差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月17日 〜♪ちっぽけな縁起担いで 右足から家を出る〜 日時 : 1999年6月1日 17:02  割と淋しかった週末の6人部屋だが、外泊の方々が戻ってきて、普通の夜に戻った 昨夜。 体のサイクルももう病院生活に同調してきたようで、日付が変わって起きていること もないし、朝も6時半にはシャッキリ起きている。昨夜はすごくよく眠った。久々に 夢も見なかった気がする。快眠。快眠。全てに勝る嬉しきものよ。  さて今日は5月の17日、この5・17という数字の並びには少々の思い入れがあ る。というか5月はずっとそうなのだ。中学時代。というよりむしろ中学のクラスメ イトを思い出すのだ。  出席番号というものがある。僕は中学時代には5部であった。(ちなみに諏訪には クラス替えという文化がほとんどないので、入学したら基本的に、小・中・高問わず 卒業までは同じクラスというのが常識。) そして50音順で並べられる。僕の出席番号は”510”であり、当然約40人のク ラスメイトも出席番号を背負っていた。勿論小学校にも高校にも出席番号はあった が、特に中学校では校則により学校外でも着ることの多かった体操着の前にも後ろに も大きく番号が入っていたため、中学のクラスメイトの出席番号は名前と同時に3桁 の番号を思い出す程、頭の中にはっきり刷り込まれている。  だから今でも日付に限らず、500代の3桁の数字を見ると、反射的にクラスメイ トを連想してしまう。本当にもう、反射的に。パチンコをしていても時々ドキッとす る。  そして今日の日付、”517”を付けていた奴。悲しいことに彼はもうこの世にい ない。中二の時事故で本当に惜しい命を落としたのだ。才に恵まれた、ちょっとナル シストだった。そのことについてはとても数十行では語れない。だから深くは触れな いけれど、”517”の並びを見る度にふと思い出す。特別な数字なのだ。 しかしパチンコ屋ではその直後に同じ数字が3つ揃ったりする、ある種ラッキーナン バーであったりもする。   <タバコとメダカとレディーボーデンC>  さて、池乃めだかこと、ウチの営業所の所長の話をもう少ししてみた いと思う。 前回は少々エキサイトして血圧も上がってしまったので(実際いつもより20くらい 高かった)、今日は少し弁護の立場から始めてみたい。といっても基本的にはやはり 嫌いなので、結局エキサイトしてしまうかもしれない・・・。  極端な負けず嫌い、偏ったプライド、客に利いて部下には利かない融通。そんなメ ダカ君だが、確実に一つだけ素晴らしいと思うことがある。それは彼の多用する経験 談だ。 勿論彼は自分が全てであるから、営業時代もかなりの自己流であった。しかし実績は とても良かったようなので、仮に営業として成功を収めたいのであれば、実際彼に学 び、得るべき物は多いと思う。だから見習い(研修)の時期、彼の管理主義の下で、 彼と行動を共にする機会が多かった僕は、彼から多くのエピソードを聞かせてもらっ たし、(彼の思いで話は常に40%増し程度に脚色されているので、それを差し引き つつ聞かなければならないのだけれど・・・)、彼の愛車90マークUの中に沈黙が 流れそうになったときなど、僕はできるだけ新しいエピソードを引き出せるように話 を切りだしてみたりした。それは成功にも、未遂にも終わった。  彼の体験談の多さは、決して僕に対してだけではなく、朝礼の時であれ、打ち合わ せの時であれ、雑談、説教に至るまで、とにかく色々な場面に散りばめられる。それ はスタッフの中では不満の多いところであるのだが、僕はそれほどには思わない。僕 は基本的に、物事を断言するときは自分の経験に基づいた物でなくてはならない。と いう考えがある。 自分の知識の中にある物は、受け売りであったり、活字や(メディアの)映像で入っ てきた物が大部分を占める。今までの人生で学んできた教訓なんて、微々たる物のよ うな気もするし、たとえばその教訓にしても、そのTPOで、しかも当事者が僕でなけ れば何の意味も効力もなかったものもあって、仮に(例えば、アドバイスとして、誰 かに)断言できたとしても、それはその人にとってはちっとも有効でないものかもし れない。すごく効率が悪いような気がする。それでもしかし、経験を持って学んだも のこそ、自信を持って自分の、自分だけの財産と言える。それがパーソナルとしての 基本になる。と僕は思っている。  メダカ君の体験談も、そういう意味では共感が持てる。経験合ってこそ話せるもの でもあるし。 何よりも彼に説得力がある。会社のお偉いさんの説教の受け売りよりは何百倍もい い。ただ彼の悪いクセは経験談がいつしか自慢話になり、さらにいつの間にか他人否 定になってしまうところである。大体いつもこの展開を辿るため、話の最後の方に なってくると聞く気も失せてしまう。まあそれは彼の人間性のモンダイであり、仕方 のないところ。  彼の純粋な経験談の部分で我々が学び取っていけばいいことで、それが重要なの だ。同僚のみんながその部分からも目をそらしてしまうのが残念でならない。どんな 人からも(多分)学ぶところはあるし、別に好きじゃなくても学べるのだ。そうやっ てしたたかに自分の糧にしていくのが営業として必要なんじゃないかな、と僕は思 う。  営業という仕事は本質的には人対人の仕事である。売り手も買い手も十人十色。人 間関係を築ければ、それほどの値引きをしなくても、こちらの思うモノを買ってもら うこともできる。もちろん、そこに至るまでは、長い時間やマメな努力が必要となる こともあれば、思わぬ偶然やアクシデントにより、思わず関係が築けることもある。  会社側の口癖は、「自分という人間を買ってもらえ」であるし、それは確かに大部 分のお客さんに対しては有効である。そしてこれには僕は割と自信がある。  しかし「知」をもってでしか言うことを聞いてもらえぬお客さんもいて、もどかし い思いもする。 この一年で、車音痴であった僕もさすがに車に関しては大分詳しくなったが、それで ももともと無知に近かった為、一般人と知識は大差ないし、自分の扱う車のカタログ レベルを覚えた程度である。それでも僕に「プロとしての」発言を求めるお客さんも いるし、「知」の足りぬ僕は何回も彼らを苛立たせるきっかけを与えてしまった。そ こで感じるもどかしさ。「メダカ君であればこのお客はものにする。」  そう、彼は歩くクルマ辞典。データから歴史から、勿論他社の車まで、その知識の 量は確かに半端なものではない。でも勿論それは年月のなせる技でもあり、焦りはし ないが。  しかし、とはいえ、「知」よりも「人間」を売ることを重視して一年やってみる と、逃がした魚も数あれど、それでも新人王を獲ることができた。 「知」だけじゃない。  知識は確かにあればあるほど有利だ。しかし、なまじ知識を持ちすぎた者は知に埋 もれ、知に溺れることが往々にしてあるように思う。それならば僕はむしろ「知」よ りも「智」を追求したいと思う。具体的にはまだ見えてこないが、「智しく」ありた いと思う。20年後ぐらいには。 ***************************             S311号室より         たかぎ しげひら ***************************