差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月31日 〜♪しかめつらしてる しかめつらしてるよ〜 日時 : 1999年6月9日 18:06  ・・・泥のように、泡のように眠る、第三弾。昨日は特に例外でなく、「ASAYAN」 を何とか意地で”観破”するのが精一杯。TVを消すやいなや、という感じで瞬時に僕 は眠りの世界にワープしていた気がする。しかし、朝のつもりでまた現の世界にワー プして戻ってきたらまだ3時過ぎだった。これはいくら何でも早過ぎ。しかしもう病 院のベッドとワンセットの条件反射となった感のある早起きも、今日はやっぱり外泊 での心地よい疲れが残っていたせいもあって、2度寝、3度寝と、5度寝ぐらいまで 繰り返すことができた。  朝方の浅い眠りは夢をよく見る。続けざまの眠りの中に(入院以来の夢への)初登 場組が数人。平田(仮名)、ジョニー(仮)、会社の先輩伊東さん(仮名)、主治医 上条先生。他にも出てきたかなあ。他愛もある夢と、他愛もない夢と。でもみんな ちょっとずつ外泊中に接点を持った人なのが面白い。  5度寝を明けると、5時半くらいであった。もう廊下で声がする。そういえば朝方 目が覚める度に何か声がしていたなあ、と思い起こす。誰かお婆ちゃんが泣き言言っ てた気もするし・・・。昨日はあわただしい夜だったのだろうか?  そんなことをぼんやりと考えながら横になっていたのだが、そういえばまだ足に疲 れが残っているのに気が付いた。(そんなに強いものではないが。)ああ筋肉痛だ あ。と思う。そういえばこの感覚も久しぶり。というか入院して忘れていた感覚で あった。入院前は、(もうすっかり遠くに思える)常にこの感覚と生きていた。朝起 きても足に全く疲れの残っていない日はなかった。それはもう当たり前のこととして 存在していたのだが、この療養生活の中でいつのまにかなくなっていたのだった。 やっぱり体力落ちているんだなあと思いつつ、落ちるわけだわ、と妙に納得。  いつのまにか、5月も今日で終わりだ。もうすぐ入院も2ヶ月。早いような遅いよ うな。この僕の空間が時間に比例して、「誰かが僕のために持ってきてくれたもの」 で埋まっていくのはやはり幸せなこと。ありがたい財産だなあ、と改めて思う。  ところで”血糖オヤジ”Sさんは結局退院が今日まで延びた。でも今日だ。昨日も 「明日退院なのに新しいテレビカード買ってもなあ・・・」ということで、僕のテレ ビで一緒に巨人-阪神を見た。僕本来はもちろんアンチ巨人。でもこの部屋にいるう ちはもう自然に巨人寄りで見る。これも一種の適応か。 いずれにせよ、気易い”隣人”が去るのは少々淋しいもの。  僕は、あと一ヶ月はかかるみたい。昨日から、看護婦さんやら先生やらに「おかえ りなさい」と声をかけられる。ああ、今はここが僕の場所なんだと改めて痛感。   <からおけ>  3日ぶりのエッセイになる。彼女が来たり外泊したりと慌ただしかった週末であっ たが、外泊の大きな目的として定め、達成してきた「(家族で)カラオケ」があった ので、今日はカラオケの思い出について書いてみようと思う。  小さい頃から、歌は好きだった。「みんなのうた」はかなり欠かさず見ていたし、 (生まれた時間が午前9時55分という「みんなのうた」時間だったというのも一因 かも・・)、家に童謡のレコードやテープもいっぱいあって、家族で出かけるとき は、車の中でよく歌っていたものだ。『切手のないおくりもの』なんか、今でもやっ ぱりいい歌だなあ、と思う。そんな童謡好きのまま、小学生になり、鼓笛隊に入った り、担任の先生がディープパープルやヴァンヘイレンを編曲(自分では作曲といって いたが・・・)して音楽会で合奏するようなクラスだったりして、順調に音楽好きは 育っていった。  でも9時には寝る子だったので流行には全く弱かった。ドリフにはついていけた が、とんねるずやおニャン子クラブは全く話についていけなかった。その頃はあまり 気にしていなかったが・・・。なんせ中学に入るまで、見る歌番組は本当に「紅白」 だけだったのだ。「のど自慢」は毎週見ていたが・・・。  そしてその小学校の後半くらいから、「カラオケ」の機械がのさばり始めた。しか し僕の頭の中では「歌がうまい=カラオケうまい」と簡単に決めつけていて、(僕の 歌=うまい、という公式もあった)、自分はうまいはず、バッチリ歌えるはずと思っ ていた。  でもそんな先入観はまた簡単にうち砕かれる。夏に伊豆で開かれた、毎年恒例の 「いとこ会(毎年、父方の親戚関係約30人ほどの集まり、今はやっていない)」で のことだ。 宴会の中、調子に乗った僕はいとこにお金を出してもらい、曲番号を入れた。曲は 『ギンギラギンにさりげなく』。・・・・・・・大失敗だった。当然だ。サビしか知 らない。それも「キンピラゴボウのばんめしー」という替え歌でしか知らなかったの だから・・・。Aメロ、Bメロのメロディーに乗って、色が変わりゆく歌詞を、何とな く間を持て余してしまった親戚一同の前で、僕は情けなく眺めていた。サビの歌えぬ カラオケの辛いところをいきなり思い知ったのだった。  まあ、そんな甘酸っぱい思い出で幕を開けた僕のカラオケ史だが、悪い思い出で始 まったものこそそれから明るい発見の多いもの。家族旅行の宿にカラオケがあったり して、その時じっくり歌本を眺めてみると、結構知ってたり歌える曲も多く、もう すっかり培われた歌好きの血も手伝って、何曲も歌って楽しかった。  歌謡曲に目覚めた(引き金は爆風)中学時代だったが、友達とカラオケに行く、と いうことはなかった。 まだカラオケという文化が中学生に根付いていなかったというのもあるし、皆がまだ 歌好きでなかったというのもある。色々あった中学時代だが、歌だけはクラスでは認 められていた。  きちんとした変声期がなかった(今もノドボトケはほとんど出ていない)せいもあ るけれど、いつも音楽会でテノールのパートを引っ張った僕は、クラスの3年連続の 金賞(学年一位)受賞には貢献できたと自負している。  でもやはり歌が歌える、よりサッカーがうまい、足が速い方がステータスで、その 頃の僕もそんなサッカー、陸上少年といずれ一緒にカラオケに行くことになる程、カ ラオケがメジャーになるとは予想だにもしなかった。  しかし、高校入学と同時くらいに、ものすごい勢いでカラオケボックスが増加し、 友達と行く機会も増えたし、同級会やクラブの打ち上げなんかでも、とりあえず酒 買ってカラオケ、というコースが定番になってきた。  その頃にはもう、自分の中でのカラオケで歌える曲のストックはかなり持っていた ので、もうカラオケ大歓迎、OKOKの心境であった。結構自信のある歌を人に聴いても らえる。僕はこの流行に感謝しながら、他人と曲が被らぬよう、歌いまくった。  曲のストックはある程度あったが、”目覚めて”以降のものであったため、それ以 前の世界は友達の歌で覚えたりした。特にボウイなんかは周囲には余りにも定番だっ たが、僕は最初全く知らず、ついて行けなかったりもしたこともあったのだった。  そして、場数を踏むうちに、「とっておき」の曲を持つようになった。歌ってみ て、自分で「ああ、スゲエ上手く歌えた」と思えた曲。普段歌うのはもったいなく感 じて「ここぞ」で出すことにした。まあ実際「ここぞ」がそんなにあるわけではない ので、乱発を避けた、程度のものだったが。  代表曲としては『シェリー(チェッカーズ)』『何も言えなくて・・・夏』などが あったと思う。逆に乱発したのは『夏の日の1993』や『それが大事』。これはバ ドミントン部にいた”カラ・パートナー”と共に歌詞を替えたり勝手にハモッたりし て、乱発しまくった。 また爆風に関しては、「あまりに完璧に歌えすぎるから」という盲目のマニア的な理 由で、あまり人前では歌わなくなった。まあ今突然どの曲のイントロが流れても歌い きれる自信はあるけどね。  しかし、段々と、中人数・少人数のカラオケの方が楽しいなあ、と感じるようにな る。 高校・大学との中で、20人や30人だという場もあったが、やっぱりどうも苦手 だ。何となく皆の知っている曲の方がいいやと思ってしまう。別に必要はないのだろ うが、どうも気を遣ってしまうのだ。つい定番に走ってしまう。 全く同じメンバーで再び、みたいな機会でもあれば、少しは”冒険”もできるのだが ・・どうも大人数カラオケは得意ではない。  それが中人数・少人数となってくると、その場をくくれる要素が色々と見えてきた りして、面白い。 踊るカラオケ、語るカラオケ、酔いてカラオケ。友達グループで行ったりすると、 ルールが自然発生したり(演歌縛りとか、メドレーマイクリレートチると一気、と か)するのもまた楽しい。そんな場で発表するために、昔は『シュラバラバンバ』。 最近なら『セロリ』のラップ部を誰よりも早くマスターしようと必死で練習したりし た。  でも、話は変わるが、カラオケで一番嫌なのは、部屋に入ってしばらくみんながな んか譲り合って誰も歌わず、画面にベストテンなんかの字幕か何かが流れている、あ の何とも空しい空気。誰か歌えばそれで始まるのに、とか思うので、僕はそんなとき 自分でできるだけ速攻入力して切り込み隊長を務める。 一曲目を歌うときの心得としては、何も期待しないこと。大体みんなが歌本を見て、 選曲する時間で使われるから。でも時として、明らかに(一曲目だけでなく)僕の 歌ってる時間がみんなの”選曲タイム”に使われることがあり、それはちょっとキツ いが。  まあ、なんだかんだ言っても、僕はずっとカラオケ好きで生きていくだろう。  ちなみに今の「とっておき」は『パワーソング』。採点カラオケ(僕)史上の最高 点を叩き出したから、というのが理由だ。また機会があれば、歌うつもり。 ***************************           踊るから置け??!       S311号室より         たかぎ しげひら ***************************