差出人: Takagi Shigehira 件名 : 6月17日 〜♪せめて偶然の時だけでも〜 日時 : 1999年6月17日 17:25  ・・・うわ、涼し・・・ん・・・布団かぶろう・・・。とうっすら意識の戻ったい つかの朝方、あまりに夜が暑いため、昨日はTシャツで寝たのだ(それまでは「抵抗 力の低下」がどうしても頭の中にあって、必ず半袖で寝ていた)。でもそうして半袖 で寝てみるとやはり朝方は涼しい。僕の寝相は決して誉められた物ではないので、そ の時もかろうじて腹に毛布が掛かっているだけの状態だった。 やはり肌寒いので、ベッドの隅でグシャグシャになっていた掛け布団を広げてそのま まくるまって、もう一度寝ようとしたが、(ちなみに時計は5時前を指していた)、 なんかガサガサと音がする。隣のチョビヒゲオジサンがもう起きているようで、なん かビニール袋をいじってるみたい。ガサガサ、ガサガサ。この音が結構気になる。僕 は特に夜中はできるだけこの音を立てぬよう、ウォークマンやゲームボーイは”ガサ ガサ音”のない樹脂っぽい材質の巾着に入れているくらいだ。隣のオヤジは何かを取 り出すのに夢中なのか、音はなかなか止まない。結構他の人も気になってるだろうな ・・・もうちょっと気を遣えばいいのに・・と思ったが、さすがにそのうちに止ん だ。 まあ”チョビヒゲ”オオバさんも今日には退院だ。それに人の振りみて我が振り直 せ、ではないが、やっぱりビニールガサガサ音はこれだけ気になるのだから、これか らもうちょっと気をつけよう・・・と思った。 そう思っているうち、いつしかまた眠っていて、彼女とこっそり入籍する夢を見た。 起きたら雨降りだった。  昨日はサッカー五輪代表のマレーシア戦があったのだが、なんか言霊に遊ばれてい るような感じだった。僕はJリーグのガンバ大阪を応援しているが、そのガンバから 五輪代表には二人選ばれている。 片方は代表でもキャプテンを務める宮本という選手。ラフな茶髪がイカす。セルジオ 越後には試合の度に厳しいことを言われているが、毎試合スタメン・フル出場してい るので、こっちはいい。 ただ、器としてはそれ以上だとも言われている稲本という選手もいるのだ。僕の今一 押しの選手。MFで将来のガンバを担うと言われている大器の19才だ。しかし故障な どもあり、ワールドユースでもあまり出番がなく、この五輪予選に復調を期待されて いて、また段々稲本本人も調子を上げているように見えた。  僕にはサッカー大好きの友人が何人かいるが、その中にセリ(仮)という奴がい る。奴は静岡東部の人間のため、熱狂的エスパルスファンだ。セリ(仮)とはEメー ルもやりとりしているが、ポケベルとスカイメールでカタカナ文字のやりとりもす る。お互いのチームへの思い入れも込めて。僕は稲本への愛も込めて、スカイメール を送信する際には”イナ”と名乗っている。  そしたら、昨日の試合。もちろん稲本も宮本も先発メンバーに名を連ねていた。ま あ二人の実力をすれば当然だろうと思っていた前半9分。マレーシアのキーパーがこ ぼしたボールをゴールに押し込み、先制点を決めたのは・・・稲本!!見たかセリ (仮)、これがガンバ大阪の、浪速のプリンスやで、と興奮し、CMのスキに奴のJ フォンに(歓喜を目一杯込めて)”イナモト!!!!!!!!!!”と入れた。これ でトルシエ監督も喜んでいるだろうと思ったその時、浪速の若きプリンスは不用意な ファールを犯し、イエローカードをもらってしまったのだ。何やってんの稲本、とボ ヤいたその時、ポケベルが”イヘロー”(←イエローの意)とブルッて嘲笑う。しか もそんなこんなのうちに画面の中ではそのファールに怒ったトルシエ監督が稲本を交 代させてしまった。まだ前半20分過ぎだというのに・・・。そこへ”ソノウエコウ タイ?トダ(注:戸田はエスパルスの選手、セリ(仮)の偽名)と追い打ち。日本は 結局4−0で勝利したが、どうも煮え切らなかった。次は見てろよ、セリ(仮)。  どうも昔から、何かを断言したり、予言したりすると、どうも事実にそこを避けて 通られることが多い。心の内で思っているままにしておけばそのままになったりする が、言葉という形にしてしまうと・・・。  そんな時、どうしても言霊に遊ばれてるように感じちゃうんだよなあ。だから断言 すんのはちょっと苦手なんだよなー、とちょっと思った。   <いつのまにやら>  大学何年かの時に、某友人から「シゲ、お前もう百回はセックスしてるだろう?」 と突然尋ねられたことがある。学食でだったか、誰かの家でだったかは良く覚えてい ないが、とにかく唐突に聞かれた。その時は反射的に、いやいやそんなにやってねー よと答えたが、よく考えてみたら軽く100回は越えていた。 僕は大学時代は特に食・性・睡眠の三大欲求には従順に従っていたので、まあウシの ように眠り、カバのように食い、そしてそしてサルの如く腰を振りまくっていたとい うわけ。”サルの如く”に彼女がいたら、(そして夜を一緒に過ごすとしたら、)腰 を振るのは年間で100どころか300は越えているかもしれない。あーそしたら (所要時間は大したことないが)回数っていつのまにやらこんなにいってしまってる もんなんだなあ、と妙な感慨に浸ったことがある。 よくAV女優の経歴とかで「これまでの男性経験は500人」なんて言う”500人斬 りムスメ”が時々いて、ものすごい遠い世界のものすごい墜ちちゃって溺れちゃった 人なのかなあ、と思うけれど、その人にしたって「よーし、500人以上斬ってや るぅ!」なんて思い立って街へ乗り出して・・・なんて事はなく、気が付いたらいつ の間にか500人とヤッてましたー。って感じなんだろう。勢い、というか自分の流 れ、みたいな物に身を任せているうちに、いつしか思わぬ遠いところまで来ていた、 という感じだろう。僕も、そして500人斬りムスメも。  ・・・まあセックスの話はこの位にしておこう。もちろん”short&fast&covered” の僕だから、これについて語り始めればキリはない。「えっ??何が起こったの?」 と不覚にも言われてしまった話とか・・・。ただこれは僕だけの話ではないし、それ じゃあサッチーの暴露本で儲けようとする輩と何ら変わらない。許可でももらえれば 別だが、暴露はあくまで自分のことだけにしておいて、ピエロマゾ精神を満足させる ことにしよう。  冒頭、セックスの話でかなりアドレナリンが分泌されてしまったが、これはあくま で、いつのまにやら、と感じたことの一例であるに過ぎない。  この話に限らず、人生には結構いつのまにやら、という瞬間が多く存在しているよ うな気がする。ふと改めて考えてみると、いつしかこんな事が当たり前になってる、 とか、あれ、この仕事を自然にこなせている、とかそう感じる瞬間。あ、もちろん、 ア、アタシ、ココマデオチチャッタ・・・という瞬間もあるとは思うが、結構こうい ういつのまにやら、という瞬間って嬉しいものの方が多いような気がする。  例えば、2ヶ月半の入院生活だって、改めて考えて振り返ってみれば、「いつのま にやら」だらけである。 いつのまにやら6時にはもう目覚めている生活をしてるし、いつのまにやら決して量 の多くない病院食で胃袋が満足している。いつのまにやら浴室の使い方のルールも心 得ているし、いつのまにやら硫黄の匂いも気にならなくなっている。いつのまにやら お見舞いの人と撮っている記念写真のフィルムも3本目になっているし、いつのまに やら日刊スポーツを読むのが日課となっている。そしていつのまにやら体重が57キ ロまで減った僕は、いつのまにやら他の患者さんとの話術にも長けてきていて、いつ のまにやら同室の皆に軽口なぞ叩けるようになったりもしながら、いつのまにやら入 院時のルールなども教えられるようになっていて、いつのまにやら若き部屋の長老と 貸している。ああ。いつのまにやら。  まあ何も、これは入院中だけに限られることではない。日常生活の中で細かく羅列 していったら、限りなく続いていってしまいそうにも感じる。このまま勢いでペンを 歩かせていったらそんな袋小路に迷い込んでしまいそうなので、その中でも特に嬉し いと感じる瞬間に注目してみたい。  数ある「いつのまにやら」の中で何が一番嬉しいかなあ、と考えを巡らせてみて、 やっぱり僕は「呼ばれ方」を挙げたいなあ、と思う。これまでで色々とあだ名の命名 を頂き、愛称も色々頂戴したが、もちろん初対面からいきなりあだ名や愛称で呼ばれ るケースもあるにはあるが、(例えば長野県のトヨタグループの入社式に僕はピンク の靴下を履いて出席したため、知り合いの人事部の人に皆の前で注意され、しばらく の間同期には「ピンキー」と呼ばれていた。これは初対面からいきなり、の一 例。)、大体の人からの「呼ばれ方」のスタートは「高木くん」だ。 それがしげちになり、シゲになり、シゲちゃんになり、シゲヒラになっていく。それ も、いつのまにやら。 これが本当に不思議だ。どこかから明らかに変わっているハズなのに、後で考えてみ ると、いつのまにやら。ただ確かなことは、その人との距離が明らかに近づいてい て、その中で呼ばれ方にも自然に親近感がプラスされたのだ、ということ。そしてそ のあだ名がいつのまにやら定着してみたり、いつのまにやら新しいものにとって替わ られていたりするのだ。かなりそれが進んでくると、大分関係も深まって、いつのま にやらコンビや軍団を結成したり、命名合戦が繰り広げられていたりもする。僕にし ても大学時代だけでも「鉄の軍団」「語りの軍団SUPER5」「インパクパク一号二 号」「オゲレーツ」・・・etcに名を連ねたものだ。  また逆に「呼び方」を考えてみたとき、こっちの方がむしろ不思議だ。今では気易 く砕けすぎたくらいのあだ名で呼んだり呼び捨てにしている友人なんかも、最初は ○○君とか○○さんとか呼んでいたワケで、そう考えると当たり前のこととはいえ、 あまりの他人行儀ぶりにムズガユクなる。  そうかといえば、僕がある日突然命名し、自分一人だけでしつこく呼び続けていた のが、ある日ふと気付いたら、いつの間にか周囲に定着している、というケースもあ る。これは変なあだ名になればなるほど、定着に気付くまでの時間がかかるという法 則が付いているが・・・。  結局、いつのまにやらって気付くということは、ちっちゃな事を拾い上げるという ことなのかもしれない。 でもそうやって、いつしか無意識のうちに上達、進歩、前進してきたことを自分自身 に認識させるって事も必要だと思うし、そこにまた自分の意義を見つけだせたりもす ると思う。 例えば仕事だったら、あ、そういえばこんな仕事まで任されている、とか、恋愛だっ たら、彼女を怒らせちゃうツボを心得てる、とか、友達とだったら、こんな大事なこ とまで俺を信頼して話してくれる、とか。  また、仕事やバイトの中で義務としてこなしているうちに、いつのまにやらブライ ンドタッチが早くなってたり、ゴルフに詳しくなってたり、ちょっと素敵なサラダが 作れるようになっていたりする。これも義務でないときにふと気付かされるものだろ うが・・・。  限りなくムダになっているよう(に感じてしまうよう)な毎日でも、けっこういつ のまにやら前に進んでいるものなのだ。少なくとも毎日にはそういう側面があり、少 なくとも自分にとって、何かしらはプラスになっているものなのだ。その時必要とさ れているものかどうかは別として・・・。  ときどきは 拾ってあげよう いつのまにやら (字余り) ###########################            天野君ツッコミうまくなったね。         たかぎ しげひら (暑くて暑い南311号室より) ###########################