差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月21日 〜♪ボクラが 愛の花咲かそうよ〜 日時 : 1999年6月3日 16:33  またまた、嬉しい展開になってきた。外出のお許しが出たのである。約50日振り に、下諏訪町に足を踏み入れる。それが昨夜、決まった。  なんか毎日前日の事後報告をしているが、僕がノートにボールペンを走らせるのは 大体いつも午前中なので、盛り込まれる話は主に前日の事になる。この前半部はよく 考えると変則的な日記になっているね。  ところで、外出が決まった。病院には外出と外泊の二種類の選択肢が患者に用意さ れており、病状などにより、許される。大体外泊のパターンとしては、週末に帰宅と いうものが多く、それでなくても週末に入れ替わりの多いこの部屋は淋しかったり、 時には1人だけになって、かえっておいしかったりした。先輩(?)の中には毎週毎 週帰っていて外泊を使い果たし、(月に五日だか、六日だかの制限があるらしい)帰 るに帰れなくなっている人までいた。  そんな外泊の週を横目で見ながら、何分制限の多い僕は大人しくベッドで50日を 過ごしていたのであるが、それでも以前は外出の話題も出ていた。ホルモン剤を飲み 始めた頃だが、一日50グラムを一ヶ月飲み続けて、それで効果が出て、減らせるよ うになったら外泊も考えようかな、と主治医の先生に言われた。 まあ、当時はまだ先の話であり、家に帰ったとして家族の負担がかえって(特に食事 に関する母親の負担が・・・元栄養士とはいえ・・・)大きいので、大人しくしてい るのが一番。と思っていたのである。  そして、何となく一ヶ月が過ぎ、幸い経過も順調で、ホルモン剤も減った。しかし 最近外出・外泊の話をだれもしなくなっていたのが気にかかっていた。一ヶ月前の話 であれば、外泊の条件は満たしたハズだ。それでも誰もその話題に触れないのは、 やっぱりまだ先になるということだろうか、とも思ってもみた。自分から聞きゃあい いのだが、何となく聞きそびれていた。  そんな中、外泊の強烈な目的ができた。散髪である。(止むを得ず?だが)仕事を 離れている今しかできないことをしようと思って、彼女には来る度にマユ毛を細くし てもらっている。  でも折角であるから、2ヶ月切ってない髪をバサッと切り、ついでに少し染めよう かという願望が日に日に大きくなってきたのだ。モミ上げも剃ろうかなー。横も刈り 上げ!などと思いは膨らみ、しおりと相談して近くの美容室「フラワー」で切ること にした。散髪に向けて気分が盛り上がってきたので、意を決して看護婦さんに外出で きるかを尋ねてみた。(ここでいきなり外泊?と聞かないところに小心者ぶりが伺え ます。)  そうしたら、先生に聞いてくれたらしく、外出の許可が割とあっさりと出た。それ でも外泊は、薬を減らしたばっかりだし、家族への栄養指導を行う必要があるので、 もう少し様子を見てからということだが、食事と食事の間の外出ならいいよ、とのこ とであった。  そうなると、美容室が休みになる日曜はダメだ。そうなると、土曜の午後になる、 そう、明日だ。 家も少し片づけたいが、カルちゃんも少し動かしたいが、やっぱり散髪が楽しみ。 サッパリ、チャパツ、メッシュで戻ってくるよていなのです。わーい。   <病院な人々>  昨日も書いたけれど、やっぱり病院は特殊なコミュニティーだ。特に入院病棟とも なると、皆大なり小なりのハンディを背負ってベッドに寝転がっている。口々に「退 屈だ」と呪文のようにつぶやきながら・・・。  僕が入院してからもこの南3階病棟でも入る人、出る人と、色々な人が通り過ぎて いった。もちろん僕よりも前からずっと入院している人もいるし、そうかと思えば一 晩で退院した人もいる。今日は患者から見た患者の話。  以前触れた、甘えん坊モードを全開にしている人もいる。意地悪な見方をするなら ば、それが逆ナンパ婆ちゃんの話だ。実は、恋の予感もなければ、ちょっと胸のは じっこを針でつつかれるような、切なくなってしまいそうな話。  この前の夕方、僕がゲームボーイに興じていると、突然1人のおばあちゃんが部屋 に入ってきた。70は過ぎているように見える。小柄でか細い印象のそのおばあちゃ んは、僕と目が合うと、よっくりと歩み寄ってきた。寝間着を着てるし、どこか他の 病室の患者さんであることは一目瞭然だった。かなり足腰が弱そうだったし、僕は自 分のベッドに腰掛けるよう、進めた。  そしてゆっくりと腰掛けたそのおばあちゃんは溜息混じりに一言「やるせないよ」 と吐き出した。 それからも、切ない、切ない、と繰り返す。僕はとりあえず聞き役に回ることにし た。できるだけ穏やかに相槌を打ちながら、そのおばあちゃんのゆっくりとした、 弱々しい主張を聞いた。 このおばあちゃんは病院から出してもらえないのが切ないようだ。どこが悪いかは 言ってなかったが、先生も看護婦さんも病院から出してくれない。ちっとも良くなら ない、と嘆いていた。 一通り聞いた僕には「皆の言うことをしっかり聞いていれば早く出られるから、頑 張って」というような、かえって自分に言い聞かせているようなコメントしかかけら れなかったが・・。それでも満足したのか、おばあちゃんはゆっくり部屋を出ていっ た。  が、その瞬間看護婦さんの声がしたのだ。「モロズミさん、お部屋戻ろ」どうやら 探していたようである。 そのお婆ちゃん(→モロズミさん)は看護婦さんに沿われて部屋に戻っていったよう で、僕は隣のベッドのオッチャンに「モテるじゃー(訳:あなた、モテますね)」と からかわれ、「あの年代には強いんですよ」などと返したりしていたのだが、その 夜、気を付けていると、しょっちゅうモロズミさんは看護婦さんに呼ばれている。そ れで一度部屋に戻っても、またすぐに「どこ行くのー?」と声をかけられている。そ れから何となくモロズミさんを気にかけるようになった。  モロズミさんは個室に入院している。朝のうちなどは部屋の前を通ると、いつも横 になっている。そしてお昼頃になってくると、「モロズミさーん」と呼ぶ声が廊下か ら聞こえるようになる。余りにもその声の回数が多いため、色々とモロズミさんにつ いて考えるようになった。  ボケてしまっているのかは分からないし、そんな感じでもなかったが、少々心が 弱っているようにも感じた。もしかしたら、(勝手で可哀想な推測だが、)身寄りが ないのかもしれない。 それは分からないが、とにかく何らかの事情の下で、看護婦さんたちはこの階の患者 の中で、何より第一にモロズミさんの行動に気を付けているのだろう。  そしてモロズミさんも淋しいのだろう。よく看護婦さんについて歩いてもいる。そ うかと思えば、おそらく看護婦さんについていってもらうよう言い聞かされているで あろうトイレに一人で行って、立ち上がれなくなったりして看護婦さんに怒られたり している。  しかし、淋しい、というよりももうちょっと屈折した感情がそこに存在するような 気がする。僕にはモロズミさんはいつも誰かに気にかけていて欲しいのだ、と思えて ならない。それがちょっと意地悪な見方、甘えん坊モード全開ということ。僕はそん なことを昨日もちらっと考えていた。モロズミさんが何回も非常口のドアを開けて外 の踊り場に出ようとして、その度に「危険だから」と止められているのを聞きながら ・・・。  話は推測の域を出ない。でもそんな人もいるのだ。しかし、幸か不幸か、おそらく 幸だが、今モロズミさんには、そうやって常に気にかけて、心から心配してくれる看 護婦さんや病院の職員さんに囲まれているという環境がある。 僕はモロズミさんについては、早く楽になりたいと言っていた(そういえば、彼女は 病院から出たいと言っていたが、それは退院という意味ではないような気がする。) という程度の情報しかない。彼女の家庭がどこにあって、どんな所であるのかは分か らないが、おそらくモロズミさんは家でも淋しかったんじゃないかと思う。そして何 かがあって入院し、スタッフの純粋な優しさに触れるうちに、知らずに甘えモードの スイッチが入り、そしてまたいつの間にかそのレベルを上げてしまったのではないだ ろうか。 それは誰のせいでもない。氷を常温に置くと解ける、というのと同じくらい、当然の 流れだろう。  それでも、そこでまた思う。実はそのあともモロズミさんは何回も部屋に入ってき た。いや、性格には入ってこようとした。ほとんど入ろうとして止められているのだ けれど、一度また中まで入ってきたことがあった。会釈をすると、また僕の方に歩み 寄ってきて、少しの間話をして、(自分で編んだ肩掛けの着方が分からない、という 話だった)お礼を言って、部屋を出ていった。  僕は、モロズミさんが僕と話すことで、少しでも紛れればと思って、できるだけ優 しい言葉をかける。それは事実であるし、本心からのものだ。それでもモロズミさん にそれ以上、能動的に何かしようとは思わない。部屋を訪ねたり、話しかけたりと いった。  でもそれでいいと思う。そこまでの背伸びは偽善のような気がする。またクールな 言い方をするのならば、世話を焼いてあげるスタッフはプロなのだし、ついでに言え ば、一応僕も患者なのだ。  僕はこのままのスタンスでいこうと思う。現にモロズミさんが部屋に入ってきたと き、彼女から目をそらさなかったのは僕だけであったのも事実。受け身の自然体でい いと思う。何も足さない。何も引かない。ピュアモルト山崎的生き方。  ただ一つ、これだけの”優しさのプロ”に囲まれて甘えモードに浸かってしまった 人が、退院したあと、戻されてしまう外の世界との間のあまりのギャップに苦しまな いか、いらぬ心配は、どうしてもしてしまう。 ***************************           「レセナ」の女の人、妙に日本語うまい。      S311号室より         たかぎ しげひら ***************************