差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月24日 〜♪世界で 僕しかいない〜 日時 : 1999年6月5日 18:42 どうも、体内目覚ましの調整がうまくいかない。今日も5時代に目が覚めてしまっ た。睡眠は実質6時間ぐらいだろうか。病人なのだから、もう少し睡眠をとってもい いかなと思うのだけれど、最近は昼間も文章書いたり、メール作ったりしているの で、「昼寝でもして時間つぶすかなあ」という退屈もない。  とはいえ、深夜に行われた中田の試合(万一眠れなかったら見ようかと思ってい た)の結果が気になったので、5時55分から「めざましテレビ」を見ることにし た。そうしたら直前の「めざまし天気」の占いカウントダウンで水瓶座は最下位だっ た。朝食を食べながらもう一度この結果をなぞることになるので、あまりいい気分で はなかった。  昨日は日曜でもあり、そこら中でスポーツが行われたようで、大体の結果は「サン デースポーツ」でチェックした。ちなみにそのキャスターの有働由美子アナ、素朴で カワイイ。日テレの山王丸和恵アナと並び、俺的女子アナベスト2の一人である。 時々ゲストにとてつもなく見当はずれの質問をしたりしてしまうが、彼女の素朴さに より何となく許せてしまうのがいい。  そのサンデースポーツのトップは大相撲夏場所千秋楽。武蔵丸が結びの一番で曙を 倒し、優勝と横綱昇進をともに決めた、というニュースだった。これはとても喜ばし いことである。僕にはどうも基本的にバッシングのある外国人力士をひいき目で見て しまう傾向があるのだけれど、武蔵丸は本当にいい力士だと思う。 彼には一度も休場がない。そして52場所、勝ち越しを続けている。こんな強い力士 は他にいない。横綱にするかどうかで色々もめていたようだが、これまで彼が積み上 げてきたこの成績を見れば、充分それは横綱に値すると思うし、間違いなく伝説の力 士になる。(、と僕は信じている。) 優勝インタビューでアナウンサーに「横綱になる、というお気持ちは?」とマイクを 向けられ、「なってから考えるよ」と切り返して場内をわかすなんて、見事。品位で 心だと”年より”は言うけれど、このセンス、こののらりくらりぶりは横綱になって も消えて欲しくはない。  ヨルン選手の大宮アルディージャも買った。今朝の”日刊スポーツ”の、ピム監督 の「この勝利は非常に、非常に重要だ」というコメントが涙腺をつついた。チーム一 丸となったVゴールはヨルン選手に捧げられた。「ショックだが、人生は立ち止まる ことはできないのだ」ピム監督のコメントは、重く胸を打つ。立ち止まれない時間の 中で、人がドラマを生み出し、人に捧げる。真実だから、事実だから、結果だから、 人も心を動かされる。やっぱり、スポーツは、いい。  ACミランには勝てなかったが、ペルージャはセリエA残留を決めた。おそらく中田 はもっと大きなチームに移籍するであろう。名波もヨーロッパへ飛び出す。これから もっと楽しみが増えそうな、サッカー界である。   <僕とアニキの物語>  今朝チェックしたセリ(仮)にメールの中に「昨日の『鉄腕ダッシュ』にサンプラ ザ中野が出ていた」という行があって、見逃してしまった自分が悔しかった。サンプ ラザ中野こそ、「アニキ」。僕が世界で2番目に尊敬する人であり、(一番はオヤ ジ)、3月の無期限活動中止宣言以来、かなり今後を気にかけていたのだ。手許の 「TVガイド」を改めて見てみたが、『鉄腕ダッシュ』の欄には「あるミュージシャ ン」としか書いていなかった。その方が(悔しいが)視聴率は取れるのかもしれない が、迷惑な話だ。  とりあえず、パッパラーと二人で「スーパースランプ」(←タカギ注:爆風スラン プ結成前にこの二人やデーモン小暮など聖飢魔Uのメンバーで組んでいた伝説のバン ド)のレコーディングをしていたようで、安心した。  爆風スランプは僕の青春であった。歌・スタイル・生き方。全て影響を受けた。  その頃、(中学の頃)、冗談抜きで見る歌番組は「紅白」しかなくて、演歌ばっか り歌っていた僕の中に突然飛び込んできた、紅白で歌う坊主頭の『runner』。衝撃以 外の何者でもなかった。「歌手=お洒落して・すまして歌う」という公式が崩れ去っ たのだ。この人達カッコ悪い。でもすごいカッコいい。僕はお年玉で『runner』の 入ったアルバムを(カセットテープで)購入し、聞きまくった。  この「highlander」というアルバムも実際かなり出来が良く、紅白での一目惚れは あっという間に猛烈に燃え上がった。もうこうなると盲目である。当時ノリにノッて いた爆風はTVで冠番組も持っていたし、(「爆風スランプのお店」という爆風がホス トになって他のミュージシャンを招き、酒を飲んだり歌ったりする番組)、AMラジオ でもレギュラーを持っていた。ただTBSラジオだったので電波の入りは悪かったが、 それでもほとんど毎日聞いた。いつも朝刊でテレビ面、ラジオ面に目を通し、「爆 風」の文字があろうものなら、必ずチェックしていた。 とにかく、知っている誰よりも爆風情報には長けていたかったのだ。誰も爆風好きは いなかったけれど。でも爆風への思いは止まらず、「新曲初OA」なんていう日などに は、TBSラジオをカセットに録音し、何度も何度も繰り返し聞いて、ノートに歌詞 を、”耳コピー”したこともあった。かなり聞き間違いも誤字も多かったが、高木少 年は充分満足した。  良くTVのインタビューなどで目にする、つきあいの長いカップルのコメントで、 「付き合ってみてどんどん意外な魅力に気付いて、また好きになった」というのを耳 にする。僕はあの年の紅白で一目惚れした爆風スランプから、ずっと意外な魅力を発 見させられ続けている。  もちろん、スキンヘッドにサングラスというサンプラザの風貌もあるが、早稲田中 退という学歴にも驚いた。「社会派バンド」という位置づけ、北京の天安門広場で、 南アフリカの黒人の集会で、彼らは歌った。また、いとこから当時のベーシスト、江 川ほーじんは、日本一上手いベーシストであると教わったときもまた惚れた。(それ は事実であったらしく、ほーじんが「玉ねぎ」の前に脱退したとき、新メンバーを探 すのはかなり困難であったようだ。結局テクで引けを取らないバーベQ和佐田という 新メンバーが加わったのだが、彼が在籍していた「TOPS」というバンドはその年に解 散してしまった。) また現に、音楽関係者の中には爆風スランプのリズム隊(ベース&ドラム)は日本一 だと(メンバー交代後も)絶賛する人も多かった。彼らのリリースするアルバムには とてつもないバラードから、しょうもないコミックソングまでが並べられていて、も う絶対に「爆風スランプ」という枠でしかくくれないものであった。また『リゾ・ラ バ』の時の間奏の腰振りダンスにもたまげた。全国放送で平気であんな事を。黒柳徹 子は何も言わなかったけれど・・・。  だから、『大きな玉ねぎの下で』という新曲のタイトルが発表になったとき、正直 心配だった。 どう考えてもフザけているとしか思えない。ついにコミックソングがシングルか・・ ・と思ったものだ。『月光』が今イチの評判だったため、なおさら心配だった。  しかし、偉大なアニキ達は、きれいに、そして見事にそれを裏切り、おそらく爆風 史上で最も一般人に支持されている名曲を世に送り出したのだ。  今思うと、爆風の世間的な人気はこの頃がピークであっただろう。『玉ねぎ』の 後、ベスト10にも入ってくることがなくなり、爆風ファンを公言していた僕の立場 は段々弱くなってきたが、時既に遅し。僕はもう、ゾッコンのゾゾッコンであったの だ。恋の炎は消えず。  もう全てが欲しかった。シングル、アルバムはもちろん出るものは全部。高校の入 学祝いでお婆ちゃんにもらったお金は爆風の過去の5枚のアルバムに即座に化けた。 リリース時に張り出されるポスターを部屋に欲しくて、行きつけのレコード屋さんに マメに通って、ポスターをとっておいてもらったりもした。諏訪に一つ爆風のコピー バンドが活動していると聞いて、合同ライブを見に行こうとしたこともあるくらい だ。(このときは行くのが遅くなって彼らの出番は終わっており、それからは噂を耳 にすることもなかった・・・)  とにかく爆風がらみのものには、こだわった。不意に『涙(ナミダナミダ)』が売 れたりしたが、それよりも他のシングル曲の良さを一般人が理解しない、できないの が納得できなかった。  でもそんな僕の思いをよそに、芸能界の表舞台から爆風はどんどん降りていった。 かろうじて、新曲を出すときには出演していた「ミュージックステーション」の出演 の機会もなくなり、全国ツアーの規模も会場も、年々縮小されるようになっていっ た。  しかし、サイクルが段々長くなったにしろ、一年〜一年半の間隔で出るアルバムは 次のアルバムが出るまで確実に僕の心を支えた。いつもまっすぐな音楽だった。始め ての一人暮らしの部屋でも、僕はちょうど出たばかりの「TENSION」という爆風史上 おそらく一番売れなかったアルバムを繰り返し聞いていたものだ。  カッコ悪くても、売れなくても、マイペースで自分であり続けるアニキが僕は好き だ。アッケラカンと生きたいと思ったのも、僕色でありたいと思ったのも、仲良くな りたい人に自分をさらけ出してみるのも、アニキの影響による所が大きいのは疑う余 地もない。  大学2年の時、渋公に爆風のライブを見に行った。一人で行ったが素晴らしかっ た。 一曲だけ知らない曲があって、しかもその曲(『ほら、アホになる』という曲。タイ トルは知っていた)を他のファンが振り付きで踊っていたのは少し悔しかった。上に は上がいるなあ、と思いつつ、それだけ爆風を愛する人が存在するのを知って、嬉し かった。  アニキはそこでも輝いていた。アニキが一瞬はずしたサングラスの中の眼もキラキ ラと輝いているように見えた。 ***************************           レディコミはロリコミよりも過激だった・・      S311号室より         たかぎ しげひら ***************************