立たせてもらったのだが、実際周囲もかなり心配して いたようで、町内に住む親戚のおばちゃんがわざわざお守りを持ってきたり、「受け 入れ」側の藤沢の家にしても、いとこに新宿から藤沢まで尾行させていたりしたの だ。(この尾行の話は最近まで僕には伏せられていた。)  それだけでなく、家族も心配だったのだろうか、僕の首からは『私は家出少年では ありません、もし何かあれば○○○-○○○○(藤沢の家の電話番号)まで連絡して 下さい』というA4サイズくらいのメッセージカードが下げられた。(そしてそれを 下げたまま、藤沢まで行った。もちろん)  そんな周囲の心配をよそに、当人シゲヒラはけろっとしていた。電車に関しては本 当に強固な自信もあったし、その頃から「何かあったら誰かに聞けば教えてくれる」 という考えも持っていた。(これはある意味現在にも持ち越されている。)まあ、現 に行程の中で多分最も難易度が高かったであろう新宿駅の乗り換えも、たまたま中央 線で隣に座っていた(多分大学生くらいの)お兄ちゃんに教えてもらったのだ。メッ セージカードの効果も少々あったのか、なかったのか。  湘南ツアーを満喫して帰ってきたシゲヒラ少年は、次の年からは友人二人を連れ て、同じく藤沢を旅する、というツアコン役を務めたりもしつつ、春休みの旅は恒例 となっていたが、そのどの時も、旅立ちの時、玄関をあけた時のあの”匂い”はいつ も同じだった気がする。これは今でも同じ時なら同じ場所で直接つながるのだ。  でももちろん3月の匂いだけが導くわけではない。   ・・・6月の匂いは、肌寒い熱海の海へ・・・   ・・・7月の匂いは、暑い実家ツアーのどこかへ・・・   ・・・12月の匂いは、雨のディズニーランドへ・・・ 時の匂いは、僕をその時代に一瞬帰してくれる。  そして僕はいい息を吐き出すのだ。 ***************************           寒天だけは勘弁       S311号室より         たかぎ しげひら ***************************