差出人: Takagi Shigehira 件名 : 6月1日 ~♪ありふれた朝でも 私には記念日~ 日時 : 1999年6月9日 18:06 うああ。目が覚めると、ここは6月だった。6月だったといって相変わらずのぼんや り暖かい朝であるのは全く変わりない。相変わらずの5時代。ついでに今朝は採血が あるので、それまで飲食ができない。多分大丈夫なのだが、何かついはずみで飲ん じゃいけないなあ、と思いジャスミン茶の500ミリペットを手の届かないところに 移してみたりした。何でも手の届くところに置いておきたいO型の血がそうさせるの かもしれない。 ところで、今朝は採血だけでなく、検尿もセットになっているので、つい今し方済 ませてきた。朝一番の尿をとりながら(・・・といっても片手に蓄尿用の金属コッ プ、もう片手に検尿用のプラスチックコップという戦闘態勢、カッコ悪い。慣れたけ ど・・・)、あ、検尿の夢、見た、と思いだした。 なんかトイレの入り口の棚の上に「タカギシゲヒラ様」と書かれた検尿用プラ・コッ プが沢山置いてあり、(通常はもちろん一つ、)どれを使えばいいんだーと迷ったあ げく、一つ選び、ではいざ、と思って尿を取りだすと、わんさかわんさか出てきて、 あーコップにおさまらないよー。という夢だった。あな、おそろし。 おそろしついでに恥ずかしながら僕がそんな夢を見た朝必ず思うのは「あーおねしょ しなくて良かった」ということなのもカミングアウトする。 昔、おねしょをした夜は必ず「おしっこをする夢」を見た。しかも感覚が妙にリア ルな。当たり前だ。だから夢の中でおしっこをすると、今でも、ついでにおねしょを していないか、どうしても気になるのだ。トラウマ。 ところで昨日隣のベッドにSさんの後、カサイさんという新入りさんが入ってき た。入院時恒例のイベント「看護婦さんによる事情聴取」にそれとなく聞き耳を立 て、元教師、趣味は盆栽、いつも寝るのは10時前後という隣人情報をチェックして いたのだが、「自分の性格をどう思う?」と問われて、「神経質、かなあ・・・」と ちょっと気になる答えがあり、気にはなった。 共同生活において、初日の持つ意味は大きい。僕は最近、いずれ、に備えて、初日 に必ず”先手”を打つことにしている。今日も消灯の前にカサイさんに話しかけ、テ レビも一応11時くらいまでいいよ、とお許しを頂いた。てことは10時半くらいま でならOKだ。 OKに甘えて、今日は堂々と「スマスマ」を見ることにしよう、と10時にフジテレ ビ。テクノミックスの「ロートロートロート・・」が流れる。相変わらずスマップ頑 張るなあ。本当にこれ誰も手伝っていないのかなあ、とビストロスマップを見る。で も「どっちの料理ショー」ほどおなかが減らないのがいいのか悪いのか。トキワタカ コがゴロちゃんとシンゴ君にkiss。いーなー。 そしたら次のコーナーは『催眠』のパロディーのようだった。菅野ちゃんも出てき た。そしたら、えっ、全然違った。何とスマップで催眠術の実験をするの?!と何と なく戸惑う僕を差し置き、画面の中ではキムタクがジャガイモをリンゴだと思い込ん でうまそうにカジる。ツヨシがミネラルウォーターをビールだと思い込んでゴクゴク 飲んでいる!! えーっ。これは大衝撃(「ASAYAN」風に言えば)だった。僕は今までTVで催眠術に かかるのは安岡力也とか、なんとかガールズとか、そういった3流芸能人の、しかも 完全なヤラセだと思っていた。余りにもチープな企画だという先入観があったため、 何かの番組で所さんが「VS催眠術」企画で、「あなたの名前は[山田太郎]です」と いう催眠術をかけられ、「何か他の答えがどうしても出てこない。[山田太郎]とし か答えられない。悔しいが・・」みたいなことを言っていたときは、あーなるほど、 所さんが言うならホントかもなーと思ったが、まだ信じるまでは至らなかった。 それがスマップになると話は別だ。まさかやらせではないだろう。 僕は催眠が解けてジャガイモを吐き出すキムタクを見ながら、そうだよなー、人間な んて、ふっと恋に落ちたり、ふと人を嫌いになったりするもんなー。それも自己暗示 の一種でもあるし、催眠術なんて簡単にかかっちゃうんだろうなー、ともう既に完全 に催眠術肯定派に寝返ってしまっていたのだった。スマップの説得力恐るべし。さす が現代のドリフ。 ちなみにこの「催眠」コーナーは来週も続く。絶対見逃せないものができてしまっ た。 <コンプレックス> 「コンプレックスは人を育てる」という名言がある。あまり耳にしたことがないか もしれないが、僕の言葉なのだから仕方がない。でも確かなものだと思う。 僕の人生、特に中学から高校にかけての思春期の伏し目がちの時代、僕は大小さま ざま、色とりどりのコンプレックスを引きずって歩いていた。もしもコンプレックス というものが目に見えるものであったならば、もう少し周囲の同情もあったかもしれ ないとまで思ってしまう。今思えばコンプレックスの固まりであった。 そんな僕の”コンプレックス史”を今自分なりにひもといてみると、その古くは小 学校低学年から存在していたことを思い出す。それでまた僕のコンプレックスを語る 上では欠かせないエピソード。 多分現在の僕の知り合いのほとんどが信用しないだろうけれど、小学生のタカギシ ゲヒラ少年は、給食を食べるスピードがクラスで1,2を争う遅さであったのだ。今 考えてもあまり明確な理由が思い出せないが、多分トロかったのと、昔は今に輪をか けて、2つのことを同時にするのが苦手であり、「給食を食べつつ友人としゃべる」 という行為が大変不得意であったことが大きな要素であったと思う。 とにかく食べるのが遅くて、給食の時間内でも食べ終われないこともあり、皆が掃除 をしている中で給食を食べながら机を運ばれたり、トレイを持ったままベランダに出 されたりしていた。さすがにそこまではクラスにもあまりいなかったため、担任の女 の先生にも「せめて給食の時間のうちには食べられるようにしなさい」と悲しそうに 怒られたものだった。それでもそう簡単に早く食べられるようになるわけでもなく、 それからも何回か先生の悲しげな顔を見ることになり、その度に人生で初めて背負う ことになるコンプレックスが形成されたのだと思う。 それからは「食うのが遅い」という影だけを引きずり、しばらく歩くことになる。 マラソンが遅かったり、「ゴジラ」というあだ名の女の子にいつも電気アンマをかけ られたりと、今考えるとコンプレックスたりえた要素も他にいくつもあったが、例え ばマラソンであれば同じくらいの速さの友達と互いをライバルとし、早く走れる奴ら はもうある意味別種の人間としてとらえてもいたし、女の子に電気アンマというの も、その頃から少々マゾ的性格(例えば「俺ってこんなに恥ずかしい人間なんだぜー イエーイ」と開き直る、みたいな感じ)が芽生えてきていたので、あまり気にも苦に もしていなかった。クラスもまずまず和気あいあいであったし、惚れた腫れたの話は 数あれど、実際付き合うなんて学年に1組か2組ぐらいのかわいいもので、誰が飛び 出るわけでもなく、いい意味でみんながみんなの中に埋もれていられたのだった。 しかし、中学になってくると皆が色めき立ち、髪型やら、芸能人やらと、話題も 段々と変わりながら、思春期、反抗期を迎える。皆が色を出し始める。不良になる奴 もいれば、スポーツに命をかける奴もいるし、そうかと思えば部活をサボって女の子 と帰る奴がいたりと、周囲も騒がしくなってきた。 そんな風に周囲に”色”が付いてくるようになると、自分に色のないもの、いや少 なくともそう思い込んでいる者には、それがとても眩しく見えてしまうもので、そっ ちを見てから自分に視線を落としてみると、とても淋しく写ってしまう。あまりに急 速に周囲に色が付き始め、何となく取り残されたような状態であった僕は、いつの間 にかいくつものコンプレックスを引きずるようになっていた。 運動神経重視の風潮。オシャレ・モテる重視の風潮。そんな空気に包まれるようにな り、客観的に見てそのどれに関しても「人並み以下」であった僕は、そのスペシャリ ストにまではなりたいとはさすがに思わなかったし、またなれるとも思っていなかっ たが、(特にオシャレに関しては前にも書いたように全くの無頓着に近い状態であっ たが、そのことについてはその頃は別にどうとか思っていなかったが、他のことに関 しては)せめて人並みのレベルでありたいと思ったものである。 しかし、周囲の”色づき”はとどまるところを知らず、そのうちに(オーバーにい えば)モデル化する者、コメディアン化する者、ホスト化する者、と凄いことになっ てきた。特に高校は基本的に私服であったこともあって、妙なニットを着たり、変な ベストを着たり、バッシュ履いたり、ツバのない帽子を被ったりした奴らが(・・い や、ちっとも本来妙じゃなかったのだが、当時の僕にはそうとしか写らなかった。 バッシュをバスケ部が履くのはかっこいいと思ったけれど・・・)のさばり始めた。 また天は二物を与えるのか知らないが、そういう「オシャレ系」な奴らに限って、ス ポーツもできたり、女をとっかえひっかえしていたりして、僕のコンプレックスを膨 らませてくれた。「別に何着ててもいいじゃん」という考えを打ち砕いてくれたの も、ある意味彼らであったが・・・。 ただ、そんな幾つかのコンプレックスを抱えて生きていた僕にとって幸いだったの は、実は執念深い自分の性格を持ち合わせていたことだ。きちんと心に刻み、コンプ レックスをコンプレックスとして捉え続けた。当然コンプレックスになるくらいのも のだから、すぐに治ってしまうものなどではない。「いつか人並み」(僕の場合の合 い言葉はこれだった)と念じ続けること。弱くてもいい、ずっと。ともすればそれを 心がけていることも忘れてしまうくらいの時間が必要になるが・・・。 でも不思議なもので、忘れた頃にやってくる、ではないが、こういった心がけによ り、コンプレックスの原因が本当にいつの間にか治っていたりするものなのだ。 思春期に沢山のコンプレックスに振り回されていた間に、いつしか僕はそれ以前に あった「遅食コンプレックス」を知らぬ間に克服し、その勢いで早食い・大食いにま で成り上がっていた。それが心に刻まれていた小学校時代の先生の悲しげな顔の賜物 であったのは疑う余地はないだろう。 そしてまた、他のコンプレックスに関しても、例えば走ることもいつの間にか人並 み(・・のちょっとした)ぐらいにはなった。まあ長距離に関してだが・・・。これ もコンプレックスにメゲず、中・高と運動部を続けたおかげだろう。 また恋愛に関しても、幾つかのラッキーが重なって彼女もできたりしたが、何分「付 け焼き刃」だったので高校卒業までの半年間付き合って、手をつないだ回数は片手で 数えられる。なんていう完全プラトニックであらざるを得なかったりした。 人である以上、コンプレックスはついて回るだろう。人間の心に「隣の芝生が青く 見える装置」が付いている限り。上には上がいる。卑屈になるのも仕方がない。でも よく見れば下には下がいたりもする。 コンプレックスがあること、そしてそれを何とかしたいことを心に刻んでさえおけば いい。時間はかかるが、意識していたことさえ無意識になって、いつしかなんとか なっていたりするものだと思う。 僕は抱えてきた幾多のコンプレックスと、それがいつしか何とかなってきた経験を 通して、「長い目でものを見る」ことを学んだのかもしれない。 コンプレックスは少なくとも僕を育てた。 *************************** 「いいとも」火曜日のアサガオ・・・ S311号室より たかぎ しげひら ***************************