差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月27日 〜♪星空に 口笛よ響け〜 日時 : 1999年6月7日 16:47  雨だ。昨日の天気予報によれば、今日は一日中雨だそうである。 昨日の夜は眠りも深く、もしかしたらずっとレム睡眠(ノンレム睡眠だっけ?)と 思ってしまうくらい、見た(はずの)夢も覚えていないし、全く見ていないような気 にもなる。  涼しかったせいもあるのかもしれない。目覚めも5時半頃で”遅”かった。20分 ほど布団の中でぼぉっと雨音を聞いていたが、病院の起き出す10分前になって、今 朝は検尿だったのを思い出して起きあがった。  雨の日は特に薄暗い。そして薄暗い朝の病院はいつもよりスローテンポだ。晴れた 朝ならば5時代に起き出していることの多い同居人(?)達も、今朝はまだ皆カーテ ンを開けてはいなかった。 いつもより足音を立てぬように気を遣いながら、トイレへ。他の部屋も今日はスロー スタートらしく、廊下には人影はなかった。いつもなら一人二人は顔を洗ってたりす るのに。伸びをしながらトイレに入って、検尿コップを手に取った。いつも通り中間 尿で100ccといったところか。 コップを棚に置こうとしたら、もっと早起きさんがいたらしく、もう一つ尿の入った コップがあった。並べて置くと、やはり僕の方が大分色濃い。僕が色盲、という要素 を差し引いても。  いつもの蓄尿でも思うのだが、(ほとんどの患者が蓄尿している)、明らかに尿の 色が違い、「ああ病気だったんだ」と改めて思わされる。最近は病気に慣れすぎて、 病気であることさえ、時々忘れている。  ところで、昨日からついにエッセイの配信を始めた。初めは彼女にだけ見せるつも りで書いていたのに、だんだん他の人にも見てもらいたくなり、結局のところ現在の 「メル友」10人に同時配信した。 自分ではその日その日の思いや気持ち、そんなものをダイレクトに文字に変換してい るので、一方的に誰かに送りつけるのは実は勇気が要るもので、(何か「見てもらい たい」と矛盾しているが・・・)、何回か、言い訳がましい「前置きメール」を送る という心の準備が必要だった。  それでも一回目の5月9日の原稿(?)をパソコンで起こしてみると、なかなか懐 かしくて、楽しかった。まあ、まあまあなんじゃないの、とか、やや自分に酔いつ つ、送信。やはり一通送って一歩踏み出してみると、あとは気楽なもので、金曜は彼 女も来るし、とか週末ももしかしたら外泊だし、とか忙しくなりそうに思い、「明日 (つまり今日のこと)からは一日に通ペースで送って追いつく」という目標もあるた め、夕方から夜にかけては、エッセイの清書作業にひたすら取り組んでいた。(Sさ んの巨人への嘆きを相槌にして・・・)  ところで、これを書いている最中、回診があり、先生から「栄養指導受けたら、外 泊してもよいです」というお許しを頂いた。ただ「2週間に一度くらいで」という条 件付きだが・・・。  今週末にでもしてみれば、とのことだが、これについては少々作戦を練る必要があ りそうだ。   <「奇をてらう」ということ>  世の中には、「奇をてらう」という言葉がある。手許の電子手帳に依れば、「奇」 は「珍しい」。「てらう」は「誇り示す」「ひけらかす」。まあ、珍を誇る、といっ たところだろう。  僕はこの言葉が好きだ。ありきたり、十人並みの人間にはなりたくない。多数派に は入りたくない。という考えが僕の基本に流れている。「みんなやってるから」なん て絶対に口にしたくない言葉だ。従って、流行のファッションなど、ほぼ興味はな い。 それならばむしろ、流行る前のものを身につけたいと思う。とにかく「多数派」の中 に顔を連ねるのが嫌なのだ。自然、奇を衒う格好になる。  この性分は、一家そろっての「アンチ巨人のヤクルトファン」という得意な家庭に 生まれ育ったことにも由来していると思う。 今暮らしている(?)病室の住人(?)が常にそうであるように、田舎に占める巨人 ファンの割合は非常に高い。しかも今でこそ少々の人気があるし、強い時期もあった りしたが、僕の小さい頃のヤクルトはとにかく弱かった。「万年最下位」の称号をも らったりしていたため、シーズンを最下位で終わらなかっただけで、高木家は小躍り していたものである。とにかく父も祖父もヤクルトスワローズを愛しているのだ。そ の純粋さと頑固さの中で、僕も自然にアンチ巨人、ヤクルトファンの道を歩くように なった。  しかし、当然大多数の家庭は巨人ファンで、それにきれいに比例してクラスの中は 巨人ファンばかりだった。ヤクルトファンの僕はあまり立場は強くなかったが、「好 きこそものの上手なれ」などと、ちょっと見当はずれの慣用句を引っぱり出して、自 分に言い聞かせたりしながら毎日ヤクルトの野球帽を被って登下校したものだ。この 頃から「奇」を好むことの楽しさ、というか意義というかが確立してきたように思 う。  中学にはいると、「ヤクルト」に加え「爆風」とマイナー指向にも磨きがかかり、 また外見的なことでも、(別に義務づけられてはいなかったので)ほとんどだれも被 らなかった「制帽」を毎日被って通学するなど、細かいところで多数派への抵抗を続 けていた。まあ存在自体が地味だったので、大したアピールにはならなかったが・・ ・。  そんな僕だったが、高校にはいるとさすがに自分の色の出し方も上手くなってき た。 結果的に奇を衒っている僕であるが、実際少し他人と好みが変わってるのに気付くの も、高校時代。ヤクルトは段々ファンが増えていたので、少数派は脱出したが、「爆 風」は相変わらず迫害対象。そして高校に入って大分情報も増え、手広く見るように なったスポーツも、「ガンバ大阪」「曙」「フェニックスサンズ」等、ご贔屓はこと ごとく王道からはずれており、また、好きな芸能人なんて話になると、満面の笑みで 「相原勇」と答え、一度も同意を得たことはなかった。 ちなみに高校時代の好みの変遷は、相原勇に始まって、蓮ほう(字は忘れた。ちなみ に相原勇よりもブーイングは大きかった)、千堂あきほ、佐野量子と、ことごとく多 数派を自然にはずしており、「タカギの好みはわからん」といつも言われていたもの である。  しかし、それも大学に入ってしまうと、薄い薄い。もう少々の個性ではかすんでし まうくらいの人間で溢れていた。最初はすごいなあと思って見ていたのだが、僕も 「奇をてらう」歴十数年の中で、自分のことに関しては相当の部分でさらけ出して開 き直れるようになってしまっていたので、入学して半月も経ったら、親しい学科の友 人達は、「ロリコンでセーラー服好きの変態」を{タカギシゲヒラ」の同義語として 頭に刷り込んでいた。  また、洋服のセンスも相当色々言われた。もともと見てくれには本当に無頓着で、 服に関しては冗談抜きで、ずっと「裸を隠すもの」という本来の意味程度にしか位置 づけていなかった。 中学の途中までは髪もとかさずに学校に行っていたし、高校に行っても、COOP(地区 の生活協同組合)で買った服でほとんど過ごし、(ちなみに私服高だった)自分で服 を買うようになったのは高2ぐらいだったかもしれない。当然見てくれはダサかった だろうし、いつもポロシャツにトレーナーという優等生スタイルが多かった。 これももちろん少数派で「奇」でもあったはずだが、あまり意識していなかった。  しかし、これに関しては、あまりにも多数派が多すぎる。やっぱり彼女も欲しいと いう気持ちもあり、高校生シゲヒラは多数派に譲歩することにした。それでも譲歩す るにしても、「ポパイ」や「メンズノンノ」人間にはなりたくなかった。自分なりに 「オシャレ」や「着こなし」ができればいいやと思っていた。が、もちろんメンズモ デルやモテ吉くんへの道は用意されてはいなかった。 原因は簡単。観察力、色彩センスの不足。これにつきる。朝、鏡などを見て、 「オッ、今日俺いいじゃん」と思ったコーディネイトでも、「何をねらってるの?」 と女友達に一笑だったり、しまいには「何が出てくるか分からないタカギのセンス に」などと妙な期待をされたりして、結局は「奇をてらう」路線を歩くことになって しまったのだ。  大学は結局少し行きすぎた自己主張の場であった。(ファッションに関してはもう 完全に開き直り、「学食に入ってくればTシャツ見ただけで誰だか分かる」時期も あった)、けれど、ものを選ぶ基準で「他人(というか、自分の周囲)のあまり持っ ていないもの」にはこだわるようになった。車にしてもそう、スキー用品にしてもそ う。ありふれたものは嫌だし、ありふれたものを持つとしたら、色や形はあまり弾数 の出ていないものにする。金のケイタイとか・・。  親しい友人へのもの言いや、出すハガキなどにも奇をてらってみることが多い。 せっかくだからありふれていないものを、と思う。まあ土足で踏み込むようなことに なるが、今までの経験上、土足で踏み込ませてくれる人でないと、本当に親しくはな れないケースが多いので、これは問題ないだろうと思っているし、親しい友人であれ ば喜んでくれる場合も多いのは事実。たまに奇をてらうことに夢中になりすぎて、本 来伝えるべき事を伝え忘れてしまうのはご愛嬌。それを「僕」として認めてくれる友 がいるからありがたい。  しかし、奇をてらう(僕の場合は結果的に、が多いが)のにも哲学がある。ある吉 本の芸人が「常識を知らなければ笑いは取れない。芸人にはなれない」と言った。奇 をてらうもこれと同じ。多数派のことを、また常識を知らなければただの独りよがり で終わってしまう。ここにちょっとポリシーがあるのだ。また下を向いてもダメ。奇 をてらうなら開き直らなければ。堂々と奇をてらってみれば、それもまたいいもの。  ちなみに僕が芸人になれないのはアドリブができないことにつきると思っている。   全く関係ないが。 ***************************           雨の日は、胃が重い・・       S311号室より         たかぎ しげひら ***************************